62. 空色の瞳 2
私達が訓練を終えると、お祖父様――カミンスキ伯爵がやってきた。スタニスも一緒だ。
「お祖父様!スタニス!」
「訓練はいかがですかな、レミリア様。随分と賑やかでしたが?」
目深に被った帽子の下でいたずらっぽく祖父の目が笑う。
この様子だと悲鳴とかを聞かれていたかもしれない。
しかし、今日の私は違うのだ!
それだけではないのだ!
「今日は私、ハナを一人だけで歩かせることができましたわ。ね、ハナ!?」
頷いてね、という祈る気持ちでハナを振り返ると、赤い瞳のドラゴンは、慈愛の視線で私を見て、よしよし、と言う風に私に顔を擦り付けた。
スタニスが「ドラゴンに同意を求めてどうするんです……」と哀れみの目線を向けてきた気がするけど、気のせいだ、きっと。
ソラはきゃっきゃと喜んで私から母親の背中に飛び移って、ご機嫌である。
「ほら、お祖父様!ハナもソラもそうだよ!上達したね、って言っています!」
「……後ろにシン、いたじゃん……」
おだまり、知人イザーク。
私が半眼で睨むとイザークは後ろで手を組んで横を向いてとぼけた。
「……ひとりで、訓練場を一周していておられましたよ。シン公子は後ろで手をかさずに見守っていただけです」
公明正大を旨とするヴィンセント・ユンカーが苦笑しつつも祖父に報告してくれたので私は満面の笑みでコクコクと頷く。
祖父は破顔した。
「それは素晴らしい!」
「あまり、著しい上達は、していませんけれど」
「ゆっくりでいいのですよ、レミリア様。ご自分のできる範囲で一足ずつ踏みしめて歩けばよいのです。どんな速度の歩みでも前へ進めばよいのですからね?焦りは禁物です」
諭すように言われて、私は、はい、と殊勝に頷いた。
祖父とスタニスがテーブルに招いてくれたので私は歩き出す。
私の背後でヴィンセントとイザークが会話をしはじめたので私は聞くともなく聞いてしまう。
「伯爵の言葉が、耳に痛いな」
「ん?何が?」
「いや、ドラゴンの訓練を、苦手だからと最近さぼっていたな、と反省しているところ……。動物は本能で動くから、難しい」
「――ヴィンスよりヘンリクのほうが早く上達しそうだもんな」
「…………あいつはシンと同じくくりだ。理詰めじゃなくて本能で騎乗してる……上手いしな」
舌打ちしそうな口調でヴィンセントが言い、イザークが楽しそうに笑った。
「理詰めのユンカー様は、数こなしたほうがいいだろ?訓練しにうちに来る?」
「……お邪魔でなければ」
「いつでも、どうぞ」
イザークとヴィンセントの会話は、いいなぁ。
なんだか対等で。
イザークは誰に対しても遠慮がないけれど、あまり本音は言わない。けれど、ヴィンセント相手だと、素で話しているという印象。
ヴィンセントは大抵、礼儀正しく誰に対しても踏み込まない感じがするけど、イザークには構えがとれてるよね。
シンに対してはどうしても友人と言うより「お兄ちゃん」という感じがするもんね……。イザークに対しては弱音を吐いたりするんだな。
「――皆が皆、ザックやヴァレフスキのように乗りこなせるわけじゃないけど……最低限の面子は保てるようにしたいな」
私は歩くのを止めた。
後ろの二人をちらりと見て、後ろ歩きで三歩下がる。
二人はうん?と突如として横に並んだ私を見た。
ヴィンセント・ユンカーは器用に片方の眉を上げる。
「妙な動きをして……何か御用ですか?レミリア様?」
「……ひょっとしたら、私のほうがヴィンセントより、早く上達するかもしれませんね!?」
ソラが私の頭の上に飛んできて、キューっ!と鳴いた。
私のドラゴンも、私に同意らしい。
ヴィンセントは翠色の瞳を細めて、は、と鼻で笑った。
「――それはそれは、僕も焦らなければいけませんね、ははは」
く、棒読み……。
ソラが私の頭の上で飛び跳ねてキューキューと鳴いた。
「レミリア、ソラが『調子にのったら危ないよ、レミリアー』って言ってるよ……」
ソラが同意するように私から飛び立ち、イザークの肩にちょこんと座る。
空色の瞳を瞬かせて私を見ると、真面目な顔でキュー、キューキュー、キュー、と長めに鳴いた……。
あ、あれぇ?なんだか諭されている?
