59. こんにちはドラゴン 9
その日は勿論ソラに乗れるわけではないので、ソラはスタニスの肩につかまって、お留守番。
私にはおっかなびっくり対応していたソラは、スタニスにはあっさりと馴染んだ。
今もご機嫌で鳴きながら身体を擦り付けている。私には抱かれようとせずに逃げたのに……!
「なんだか、納得いきません……」
私のドラゴンなのに。私が若干むくれていると、ハナの背に私を乗せてくれたシンがゆっくりね、と笑う。
シンがハナに一声かけると彼女は慣れたもので、たちまち、空へと駆け上がった。
「やっぱり――竜族混じりだから、ソラもわかるんじゃないかな」
「私は、昨日知りました!スタニスが竜族混じりだったなんて……」
スタニスは竜族混じりだった、と言うのは軍部では有名な話だったらしく、シンはもう知っていた。
面白くてなくて、私は口を尖らせた。
キルヒナー親子だけでなく結局ヴィンセントも、ヘンリクだって知ってたのに、私だけが知らなかったなんて!
「シン様は、――竜族の気配がおわかりになるんですか?」
シンは少しだけわかるよ、と眼下の――ソラと戯れている私の侍従を探した。
「俺はあんまり同族を見わけるの、得意じゃないけど――スタニスは竜族混じりだって聞いたらやっぱりなぁ、って思うよ。空気の流れが違うから」
「空気が、違う?」
「ニンゲンは、そばによると、硬いんだ。だけど、同族だと、ふわっとお互いの空気が混ざって溶ける感じがする……そういうのわかる?」
私は目を大きく見開き、口を閉じて、首を大きく傾げた。疑問符がたくさん飛んで行く。
わ、わかりません。
シンはまたいつかのように、「ムズカシイ」とカタコトになり、左手でこめかみを抑えた。
竜族と凡人の感覚には差がありますね……。
シンは気を取り直すと手綱でハナに指示してくるりと旋回してみせた。
大分上空まで上がってしまったので、見下ろすと皆が豆粒みたいに見えた。
ちなみに、アレクサンデルにもごく薄いけど竜族が混じってると思うよ、とのこと。
神殿関係者は竜族の血を引く人が多いらしいもんね。クレフ子爵の妹君、カミラ様はどうなんだろう?
「俺は、レミリアに言いたくなかったスタニスの気持ちも分かるかも」
シンはぽつりと漏らした。
「どうしてですか?」
「――竜族混じりって言うと、どうしても変な目で見られるから。どうでもいい人には知られてもいいけど、――仲良くなりたい人にはあんまり、それで、見てほしくないなぁ、って……」
「……そうですね」
もっともだ、と同意しつつ、私は内心で滅茶苦茶反省した。
シンに初めてあった四年近く前、彼を「庶子じゃないの!」と失礼極まりなく馬鹿にしてみせた「私」だったが。
その実――すっごい興奮していた。
何せ、物語の中にしか存在しないと思っていた竜族が突如として目の前に現れたのだから。
しかも、シンは金色の瞳で、キラキラした髪の毛で。
とても綺麗で。
私は自室に戻ると誰もいない事を確認して、ベッドの上に倒れ込んで「憧れの存在が実在した」ことに、足をバタバタさせた――。
そういえば、スタニスに「竜族の血を引く者は皆は、キラキラしているのか」とこっそり聞いた事があるような覚えがあるる。
何でも知っているスタニスにしては「さ、さぁ」と歯切れの悪い答えで私は酷くがっかりしたのだが……、ごめんよ、スタニス。
スタニスが、私に竜族混じりだって言えなかったのって、私が過剰に竜族を美化していたからではないだろうか……。
思い当たる数々の言動を反省しつつ、私は話題を変えてみた。
「ハナ、元気に飛べるようになって良かったですね」
私が風を感じながら気持ちいいなあと微笑むとシンも笑った。
「うん、今は結構長くとべるみたいなんだ。ザックもドミニクも喜んでるけど……キルヒナー男爵が一番喜んでた」
私は吹き出した。目に浮かぶよう!
「シン様は――アルに乗る前は、ハナに乗っていたんですか?」
アルはまだ産まれて十年もたっていないドラゴンで、人を乗せられるようになったのは本当にここ三、四年のことらしい。シンは王都に来るまではキルヒナー家と暮らしていたそうだし、その頃はハナに乗っていたのだろうか。
シンはううん、と否定した。
「テーセウスのドラゴンに乗っていたんだ。今は森に帰っちゃった」
北の森は魔女たちの住処だ。随分王都からは遠いからシンは父のように慕うテーセウスだけでなく、ドラゴンにも会えないんだな。
「それではシン様はお寂しいですね」
私が言うと、そうだねぇ、とシンはちょっと遠くを見るような目をした。また散歩に行きたいな、と思っているのかな。
少しだけ沈黙してから、シンは「一回おりようか」と私に言う。
「はい」
私が同意すると、シンはちょっと沈黙した。
「レミリア」
「はい?」
「……この前はごめん、八つ当たりして」
「えぇっ?」
私は驚いてから――ああ、と思った。
私とシンの婚約の件でシンがむくれて――私をすこーしばっかり拉致しかけたんだっけな。私は、うーん、と首を傾げた。
「ええと、いえ、もう怒ってません」
レミリアは大人だね、とシンがしんみりとした。
私は――かえって申し訳ないなぁと明後日の方を見た。
帰ってから色々とありすぎて、正直忘れていたと言うか……。しかし、せっかくなので私は調子よく言った。
「もし――気に病んでいらっしゃるなら、騎乗は優しく教えていただけますか?私、自信がなくて……乗せてもらうのは怖くないんですけど」
シンはいいよ、とホッとしたように頷いた。ひょっとして、あれからずっと気に病んでたのかなぁ……。ご、ごめんよ。
地上に降り立つと、ヴィンセントが私達を待っていた。珍しく横にはイザークではなくヘンリクがいた。
ハナから降りながら、シンが言う。
「ねぇ、レミリア。俺、レミリアにお願いがあるんだけど」
「なんでしょう、シン様」
「ええっと……それなんだけど。出来たら、名前で呼んでほしいな」
「えっ!」
「様付けじゃなくて――使用人の人達は仕方ないけど、友達にまでそう呼ばれるのって落ち着かないから」
私は戸惑ったけれども、――ややあって、わかりました、と快諾した。
――友達!
