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70. 空色の瞳 10

 今日の祭事には勿論、私の祖父カミンスキ伯爵も参加していた。

 和平交渉のカルディナ側の全権は、係争地(カナン)の領主であるカナン伯ジグムント・レームが持っていたけれども、名目上はその補佐として、主に交渉をまとめたのは祖父だったと聞いている。

 穏健派の人々の意志をまとめた祖父が、交渉を進めたのだと。

 ――そもそも、ジグムント・レームはどちらかと言えば軍部よりのはずだ。タイスとの交戦を望んでいたはず……。


 祖父はいつものように朗らかな笑顔で、人に囲まれていた。

 周囲の人々と談笑しつつ、アレクサンデルに連れられた私に気づくと、笑顔のままこちらに近づいてきてくれた。


「レミリア様、ご機嫌いかがですかな」

「……とってもいいわ、お祖父さま」


 アレクサンデルは祖父の周囲にいる護衛達を眺め、私の手を離して一歩下がる。

 ドミニクが気づかわしげな笑顔で私と、彼にしては剣呑な視線でアレクサンデルを見た。


「……伯爵家の護衛の方が沢山いらっしゃるようですよ。アレクサンデルは、もう戻ってもいいのでは?」


 アレクサンデルは私を感情のこもらない瞳で私を眺め、私が止めないのを確認すると、では、と丁寧な礼をとった。


「アレクサンデル……」


 私を一顧だにせず去りゆく背中に、思わず声をかけた。

 彼は振り向くと私の言葉を待つ。

 不自然な沈黙が、数秒続いたけれど、私は咄嗟に気の利いた事を言えない。


「……貴方に、春の女神の祝福がありますように」

「ありがとうございます、レミリア様にも」


 型通りの挨拶を交わす。

 私は先ほどのアレクサンデルの言葉を思い出した。






 襟を正して首輪を服の下に再び隠したアレクサンデルは綺麗な微笑みを私に向けた。

 私は何も言えずに沈黙したまま彼の首元を見ていた。

 ヴァザの王が、定めた悪習……。人間に首輪を?

 酷いことだ、と思う頭の片隅で、私は反発も覚えた。

 最後のヴァザの王なんて、知らない。

 ――会ったことすら無い、そんな人が決めたことなんて――。


「なにひとつ、レミリア様のせいではありませんよ」


 私の心を読んだかのように、アレクサンデルは笑みを貼り付けたまま言った。


「お気に病む事など、何もありません」


 ですが、と言ったアレクサンデルの瞳は蒼く美しく、炎のように揺らめいている。


「我らに首輪をつけたヴァザの方々を敬う神殿の異能者達を、私は奇異に思います……首輪をつけられた事を、誇りに思えと声高に言う方にもね」


 蒼い瞳が遠くを見つめた。

 そこにはアレクサンデルの叔母で、彼と同じく異能者のリディアと、カナン伯ジグムント・レームがいた。

 さらに、その奥にはカタジーナ伯母も。

 あれは、縮図だ。異能者とヴァザの一族の歪んだ、関係の……。


「……首輪は外せないのですか」


 私の問いにアレクサンデルはふ、と笑った。


「解除方法は神官長しか知りません……もっとも、過去にひとりだけ。自力で首輪を外した人物を知っていますが」

「……その人は、どうやって?」


 アレクサンデルは可笑しそうに、微笑んだ。


「――私は寡聞にして存じません。レミリア様が直接お聞きになれば宜しいのではないですか?――せっかく首輪もないのに、今もなお、あの方はヴァザに飼われているではないですか」


 それは、どういう――。

 聞きかけて、私は口を、つぐんだ。


 ジグムント・レームの言葉が不意に、蘇る。

 ジグムント・レームは、以前、誰かを犬に例えて罵りはしなかったか……。


『あの、野良犬――』

『首輪をつけて国教会に下げ渡してやれば』


 アレクサンデルは。

 何故か、常に「彼」を意識をしているようだった。

 本来なら、竜族混じりは国教会に「保護」されるのだ、とも言っていた。

 それを逃れた竜族混じりを幸運だと……。


 野良犬。首輪のない……。

 首輪を外された。竜族、混じり。



 スタニス……!



