65. 空色の瞳 5
カナンを巡る交渉は、カナン伯ジグムント・レームと西国の第二王子の間で協議され、締結された。
タイスの全権たる第二王子は当年十五。
「子供ではないか!」
そうカルディナ軍部の反発はあったという。
しかし、第二王子は貴族出身である正妃の子。
母親の身分は建前上関係ない国だとは言え、身分低い母から生まれた第一王子よりも格上と見做されているらしく、王の死の間際まで跡継ぎが定まらない西国では彼は第一王子と勢力を二分する。
さらには今回、彼の補佐を務めるのが現国王の寵厚き腹心とあって、カルディナ側は交渉を粘って、実質国のナンバー2である宰相を交渉の場に引きずり出した――そう、評価されているとか。
「あくまでも第二王子を補佐、という形らしいけど宰相閣下を引っ張り出した、って評価されてるらしいぜ」
「評価されているのは、軍部?お祖父様?」
「それはもちろん、カミンスキ伯爵」
林檎を剥いてくれながらイザークが言った。
私は一欠片を手渡され、礼を言う。
面倒なことだけど、私は齧り付く前にイザークを伺うと彼は不快を示す事もせずに、切り分けた別の欠片を口に含んで「怪しくはありません」と示して見せた。
カミラが私の後ろで、私達を見守っているからだろう。
今日は珍しくシンもヴィンセントも王宮の用事で来ず、ヘンリクが来なかったのでキルヒナー兄弟が私の訓練の相手をしてくれた。
ひと通り訓練を終えて、ハナとソラとともに休憩をしている。
イザークがくれた林檎を口に含むとシャリ、と小気味いい音がする。
「春先に林檎」
と言う事実にはじめ、私は目を丸くした。
基本的に果物は保存食にする以外は旬でしか味わえない。
「北部では一年中林檎が食べられるように、特別な蔵で保存してるんだ。ほんとは凍らせたり、砂糖漬けにしたり――これはどちらともちょっと違うけど」
そう言ってイザークは首をかしげた。
一年中林檎が食べられるように、色々と兄上が考えてるみたい、と。
「いろいろって?」
「企業秘密」
イザークが笑い、私も残念ね、と応じた。ハウス栽培みたいな事をしているんだろうか。
「もう少し手広く始めるときは出資者を募るから、是非レミリア様にも一口乗っていただきたく」
「いいわよ。でも、ドミニク様、すごいのね」
「――兄上は、色んな事を試すのが好きなんだ。失敗しても切り替え早いし、そういうところ、父上と似てる」
「そうなの?イザークは?」
「うーん、俺は結構、行動に起こす前に考えて考えて――な事が多いかな。すぐに行動に移すのは兄上の方かも――敵わないな、っていつも思う」
「イザークでもそんな事思うのね」
「よく言われるけど――結構、負けたなぁとか悔しいなぁとか――色んなやつに思ってるよ」
飄々としているから、そんな風には見えないや。
なんだかんだと、キルヒナーのお商売は順調みたい。
将来性確かなドミニク・キルヒナーは私が(異国の文献を読んで作ったと説明した)と言うポテトチップスもどき(薄くパリパリにするのは難しかったので、なんかフライドポテトみたいになっちゃったけれど)を摘んでこれは美味しいな、と褒めてくれて、料理長に作り方を聞きに行っていた。改良して量産して、私にも分けてくれたりしないかな。
芋の収穫を喜んでくれたスタニスと言えば、――イザークかヘンリクが来ている時は律儀に二人に訓練をつけている。
今日はヘンリク不在で「師匠」を独り占め出来るとあって、イザークはご機嫌である。
「訓練、見ていくの?」
イザークに聞かれたので私は頷いた。スタニスはちょっと渋い顔をしたけど、仕方ない、とため息を一つこぼして、訓練場で剣を構える。
侍従のトマシュが私の後ろに控えた。
「トマシュもスタニスとお稽古しているの?」
私が彼を見上げて聞くと、トマシュは「ありがたいことに……」と虚ろにつぶやいた。
元から鍛えている印象のトマシュだったけれど、この数ヶ月、引き締まった顔を通り越してげっそりとしている。大丈夫なのかなー、スタニス先生は容赦なさそうだ。
二人は位置について、構えて――礼をする。
いつもは「素振や基本動作をとにかく同じ形で疲れるまで」やらせる方針のスタニス先生(ヘンリクが飽きて怒られていた)だけど、今日は模擬試合をしてあげるみたいだ。
剣を合わせて禿頭の我が家の騎士――タウシクがはじめの声をかける。
声とともにイザークが剣を振りかぶり――容易くスタニスはそれを受けた。
基本的にスタニスはあまり動かない。
私の目からみても速いと思えるイザークの剣戟を力を込めずに柳のように受けて、イザークを左右に振りわまわしている。
硬い金属音は決して軽くはなく、一打一打が、重い。
刃を潰してあるとは言え、鉄だ。当たれば大怪我をするだろな、と刃がぶつかるたび私は思わず目を瞑ったけれど、スタニスもイザークも恐れる様子はなかった。
イザークが力を込めて放ったであろう格段に速い一撃をなんなく受け止めて、剣を誰もいない方向に呆気なく弾き飛ばした。
「動きが大振り過ぎますよ――こちらは準備が出来て跳ね返しやすい」
イザークは、はい、とおとなしく返事をしてからまた、剣をもつ。
イテ、と右手を二、三度ブラブラとさせたから――弾かれた手に加わった衝撃はそれなりに重かったに違いない。
イザークは何度もスタニスへ挑むのを繰り返していて、汗だくになっていて私は確かにこれは自分には無理だなぁと思った。
