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67. 空色の瞳 7


「厳しい冬は、もはや過去のこと。柔らかな春が、カルディナの人々を等しく癒やし、祝福しますよう」


白一色の衣装に身を包んだ壮年の男性が、祭壇の前で厳かに宣言する。

彼の背後にはめ込まれた色とりどりのステンドグラスから差し込む幾筋もの光が、彼ともう一人を七色の光で薄く染める。

男性――国教会の神官長が壇上に掲げた枯れた枝を両手で掲げ持つ。

枝を恭しく彼から受け取ったのは、ベアトリス女王の唯一の継嗣、王女フランチェスカだった。


表情を消したフランチェスカが枝を捧げ持ったまま祭壇に背を向け、私達――祭事に列席した貴族や軍人たち――を無表情のまま睥睨した。


新緑を意識したのか王女は薄若葉色のドレスを身にまとっている。

背中を彩る黄金の髪は春の陽光を集め、まるで金剛石(ダイヤモンド)の粒をまぶしたかのように煌と輝く。


龍をかたちどられた像と、国教会の最高権力者を背後に従えた若い王女に纏わりついた光は彼女の白い肌の輪郭をいっそう曖昧にし――――。


王女フランチェスカは、息を呑むほど美しかった。


彼女によく似た父を見慣れた私でさえ、神話のような光景にそっと息をはいて見惚れるほど。


フランチェスカは私達の視線を集めた事を確認すると、氷が溶けるようにふわりと微笑む。

まるで、春の陽射しのように。


どのような仕掛けなのか、もしくは異能の発現なのか。

王女の手中の枝が彼女に祝福されたかのように忽ちに芽吹き、若々しい葉が手を広げ――白い花が綻ぶ。

枯れたはずの枝が瞬く間に甦り、生命力に溢れる若木へと姿を変えていく――カルディナ王家の、正統な継承者によって、死滅した季節が、甦る――。


「主の祝福が皆に行き渡りますよう。――春は訪れた!」


王女の高らかな宣言に、集まった人びとからワッと歓声が沸き起こる。

それは、カルディナが春になった瞬間だった。


私は息を潜めてベアトリス女王を伺う。

貴族たちの最前列に並び祭事を微動だにせず眺めていた彼女は――表情を特段動かすことなく、娘の姿を穏やかに見つめていた。そしてその横には眩しいものを見るようなシンの横顔が見える――。






