61. 空色の瞳 1
その日は朝から千客万来だった。
冬も終わりかけ、春待ち顔の都に久しぶりに雪が降った。
季節外れの吹雪を伴って、本当に――本当に久しぶりに王都へ訪れた父上の長姉、カタジーナ伯母上を母上と私、それからセバスティアンが見送った所で、父上が急ぎ足で戻ってきた。
肩に雪が乗ったままの父上を、セバスティアンが旦那様、と小さく窘め、カリシュ公爵レシェクから外套を取り上げる。
「――カタジーナが来ていたと?――迎え入れることは無い。追い払え、身体に毒だ」
苦々しい口調の父上の肩に、母上は「出来るわけがないでしょう」と宥めるように手を添えた。
伯母上が厭うスタニスは父上と同行して留守だったし、いくらカタジーナ伯母上の突然の訪問が非礼だったとしても、ヴァザの長姉の久方ぶりの実家への帰省を阻む事など、母上に出来るわけがない。
それに、カタジーナ伯母上はわざわざお祝いに来てくれたのだし。
一応、善意だ。
「珍しく褒めてくださったわ――次代の公爵を健やかに産むように、と」
カタジーナ伯母上の上機嫌な様子を思い出し、私は身震いした。
当たり障りなく相槌を打ち、相変わらずの私への嫌味を頭の中でドラゴンを数えながら聞き流しつつ、私は馬鹿のように笑顔で伯母上と対峙した。――疲れたよ!
母上もぐたりとなりながら、暖炉の前に置かれた椅子に、座り込む。
「カタジーナ様のご機嫌がいいのは、良いことよ……本当に、喜んで下さって……たくさん贈物も頂いたのよ?若君の素敵な衣服を、沢山……」
「私の留守に勝手なことを――」
青筋を立てて忌々しげに言う父上に、母上は聞いた。
「――貴方は姫君のほうがいい?」
父上は、きっぱりと言った。
「君も子も健やかなら、それでいい」
母上はほっと息をついて大きくなったお腹を撫でた。私も近づいて母上の手の動きを観察する。
触っていいのよ、と言われたのでよしよし、と赤ちゃんを撫でる気持ちで触った。
早く生まれて来ないかなぁ。弟でも妹でも、うんと甘やかすのに。
「男子でも女子でもいいわ。けれど」
「けれど……?」
「お空色の目をした子がいいわ――貴方達と同じ色の……」
母上が私の髪を撫でる。母上に瞳の色を褒められたみたいなので、少し嬉しい。母上の茶の瞳も綺麗だと思うけどな!
父上は私達を見つめ、少しだけ表情を和らげた。
「カタジーナには礼と――訪問の前には、必ず私に知らせろと言っておこう」
父上の言葉に、私たちは顔を見合わせた。母上が答えようとしたところで、広間に客人たちが入ってきた。
「その必要はないと思うわ、レシェク兄様」
「ご無沙汰しております、公爵閣下」
扉の向こうに、悪戯っぽく笑う背の高い二人の女性が現れたので、父上は目を丸くした。栗色の髪と黒髪の、すらりとした貴婦人二人。
「来ていたのか、シルヴィア、アデリナ」
「あら、呼んでくださったのは兄様でしょうに」
妹のアデリナが笑い、父上はそうだったね、と従妹たちの訪問を歓迎した。
そう、延々と続きそうであったカタジーナ伯母上の会話を途切れさせたのは、カタジーナ伯母上の二人の娘たちの出現だった。
カタジーナ伯母上はご自身の二人の娘と軋轢がある。
現ヘルトリング伯爵夫人の、アデリナとは特に。
だから、姉妹が父上に約束した通りの時間に我が屋敷に現れると、忽ちに機嫌は急降下して、ご自身の屋敷へ――ジクムント・レームの所有の建物らしいけれど――引き上げた。
親子仲が悪いのは悲しい事だけど、正直私は二人の女神を――拝みたいくらい…。
シルヴィアは現在、メルジェのカタジーナ伯母上のお屋敷を出て、結局、今は妹のアデリナ夫妻の敷地内に身を寄せている。
建物は別だから気が楽よ、姉妹で喧嘩しなくていいし、と二人とも笑っている。一人で住みたいと言うシルヴィアと一緒に住もうと粘ったアデリナの両方の要望を、ドミニク・キルヒナーが間をとって差配し――探し直した場所だった。
「母上は、頻繁に私が出入りしていると知れば――来なくなると思いますよ?だからレシェク兄様もヴィカ姉様も、どうか私を呼んでちょうだいね?――王都にはお友達がいなくて寂しくしているの。夫は仕事で忙しいし」
アデリナがカタジーナ伯母上とよく似た顔で笑う。
伯母上も、こんな風に感じよく笑えばいいのに。
黒髪の妹君アデリナをカタジーナ伯母上はヴァザらしくないからと不満だそうだけど、面立ちは、母娘とても良く似てるのに……。
母上は二人の様子に、喜んでいいのか、と苦笑したけれどどこか安心したようだった。
