57. こんにちはドラゴン 7
客間へ足を踏み入れると、クレフ子爵が立ち上がって待っていた。
若い女性――、年の離れた妹君を伴っている。
クレフ子爵は父上と同じく背が高いけれどそれだけじゃなくて横幅も広くてがっちりとしている。四十近いはずなんだけど、はちきれんばかりに鍛えた体を窮屈そうにカルディナ軍の群青の軍服に押し込めている。濃い茶の髪と同じ色の見事な髭は、彼の大きな身体と相まって熊さん度を増している、といつも私は思う。
両親と子爵は儀礼的な挨拶を交わし、ややあって子爵は厳しい顔を、たちまちに崩して私に微笑みかけた。
「ごきげんよう、子爵」
「レミリア様、今日もお可愛らしい。お元気でしたかな?」
熊さん、おひさしぶり!と私も微笑んだ。
褒めてくれるのは貴族の儀礼みたいなものだけど、熊さんに手放しで褒められると、悪い気はしない。
クレフ子爵は、大きな身体全体に喜びを表して父上に向き合う。
「急に招いて悪かった」
「公爵のお召とあらば、どこへなりと馳せ参じます」
「ありがたい。――手紙に書いたように君に見せたい薔薇があったんだが、支障があって、枯れてしまってね。――それはまた今度話そう」
「左様でございますか。冬咲の薔薇を拝見するのは次回の楽しみにさせていただきます。……私の方はなかなか綺麗に咲きました。お持ちしましたので、後ほどお目にかけても、よろしゅうございますか?」
「そうか、それはいいな」
父上は愛想ではなく本当に楽しそうに言った。
クレフ子爵はその武ばった外見に似合わず、蘭の栽培が趣味なのである。
胡蝶蘭はさすがにカルディナには無いけど、色んな形の蘭を見せてもらったことが私にもある。そのうちクレフ子爵が品種改良しちゃったりしてね…。蘭某とは呼ばれてないけど、我が父上とは、趣味が同じなこともあって、気が合うんだろうなぁ。
「屋敷でも兄は蘭の話ばかりしていますのよ。私どもにはちっともわからないんです。義姉もいつも困っています」
妹君のカミラ様が呆れたとばかりに溜息をつき、母上は同じ悩みを持つものとして、心から夫人に同情したようだ。
私も訳知り顔でうん、うん、困った人たちだよねぇ、と頷く。
薔薇も蘭も非常食料にもならないもん。
クレフ子爵はその大きな身体に似合わない優雅な仕草で母上に近づくと、貴婦人の手を取って口を近づけ――しかし触れず、というカルディナ風の挨拶をした。
「敬愛する貴女に触れたいけれど、恐れ多くて、出来ません」という尊敬を示す意味があるのだという。
子爵は、枯葉色の暖かな瞳を細めて、母上を見た。母上の赤ちゃんの事に気付いていたみたいだ。
「大変不躾ですが、……公爵夫人。この度はおめでとうございます、と申し上げてもよろしいでしょうか」
「ありがとう、ヴォイチェフ」
「おめでとうございます、夫人」
カミラも兄に倣って母上におめでとうを言ってくれた。母上が嬉しそうで私も嬉しくなる。
「公爵閣下にも、お喜び申し上げます」
「ありがとう、ヴォイテク――君にはいちはやく知らせたい、と思っていたんだ。忙しいところ、来てくれて嬉しい」
ヴォイテク、はヴォイチェフの愛称だ。――父上に愛称で呼ばれる人は少ない。クレフ子爵は、慈愛に満ちた優しい目で二人を見つめて、本当に、と言った。
「――なんと喜ばしい事でしょう。ご夫妻に新しいご家族が増えられるとは。神に感謝を」
「あいも変わらず、君は大げさだ」
微笑した父上が二人をテーブルに座らせた所で、メイドではなくスタニスが茶を運んできた。
「おお、スタニス」
「ご無沙汰をしております、クレフ子爵」
「子爵などと水臭いではないか、我が友よ!元気にしていたか」
熊にがしっと襲われ、もとい抱擁されるのをスタニスは苦笑して受けた。
「お気遣いありがとうございます。おかげさまで、つつがなく」
「侍従のお前も悪くはないが――そろそろ軍に戻る気はないか?私の麾下で構わなければ、いつでも籍は用意できる」
軍部に所属するクレフ子爵の誘いにスタニスは困ったように首を振った。
「退役して十年以上経ちますし、もう、とてもお役にはたてそうにありません」
クレフは残念だ、と言ったけれども無理には話を続けない。
父上は二人のやり取りに苦笑し、クレフの前に腰掛け、母上もそれに倣う。
「実は、増えるのは子供だけではない。レミリアが――ドラゴンの雛をキルヒナー商会から譲り受けた」
クレフは聞き及んでおりますよ、と感慨深げに髭を撫でた。
「ヴァザ家はドラゴンと縁が深うございますから――素晴らしいことです」
