69. 空色の瞳 9
短いですが。誤字脱字はまた後で修正します。
「――レミリア様にお目にかかれて光栄です」
学生のリーダーらしき青年は私をじっと見つめ、微笑みかけてくれた。蛇のような濁りのない、温度の低い瞳が私を捕らえる。
私は、居心地の悪い思いで彼を見返した。この人の視線には、覚えがある。
私を見ながら、私ではないものを見る瞳。神殿のヴァザを狂信する一部の聖職者たちと同じ目だ。
「今日は公爵夫人はいらっしゃらないのですね」
「ええ、母は屋敷におります」
「公爵夫人と――お産まれになるお子様に、春の恵みがありますように」
「ありがとう。――軍学校のお兄様方にも、春の祝福が訪れますように」
型通りの挨拶を言うと、シュルツと名乗った学生は少し口の端を歪め、私ではなく、背後に控えるドミニク・キルヒナーを見た。
「しかし、僭越ながら。公爵家の御方ならば――付き合う相手はお考えになられたほうがよろしいかと……」
示し合わせたかのように彼の背後の幾人かが、含み笑いを漏らす。
「商人貴族が、幼い公女様に取り入るとは――手早いことだ」
あからさまな侮辱にドミニクは平然と前を向いていたが、私の温度はサッと下がった。
ドミニクがこんな風に言われる覚えもなければ――「私が誰と付き合おうと」初対面の人に嫌味を言われるほど覚えはない。
私にそれを言うのは、非礼だ。ここにいるのが父上だったなら、ドミニクに対して彼らも非礼を口にしなかっただろう。
私自身が敬われているどころか、侮られているのがヒシヒシと伝わってくる。私が言い返すよりも前にシモン・バートリがやんわりと釘を刺した。
「めでたい日に嫌事を言うなら君たちは退出させるよ?――キルヒナー家は侯爵家とも懇意だ。彼は、君たちと違って家業を立派に継いでいる。非礼を詫なさい」
学生達は侯爵の言葉に素直に頷き、私とドミニクにも頭を下げた。
「言葉が過ぎました、ご無礼を」
「美酒で口が軽くなったようです――キルヒナー、許せよ」
最初からそのつもりだったのだろう。
ドミニクに嫌味を言って、すぐに謝る。私もドミニクも不快を表さないうちに。
これでは怒った方が大人げないと笑われる。特にこの、めでたい場では。
少しも悪びれずに頭を下げたシュルツ達に苛立ちしか沸かないけれど、私は唇を噛み締めた。
どうしようかと逡巡している私の背後で、ドミニクは、はは、と声を立てて笑った。
「君たちの口が滑らかになるのも仕方ないさ。北部の美酒は人をついつい饒舌にさせる――美味かったろう?――わざわざ葡萄の生産者を抱き込んで醸成させた甲斐があったよ」
「な――」
学生達は思わず、と言った体で手に持ったグラスを見た。
ドミニクは笑ってまだコルクを抜いていないワインボトルをとると、手慣れた手つきで抜き取った。コルクをシュルツの背後にいた学生に向けて笑ってみせる。
コルクには、印が押されていた。ドラゴンの爪に見える、可愛らしい模様。
「――俺の立ち上げた新しい酒造会社なんだ。どうぞ、ご贔屓に」
学生達は鼻白み、ドミニクはあくまで邪気なく朗らかに言い切る。私はぽかんと口を空け、それから――くすくすと笑った。
「キルヒナー様のワインを飲んだのなら仕方ありませんね。北部の方は口の悪い方が多いと聞くもの。お兄様方の軽口も――ワインの悪影響だわ、きっと」
言外に面白くない軽口を叩くなと嫌味をこめつつ、ドミニクを真似して邪気のない子供らしい笑みでにっこりと微笑んだ。学生達は顔を見合わせて、沈黙する。
子供にこう言われては怒るのも大人げないと思ったのだろう。なんとも微妙な空気がその場を支配した。
シモン・バートリだけが面白そうに私達を眺めている。この人は、人のいざこざを見て楽しむ趣味でもあるのだろうか。
嫌な趣味だなぁ。
学生のリーダーらしきシュルツは、気を取り直したかのように、大変失礼いたしました、と私に再度謝り、今度はアレクサンデルを見た。
「今日はアレクサンデル殿はレミリア様の警護なのですか」
私は沈黙を保ったままのアレクサンデルに視線を向けた。知り合いなんだろうか。私の疑問を正確に把握したアレクサンデルは小声で「訓練の手伝いに軍学校にも赴きますので、そのときに」と小声で説明してくれた。
「レト家の方は、ヴァザの護衛になるべきでしょう。国教会の方ならば、古きゆかしき伝統を引き継がれるべきだ」
私は――ヴァザの人間である私は――居心地の悪さに身じろぎした。なるべき、とか、そうしろ、とか自分の生き方を無責任に外野に言われても困る。
アレクサンデルもこれが日常なら、確かにうんざりして、私に悪意しか抱けないかもしれなかった。