私はアデリナとシルヴィアを観察しながら、カタジーナ伯母上の嫌味の交わし方を学ぼうと思った。
いつまでも耐えるだけじゃ芸がない。
姉妹と両親が話すのを聞いていると、シン達が来たと連絡があった。
シン達は、十日と間を置かずに私の訓練に来てくれている。イザークとヴィンセントは来たり、来なかったり。
「皆様、私はこれで――!」
「頑張ってね、ひよこちゃん」
シルヴィアが悪戯っぽく微笑んでくれたのに手を振り、私は騎士たちの訓練場――そこは、私がドラゴンを乗るときだけ、私たちに明け渡された――へと向かった。
外に出れば久々に吐く息が白い。
私はふぅっと息を吐いてその色を確かめながら、私を訓練場まで連れてきてくれた騎士の後ろ姿を眺める。
よく知らないのだけれど、我が家にも騎士達が居るんだよなぁ、と変な感慨を抱く。
騎士の中でも地位が高そうなモジャモジャした髭の禿頭のおじさんは、私がドラゴンに乗るときはひっそりと私を見守ってくれている人だ。
「レミリア」
「本日もよろしくお願いいたします」
私が訪れると、シンは既にハナに乗っていてにこやかに挨拶してくれた。
シンに後ろに乗って貰いながら、私がハナの手綱を握りしめると、ハナが途端におっかなびっくり歩きはじめる。
私もビクついているけれど、ハナは、もっと怖がっている。
シンが解説してくれた所によると、人間大好きなハナは、私を落っことして、傷つけたらどうしよう、と思うと――ヒヤヒヤして怖いらしい。
ドラゴンに気を使って貰う乗り手ってどうなんだろう……。
見守ってくれているおじさんの表情にも心なしか、力が入っている。
(うちのご令嬢才能がないなあ……)
なーんて考えてないといいけどな……。
「よそ見をしないで」
「はいっ」
へっぴり腰の私を、シンはぴしゃりと怒った。
慌てて姿勢を正す。
「レミリアの悪いところは、たまに考え事して手元が怪しくなるところだよね……」
「……気をつけます」
「危ないから、本当に。視線は逸らさないで」
「……ごめんなさい」
シンに見透かされたように指摘され、素直に謝る。
シンは、優しいけれど、厳しかった――そして、意外にも根気強く教えてくれていた。
ひょっとしたらすぐに飽きたりして、とか思っていた私の危惧は全く失礼なものでしたね……。
「――背中伸ばして――足から力を抜かないで、足じゃなくて腰に力入れて――視線はちょっと上で……前屈みに、ならないで……そう、まっすぐ。上半身に力込めなくていいよ?基本的には乗馬と変わらないよ、ただ、ドラゴンは飛ぶだけだから」
とシンはあっさりと言う。
しかし、そもそも、私は馬術が得意ではない。
翻って――馬術が得意な我が従兄ヘンリク様は、私がドラゴンの訓練をする際高確率で遊びに来るのだが、何故か同時にドラゴンの騎乗訓練もはじめて、瞬く間に上達してしまった。
「無理なさることはないですよ、ソラが飛べるようになるまで三、四年はかかります。のんびり行きましょう」
「レミリアが、乗れないなら、僕がソラの御主人様になる――宝の持ち腐れにしたら可哀相だからね」
「ヘンリク、なんて事を言うんだ」
「だって、ドミニク・キルヒナー。僕の方がレミリアよりも上手に乗れると思わない?」
「年下の子と比べてどうするんだよ。……大丈夫、レミリア様。そんなにすぐには上手くなりませんからね、普通は。上達が遅いなんて事はありません。皆、そんなものですよ」
ドミニクは慰めてくれたけど、私は従兄の上達の速さと己を比べて――割と凹んだ。
ヘンリクは「僕は優秀だからね」と言わんばかりに自慢げに顎を反らしている。
ヘンリクさま、むっかっつっくぅ……。
負けてはならじと私も集中する。
「一人で、歩かせてみます」
「うん、頑張って」
シンは私に手綱を預けて後ろに乗っているだけになる。
背筋を伸ばして。上半身は緩めて。
――ハナ、ゆっくり一緒に歩こうね。
意思を込めて足を締める。
ハナは私の意を汲んでくれて、そろそろと歩き出す。私の指示に従って――訓練場を一周してくれた。
「……出来た!」
初めて、誰の手も借りずに、一周出来た!!
私が小さく声をあげて、シン先生を振り返るとシンは満面の笑みで拍手をしてくれた。
「俺、いっかいも手をかさなかったよ」
私は嬉しくてコクコクと頷く。
「レミリア、上手になったね」
「ありがとうございます!」
いや本当にシンとイザークの懇切丁寧な指導の賜物です。
泣きそう!
ハナから降りるとハナが「ほっとしたよ」と言うように私に顔を擦り付けて来る。
ハナも根気強く付き合ってくれてありがとうね!