私から一方的にお友達になれた記念とかなんとか言っていたけど、こうやって改めて言われるとこそばゆくて、ジワジワと嬉しい。
そしてそれは、半竜族のシンと仲良くなれたから、ではきっとない。
「じゃあ、シン……、ハナに乗せてくださって、ありがとう、ございます」
シンは硬いなあ、といいつつ破顔した。
「うん、どういたしまして。――これからも、よろしく」
私の中にあるのは、少しばかり物事に無頓着で、しかし素直で可愛らしい男の子と友達になれた嬉しさだ。
「なに、馬鹿みたいに見つめあってんの」
私達がほのぼのとしていると、ヘンリク様が空気を読まずにやってきた。
おのれヘンリク、馬鹿とは何事だ……。しかし、シンも空気をわざと読まずに、へへと笑った。
「レミリアと仲良くなってたんだよ。羨ましい?――羨ましいなら、ヘンリクも俺のこと呼び捨てにしていいよ。どうせ俺のいないところじゃ呼び捨てだろうけど」
ヘンリクは器用に片眉をあげると、「それはご厚情いたみいります」と鼻で笑った。
それから感じ悪くシンを頭からつま先まで眺めて値踏みする。
「じゃあ、お言葉に甘えてそうさせてもらうよ――シン」
シンは面白そうにヘンリクを見て、よろしく、と笑った。
ヘンリクはなんだがんだ性格悪いと思うし、シンに好意的ではないのに、シンはなんでだかやっぱりヘンリクが嫌いではないみたいだ。
聞いてみると、「なんとなく、ヘンリクの空気が好きだよ。フランチェスカともレミリアとも似てるし」と言っていたので、やっぱりシンの感覚は、私にはよくわからない……。
私の従兄と王女の従兄が和気あいあいとしている横で、澄ました顔を崩さないヴィンセントに、私は話しかけてみた。
「ねえ、ユンカー様」
「なんでしょう、レミリア様」
ヴィンセントはそっけない。
私はふうん、とヴィンセントを見あげて近づいた。
ヴィンセントが何でだか一歩、後退る。
「シンが、シンの事、名前で呼んで良いって。ユンカー様はどう思う?」
「………いいんじゃないですか、好きに呼べば」
投げやりだな。
私は構わずにヴィンセントとの距離を詰めてみた。
「――シンはこれから頻繁に訪問されるみたいだけど、ユンカー様も次回も来るでしょう?」
「大人数で押しかけまして」
迷惑だろうから来ない、といいそうなヴィンセントの言葉を遮って、私は聞いてみた。
「ユンカー様は、シンのお付ですものね。シンが来るのに、ユンカー様が来ないと変よね?ユンカー様もドラゴンに乗る練習、一緒になさる?イザークとシンが言ってたわ。実はユンカー様はそんなに騎乗がお得意じゃないって。ユンカー様にも苦手な事ってあるんですのね、ね、ユンカーさ……」
「ヴィンセント!」
ヴィンセント・ユンカーはしつこい私の台詞を遮った。舌打ちしそうな勢いである。
「……ヴィンセントで結構ですよ、レミリア嬢」
「まあ!よろしいの?」
ついに……、ついにヴィンセント・ユンカーは私のしつこい口撃に屈した!!
私は緩む頬を抑えて、そんなつもりじゃありませんでしたのに、と空とぼけた。
「主が呼び捨てなのに、僕が敬称づけではおかしいでしょう。どうぞ、親しく、ヴィンセントとお呼びください」
苦虫を噛み潰した、という表現の見本のような表情でヴィンセント・ユンカーは言い捨てた。私は口元を――緩んだ口元を隠すために――手で抑えた。外からは、はにかんでいるように見えるだろう。
とっておきの笑顔を作ると、微笑み返す。
「恐れ多いですけれど。ユンカー様がそこまで仰るなら、お言葉に甘えますわ。よろしくね、ヴィンセント」
「よろしく、お願い、します…………」
ヴィンセントの悔しげな顔に私は心の中でよっし、と拳を握りしめた。
我勝利せりっ!
厭味大王様に初めて言い争いで勝ったぞーー!!
小さな勝利に喜ぶ私を、ヘンリクが半眼で、シンはあはは、と笑って見ていた――――。




