53. こんにちはドラゴン 3
今日はいつもより短いですが、キリのいいところで。
「お前は、気付いてたのか?」
私は別の客間に通され、その前室でスタニスとトマシュは話し込んでいた。トマシュは長く沈黙してから、頷く。
「ここ一月、五日に一度はカミンスキ邸に行っていました。伯爵と、公爵夫人のお具合を伺うよう、セバスティアンに言いつけられていたんです。――そのたびに公爵夫人からはお言葉をいただいて――二人共お元気そうだけど、公爵邸にお戻りになる様子は無いし、――伯爵は風邪だと伝えてくれと、夫人はおっしゃるし……おかしいとは感じていましたし……」
トマシュは声を落とした。
「前回お会いしたときに、ゆったりとしたドレスを着ていらっしゃって――多分そうなんだろうな、とは思っておりました……」
「何故、言わない」
トマシュは少しだけ反抗の色を見せた。
「――俺は、伯爵とヤドヴィカ様には御恩があります……!ヤトヴィカ様は、死にかけていた俺と妹を助けて下さいました!俺たちはヤドヴィカ様の荷物を盗もうとしたのに。――伯爵は孤児の俺に、見込みがあるとおっしゃってくれて、学校にまで行かせてくれました――そのヤドヴィカ様に黙っているように頼まれたら、俺は何も言えません」
スタニスは頭が痛い、というように右のこめかみを親指で押した。
「…………だからってなぁ、お前の主は公爵だろう」
トマシュはもっともな指摘を受け、また、肩を落とす。
「わかっています……すいません」
「でも、…………その、おめでたいことでしょう?なんで公爵夫人は隠してらしたんです?」
「お前が立ち入ることじゃない」
「すいません……」
「私も気になるわ、ねぇ、どうしてお母様は赤ちゃんがいるのを、お父様に隠していたの?」
私は、前室に身を滑り込ませた。
ようやく足音に気づいたスタニスがしまった、とばかりに私をみる。
気配に敏いスタニスが、私の覗き見に気付かずにいた。
それだけ、母上の妊娠に動揺していたのかもしれない。
「お嬢さま……」
「お父様は、何故、喜んでくれないの?お祖父様もスタニスも、なんでそんなに暗い顔をしているの?皆、嬉しくないの?――私に、兄弟ができるのに!」
スタニスは困ったように私をみて、深く一つ、溜息をつく。
トマシュは、スタニスと私を見比べて、なんとも気まずい顔をした。
「俺は席を外したほうが……」
スタニスは頷きかけ……少し考え直すと、いや、と首を振った。
「そこにいていい」
トマシュは戸惑ったけれども、おとなしく壁に寄り私達を見守っている。私は、スタニスを見上げ、彼の上着の袖口を掴んで、尋ねた。
「スタニス。どうして皆、嬉しそうじゃないの?赤ちゃんが生まれるんでしょう……?」
「とても、おめでたいことですよ」
スタニスは私を安心させるかのように微笑んだ。
(――嘘だ)
皆、とても嬉しそうには見えなかった。――特に父上は、恐れているかのようにすら、見えた。
「お母様がもし、弟を産んだら、ベアトリス陛下が困るから?だから、お父様は嬉しくないの?」
母上の悲しげな顔を思い出して、つん、と鼻先が痛くなる。
とても嬉しいことなはずなのに、みんな喜んでいないのは、やっぱり陛下の事が怖いからなんだろうか。
ベアトリス陛下の治世が盤石になった今でも、ヴァザ家の復権を願う――女王の失墜を願う層は――、一定数、いる。
王太子はフランチェスカだが、軍部は和平を尊ぶ女王に反発し、次世代の国王には「女王」ではなく「王」を望んでいるのだ、と彼女は言った。
ベアトリス陛下の近しい血族は、フランチェスカを除いては半竜族のシンしかいない。
私に弟が生まれたら、フランチェスカを廃し、父上さえ飛び越して――弟を王位になどと言い出す勢力もあるかもしれない。
「……そうですね」
スタニスは私の前に膝をついて、薄茶の瞳で私を見上げた。
「陛下や宰相閣下は確かにお喜びにはならないかも、しれませんね。でも、それより……――旦那様も伯爵も、奥様のお身体を心配されているのだと思いますよ――」
「そう、なの?」
御出産は一大事ですからね。
そう言ったスタニスに納得がいかない、という表情をすると、……スタニスは両方の眉を下げ……、深く息をはく。
「……旦那様も奥様も、お嬢様にはお話されないでしょうから」
と、僅かに目を伏せ、私に告げた。
「お嬢さまがまだお小さい頃、本当はお嬢様には――弟君がいらっしゃったんです」
「え」
聞いたことがない、そんな話。
スタニスは、本当にお嬢さまがお小さいときだったので、と、寂しげな声で語った。
「金色の髪と――お空色の目をした、とても可愛らしいお子様で。――けれど、弟君は、産声をあげることができませんでした」
私は衝撃に目を開いて、あ、と思った。
ハナの卵が孵らないかもしれない、とキルヒナー兄弟が我が家に相談に来たとき。
母上は明らかに、感傷的になっていた。
母上の嫌いなベアトリス陛下の腹心のキルヒナー男爵の息子たちに珍しく同情的で――、過去に卵の中の雛を失ったことのあるハナに対して、言ったのだ。
今回も雛が孵らず、また子を失うことになるなら。
(それは少し、可哀想ね――)
と。
私は長いこと沈黙してから声を絞り出した。
「赤ちゃんの事があったから……だから、母上は、ハナに協力してくれたの?」
だから、父上は――キルヒナー兄弟に手を貸す事に、したのだろうか。思えば、あの時、父上もスタニスも母上の様子に、暗い顔をしていた。
「そう、かもしれませんね。――弟君を御出産された時に、ヤドヴィカ様も酷く体調を崩されたんです。ですから……伯爵も旦那様も、その時を思い出して、ご心配されているんだと思いますよ」
私は俄に不安になってスタニスに近づいて、問うた。
「で、でも。お母様に危ないことは、ないでしょう?」
スタニスは私を抱きしめると、安心させるようにくしゃりと髪を撫でる。
「今は、十年前と違って、いいお医者さまもカルディナに沢山いますし。問題なんてありませんよ――ヤドヴィカ様は元々、強いお方ですしね。お嬢様は、どうかご心配なさらず」
「で、でも、お父様も、とても驚いてたわ」
扉が閉まる直前に見た、父上の狼狽した様子を思い出す。
私は鼻をすすってスタニスから体を離した。
私が薄い茶の瞳を見つめると、ほら、泣かないで、とちょっと、鼻を摘まれた。
子供扱いされた私がむくれると、スタニスは苦笑した。
「……旦那様は、とっても照れ屋さんですから。突然嬉しいことがあると、どうやって喜んでいいのか、わからなくなってしまうんですよ」
「――そうなの?」
「そうですよ。本当に困ったお父様ですね。素直に喜べばいいのに、ね。ですから、レミリア様。お父様もお母様も、伯爵も、本当は皆、とてもお喜びなんですよ――お嬢様が心配なさることは何もありません、本当です」
スタニスが言うなら、きっとそうに違いない、と私は胸を撫で下ろした。
「スタニス、……私、お母様に、どんな顔をしたらいい?」
スタニスがことさら優しい表情で目を細める。
「お嬢様は、弟君か妹君、欲しいですか?」
「……うん」
「でしたら、お母上にそう、伝えてさしあげてください。ヤドヴィカ様もお喜びになります」
「うん!」
トマシュが顔を俯けた。