私の侍女達がテーブルをセッティングしていて、一息入れましょうと言うことになった。シンは私から離れると今度はヘンリクの所へ駆け寄った。
「ヘンリクが調子に乗らないか見張ってくる」
と、なんだか楽しそう。
「キュー!」
シンが去ると、代わりに私達の訓練を興味深げに見守っていたソラがパタパタと飛んでやってきて、私の頭の上に止まり、座り込んで欠伸をする……。
……ソラ……ソラ。実は、止まり木じゃないんだよ、……私の頭。
チビ龍は私の頭の上がお気に入りらしく、どれだけ肩に止まってよと頼んでも、頭に乗る……。
懐いているの?これ?
イザークが笑いを堪えて目をそらすのと、ヴィンセントがそれを肘でつついて窘めるのを、私は気づかないフリをした。
いいもん、ソラと仲良くなった証拠なんだもん。
仲良くといえば。
「なあ、ドミニク・キルヒナー!そろそろ一人で空へ行ったら駄目かな?飛んでみたい!」
ヘンリクがうきうきと、ハナの番のアキを撫でる。
ドミニクが「まだ駄目!」とヘンリクを叱ると、ヘンリクは口を尖らせたけれど――「わかったよ」と、大人しく従った。
「調子に乗ると、怪我するから気をつけるんだぞ。怪我するどころか、二度と歩けなくなったらどうする!――慣れた時こそ、慎重に――後で十回くらい復唱!」
「……でも、アキだって飛びたがってるよ……地上ばかり走るのは飽きたって言ってる」
「……後で一緒に飛んでやるから」
「それなら、我慢してもやってもいいよ」
「ヘンリク、君は本当に偉そうだな……」
偉いんだよ、とヘンリク様が生意気に言い、はいはい、とドミニクが苦笑し、その横でシンはちょっと笑っている。
ヘンリクは、あれだけ馬鹿にしていた田舎商会の後継に、すっかり懐いている。
訓練を始めた頃、調子に乗ってアキを手荒に扱おうとしたヘンリクをドミニクがこっぴどく怒った。
……のだけど、ひとしきり拗ねたヘンリクは、以後、なぜだかドミニクにまとわりついている。
(ヘンリクって、怒られるの好きなの?被虐趣味なのかも)
そう、一つの結論に思い至った私だが、スタニスには「本人には言わないように……」と頭を抱えられてしまった。
「飛べるように、なるかしら……」
しかし、ヘンリクは確かに上手だ。
被虐趣味の従兄にドラゴンの騎乗では完璧に負けている。
私が溜息をつくと、近くに来たイザークが「大丈夫だって、なんとかなるよ」と安請け合いした。
ソラはイザークに気づくと、喜んで私の頭からイザークの肩にぴょん、と跳び乗った。
それから、「久しぶりだね!」と言わんばかりに頬に口付ける。
「……私の、頭にばかり乗るくせに……」
些か恨めしい気持ちで言うと、ヴィンセント・ユンカーが私の隣で軽口を叩いた。
「高さがちょうどいいか、座り心地がいいんじゃないかな?――っと、これは嫌な意味じゃなくて。……龍は柔らかい所で寝転がったり座ったりが好きらしいから」
私の冷たい視線に、ヴィンセントは言い訳をした。
「そういうのものかしら……」
「藁とか、落葉の上とか喜んで寝転んで遊ぶよ?」
これは、イザーク。
私はいっそう複雑だった。ソラにとって、藁とか落ち葉と同列なのかな、私の頭……。
ヴィンセントは楽しげにやり取りしているヘンリクとドミニクを眺めながら、真面目な声でひとりごちる。
「僕も、あまりドラゴンの騎乗は得意じゃないから、人の事を馬鹿にできたりしないよ。……訓練しないといけないな――ヴァレフスキに先を越される……相変わらず器用だな、君の従兄は」
意外な言葉を聞いた気がして、私はヴィンセントをマジマジとみつめる。彼は肩を竦めた。
「僕は、一人で飛ぶのは無理だよ。屋敷にドラゴンはいないし。キルヒナー兄弟みたいに、幼児の頃からドラゴンと遊んでる人間は稀だ……いたとしてもザックみたいに乗れる気はしないけど」
私はそう、と頷きながらそっちじゃないんだけど、と内心で呟く。
ヘンリクが一方的にライバル視しているだけの片思いかと思っていたけど、ヴィンセントもヘンリクに負けたくない、とは一応思ってくれてるんだ。
良かったね、ヘンリク。
私の「悪夢」でヘンリクは必ず死ぬ。
私と婚約し、浮気を沢山して、誰からも嫌われて――刺されるか斬られるか。もしくは病気をうつされて死ぬか。
そんな暗い未来が変わるといいな。私のために。
それから、腹立つけど馬鹿だけど、――嫌いになれない従兄の為に。
・ω・れみりあの アタマ ふかふか ざぶとん




