【幕間】雪深き山にて
余りに誤字脱字多かったので、大幅修正。
空色後半は続けて書きたいなーと思うので、中盤に幕間を。
お忘れの方も多いかと思いますが、旅路に出てきた、竜族の爺様と魔女の話。
雪深き山の早朝には、音がない。
存在するのは白と黒、その間の岩肌の灰色だけ。
砂龍の首を撫でて――降りるよう指示すれば、聞き分けのよい彼女は一人が座れるだけの突き出た岩を見つけて、ヒラリと舞い降りた。
砂龍から降りれば夕闇までずっと横殴りに吹き荒んでいた雪は降り止み、岩と樹木を飾ってきらめいていた。
舞い降りた人影は雪よけに巻きつけていた布を顔から外すと深く息を吐く。
口元から溢れる息は、白い。
「おかえり、ずいぶん長い不在だったね」
足音も無く声をかけられて頭上を見上げれば、崖の上にいたのは見知った女だった。
長い黒髪を緩やかに背中に流し、雪山に似つかわしくない軽装で、傍らには、やはり竜を伴っている。
彼女は竜を崖の上に留め置くと、彼女の背丈の三倍はあろうかという崖をなんなく降りてきて、男の横に並んだ。
男は女を一瞥すると特に感慨もなく、よう、と声をかけた。
眼下の静まり返った山と、麓を眺める。
「春までは帰らないつもりだったんだがな。冬の北山は、いつもにまして辛気臭い」
肩に積もった雪を払って男が顔を顰める。
雪が照り返した光を反射し、黄金の双眸が不機嫌に光った。
「そんなことを言うのはイェンくらいだよ。皆、北山の冬は神秘的で美しいって言うよ。竜族も、人間たちも」
笑う女の双眸も黄金――肌は雪のように白い。
美しい黄金の瞳に白い肌。典型的な、北山の竜族だった。
「そろそろイェンが帰って来る頃だと思って、待っていたんだ」
「よくわかったな」
「夢見をしたの――雪の止んだ朝に、イェンが帰ってくるのを見た――当たったね」
ランの異能は夢渡り、だ。
夢で過去と未来を――本人曰く未来は不確かなものらしいが、視る事ができる。
一族の中でも滅多にない力をなんでもないことのように告げると、ランは砂龍に跨がり、イェンに背中に乗るように指示した。
イェンはおとなしく、彼女に従う。
近くの庵まで二人と二頭のドラゴンで飛ぶと、庵の中で暖をとる。ランがあらかじめ持ち込んでいた食事をイェンがあたりまえのように受け取って満足すると疲れたから寝ると勝手な事を言う。
ランが自身の竜を連れて里に戻り、歩いて庵に戻ると、最早日は暮れていた。
口数少ない男に旅の事を聞き、いつものようにのらりくらりとはぐらかされる。会話がふと止まって、ランは彼女より、外見は十ばかり上に見える男に尋ねた。
「ねぇ、イェン。長への挨拶は、明日にする?」
「面倒だ……どうせ、砂龍を返しに来ただけだ。奴には会わずにまた出る。――ラン、お前がこいつを返してくれるか?」
イェンは庵の中に入って二人と共に暖を取っている、砂龍の首筋を撫でた。
随分長く旅を共にした砂龍は別れを惜しむようにイェンに顔を擦り付ける。
男は人にも……竜族にも滅多に見せない穏やかな微笑みをドラゴンに向けると、彼女の瞳の縁に口付ける。
竜族の女は、イェンの様子を苦笑して眺め、肩を竦めた。
「……せっかく里に戻ったんだから、長に会って行くといいのに……喜ぶよ?」
年若い長は、イェンを気に入っている。
彼が戻ったと知れば、ここのところ不機嫌だった長の気分も上向くだろうから、長のそば近くに仕えるランとしては、機嫌取りに来てほしい。
しかし、目の前の『人間混じり』のイェンは鼻で嘲笑って切り捨てた。
「面倒だ。俺はしばらく森にいる。用があればそちらが来いと伝えろ」
「森なら、テーセウスの所?」
「大体はな」
北山の麓に住む、魔女にして半竜族のテーセウス。
彼のことはランも知らぬわけではない。テーセウスの父は竜族で、生前ランとも親しかったから。
「―そう言えば、――シンに会ったって?大きくなっていた?」
ランが尋ねると、イェンは皮肉に口の端を吊り上げた。
「テーセウスから聞いたのか、あいつも口が軽いな」
「シンの事は、長も気にしてる……だから、テーセウスも私を通して報告してくれるの。シンは、長の血族だから」
イェンは顎に指を添え、皮肉な視線をランに向けた。
「血族、ね――その割には半竜族だと、坊やとタニアを見捨てた気がするが?」
「……タニアが、里に来るのを嫌がったんだ。長もそれを尊重したんだよ」
「……そういう事にしといてもいい。ま、王宮じゃ甘やかされて楽しいみたいだったしな。こんな辛気臭い里にいるより余程いいんじゃないか?」
なおも何かを言いかけたランを、視線で制して、イェンは会話は打ち切りだとばかりに椅子から立ち上がると、さっさと自分は寝台へと向かってしまう。
「長旅で疲れた――俺はもう休む――お前はどうする?」
当たり前のように手を伸ばされて、ランは溜息をつきつつも、彼に近づき、手を取った。
彼の膝の上に乗ると形の良い口元に指を伸ばして下唇をなぞり、耳元に口を寄せて、囁く。
「一緒に休んだら、ご褒美代わりに長に会ってくれる?」
「……なんだ、なんとも色気のないねだりごとだな」
目を細めたイェンの瞳を覗きこみながら、ランは言葉を続けた。