「国教会の現神官長様のご出自はご存知ですか?」

「レト家の遠縁、とだけ」


レト家は異能の神殿関係者をよく輩出する家柄だ。旧くはヴァザとも関係が深い家だった。


「アレクサンデル殿のまた従兄弟らしいですよ」

「そうなの?知らなかった――ハイデッカー軍務卿の横にいる方は?少し怖そうな灰色の髪の方」

「娘婿のマキシム・ネス様です。ご自身は爵位はありませんが、子爵家の出ですね。ユゼフ様と同期です――」


私をエスコートしながら王宮の庭を行き交う人々を説明してくれたのはドミニク・キルヒナーだ。

さすがにドミニクは王宮に出入りする人に詳しい。

エスコートと言っても、私は社交界デビューもしていないので、今日一日のお世話係をしてくれていると言った形の方が正しい。


祭事が終わり、王宮の庭は珍しく解放されていた。

春を祝うと同時に、カナンの諍いが無事に終わったことを盛大に祝おう、と言う宰相閣下や穏健派が集っている。

下級の貴族や騎士それから軍学校の最上級生――。

すれ違う人々は私に気付くと礼をしてくれるけれど、私は彼らを知らない。



「出来れば、祭事の時は、ドミニク様に案内をしていただきたいのです」



父上の許可を得て、ドミニクに私は直に頼んだ。彼はキルヒナー男爵と共にこの祭事に出ると知っていたからだ。ドミニクはおや、と言う顔で私をみた。


「父上はドミニク様がいいとおっしゃるなら、好きにしなさい、って」


男爵家の跡継ぎは、しばし考えて、私に問うた。


「――私がレミリア様とご一緒させていただきますと、お小言(・・)を言ってくる方々がおりますよ?」

「私に何か言う人より、ドミニク様に嫌味を言う人の方が多いと思うの――」


私たちはじっと見つめ合い……、ドミニクはにこり、と笑った。

そういう顔をすると男爵にもよく似ている。


「私は構いませんし――ヴァザのレミリア様と私が仲良しだと誤解する方々が増えてくれれば、商会も信用があがりますので、嬉しい限りですよ――けれど、レミリア様には何か、良いことがありますか?」


私は、どこまで話すべきかわからないけれど――意を決して、言った。


「私ね、ヴァザの家が誰と親しくて――、誰が嫌っているかを知らないの――母上は教えてくれようと私を色々なところに連れて行って下さろうとしていたけど――知らない人が、苦手で」


引きこもってばかり、いた。


父上は人嫌いだし、父上に倣って――会う人を限って来た。

悪意が怖くて。好奇心が煩わしくて。

悪夢のレミリアも、結局はそう。

悪口を言われるのが怖くて。

つまらない人間だとばれるのが怖くて、人と関わるのを避けてばかり。


なにより、――美しく気高く、春の女神のようなフランチェスカと比較されるのが悔しくて、目を背けていた。


だけど、と思う。


経験と人脈の不足は彼女(レミリア)に何をもたらしたろう。

破滅と孤独だ。

悪夢で見る私、にはなりたくない。そして、生まれてくるきょうだいを守りたかった。


「そうですか」

「……赤ちゃんが生まれたら、いろんな人が私のそばに来るでしょう?誰がどんな人で、誰と仲がいいのか、少しだけ予習しておきたいなって……」


ドミニクは私でいいですか?と聞いた。

私はドミニク様がいい、と頷く。彼はそれ以上、私に理由を聞かなかった。

彼の人柄を信用していると言うのもあるけれど、彼に頼みたかった理由は、それだけではない。

母上の妊娠がわかった時、少しも動揺しなかったのは、ドミニク・キルヒナーだけだった。

多分、彼の中では王家も、旧王家も等しい重さだからなんだと思う――この一年近くの交流で私はそう、感じている。

だから――ドミニクのような「中立の立場の人」から王宮はどう見えるのか教えて欲しかった。




私が歩くと、様々な大人たちがご機嫌麗しゅう、と仮面のような笑顔で声をかけて来てくれる。

ドミニクが誰なのかを私に耳打ちし、覚えられるだけ顔と名前を一致させながら、私も無邪気を装って返しながら歩いていると、目立つ二人組に声をかけられた。


国教会の神官服に身を包んだ、見事な緋色の髪の二人組。

国教会に属するリディア神官と――未来の神官長、アレクサンデルだった。

リディアは満面の笑みで、アレクサンデルはほんの一瞬私を射るような強い瞳で見て、礼儀正しく頭を垂れた。

リディア神官はおそらくヴァザの親派だと思う。

長い間、ヴァザ家の最後の王女にして老神官、マラヤに仕えているそうだから。


「お久しゅうございます、レミリア様」

「リディア様、アレクサンデル様。ごきげんよう」


そして、彼女と同じ一族であるアレクサンデルは私の知る知識ではヴァザ家が嫌いだ。更に言うならフランチェスカに心酔している。あくまで、前世での知識だから彼がどういう立場かは不明だけど、たまに王宮で顔を合わせても「不快」以外の感情は感じないから、立ち位置にそうブレはないだろう。