「ドミニク様は剣術は?」
いつの間にか仲良くなったらしいトマシュがドミニクに聞く。
ドミニクは笑って首を振った。
「学生時代はひと通りやったけど――まあ、及第点、といった具合かな。イザークは……兄馬鹿だけど、なかなか筋がいいと思うんだけど……ヘンデル先輩としてはどうかな?」
我が家の侍従、トマシュ・ヘンデルは平民だけど、軍学校の出身なのだ。
「目が良くていらっしゃいますね……反応がいい。なかなか動体視力は鍛えられませんから――」
タウシクが二人の会話に混ざった。
「イザーク様は目が両利きだからいい、と――スタニスが褒めていましたよ」
両利き。目が。
そんなのがあるのか。
「そうかもしれませんね。弟は昔からやたらと視力がいいし、視野も広いんです――しかし、スタニスは惜しいですね」
ドミニクが独白のように呟き、タウシクがぎょろりとした目で次期男爵を見た。
「――現役を離れて長いと謙遜されますけど――今でも十分やれるでしょうに――退役前には、近衛の話もあったと聞きましたよ」
初耳の私は背中に緊張を走らせて背後の会話に神経を集中させた。
近衛隊には普通騎士階級や地方の有力者の子弟、貴族の長男以外が選ばれる。ヴァザ縁のスタニスが選ばれたっておかしくはないけど、そうしたら、スタニスは私じゃなくてベアトリス陛下かフランチェスカの側にいたのか。
――それはちょっと嫌な想像だった。
そんな私の感情などお見通しだったのか、タウシクは苦くため息をついて、そそくさと、会話を終わらせる。
「向いている事と、やりたい事とは違うでしょう――奴の復帰は公爵閣下がお許しになりませんよ――まあ、若様もスタニスがいないと、不自由するでしょうからね」
最後は冗談口でドミニクの好奇心も封じて、タウシクは再び二人の模擬試合に視線を戻した。
小休止を挟みながら小一時間ほど模擬の試合を繰り返して、スタニスは終わりましょうか、とイザークに告げた。
細かに何が良かったか、悪かったか、足の運びなどを確認する。
訓練を終えたイザークは、手早く着替えて、帰る準備をするとタウシクとスタニス、それから私にもさよならの挨拶をした。
「今日は公爵ご夫妻は?」
「仕事なの」
数日後にはお祖父様がカナンから戻って来るから、その準備で色々と父上は忙しい。
「公爵にも落ち着いたらゆっくりとご挨拶をさせてくださいませ」
ドミニクが言い、私は是非、と頷いた。
「残念、また先生に全く歯が立たなかった」
イザークは見送る私にだけ聞こえる声で、悄然とした様子で言った。
師匠と呼ばれるのをなぜか物凄く嫌がったスタニスに(曰く、「師匠という人種はね、弟子を搾取することに命をかける悪辣な奴に決まっています。せめて別の呼称で呼んでいただきたい」)先生と呼ぶように要請されたから、イザークはスタニスを先生、と呼んでいる。
「すぐに勝てたら面白くないじゃない?」
「そうだけど、悔しいな」
悔しがるイザークの言葉に、私はドミニクが先程、こっそりトマシュに囁いたことを思い出した。
「――イザークは器用で。何ごとも努力して出来ない、という事があまりない――全く歯が立たない相手、と言うのは初めてだろうから――本当にいい機会を与えていただいたと、感謝しているんだ――俺じゃ、あいつに挫折を教えてやれない……」
ドミニクはちょっとほろ苦い表情を浮かべた。
兄は弟に、弟は兄に「敵わないな」と思ってるんだ。
なんだか素敵な関係性だと私は思ったけれど、お互いには言わないでおこう、と思った。こういう事は他人が口を出すべきことでは、多分、ない。当人同士が話すべきことなのだ。
イザークはでも、と口を曲げた。
「軍学校に入るまでには、一太刀、浴びせたいな」
「あと、半年もないのね」
私はしみじみと言った。みんな、学校に行ってしまったら、こんな風にのんびり話すことも出来なくなるだろう。
「イザークは軍学校。シンとヴィンセントは?」
「二人も軍部に進むって――。シンは、陛下が軍部と微妙な関係なのを気にしてるんだと、思う。大学に進めば、陛下が軍部を嫌ったんだ、って批判される」
「そう」
私は「ベアトリスが寂しがらないように王都にきた」と言ったシンを思い出した。私がヴァザ家を守りたいように、シンは彼の愛する家族を守りたいんだろうか……。
なんとなく、親近感。
「ヴィンセントは大学に進んでいい、ってシンも言ったらしいんだけど――ヴィンセントは特にどちらでもこだわりはないから、って」
「そう」
ヴィンセントはシンと同じ道に行きたいんだろう。
ヘンリクは、大学に進むよ当たり前だろ!と口を尖らせていた。
(竜公子も異国人も、田舎商会の次男坊もいない。平和だしね!)
憎まれ口を叩いていたけれど、ヘンリクが軍学校を選ばなかったのは、ヨアンナ伯母上の強い要望があったからだと、私は知っている。
私の屋敷でほんの少し三人と打ち解けていくヘンリクを見るのは楽しかった。
私が「本当にいいの?」とこっそり聞くと、ヘンリクはちょっと本気で私を睨んだ。目の奥が傷付いている。
(母上の意向なんだよ――君には関係ない。二度と聞くな)
(ごめんなさい……)
私がしおしおと項垂れると「なにらしくなく反省してるの、馬鹿レミリア」と鼻をつまんで、高笑いして帰って行った。
――学校が、四人それぞれにとって楽しい場所だといいけれど。