「そこまでだ。アレクサンデル・レト」

 私の思考を、ドミニクの声が遮った。

「家名は私にはありません、ドミニク・キルヒナー殿」

「……家名なく神に仕える者ならば、徒にご婦人を不快に思わせるような事を言うべきではないだろう!しかも、レミリア様には全く関係のないことをお聞かせするな」

「……無関係な、事だと」

「なにひとつ、ご令嬢には無関係だ。君の不遇を嘆くならば、国教会か――殿下に申し上げるといい!」


 ドミニクが常にない強い口調でアレクサンデルを止めた。

 アレクサンデルはおとなしく口をつぐみ、失礼を……と形ばかり頭を下げた。私は首を振った。


 「いいえ、……いいわ。行きましょう」

 

 虚ろな声で言い、アレクサンデルに先導され……今に、至る。






 去っていくアレクサンデルを見送ると、祖父は私のためにと手ずから色々な食べ物や、飲み物を取ってきてくれた。

 伯爵はレミリア様にお優しい、と文官らしき人が笑う。


「そうですとも!何せ世界一可愛いご令嬢ですからな」


 祖父は笑い、ドミニクに目配せをして、私をベンチに座りましょうと誘った。


「……何か、心配事がありましたかな?」


 祖父の茶色の瞳が優しく私を見ている。

 私の様子がおかしい事など、祖父にもすぐにわかっただろう。アレクサンデルが、私に何かを言っただろう事も。

 私が先程のアレクサンデルの態度を告げれば、きっと二度とアレクサンデルは私に近づかなくなるに違いない。

 祖父がそう、手配するはずだ。


 ……お祖父様、国教会の異能者は、何故首輪をしているの?

 ……それを、ヴァザの王様がはじめたのは本当なの?

 なぜ女王陛下は、悪法を撤廃なさらないの。

 なぜ、私がアレクサンデルに責められるの?


 ――スタニスも、首輪をつけられていたの?

 まるで、犬みたいに。

 スタニスも本当は、私達を恨んでいるの?


 私は口を開きかけ……やめた。


 祖父はきっと優しく慰めてくれる。父上も、スタニスもきっと私が望む言葉を選んで浴びせて安心をくれる。

 それをしてしまったら、いけない気がした。今は。

 私は何も知らないから。

 ヴァザ王朝がしたこと。一族がしていること、あるいは……「しなかった」こと。

 今の心の屈託を、全部さらけ出してしまうのは、それらを知る機会を、私から、遠ざけることのような気がしたから。


 私は、首を振った。


「色々な考えの方がいらしたので、今日は疲れてしまいました」

「色々とは?」

「……フランチェスカ殿下は、今日はとてもお綺麗でした。いつもお綺麗だけど、今日はずっと。……でも、私が春の女神を演じるべきだったと言う方もいました……ヴァザの娘だから。そうでない方も」


 祖父はそうですな、と目を細めた。


「どちらがしたっていいと思うの……せっかく、春の祭りだから」


 でも、と私は祖父をみた。


「きっと、そうでない人もいるんですね。――皆、それぞれに理由がある――」


 祖父は私を見つめ返しながら、微笑んだ。


「……皆の考えを知りたいとお思いですか」

「はい」

「知る、事はよいことですよ。ですが」


 少しだけ祖父は「カミンスキ伯爵」の顔になる。


「全ての人の心に寄り添う、などとは考えてはいけませんよ。人の心は、一つです。手は二つ。持てるものも、繋げるものも限られている。目にする全てに心を奪われる事は――何も成さぬのと同じ事です。選べるものは、少ない――レミリア様にとって、大切なものを間違わずに選べるようにお成りなさい」

「はい……お祖父様」


 私は、頷いた。


 祖父と別れ、ドミニクが私を馬車まで送ってくれた。

 ドミニクは私を気遣って何度も謝ってくれた。ドミニクは悪くないのになぁと苦笑する。


「……何も、お気になさる事はありませんよ。アレクサンデルのあれは逆恨みも良いところだ」


 私はドミニクを見上げて無理に笑った。


「不思議だったんです。何故、いつもアレクサンデルから敵意を感じるのか。――根拠が正しいにしろ、そうでないにしろ、何故私を彼が嫌うのか、知れて良かったと思います。私、アレクサンデルに何も言い返せなかった。だって、彼の言っていることが正しいのか、違うのか……何も知らないんだもの。いつかちゃんと知って、アレクサンデルの言葉が、正しくないと思ったら反論しようと思います。……彼が正しかったら、どうすべきか、考える……」

