58. こんにちはドラゴン 8
ヘンリクの目の色は茶→青に変更してます。ヨアンナと同じ色
まずはおめでとう、とヘンリクは言ってくれた。
まあ、ありがとう、ヘンリク様!
「公爵夫妻が子供が出来るくらいまだ仲良しだなんて知らなかったな」
誰も敢えて言わなかったであろう尤もなご指摘に私はちょっぴりまごついて赤くなる。
私も、それは、ちょっと思った、うん。
「もし、弟が産まれたらヘンリクがカリシュ侯爵になることはなくなっちゃうわね」
「ほんとだよ、残念だな。妹君が産まれるよう祈っておくよ」
ヘンリクは口を尖らせた。
「別にいいじゃない、今のままだって伯爵なんだから。どうしてカリシュ侯爵になんてなりたいの?」
ただの公爵ならともかく、王家から監視される旧王家なんて、面倒なことこの上ないと思うけど。
ヘンリクは黙って窓に近づくと、庭を眺めた。
窓からは広々とした屋敷の庭が見渡せる。
「僕には居心地いいんだ、ヴァザの家って。庭も広いし、探検する場所もいっぱいあるし、スタニスやセバスが居るしさ」
「そうなの」
「君もいるし、遊べて楽しいじゃない」
「そっかあ……ヘンリク、ねぇ、私の弟か妹が産まれたら一緒に遊んでくれる?」
「いいよ。男でも女でも、キョウダイができるみたいで嬉しいから」
そういえば、ヘンリクは腹違いとは言え、妹が二人もいるんだもんな。私はヘンリクに近付いて彼の濃い青の瞳を覗き込んだ。
「ねえ、ヘンリク。妹って可愛い?」
ヘンリクは皮肉に口の端をあげた。
「――父上の娘たちのこと?たまに父上に無理やり連れて行かれて会うと、無邪気に兄上様って呼ぼうとするから――憎くて仕方ないよ」
私は言葉に詰まって「そう」とだけ呟いた。
あーあ、とヘンリクは背伸びをした。
「君と結婚してカリシュ侯爵になれば――ヴァレフスキの名前を捨てられると思ったんだけどな」
笑えない軽口に私が返答に困っていると、ヘンリクは笑って私の鼻を摘んだ。わたしが不意打ちに、ふが、とみっともなく鼻を鳴らすと、豚みたい、と笑い転げた。
「ヘーンリークーーっっ!!」
お決まりの喧嘩がはじまって、ヘンリクは騒ぎを目敏く聴きつけてやってきたスタニスから、猫の子のように襟首を掴まれて、めっ、と叱られた。
スタニスに怒られて、ヘンリクは、あはは、と無邪気に笑う。
「侯爵になったらお前をこき使ってやろうと思ってたのに、残念」
「今でも十分、ヘンリク様にこき使われてますよ」
「――イザーク・キルヒナーに剣術を教えてやるんだって?」
ヘンリクは床に戻されながら侍従を伺う。私は弾かれたようにスタニスを見た。そんな話、聞いてないよ!私達を見てから彼は穏やかな顔で頷いた。
「キルヒナーのご子息が屋敷に来られる間だけ、ですよ」
「叔父上に言われたのか。キルヒナー男爵家に今のうちに恩を売れ、って」
「ええ、まあ――商会へは頼み事も多くなりますしね」
スタニスは私を気にしながら、曖昧に肯定した。ヘンリクは悲しそうに私の侍従を睨む。
「あいつに優しくする必要なんかないじゃないか、キルヒナーは何でも持ってるのに。――お前まで盗ろうとするんじゃないだろうな」
「――あり得ません。私がヴァザ家を離れることは決してありませんよ、ヘンリク様」
ヘンリクは縋るように、彼の袖を掴んだ。
「あいつだけ特別にするんじゃなくて、僕も一緒に、教えてくれる?スタニス」
「いつでもお教えいたしますよ」
「じゃあ、いい。――あいつに教えるのを、許してやる」
尊大に言ってから、ヘンリクはスタニスの首根っこに抱きついた。
どうしたんです、子供みたいに、とスタニスは思ったかもしれない。
けれど、何も言わずに私の侍従はありがとうございます、と従兄の背中を撫でる。
もし、弟が生まれたら――、と私は思った。
ヘンリクのヴァレフスキ家から逃れたい、という夢は無くなってしまうのか。思いもよらなかった影響に、私は複雑な気持ちで二人の背中を見ていた。
翌日、秋と言うよりは最早冬と位置づけるべき寒い日に、キルヒナー商会とシン達は私の屋敷を訪れた。