「長が不機嫌な理由は、カルディナの王宮から何度も使者が来ているからなんだ……鬱陶しい、って鼻に皺がよってる」
「女王から?」
「うん……詳しくは……後、で話すけれど……」
「なんだって王宮が北山に?――何年も前に交流は断絶したかと思ってたがな」
訝しげな男を見上げながら、ランも困ったように首を傾げた。
色々とあったんだよ、と溜息をついてイェンの首筋に顔を埋めた……。
北の森は、竜族達が住まう北山の麓に広がっている。
古くから森にはカルディナや東国の煌から追われた民や、異能者が住まい、気まぐれに竜族と人の私生児を迎えながらゆるやかな繋がりの集団を形成した。
異能者や特殊技能を持った彼らは僅かばかりの畏怖と多分の侮蔑を込めて、男女の区別なく「魔女」と呼ばれている。
魔女の一人にして医師のテーセウスは自身の家の戸に手をかけて溜息を、ついた。
閉めたはずの鍵が開いている。
テーセウスは几帳面な性質だ。
いかな鄙びた、周囲が全て顔見知りの森でも、職業柄、様々な薬を置いている家の鍵をかけ忘れることなどない。
顔をしかめ、息を一つついてから身を滑り込ませると、予測どおりの人物が、我が物顔で寛いでいた。
テーセウスの椅子に腰掛け、暖炉にはご丁寧に火が灯っている。
「……イェン、帰るなら事前に報せてくれ」
「はやかったな、テーセウス」
にこりと明らかに作り笑いに微笑まれて、気持ち悪いなと肩を竦める。いつでも使えとイェンに合鍵を渡したのはテーセウスだが、イェンがそれを使ったのは、はじめてだった。
「里には帰らなくていいのか。ランが随分と心配していたぞ」
竜族の美女の横顔を思い浮かべながら聞くと、イェンは「昨夜会った」と素っ気なく答える。
ランとだけ会って、里には帰らずに来たのだろう。
年若い長の彼への個人的な好意と、人間混じりだからという言い訳を盾に、気ままに諸国を渡り歩くイェンをよく思わない竜族の面々も少なくない。
ここはイェンにとっては避難所かなと苦笑して、テーセウスは外套を脱いだ。
「王宮から、長に連絡が来たとか」
テーセウスは頷く。
北部の貴族に頼まれて使者と竜族の間を繋いだのはテーセウスだった。
「近いうちに……といっても数年後だろうが、王女が正式に継嗣として指名されるらしい。その折に、里からも祝の使者を送ってほしいと」
古くから、北山の竜族とカルディナの王族とは交流があった。
カルディナの王族の即位や成人の暁には竜族の幾人かが祝の品と長の言葉を添えて言祝ぎに来る。その礼に、カルディナの王族達は竜族に多くの貢物(とは、竜族側の表現だが)を贈って、互いの幸福を願い、一方で境界をはかるのが常だった。
しかし、現在の長に代替わりしてから二十年近く、人間を厭う彼の意向を反映して両者の交流は絶えている。
「長は誰も送らないつもりらしい」
「そうか……」
イェンの言葉は半ば予想していた事だったので、テーセウスはただ、頷いた。
しかし、王宮としては――ベアトリスとしては、それは困るだろう。
カルディナは龍を信奉する国。国主は伝統として、即位や立太子を竜族に祝福されてきた。
一部に女王に従わない勢力がある現状、王女フランチェスカが竜族の祝福を一切受けないとなれば、要らぬ反発を助長させる。
「……竜族だとて、皆が皆、カルディナとの交流を断ち切りたいわけではないんだろう?」
いかな竜族が頑健な一族といえ、北山は辺境だ。他国との交流を断っては、不便も多い。
「だとしても、だ。長の不興を恐れて、誰も行きたがらない」
「そうか」
テーセウスは脳裏に小柄な女王の――彼の記憶では若い娘のままのベアトリスの――横顔を思い浮かべて目を伏せた。彼女は気落ちして、唇を、噛むだろうか。
ベアトリスは、何かに耐えるとき、僅かに唇を噛むのが癖だった。
それが緩むのは、姉のタニアに甘えて、寛ぐときだけ。
今は、誰の前で寛ぐのかと余計な心配をし……全く余計なことだ、と意図せず溜息が漏れる。
「……楽しそうじゃ、あるな」
頭の上に腕を組んで、イェンが呟く。
何が、とテーセウスが顔をあげる。
暖炉で炎の爆ぜる音がぱち、ぱち、と合いの手のように発生した。
イェンは楽しげに笑い、なおも深く椅子に身を埋めた。
「……久しぶりに、俺がカルディナに行ってもいい。ベアトリスも喜ぶだろう。長が誰も送らないと言うなら、俺に知らせろ。取次はキルヒナーか、ユンカーか?」
テーセウスは黙って、イェンの問には答えずに首を振った。
「……お前が来るくらいなら来てくれなくて結構、と王宮側も言いそうだ」
「竜族様が行って上機嫌で王女を褒めてりゃいいんだろう?――遊びに行ってやる。顔を見たいやつも何人かいるしな」
テーセウスは彼の愛子のシンと、目の前にいる男の愛弟子を思い浮かべた。
両人とも、イェンの訪問はあまり、喜びそうにはない。
北の森の魔女は自身も椅子に座り、やれやれと肩を竦めた。
北の森はまだ冬深いが、カルディナはそろそろ春だろう。
どうしているか、と懐かしい顔を思い浮かべて、テーセウスはそっと目を伏せた。
眼鏡「絶対来んな……!」
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