55. こんにちはドラゴン 5
母上は、屋敷に戻って十日もすると、すっかり元の母上に戻っていた。
私は、と言えば……。
「どうしてそこで、ステップを間違えてしまうの?」
困ったわ、と母上が頭を抱えた。
午前中、ずーっとダンスの練習をして、上手く行かずに半泣きである。家庭教師の先生もいないし、せっかくだから、と母上がつきっきりで教えてくれている。
――母上はダンスの名手だから。
母上の侍女の一人とさっきから踊っているのだが、同じターンが出来ずに何度も足を踏んでしまう。私は慌てて小柄な侍女に謝った。私のために小柄だけど運動神経のいいアンナが男性役を買って出てくれているのである。
アンナは『いっったぁぁぁい!』と言う顔を必死に隠して大丈夫です、と苦笑いしてくれた。
「ごめんなさい、アンナ!出来ません、母上ぇええ……」
「泣かない、そして、間違えないっ!」
ピシャリ、と言われて、私はえぐえぐと泣いた。ダンスが下手なわけじゃない、それなりに踊れる。踊れるよ!?
だけど、難しい、難しいよこのターン。そしてドツボにはまると私は、なかなかできなくなるんだよぉ!
なんでいきなり、こんなに高度な事を仕込もうとするの、母上っ!
「奥様、どうぞ休憩をとられてください」
父上から離れて母上に付き添っているスタニスが私と母上達に飲み物を持って来てくれる。
私は慰めて貰いたくてスタニスに後ろから抱きついた。ここには母上と母上の侍女しかいないから、スタニスに甘えたって許される、はずだ。
ねぇスタニスー、慰めてー!お母様が怖いよー、やるきだよー!
私の甘えにスタニスは苦笑して、母上は「また甘やかして…」とスタニスに小言を言いつつも、ありがとう、と笑って飲み物を受け取り、スタニスを悪戯っぽくみた。
「スタニスと私がお手本を見せないと駄目かしらね?」
「わぁ、みてみたいです、母上!」
私が喜ぶと、スタニスは苦々しげに「ヴィカ様!」と母上の愛称を呼んで窘めた。侍女の皆さんも苦い顔で「おやめください!」と口々に言い、母上はわかっているわよ、と拗ねる。
「貴方、過保護なのよ。妊婦だからってじっとしてればいいってものでもないわ――ダンスくらい、気晴らしにいいじゃない?」
「先日、お屋敷に帰った途端に気分が悪い、って倒れ込んだ方の言うことではありませんね。駄目です」
「ちょっとだけだから」
「許可しません」
「馬小屋の子猫を、屋敷で飼ってもいいから」
「……だ、駄目です」
なんだ最後のは!しかもスタニス、動揺してたよね?
母上はフフン、と横を向いた。
「馬小屋に居着いた猫の親子にこっそり餌をやってるのを、知っているわよ?トマシュが教えてくれたわ」
私はええっ!と声を上げた。
私が庭に迷い込んだ猫や馬車から見かける犬を飼いたいと言っても、「野良犬や野良猫は公爵家にはふさわしくありません」と冷たく言って許可しないの、スタニスなのに。
「う、うらぎりもの……私には駄目だと言っておきながら……」
私が目を見開いてスタニスを批難するのを、母上は煽った。
「ほんとよねぇ、人には禁止しながら、自分ばかり楽しんでいるのよ、もふもふを」
きいぃっ!許せないーー!!
スタニスは眉間に皺をよせて「トマシュ……」と呻く。
スパイ・トマシュの罪状が増えた。
捜査官の尋問は厳しさを増すに違いない。それにしても――。
「母上、スタニスはダンスも出来るのですか?」
万事卒なくこなすスタニスだけれど、ダンスは見たことがないなぁ。侍従だから勿論夜会には参加しないけど、使用人たちが夜会の後や年の暮れに特別に許されて屋敷の一画でささやかな酒宴を催す時でも(私は、隠れてこっそりのぞいているんだけど)スタニスは黙って見ているだけで、誘われても踊らない。
「習ったことはないでしょうけど、まぁ、上手よね?」
母上が言い、私はそうだろうなぁと納得した。
運動神経いいもんね、スタニス。
再び踊る?と母上に聞かれて、スタニスは渋い顔で「ご遠慮します」と首を振る。
「高い靴はだめですよ、ヴィカさま。それに、ヒールを履いたら私と奥様の身長は変わりませんからね。ダンスの相手としては、様になりません」
「ヨアンナと丁度よかったわよね、身長差」
「スタニスは伯母上と踊ったことがあるの?」
私が目を輝かせると、母上は懐かしいわねと微笑んだ。
「ヨアンナの――当時はまだ婚約者だったヴァレフスキ様が急病で、夜会に急遽欠席なさって――エスコート無しに夜会に出るわけにはいかないから、ってスタニスが代わりに出たのよ」
「スタニスが夜会ですか?」
私は、首を傾げた。スタニスが、夜会。
貴族じゃないし、裕福な家の跡取りでもないのに?軍人さんだったから出れたのかなぁ。
疑問符を飛ばしながらも、私は見てみたいなーと思った。
「スタニスはなんでも出来て、凄いのね」
私は改めて感心する。
「なんでも器用に出来るから、シン公子から、竜族混じりか、って勘違いされちゃうのね」
侍女の皆さんが食器を片付けに退室するのを眺めながら言うと、スタニスはあからさまに困った顔で言葉につまり、母上はちょっと半眼になって椅子から立ち上がった。
「まあ、レミリア。シン公子がそんなことを?」
私はええ、と思い出しながら言った。
シンは北部を去り際、スタニスに向かって「半竜族」なのかと聞いたのだ。「目が金色じゃないから、もっと薄いのか」とも。
母上は「そうなの……」と顎に指をあてて考え込むと、固まっている侍従をちらりと見た。スタニスはびくっと肩を震わせた。
「ねぇ、スタニス」
「…………………いやです」
「あなたが言わないなら私が言うけど」
「…………………いやです」
「私があることないこと言うのと、自分の口から言うのと、どちらがいいのよ?」
「…………………いやです、ってば」
「明日になれば、キルヒナー兄弟や公子も来るんでしょう。隠していても、すぐにばれるわよ?他人の口から聞いたら、レミリアはきっと怒るわよ?傷つくわよ、いいの?」
「………………………」
「そもそも、隠すことじゃないでしょうに。レミリアも、もう大きくなったし、潮時だと思うわよ?」
第一、ヘンリクだって知ってるのに、と母上が言い、私はきょとん、と口をへの字に曲げたスタニスを見上げた。ヘンリクも知ってるのに、私は知らないの?何を?
