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【幕間】降り積もる嘘と雪 下

「とりあえず、走ってこい」


彼の薄茶色の瞳は、たまに酷く冷たい色に見える時がある。

寒空に浮かぶ月の色だ。


トマシュ・ヘンデルは腕を組んだ男に真っ直ぐに睨まれて、げっ、と仰け反った。


ここ最近、諜報活動がはっきりとバレたせいで――二人きりになると彼に抹殺()されそうな予感がひしひしとしていたので、一人きりのときには極力気配を消して逃げていたと言うのに、いつの間にか背後を取られ、気配のないままぽんと肩を叩かれた。


「いや……、俺まだ仕事があってですね……」

「心配するな。食器磨きも、仕入れも、全部俺がやっておいた――ついでにカミンスキへの手紙も書いておいたから。――お前が何故かお前じゃなくてお前の妹の名前で町から送ってるやつな?――走ってこい」


全てを見透かされた目で、ついでに空恐ろしい事まで言われて何で知ってんだよ!とトマシュは震え上がった。


「ど、どこを」

「屋敷の中に決まってんだろ――。侍従が全力疾走している姿を御近所の皆様に目撃されてみろ。公爵家は使用人まで変人だと噂が立つ。森を一周行ってこい。全力でいけよ?」


トマシュは観念して、半泣きになりながら小雪のちらつく中、広い、だだ広い公爵家の森をぐるっと走り終え……、力尽きて、倒れた。


「おまえ、意外と体力ないな」


戻るのを見越したかのように、仰向けに空を仰いだトマシュを見下ろしたのは、予想通り――竜族混じりの侍従だった。


「――ぜ、ぜんりょくで、いけって、いった……から……」

「その割には遅いなぁ……」


スタニスは困ったように首を傾げた。

なんで困るんだよ、と、トマシュはわけもわからずに荒い息を整えながら半身を起こした。

髪からパラパラと雪がこぼれ落ちる。

スタニスはトマシュを観察しながら、質問を口にした。


「おまえ、ヴィカ様に懸想してたりする?」

「はあっ?とんでもないですよ!恩義はあります……けどっッ!彼女いますしっ!」


トマシュが思いもかけぬ質問についうっかり言い返すと、スタニスは、だよな、と頷いた。


「知ってるよ。可愛いよな、ナターシャ」

「…………です、はい」


令嬢、レミリアの侍女である恋人の名前をあっさりと告げられトマシュは言葉に詰まった。

あまり使用人同士の恋愛は歓迎されない。

疲れすぎて口が軽くなった己を責めたい。


「秘密にしててもばれるだろ、こういうのは……別にそれはいいんだ」

「じゃあなんで聞いたんです、変なこと」


スタニスは笑って手を差し出した。


掴むと、思いの外強い力で立たされる。

トマシュより頭半分は背が低い、中肉中背の侍従は、実のところ規格外の兵士だったことを思いだす。


「疲れてるときに聞いたら本音が出るかな、と思って。もしもお前がヤドヴィカ様に少しでも惚れてたりしたら――」

「どうなるんです」


恐る恐る聞いたトマシュにスタニスは肩を竦めた。


「なにもしないよ、だけど、仕事は頼めないな、と思っただけで」


トマシュはスタニスを訝しげに見た。


「仕事?」

「――初夏には、夫妻にお子様がお生まれになるだろう。警護が足りなくなる。我が家の旦那様は騎士はあまりお好きじゃないし……それは旦那様にも、おいおい慣れてもらうとして、さりげなく側にいて、公爵夫妻やお子様方を警護できる人材がほしいんだ。トマシュ、お前、生まれてくるお子様の警護やらないか」


トマシュは、えっ!!と目を開いた。


「俺がですか!」

「警護対象の母君に惚れられてちゃ困るからな。カミンスキ伯爵が言ってたぞ――それなりにいい成績だったんだって?学校」


トマシュは曖昧に頷いた。カミンスキ伯爵の伝手でトマシュは軍部の学校へ通う支援をして貰い、四年間通った。

それなりに楽しかったし、優秀だとも思っていた。


しかし、いざ卒業となってみれば用意されそうになったのは――孤児のトマシュには仕方ないがあまりにも辺境の任務だった。おそらく当てつけだったのだと思う。軍学校の当時の総長は平民嫌いで有名で、事あるごとにトマシュをこき下ろしていたから、だ。