うん、と父上が私の頭を撫でてくれ、私はちょっぴり得意げにクレフを見た。
「明日、キルヒナーが雛を連れてくる。――実はシン公子気に入りのドラゴンが産んだ、雛でね。紆余曲折あって、公子も屋敷へ来ることになった」
「シン公子が、でございますか?」
「ありがたいことに――レミリアに騎乗の仕方を教えると、はりきっておられる。しかし、いかに竜族縁の方とは言え子供が子供に教えるのは些か心許ない。君も一緒に出迎えてはくれないだろうか――。キルヒナーはシン公子の代わりに教師を手配してくれると言ったのだが……ヴォイテク、君が許してくれるなら、君の妹君がレミリアに付いてくれると嬉しいのだが」
えっ、と思って私はカミラを見た。母上が私の疑問に気付いて解決してくれる。
「カミラ様の母君はレト家のお血筋だから、カミラ様も、一時期は神殿に勤めていらっしゃったのよ。ドラゴンの騎乗もお得意よね?」
カミラはふふ、と微笑んだ。
「得意ではないかもしれませんが――殿方と女性では騎乗の仕方も少し違いますから。レミリア様、シン公子に尋ねづらい事がありましたら、私にお尋ねくださいませ」
私は、はい、と殊勝に返事をした。
レト家縁の――カミラ様かぁ。
アレクサンデルとも縁続きなのかなぁ、今度聞いてみよう。
「詳しい話は後でまたゆっくりと話そう。ヴォイテク、君の丹精した蘭をみせてくれるか」
喜んで!とクレフが立ち上がり、父上を案内して行く。
残された部屋で、母上は私を立たせてカミラに改めて挨拶をさせた。私はひょっとして、と母上を伺う。
「子爵家の貴女に家庭教師のようなことを頼むのは、申し訳ないのだけれど、出来れば次の家庭教師が見つかるまでの間、レミリアの教育を引き受けてくれないかしら」
やっぱりそうか!私はちょっと緊張してカミラの暖かな茶色の瞳をみた。
「いいえ、公爵夫人。子爵家の者、と言っても――私は庶子でございますから。どうぞなんなりとお申し付けくださいませ」
さらりと事実を打ち明け、カミラは私にどうぞ、宜しくお願いいたしたします、と膝を折った。子爵と母君が違うことは知っていたけど、カミラは庶子だったのか、知らなかった。レト家縁の母君を持ちながら庶子……、なかなか複雑なお生まれだな。
カルディナには側室という制度がない。けれど、この国の貴族の男女関係は割と緩い。
愛人に産ませた庶子がいる貴族も珍しくはなく、我が従兄ヘンリクにも腹違いの妹が二人いる。
ゆるい男女関係に対処したのか、反比例するかのように相続に関する規定は厳しい。
婚外子には爵位相続の権利が認められていないし、相続のために貴族が婚外子を正式な子とするには国教会への多額の寄付が必要となる。
だから庶子は大抵、貴族と縁のある裕福な平民へ養子や跡継ぎの伴侶にされるか、あるいは家の上級使用人として家のために生涯働くのが常だった。
なんにせよ、表舞台にはあまり顔を出さないことが多いので、クレフ家のように妹だ、と堂々と連れ回すのは珍しいかもしれない。
「そのような事を言うと、ヴォイテクが泣きますよ。貴女の事をあんなに愛しているのに」
ふふ、とカミラは笑った。
「あのような姿をして、兄は本当によく泣くので、秘密にしてくださいませ、公爵夫人。――レミリア様、少しの間ですが、どうぞ仲良くしてくださいませね」
カミラ様に、にこりと微笑みかけられ、少し気後れして無言で頷く。
人見知り力を如何なく発揮した私を、母上が困ったようにみる。
それに気付いて、このままじゃいけないな、と思った私は、勇気を出して母上のスカートを握りしめると、顔をあげた。
「か、カミラ様はダンスはお好き!?」
私の突然の問いかけに、カミラ様は、似ていない兄君と同じように、優しげな瞳で私を見た。
「あまり得意ではございませんが、好きです」
「私もよ。ダンスは好きだけれど、ターンが上手くできないの。ねぇ、カミラ様、一緒に練習してくださる?」
「もちろんです、レミリア様」
カミラ様に微笑まれ、私はほっとする。
母上も、安堵したかのように息をついた。
その夜はヨアンナ伯母上とヘンリクも来て、なんだか賑やかな夕食になった。
喋るのはもっぱら子爵とヨアンナ伯母上で、父上は黙って耳を傾け、母上は楽しそうに笑っていた。
ヘンリクは大人たちの前では、ちょっぴり生意気だけど、賢いヘンリク、の姿を見事に演じる。いつも思うけど、ヘンリクは、猫をかぶるのが得意だよねぇ
いい子で過ごした反動か、食後に二人で遊んでいるときに、ヘンリクは色々とぼやいた。
続きは明日