スタニスを見ると、眉間にシワが寄っている。
「なんのこと?」
首を傾げた私に母上が口を開きかけると、スタニスがわー、と言いながら私の耳を塞いだ。
なんなのー!?と混乱してスタニスを見上げると、スタニスは薄茶の瞳で私と母上を見比べて、たっぷりと沈黙すると、やがて、――がっくりと肩を落とした。
大きくため息をついて、重い口を開く。
「…………じ、実はですね、お嬢様」
「なぁに?スタニス」
スタニスは私の耳から手を離し、私の前に跪いた。
私を見上げながら、ものすごく嫌そうに、打ち明ける。
「実は、……公子の仰るとおりでして……」
「なにが?」
「ですから、その……」
「シンが言ったこと?」
私は自分の台詞を巻き戻して……。
はた、と気付いて、息を止めた。
『竜族混じりかって勘違いされちゃうのね』
勘違い。
えっ………!
あんぐりと口を開けた私に、スタニスは苦々しげに、頷いた。
まさか!
「――実は、私にも多少、竜族の血が混じっておりまして」
「え、えええええええええっ!!」
素っ頓狂な声を上げた私に、母上が涼しい顔で「大声をあげないの」とお小言をくれた。
スタニスは「竜族混じりと言っても、よくわからないんですよ」と前置きしてから、亡くなったスタニスのお父さんが半竜族だったことを教えてくれた。
スタニス曰く、傭兵をしていたお父さんは半竜族だけれども隻眼で、残った瞳は金色じゃなかったらしい。「竜族混じりだと見栄を張るのは、傭兵の世界ではよくあることですから。――父は嘘をついていたかもしれませんけどね」との事らしいけど。
シンがスタニスを同族だと思ったからには、嘘だと言うことはないだろう。
私は――驚いたけれども、色んな事に合点がいった。
国教会の本拠地、セザンにいるジェナ神官は、熱心な竜族の信奉者だ。何故かスタニスに過剰に好意的だと思っていたけれど――、スタニスが竜族混じりだったからなのか。
それに、スタニスのお父さんが傭兵だったからカタジーナ伯母上やカナン伯爵ジグムント・レームはスタニスを「傭兵あがり」だと悪く言ったのか。
元軍人への悪口としては、変だと気づくべきだった。
竜族混じりの人達は、とても身体能力にすぐれていて――、異能があり、頭もいい人が多いと聞く。
スタニスは「異能は全くありませんよ」と言うけれど――なんでも出来る理由の一端がわかった。
びっくりしている私に、母上は「もうひとつ、ばらしてしまおうかしら」と明るく言い放った。
「ヴィカさま」
スタニスが静止したけれど、母上は「別に、隠していたわけじゃないでしょう、これは」と口を尖らせる。
「レミリア」
「はい、母上」
「あなた、スタニスの家名って何だか知っている?」
私は首を傾げた。
「スタニスの、家名」
貴族以外は、貴族に対して家名を名乗らない。
例え貴族の出であっても、使用人たちは、私達の前では名乗らないし、名前で呼びあうのが慣例だ。父上や母上は把握しているだろうけど、私はスタニスも、だけどセバスティアンや侍女頭ヒルダの家名もなんとなくしか覚えてない。
スタニスもなんだったかなぁ、と首を傾げた。
「スタニス・……さうれ?」
だったかなー、と悩んで答えを導き出した私に、母上は笑った。
「スタニス・サウレ。正解よ。だけどね、本当はもう一つ家名があるの」
私は貴族みたいだな、と思ってスタニスを見る。スタニスは、目をつぶって口を曲げて沈黙していたけれど、母上が何も言わないのを見て、再び溜息を、つく。
私の名前は、と。
スタニスは語学の例文のような台詞を口にした。
「私の名前は、――スタニス・サウレ・ヴァザと申します、お嬢様」
私は今度こそ、口をあんぐりと開けて、言葉を失った。
す、スタニスってヴァザ家の人だったの!?
【幕間】箱庭の雛たちで、男爵がドミニクに家名云々言ってたのは、そういうこと、でした。