それでも職があるだけいいだろうと思っていた矢先に妹が大怪我をした。

王都で働けないかと軍部へかけあってくれようとしたカミンスキに、トマシュは頭を下げた。


軍で求められていないのならば――出来たら伯爵のために働けないだろうか、と。


伯爵は――それならば、とトマシュを雇って――ヴァザ家に身を置かせ……今に至る。


自分はきっと間諜のようなものなんだろうな、とは理解して、出来る限り公爵夫妻や令嬢の近況をカミンスキに送っていたのではあるが。


「全部、知っていたんですか」

「おまえ、間諜向いてないよな。堂々としすぎてて――そもそも、間諜のくせに勤め先で恋人作るなよ」


グサリ、と言葉の矢が刺さった胸を押さえていると、スタニスは人の悪い笑みを浮かべた。


「――まあ、せっかく優秀な若者がいるなら使わせてもらいたいと思ってな。改めて聞くけど。トマシュ、お前――生まれてくる姫君か若君の、警護やらないか?」


重ねて問われ、トマシュは思わず拳を握りしめた。


「――俺でいいんですか?そういうのは、普通――家柄のいいご子息がなさるんでは」

「お前一人でやれってわけじゃない。何人か、そういう方々も来るかもな――だけど、そいつが信用なるかは、わからん――それなら、見知ってて、信用のおける奴がいい――あ、言っとくけどあんまり得はないぞ。貴族になれるわけじゃなし、危険は多いし、給料は増えるけど」