「ほら、君のドラゴンも地道に励め、レミリア。落ちるぞ。だって」
「ち、違います!違うよね?ソラ」
「キュー………」
ええっ!?なに、その沈黙。私がショックを受けているとイザークがソラを撫でながらけらけらと笑った。
「――でも、上手になってるよ。偉いじゃん?」
黒い明るい瞳で、にかり、と微笑まれ私も釣られて笑う。
「シンも、俺も――ずっとは通えないから、それまでにレミリアが一人で、ドラゴンで走れるようになるといいな。きっと師匠とかドミニク兄上とかが教えてはくれるだろうけど……安心してから、引き継ぎたいなぁ」
イザークの言葉に私は「そうでしたね」と肩を落とした。
次の秋には、イザークもヴィンセントもシンもこの屋敷には来なくなる。ついでに、ヘンリクも。
何故なら、四人とも大学か――あるいは軍学校に入学するから。
「さびしくなります……」
私が「遊ぶ」といえば一人で屋敷を散策か、ヘンリクと喧嘩するか。もしくは旧王家の親派の屋敷に招かれて、遠慮がちな褒め言葉を聞き流すくらい、だったもの。
三人と遊ぶのは……楽しかったのに。
その時間も終わり。
学校に行った皆と会える機会はぐっと減るだろうな。そして私は――と、重くため息をついた。
父上の言うとおり「天候の話のごとく」出て来る婚約の話とにらめっこしながら、自分の限られた選択肢の中で、将来を決めないといけない。カルディナの貴族の娘が出来ることなんて、そう多くはない。
結婚するか、さもなくば国教会に身を寄せて、生涯神と国のために尽くすか、だ。
(ヴァザ家が、滅亡しなければ、だけど)
「マリアンヌとフランチェスカ殿下が、また王宮でレミリアを待ってるよ」
暗い未来を久々に思い出し、陰鬱になる。
イザークが気落ちした私を慰めてくれたので、私はフランチェスカを思い出しながら、言った。
「殿下もおっしゃっていましたわ……カルディナに、女子教育の機会が少なすぎる、って。私は――恵まれていますけれど、出来たら皆みたいに、学校に行ってみたかったな……」
女子教育をする学校もあるのだ、ひとつ。
しかし、貴族の子弟の家庭教師を養成する学校、という意味合いが強く、爵位を持つ家の娘が行くところではない。
イザークとヴィンセントが思わず、と言う風に顔を見合わせた。
「何か、勉強したい事があったんですか?」
ヴィンセントが聞いてきたので、私はちょっと口を曲げた。
「――何になりたいかは分からないけど、行ってみたい、じゃいけません?――殿方は大学に行く間に、沢山の知識を得ながら、それを考えられるわけでしょう?羨ましいわ」
「…………なるほど」
ヴィンセントは苦笑した。
「家庭教師の先生から色々と教わるつもりではいるけれど――ヴィンセントが宰相になったら、女性の大学編入も認めてくださる?」
――ヴィンセント、未来の宰相様だしさ。そこも、改革してくれないかな。
確か、ローズ・ガーデンのイザークルートでは王妃フランチェスカは、イザーク王の治世を支えて女子教育の発展に力を注いだーとかあったような気がする。
私が考え込んでいると、鳩が豆鉄砲をたべちゃった!みたいな顔でヴィンセントが私を見ている。
「何か?」
「いや、……僕が宰相って………無理があるでしょう。爵位と違って、世襲制じゃないのだし」
私は、はた、と思い当たった。
そっか。
ゲームの知識が当たり前のようにある私には違和感がないけど、若輩かつ、お父様が平民出身のヴィンセントが宰相になるにはなかなかの弊害がありそうだ。
そして、ユンカー卿は今のところ、妻、エリザベト夫人の実家を特例措置で継いで、子爵だ。
私が知っている知識ではユンカー卿は、フランチェスカ即位の時には伯爵になっていたから、どこかで出世を――功績を立てて――するのだろう。
うーん、それっていつなんだろう。
「ヴィンセントがユンカー卿の次の宰相は無理かもしれませんけれど――いずれそう、成るのかなと思って――目指さないの?」
わたしは瞳を瞬かせて、聞いた。
ヴィンセントは言葉に詰まって――――僕は、と困ったように首を振った。
「……国の、役に立ちたいとは思いますが……、宰相は目指してなるものでは」
「目指せばいいじゃん」
軽くイザークが言ったので私も頷いておく。ヴィンセントが自嘲した。
「異国人の僕には難しいと思うけどね」
あれ、自虐的。
イザークが何か言いかけ、私はちょっと首を傾げた。
「私、ヴィンセントを異国人って呼ぶ方々を黙らせる方法、知ってますわ」
ヴィンセントは少し不快げに眉根を寄せて私を見た。
「……そんなこと、わかってる。僕が正しくあれば……」
優等生な答えに、私はフフンと顎を反らして横を向いた。
「そんなことしたって、黙るわけないじゃない」
イザークとヴィンセントが顔を見合わせる。
「じゃあ、どうすればよいと?」
私は、スタニスを思い出しながらニヤリ、と笑ってみせた。
「簡単よ。ヴィンセントの黒髪を金色に染めたらいいわ」
「……………は?」
「きんいろ」
私の提案に二人は呆れた。
なんですか、その目は?最後まで聞いてよ!