リディアは私に挨拶を終え、ドミニクにも名乗った。

キルヒナーと言う家名にも表面上は驚かず、ただし振り向きもせずに背後で沈黙を守っていたアレクサンデルに端的に命じる。


「アレクサンデル」

「はい、リディア神官」

「――レミリア様の警護が今日は少ないようです。貴方がしっかりと警護をなさい」


アレクサンデルのサファイアの瞳に不満の色が灯る――無理もない彼は王女(・・)の護衛だからだ。

しかし、今日は近衛騎士がフランチェスカの側を固めていて彼の出番はなく、結局はアレクサンデルは礼をして諾と返答した。


私がドミニクを見ると、彼は苦笑した。リディアの申し出は「ドミニクでは警護として頼りない」と断言したに等しい。少し離れたところに我が家の騎士のタウシクも居るんだけど……。ドミニクはリディアに駄目だしをされた事には構わず、柔らかく言った。


「本日の主要なお客様でレミリア様の知らない方とは、だいたい挨拶し終えたと思いますよ」


だったらいいや。

――アレクサンデルとも話をしてみたいし。私は出来る限り無邪気に笑ってみせた。リディアはでは、と柔和に笑い、踵を返す。

炎のように美しく緋色の髪が艷やかに光った。


「ご無沙汰しております、アレクサンデル様」

「――名前のみで結構です、レミリア様――シン様を呼び捨てになさる方が、私ごときをそうなさらないのは奇異でしょう」

つれないな。

「では、アレクサンデル――私と一緒に居てくださる?王宮の方々をよく知らなくて、気後れしてしまっているの」

「畏まりました」


アレクサンデルは――初めて会った時より背が伸びた。

初対面では女の子みたいだと間違えたけど、今の彼をみて少女だと間違える人はいないだろう。鋭い視線もあいまって、峻厳な研ぎ澄まされた刃物のような印象を与える。


「今日は、神殿関係者の方も多いのね」

「上位貴族の方々が一同に会すのは久々の事ですから。目立たぬように護衛代わりです」

素っ気ないながらも質問には答えてくれる。

「現神官長様は、アレクサンデルのご親戚なの?」

「私の母が、神官長の父君と従妹です――神官に親戚はおりませんが。建前上は」


カルディナでは神殿に務めると、皆、家名を捨てる。

仕えるべきは神と王家だけ、だからだ。神官職や異能を残すべき能力者は血筋を絶やさぬように伴侶を持つことが許されるけれど、生まれる子が継ぐのは、神殿関係者ではない方の親の家名。


あくまで神官は「世俗と関係なく孤独」であるべき、なのである。


私が知る、数少ない神官をみても、ちっともそうは思えないけどなぁ。


フランチェスカの横にはりついて、近すぎる距離で微笑んでいる神官長を、私は少し意地悪な目でみつめた。

フランチェスカは私の三つ上だから十四だけど、今日は祭事の為か大人びた化粧をしているのでもっと年上に見える。

そのフランチェスカの側で微笑み……、有体に言えば、幼い王女の美貌に「鼻の下を延ばしている」姿を見ると、とても世俗から離れた神職者には見えないや。フランチェスカは何事か彼に囁くとさらりと彼を躱して離れた。――手慣れているなぁ。


「レミリア様と、ドミニク・キルヒナー様がお親しいとは存じ上げませんでした」

アレクサンデルのサファイアの瞳が私達を捉える。

「――私にドラゴンに騎乗するよう勧めてくださったのは、ドミニク様です」

私が色々と省略して説明する。

「ドミニク・キルヒナーです。アレクサンドル殿。弟と仲良くしてもらっているようで」

ドミニクが笑いかけると少しだけアレクサンドルの表情が硬くなった。いえ、と短く答えると、礼儀正しい挨拶をする。


アレクサンドルとイザークは、そんなに仲良くないのかも。どんな関係なんだろうと思っていると、私は声をかけられた。


「――これはこれは、レミリア。今日は一人かい?」


私は一瞬、身体を硬くしてからにこり、と笑顔をはりつけた。

くるり、と振り向くと、金色の髪の伊達男が華やかな空気を撒き散らしながら立っていた。


私の義理の伯父、シモン・バートリ侯爵が役者のように完璧に誂えた表情で微笑んでいた。


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