茶化して言われたけれども、トマシュはその裏にある言葉を正確に、理解した。

つまり、それは――スタニスがトマシュを、引いては公爵夫妻が「信頼に足る」と言ってくれたに等しい。

少しだけ感動して――、瞳を瞬いた。


「い、いいんですか。俺を信用して――カミンスキ伯爵から聞いたかもしれませんけど、俺はもと、窃盗犯ですよ――」


里帰りしていたヤドヴィカが国教会で熱心に祈っていた帰り――多分、子供を亡くした頃だったろう――彼女の荷物を盗んで、警護の騎士に取り押さえられた。

ヤドヴィカは、トマシュと妹を突き出すべきところを、許してくれたばかりか、カミンスキ(ゆかり)の孤児院に引き取ってくれた。


その冬、路上でたくさんの子供が死んだ。

だから、ヘンデル兄妹が生きているのは、ヤドヴィカとカミンスキ伯爵家のおかげだった。


スタニスはへぇ、窃盗犯、と興味深げに繰り返し、向いてなさそうだなと笑った。


「俺は人を見る目はないけどな?――カミンスキがお前は信用出来る若者だ、って言うから。信じてみようかと思って―――」

「伯爵が」


トマシュはつぶやいた。


「――危険があるのは、元から承知です。俺でいいなら――警護に加えていただけませんか」


スタニスはそうか、と満足げに頷いてから、人の悪い笑みを深くした。


「お前の人柄は、まあ、いいとしよう――けどお前、役に立つかなぁ?」

「はい?」

「軍学校の上位だって言うから期待してたのに、大したことないなお前」

「ええっ?」

「せめて体力あるかと思ったら体力もないわ、足も遅いし。――人選誤ったかな――」

「ええええ?」


スタニスは、衝撃を受けるトマシュを面白そうに見て、口の端をあげた。


「卒業して数年遊んで――鈍ったんだろ?俺も現役離れて長いしな。――鍛えなおそうな、お互い」

「お、お互い、ですか」

「勤務が始まる前と終わったあと、相手してくれよ」

「ま、毎日ですか」


ナターシャといつイチャつけばいいのだろう。

うっかり口に出しそうになった若者の本音を、慌てて飲み込む。


「――うん?何か問題あるのか?」


トマシュは光る瞳にニッコリと微笑まれて、ぶんぶんぶんと首を振った。


「う、嬉しいです!ほんっと嬉しいですー!た、楽しみだなぁ!毎日でも頑張ります!!」


勢いで承諾したことを、トマシュはその翌日、すぐに後悔した――――。






「トマシュを鍛えているんだって?」


冬も終盤、春も近くなったある日。

王都には久々に大雪が降った。

ウカシュ・カミンスキは目深に帽子をかぶり、スタニスを伴うと公爵家の庭に出た。

雪の上を歩くと、朝の寒気で凍った雪がサクサクと軽い音を立てて足跡を刻んでいく。


視線の遠くにはレミリアがドラゴンの騎乗を訓練しているのが見えた。

なかなか上手くいかないのか、時折叫び声が聞こえるのを、カミンスキは目を細めて見た。シン達が十日と間をおかず、教えに来てくれているらしい。 


「レミリア様はドラゴンに乗れるようになるかな?」

「どうでしょうねぇ――少しずつ上達はしてる気がしますよ――なんだかんだとシン公子もぼっちゃま方も熱心に教えてくださってますよ」

「私の孫娘は、たいそう人気じゃないか、少年たちに囲まれて――あれだけ可愛いから仕方ないけどねぇ――」


スタニスは苦笑した。カミンスキはじじ馬鹿だ。重度の。


「楽しそうで何よりですよ。お嬢様も明るくなられて――まだ、人見知りですけどね」

「少しくらい、人を警戒するほうがいいかもしれんね――今後は特に」


茶色い目が、す、と鋭くなる。好々爺の顔をしてこの老人が目端のきく政治家でもあったことを思い出す。


「トマシュ、さっさと音を上げるかと思いましたけどね、意外に続けてますよ」


毎朝毎晩はさすがに死ぬだろうと、5日に一度は休ませているが、それ以外はこの3ヶ月毎日死ぬ、とか悪魔とか言いながらもスタニスに扱かれている。


「トマシュは、警護の役に立つかな?」

「立たせますよ――騎士様連中も、はりきってはくれるでしょうが――家のある方々はしがらみも多いですからね」


いまいち、信用するのが恐ろしい。

スタニスの言葉にカミンスキは満足して、頷いた。


「――レシェク様がお望みなのは心穏やかにお暮らしになる事、だ。お子様の健やかな誕生と成長――それを叶えて差し上げたい。――スタニス、お前には苦労をかけるが、よろしく頼むよ」


スタニスは「職務ですから」と気取っていい、困ったようなカミンスキの視線を受けて決まり悪げに――頭をかいた。


「一応、義弟家族らしいですからね――皆、守りますよ。何に換えても」


カミンスキは目を瞬いて何かを堪えるように、うつむいた。それから、頼むよ、と繰り返した。


「……お前自身の家族を持つ気はないのか?」

「何言ってるんです、伯爵に結婚相手を世話されるほど不自由してませんって――」


笑ってから、カミンスキの気遣わしげな瞳にかち合い、スタニスは息を吐いた。


「俺は――いいですよ。血縁にろくな思い出がない。出来ればここで、あの人たちを見ていたい――」

「――ユエ。私はお前に、ひどい嘘をついたね」

「…………」

「私はお前に約束した。レシェク様が成人した暁には、お前を必ず自由にしてやると。だから、それまでは大人しく従えと、……取引を強制した。お前は約束を守ってくれたのに……。それなのに、私はずるずると、お前の弱みにつけこんでヴァザのしがらみに付き合わせている」


スタニスは懐かしい――今は誰も呼ばなくなった自分のもう一つの名前を、厭うように、懐かしむように聞いて、目を伏せた。


「昔のことだ。それに、今は、自分の意志でここにいます。――居心地、悪くないんです。あの馬鹿、……じゃないや若のことも心配だし、お嬢様の行末も気になるし。今更自由にしてやると言われても無職ですし。かえって困ります」


そうか、とカミンスキが聞き、スタニスはええ、と微笑む。


また、ドラゴンの訓練をしている場所から賑やかな叫び声が聞こえてきた。

スタニスもさすがに心配になる。


レミリアは一生懸命だが、器用な質ではない。あまり、根を詰めて訓練して怪我でもしたら可哀想だ。

すっかり保護者の顔になった青年の顔をカミンスキは可笑しそうに見た。


「そろそろ、子供達のおやつの時間にしようかな――行きませんと」


ウカシュ・カミンスキはうん、と頷いた。


「私もそろそろ、失礼しよう。特使としてカナンに行くことになったよ――」


レシェクから聞いていたのだろう、スタニスは驚かなかった。


「あちらはおさまりそうですか?」

「おさめるさ――軍部の血気盛んなのは結構だが、戦いたいがための戦争など、これほど無駄なことはない。軍部の権威付のためだけに、せっかく築いた和平を、無に帰してたまるものか――ユゼフには弱腰だと、理解されなかったがね」


父と息子の立場は違うらしい。

ユゼフは正義感が強く、潔癖だ。講和を破り、盗賊団を装ってカルディナの民に被害を出したタイスを許しがたく思っているのだろう。しかし、盗賊達がタイスの軍だとの証拠はない。

証拠がないまた――戦をしかければ、先に手を出したのはカルディナと言うことになる。


「ユゼフ様も――カナンが落ち着いたら頭も冷えますよ」 

カミンスキは任務が終われば、爵位をユゼフに譲るよ、と言った。

「あいつに厄介なことは任せて、のんびり孫守りでもするさ」

「似合わないですよ、隠居生活なんて」

「そうかね?」

「ええ、全く」


ウカシュ・カミンスキは帽子を目深にかぶり直した。


「なに、兵士以外は出来ないだろうと思っていたお前が、無事に侍従をやっているんだ――私にも新しいことをやる機会があってもいいだろうさ」

「まず、赤ん坊のあやし方から覚えていただきませんと」


二人は顔を見合わせ、それから再び聞こえてきたレミリアの慌ただしい悲鳴に、二人して、くつくつと笑い声を漏らした。

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