「考えなしに言っていませんから!我らが国教会の主神は――龍の化身でしょう?髪は豊かな金色で、瞳は宝石のよう。その肌は褐色――でしょう?」
「まあ、そうですね」
「同じ容姿をしたヴィンセントを嘲笑うなら、我等が主を侮蔑することになるじゃない?……うるさい人たちには、私の姿は神の恩寵ですとか、あなたには信仰心がないのですか?とかって、適当におっしゃればよろしいわ」
イザークは、あはは、と笑い、ヴィンセントは更に呆れた。
「こじつけな減らず口の気がするけど……しかも、不遜だし」
「見た目をどうこう言う方々は、絶対に悔い改めませんから。気にするだけ無駄、ということです」
憤慨する私にヴィンセントが疑問の視線を向け、イザークが「カタジーナ様がいらしてたらしいよ」と耳打ちする。ヴィンセントは納得して、頷いた。
そうそう。
今日も散々、文句を言われて傷ついたー……!
いつか、あのカタジーナ伯母に「ごめんなさい」を言わせて反省させてやりたい。
「確かに、気にするだけ無駄かもな――髪の色は変えないけど……恩寵か。なるほど。そう思うようにするよ。ありがとう」
「お気が晴れたならよかったですわ――お礼に、ヴィンセントが宰相になったら、私を大学にいれてくださる?」
「――それはもう、特例で。喜んで」
クスクスとヴィンセントが珍しく笑ってくれたので、ほっとする。
,
「今の台詞を聞かせたかった奴がいるな」
イザークがちょっと笑って遠くの――ヘンリクをみたので――私はぎく、と体をこわばらせた。
偉そうなこと言っても、私はヘンリク一人影響をあたえられていない。
一気に申し訳なくなったけどヴィンセントは穏やかに――不敵に笑った。
「別に悔い改めて貰わなくて、構わない。異国人に全く敵わないのだと、思い知らせてやるほうが楽しいから」
おお、その上から目線な横顔、冷血宰相っぽいぞ。
言い置いて、テーブルへと歩いていったヴィンセントの背中を見つめながら、私は隣のイザークの袖を引っ張った。
「ヴィンセントも、少しはヘンリクを意識してますのね……い、意外……」
「まあ、対照的だから。傍で見てると二人共ばちばちやってて面白いよ?」
イザークは人の悪い笑みを浮べ肩を竦めると、はい、と私にソラを返してくれた。
「ソラ、……鎖に、つないでないんだ?」
「男爵が、繋いじゃ駄目だって……」
繋いでよかったの?
お庭を勝手気ままに飛んでいくからいつ逃げちゃうか、ひやひやしてるんだけど、実は。困惑する私に、イザークは苦笑した。
「いやいや、父上の言うことは話半分で聞いてよ。ドラゴンの爪って本気で引っかかれると、痛いし。やっぱり皆、たまには繋いでる……でも、ちょっと、嬉しい、かな。ありがと、大切にしてくれて」
えへへ、とイザークが嬉しそうにしたので、私もえへへ、と笑い返す。
「学校に入学しても、たまには遊びに来てね?」
「それは、――もちろん。公爵が許してくだされば」
私たちがほのぼのと微笑みあったところで、お茶の準備が出来ましたよ、とスタニスが呼びに来た。