アレクサンデルは感情を極力排除した声でシュルツに反論した。
「私は、国教会と王家に仕える身です。本日はレミリア様の警護ですが、本来の私の任務はフランチェスカ殿下の護衛です――。そして、その任務に、誇りを持っております」
きっぱりと言い切るアレクサンデルは――かっこよかった。
これがフランチェスカじゃなくて私の為の宣言なら感動してしまいそう。
しかし、残念ながらまたしても言い寄ってもないのにアレクサンデルに振られた私は、心の中で苦笑いしか出来ないけど。
学生たちは、アレクサンデルを何故か哀れみの視線で眺めると肩を竦めた。
「――首輪持ちは大変ですな。ご同情申し上げますよ」
また、ここでも首輪?私が疑問符を飛ばしていると、シュルツはアレクサンデルにも体温の低い笑みを向けた。
「それならば仕方ありませんな。王家に仕えるアレクサンデル様にも春の祝福を!」
シュルツが嫌味な調子で言う。
嫌な人だな、名前を覚えておこう。ドミニクが、ハイデガー様の遠縁ですよ、と耳打ちしてくれた。
行きましょう、と私がアレクサンデルの手をとると、未来の神官長はええ、と硬い声音で言った。学生達の声が聞こえなくなったところで、シモン・バートリが、くつくつ、と喉を鳴らした。
「いやはや――レミリアももう、十二だということを忘れていたよ。いつの間にか、すっかり大人びて。馬鹿なフリも出来る」
「――なんのことでしょうか」
空とぼけた私に、侯爵は肩を竦めた。
「惚けるのが上手くなるのは――血筋かな。私の妻と同じだ」
その台詞に薄ら寒いモノを感じて私は、弾かれたように侯爵を見た。彼はいつものように貴公子然とした上品な笑みを口元に讃えている。
「アレクサンデルにも、不快な思いをさせて悪かったね?」
「いえ」
アレクサンデルは、先程から、少し顔色が悪い。具合でも悪いのかもと思って覗き込んだ私から、不自然に視線を逸し、シモン・バートリを見つめ返す。
「お気遣いは、不要です。シュタインブルク侯爵」
シモン・バートリは柔らかく、しかし悪意をもって口を開いた。
「しかし、国教会も無粋な事をするね。幾ら異能者とは言え、――若者に首輪をつけるなど――」
え?と私が呟き、ドミニクが気遣わしげに「侯爵」とうかがうような声をあげた。アレクサンデルは表情を消してシモン・バートリを見つめ返し、――私の指を握る手が、少し力を込められる。
シモン・バートリはそんな私達三人を楽しげに眺めると、「私はこれで失礼するよ」と微笑んだ。
「レミリア、今度会うときは君の弟か妹の誕生祭かな?西国から宝石で飾られた揺り籠を届けさせよう――次に会うのを楽しみにしているよ」
「お気遣いありがとうございます、侯爵……」
額に押しつけられた彼の唇は、ひんやりとしていた。侯爵が去った後も沈黙を保ったままのアレクサンデルの横顔を、私は見た。
「……あの」
「……」
アレクサンデルは、冷たいはずの蒼なのに、燃えるような目をしている。サファイアのような、美しい瞳だ。
その強い瞳で、彼は私を射た。
「アレクサンデル、大丈夫ですか?顔色が悪いわ」
アレクサンデルは私を見ながら口の端を歪める。
「……首輪持ち」
「え?」
「気になりますか、首輪持ちと言う言葉が」
聞いていいのか躊躇ったけれど――私は気圧されて、頷いた。
ドミニクが止めようとするのも聞かず、アレクサンデルは澱みない動作で襟元を緩めた。そして、そこに現れた銀色に私は目を奪われる。
喉元をぴったりと覆うそれは首飾りにしては、太く、そしてあまりにも肌に密着して息苦しそうだ。
まるでそれは――。
「くび、わ?」
「そう、首輪ですよ。紛うことなき、ね」
思わず口元から溢れた単語を、ゆっくりと拾い上げるようにしてアレクサンデルは愉しげに――皮肉な表情で、私を嘲笑った。
「――国教会の異能者は皆、子供の頃に首輪を嵌められます。逃げぬように、逆らわぬように。逃げれば首輪が締まり、死にいたります。外すためには死ぬか、神官長にでもなるしかない。おぞましいでしょう?ですから我等は侮辱されるのです。国教会の狗、首輪持ち、と」
いっそ愛おしむような口調で言い、彼は指で光る環をなぜた。
「……国教会が?――どうして、そんな」
ひどい事を。
そう、言いかけた私を遮り、なおも皮肉な瞳で見ながら、アレクサンデルは言葉を続けた。
「――この慣習がはじめられたのは、先々代の御世であったと聞いています」
「……先々代、の」
先々代――。それは、つまり。
アレクサンデルは綺麗な蒼い目を細めて、私を断罪した。
「ヴァザ王朝、最後の国王の命です。貴女の一族が定めた、悪習ですよ」