「レミリア様……」

「だから、今日の事は、父上にも祖父にも言わないでね?祖父はきっとドミニク様に詰め寄ると思いますけれど……」


 ドミニクは怖いな、と肩を竦めたけれど、結局、わかりました、と頷いてくれた。

 二人で馬車へと向かう道の途中、知った顔を見つけて、私は顔をあげた。


「ヴィンセント!来てたのか」


 ヴィンセント・ユンカーはドミニクに笑顔を向けた。


「僕は祭事には出られませんよ。シンが出ていたので、ここで、その帰りを待っていただけです。レミリア様にもご機嫌麗しく」

「ヴィンセントも」


 ヴィンセントとドミニクが言葉を交わしていると、高官らしき人がドミニクを見つけて近寄ってくる。

 ドミニクが一族の者です、と苦笑して紹介してくれる。

 彼は私にも丁寧に名乗って、ドミニクと話しをしたそうだったので、私は彼を促した。


「ドミニク様、今日はどうもありがとう。もう、タウシクが戻って来たから、大丈夫です」

 先程から距離をとって着いてきていたタウシクは、声の聞こえる位置まで近づいて来ていた。

 ドミニクは私を気遣わしくみたけれど、私の無理した笑顔をみて、わかりました、と頷いた。


「折を見て、ご挨拶にうかがいます」

「楽しみにしておりますわ」


 ドミニクを見送り、私はため息をついた。

 余計な気遣いをさせてしまったな。我が家の禿頭(とくとう)の騎士、タウシクが私に付き従い、馬車へと向かう。

 私達二人を、一人残されたヴィンセントが引き止めた。


「レミリア様」

「……?どうかなさいました?」

「……君のことも待っていたんだ」

「私を?」


 ヴィンセントがわざわざ、なんだろう。ヴィンセントは仏頂面で高圧的な視線を彼に向けているタウシクを気にしつつ、私に包を渡した。


「……?これは?」

「ハンカチ、返すよ。いつかはどうもありがとう」


 なんの事かと首を傾げ……私は思い出した。

 薔薇園で髪が絡まった私を、ヴィンセントが助けてくれて指に怪我をして……。

 それで、ハンカチを貸したのだった。


「……持っていてくれたの?てっきり、捨てたのかと」

「捨ててないよ。いい刺繍だって、僕の家のお針子が、褒めてた。はい」


 私はハンカチを受け取って、口元を綻ばせた。

 貸したものが、返ってきた。……そして、礼を言ってくれる。

 その事が、わけもなく、嬉しい。


 ヴィンセントが、私を嫌っているとしても。

 ……私は、彼との間に何かしらの関係を作れているのだろうか。悪夢で見る、運命とは、違って。

 私は微笑んだ。


「わざわざ、綺麗にしてくれて、ありがとう」

「借りたものを返しただけだよ……、お礼は不要」


 ヴィンセントは彼らしいつれなさで肩を竦めると、ドミニクが去った方角へ、歩を進めていく。


 私は。

 ねえ、と聞いてみたかった。



 ……ヴィンセントは、どうして私達が嫌いなの。

 ヴァザを嫌うのは、どうして?

 私の一族は……貴方に、何をしたの?

 ……アレクサンデルみたいに、私のことも嫌いなの?



 聞いてみたかったけれど、私は結局、何も言えずに彼の背中を見ていた。


「お嬢様、国教会の若者が何か……?」


 タウシクが明らかに元気のない私を気遣って聞いた。

 私は何もないわ、と首を振る。


 馬車に辿り着くと、いつものようにスタニスが――ヴァザ家の侍従が笑顔で迎えてくれた。

 父上はいつものように、人に酔って、馬車の中でぐったりとしているだろう。


「お嬢様、お帰りなさいませ」

「うん!ただいま」


 私はスタニスの喉元を――勿論、そこには何もなかった――を、見た。

 いつか、スタニスに首輪の事を聞くとしても――それは今ではない。


「帰りましょう」


 笑顔で促され、私も彼に同じものを返した。



アレクサンデルの事はむしろ嫌ってやってください

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