公爵家に仕える騎士たちが練兵の為に使う区画に案内して、空を見上げる。母上はヨアンナ伯母上と屋敷の中、父上は私の側で一緒に見守ってくれている。
私達の準備が整うのを見越したかのようにして、――私達の前に、二頭のドラゴンが舞い降りるた。
ハナと、その番いのアキだ。
ドラゴンの騎手はドミニクと――メルジェへも一緒に旅した厩務員の人だった。
「レミリア」
先日、少し気まずいお別れの仕方をしたから心配だったけれど、シンは今日も朗らかに私に微笑みかけてくれた。
王宮にいる時より動きやすい服を着ているから、ドラゴンに乗せてくれるつもりなんだろう。私は内心冷や汗をかいた。
今日は顔合わせだけじゃ駄目かなぁ……。
「ハナと、その雛を連れてきたよ」
「シンの雛じゃないだろ」
イザークがぼそ、と呟き、ヴィンセントにシっと短く窘められる。
「今日はシン様のアルは来ないのですか?」
「うん、アルはお留守番。あいつ、仲間はずれで怒ってたから、今度あったら慰めてやってくれる?」
「いいですよ」
アルの事を説明してくれるシンの後ろには、キルヒナー男爵が控えていて、彼の肩には白いドラゴンの雛がキュイ、と鳴きながら乗っている。
私はドキドキしながら、美しいドラゴンに目が吸い寄せられていた。
雛の母龍のハナが、ドミニクに連れられて私の側にやってくる。
ハナは、私を――覚えていてくれたみたいで、すん、すんと鳴いて私に甘えてくれた。
カボションルビーみたいな柔らかな色の丸い瞳が可愛い。私は、低い位置まで頭を下げてくれたハナを抱きしめた。
ごめんね、ハナ。せっかく産んだ赤ちゃんと離れ離れにしてしまうのね。
「どうして鎖がついていないんだ?危ないだろう」
ヘンリクがキルヒナー男爵の肩に乗っている仔龍を見咎めて言った。ほんとだ!首輪も鎖もしてない。
――私は伺うようにキルヒナー男爵を見た。男爵は人好きのする笑顔を保ったまま、愛おしそうに雛の喉元をくすぐった。
「鎖は、小さな雛に恐怖心を植え付けます。ですから私どもが商う雛は鎖を、つけないようにお願いしております」
「レミリアが怪我したらどうするんだよ」
尊大な少年の物言いにも、キルヒナー男爵は丁寧に応じる。
「龍は賢い生き物ですので、主を傷つけることはいたしませんよ。主と認めていれば、ですが」
キルヒナー男爵の黒い瞳が確認するように私を見る。
私に主になる覚悟があるのか、問うているんだろう。父上が緊張している私の隣でくすり、と笑いを漏らした。
くしゃりと頭を撫でられる。
「――レミリア。仔龍が君を主と認めてくれるように、励むように。ヴァザの名に恥じぬよう」
父上に――ヴァザの名前が嫌いな父上にそう言われては、「はい」と誓うほかない。
私は早鐘を打つ鼓動を抑えるように胸に手を置いて男爵に近づく。
キルヒナー男爵が肩に乗っていた雛を腕に抱えなおして、私に近づけてくれた。
まだ小さな、私の腕の中にでもすっぽりとおさまってしまいそうな雛は、まんまるの目で私を見あげて不安げに鳴く。パタパタと、まだ飛び上がれない翼をはためかせて不安げな様子だった。
私たちは距離を取り合いながら、見つめ合う。
白い仔龍。
その瞳は――まるで運命のように私達と同じ色をしていた。空色の、大きな瞳。
「名前はなんとなさいます?」
「もう、決めてあるの」
白い仔龍の水色の――私と同じ色の瞳から見上げられて私は微笑んだ。
雛の目が同じ色だとイザークから聞いて、ずっとつけたい名前があったのだ。
「ソラ、にしようと思うの。お空色の瞳だから――ソラ。貴方のお名前はソラよ。どうかな?」
私は仔龍に聞く。
わかっているのかいないのか、ソラは――キュイ、とないて――首を傾げた。
「よい名前ですね」
男爵が褒めてくれる。イザークもシンも満足そうだったので、私はほっと息をついた。
ソラが気に入ってくれてたかはわからなかったけれど、代わりにハナがそれでいいよ、と言うかのように私の頬に顔を擦り付けて来る。
――痛ッ、ちょっと痛いよハナちゃん。
私は苦笑しながら、そっとソラの頭に手を置いた。
「こんにちは、ソラ」
(どうぞ、よろしく)
 




