66. 空色の瞳 6
キルヒナー兄弟が帰り、私は母上の部屋を訪れた。
臨月も間近、と言う母上の具合は、少しよろしくない。
悪阻は数ヶ月前に無事に終わって、それから順調に赤ちゃんは育っているけれど、酷くだるいらしい。
特にこの一月は公爵家の侍医のサピア医師に「安静」を言い渡されてしまった。
「――レミリアのときも臨月が近くなると同じようになったのよ」
と母上は心配しないでと私達に笑った。それから、母上は、日がな一日本を読むか、赤ちゃんのための編み物をしている。その分、父上が色々と忙しそうで「いい傾向よね?」と母上と侍女頭のヒルダは忍び笑いを漏らしていた。
「母上!お具合はいかがですか」
私が扉をノックして入ると、母上はソラと一緒に私を出迎えてくれた。
ソラは母上が具合が悪いとわかっているのか、いないのか。ここ数週間は母上を守るかのように側にいる。
母上はいつものように、編み物をしている最中だった。
「編み物は、どうにも苦手なのよ」
と言いながらも、手袋や、マフラーや、靴下を編みあげていて、私はそれを広げてはたたみ、可愛い!とご満悦である。
どれももちろん、赤ちゃん用のものだ。
カルディナの慣習で、赤ん坊が初めての冬を過ごす時の一式は母親が作るといいと言われている。黄泉へと誘う冬の魔物の息吹から守る事が出来るのだと…。
「レミリアも何かほしい?」
「帽子が欲しいです、母上!」
母上の問に私は元気よく答えた。
「耳まで隠れるものが欲しい!」とスケッチブックを広げて絵を描くと、母上は変わった意匠ね、と目を細めて作ってくれる約束をしてくれた。楽しみだな!
キュイキュイとソラが鳴いたので何事かと思ったら、籠の中にある毛糸の玉を一つ取り出して転がして遊んでいる。
「こら、ソラ。毛糸で遊んではだめだと言ったでしょう!お片付けしなさい!」
「キュ…?」
「お片付け!」
「キュイ?」
「母上、ソラはきっとソラの分の帽子も欲しいのではないでしょうか!」
私の提案を聞いて「キュ」とソラは鳴いた。
母上は呆れ顔でソラを眺める。
「帽子を被ったドラゴン……それは少し、変ではない?」
可愛いと思うけどなぁ。
ソラは変じゃないよ、可愛いよ!と母上を見つめて尾を振っている。母上は私とソラを見比べて「レミリアのドラゴンだから、丁度いいのかしら」とちょっと聞き捨てならない独り言を零した……。
は、母上?
娘の事を少し変だと思われていませんか……?
侍女のアンナによると、母上とソラはあれこれも噛み合わない会話を交わしながら一日を過ごしているらしい。
「キルヒナーのご兄弟はお帰りになったの?」
「はい、無事に。イザークは今日もスタニスに勝てませんでした」
「あらあら、スタニスもたまには負けてあげたらいいのに」
「手抜きはしないんだそうです」
「スタニス先生は厳しいこと!」
先生という言い方が可笑しかったので私達は顔を見合わせて笑った。
私はドミニクが厨房に走ったこと、林檎の事なんかを身振り手振りを交えて話す。
母上は時折相づちを打ちながら私の話を聞いてくれた。
「お祖父様がもう少ししたら帰って来られるそうです。カナンでは、とても活躍なさったんですって」
「ええ。お父様から聞きましたよ――はやく、帰ってくるといいわねぇ」
「陛下もお祖父様をとても褒めていらした、って」
「そう。――お祖父様は、最後のお勤めだ、と張り切っていらっしゃったから……上手く行ってよかったわ」
母上が安堵の息を吐き、私も頷いた。
ソラが私の頭の上に乗り、キュイキュイと同意するようにご機嫌に尾を振ったので、母上はソラを撫で、またくすくすと笑い声を立てた。
数日後、祖父カミンスキ伯爵が王都へ帰ってきた。
陛下への報告も父上と宰相閣下立会のもと無事に終わり、報告したその足で父上と祖父は我が屋敷に帰還した。
私はスタニスに連れられて、二人の帰りを広間で待つ。
仰々しい出迎えは好まない父上なので、出迎えはセバスティアンとヒルダ、スタニスの三人だけ――最近はここに、スパイ・トマシュも加わる事が増えてきた。トマシュは赤ちゃんが生まれたら、赤ちゃんのお世話も少しすることになるから、らしい。
セバスティアンとスタニスがどんな仕事をしているか、実地訓練、というわけだと思う。
トマシュはセバスティアンの後ろに控えて、父上と祖父の動きを観察している。
「お父様、お帰りなさいませ」
「ただいま、レミリア」
父上に挨拶をすると、仰々しく正装した父上が息をついて襟元に手を当てた。襟はきっちりと喉元を覆っていて、窮屈そうだ。
カルディナの貴族の男性は、正装として軍服を纏うこともある。白い軍服の左胸を彩る略授が、幾つも重々しく鈍い光を放っていた。
父上があまり好まない軍服を纏ったと言うことは、軍部に配慮した、と言うことなのだろう。
「お祖父様、お帰りなさいませ――長旅、お疲れではありませんか?」
祖父は相好を崩した。
「馬車に揺られてお尻が痛ぅございました。――が、レミリア様のお顔をみたら、疲れも吹き飛びましたよ」
「本当に?」
「本当ですとも!――ああ、やはり人生で持つべきものは可愛らしい孫娘だな!」
感慨深く、お祖父様が言ったので私は吹き出した。お帰りなさいませ!とお行儀悪く抱きつく。小柄な祖父は少しよろめいたけれど、私を抱きしめ返して、私の無礼を甘受した。
「ウカシュが無事に役目を果たせてよかった。――しばらくは欲求不満の軍部の機嫌取りをせねばならないだろうがな」
「大層睨まれるでしょうな」
「しかし、今更タイスと戦などして、何も益はないよ――若者が無闇やたらに命を散らすだけだ」
父上はため息一つ――軍服の上衣の襟元を緩めた。
そのタイミングを見計らったかのようにセバスティアンが「難しいお話は、どうぞご休憩のあとで……」と二人を食堂へと促した。
「ヤドヴィカは?」
「お二人の出迎えに起きてこられると仰っておられましたが――、説得して、侍女達に見張らせて寝室でお待ちいただいております」
スタニスが目だけ笑い、父上を見上げた。父上と祖父は顔を見合わせてやれやれと肩を竦めた。
「休憩する前に、公爵夫人の顔を見に行こう――安心させないと、無理やりにでも起きて来そうだ」
そうですな、と祖父は苦笑して父上の後に従い、私の手を引く。
母上は二人の顔をみて、ほっと息をつき安心したようだった。祖父がカナンの調停が上手く行ったこと――、祝賀の行事――大規模な祝の席が、近日中に開かれる事を母上に説明する。
「子供が生まれた後であれば、私も出席したかったわ」
「ヴィカの代わりにレミリアを連れて行こうと思っているよ――ああいう場に、レミリアも慣れていたほうがいいだろう?」
父上の言葉は後半、私に向けられたものだった。私はどこか不安げな両親の顔を見て、ゆっくりと頷いた。
「お母様の代わりは出来ないかもしれませんが、行って参ります」
「色んな方に挨拶するのよ」
「はい」
陛下や軍部や国教会関係者が一同に会する場所。
私は全く、そう言った人々を知らないから、この機会に是非知っておきたいと思ったのだ。




