51. こんにちはドラゴン 1
期間が空いたので、前回までのあらすじ。
カルディナと西国タイスとの国境に位置する土地、カナンでは領土を巡る小競り合いがおきていました。
カナンはヴァザ家の領地のため、ヴァザの当主であるカリシュ公爵レシェクも軍部や女王との話し合いに参加。
父を待つ間レミリアは、王女フランチェスカから、祖父カミンスキ伯爵とその息子にして軍人のユゼフとの間にカナンへの処遇を巡って軋轢があることを知らされます。
王宮での議論は紛糾し、棚上げされ……。
レミリア達は、一度、屋敷へと戻るのでした。
別れ際、ユゼフ伯父上はカミンスキの屋敷にお越しの際は私にもお声をおかけください、と言って途中で馬車を降りた。
「今はどこに住んでいる?」
「同僚の屋敷に居候です。――最近は王宮に遅くまでいることも多いですから、カミンスキの屋敷は少し遠く……不便で。――そろそろ、別宅を定めようとは思うのですが……」
では、とユゼフ伯父上は挨拶をして私達の馬車から降りた。私達が遠くなるまで見送っている。
――見送ってくれていると考えればいいのかもしれないけれど、どの方角に住んでいるのか、知られたく無かったのかも、と勘繰ってしまう。
(同僚、って誰なんだろう)
と思いながら私は手に抱えた百合を見つめた。百合はカミンスキの紋章。フランチェスカ王女は、ユゼフ伯父上とその父、カミンスキ伯爵の確執を心配していた。
「スタニス」
「はい」
「ユゼフが屋敷を出たのはいつの頃か聞いているか?」
「ご本人は春先からだと仰っていました」
「そうか」
父上は考え込んだ。
「……その百合は殿下からかい?」
父上に聞かれて、私は頷いた。脳裏に、フランチェスカの言葉が甦る。
(レミリアが公爵を動かしてくれないかと期待している)
どう聞こうか悩んで、私は恐る恐る、聞いた。
「……お祖父様と伯父上は、喧嘩をされたのですか?」
「フランチェスカは、なんと言っていた?」
父上は馬車に作られた小窓から、外を見た。冷たい横顔が少し怖くて、私は口を閉じる。
いまの言い方は失敗した。
フランチェスカから、事情を聞いたと暴露したようなものだ。
もう少し、遠回しに聞くべきだった。自分の口の軽さが呪わしい。
「レミリア」
重ねて聞かれて、それを叱責のように感じた私は下を向いた。
気まずい沈黙が落ちる。旦那様、とスタニスが声をかけて、父上がスタニスを見るのがわかった。
私がこわごわと父上の横顔を見ると、父上の左手が伸びてきた。
反射的に身体をすくめると、ぽんぽん、と頭を撫でられる。
「すまない、君のことを責めるつもりなのではない……不機嫌なのは、多少、自分に腹がたっているだけだ」
「……お父様が、ご自分に?」
父上の手の下から上目遣いで見上げると、くしゃりと髪を乱された。珍しく、おいでおいでとされたので、私は、馬車の中で、父上にくっついた。
「ユゼフとカミンスキの諍いも、半月前まで知らなかった――二人には個別に会っていたのにね。しかも、その事を少女二人に心配される始末だ」
父上、ひきこもりですもの仕方ないですよ、とは流石の私も言えないなぁ。
確かに、父上が王宮に頻繁に訪れて、先代のカリシュ公爵のように公式な国の役目を持っていたならば、親子の異変にも気付いたかもしれない。
けど、ベアトリス女王は多分それを望まないだろうなというのは私にもわかる。
女王の敵は――多いのだ。国教会も、かつての支持基盤の軍部でさえ反抗的なものも一部にはいる。
そんな状況で父上が熱心に国政に顔を出し始めたら……、ユゼフ伯父上をはじめとした軍部の急進派は喜ぶだろう。やはり「女王は国主として相応しくない」という意見も出るかもしれない。
情けないな、と声なく父上が呟いたように見える。
私は、どうしようか迷ったけれど……。口にした。
「カナンの事で、殿下が少しお話をしてくれました」
「そうか」
「お祖父様と伯父上が意見がわかれたのだと殿下は言っていました。伯父上はカナンを――タイスと喧嘩してでも、取り返した方がいいって。お祖父様は、それを望まないって…………」
「フランチェスカは、私にユゼフの方を説得してほしいと言っていた?」
その通り、なんだけど。
私は首をふる。
「お父様……カナンの事は、私が口に出せることではないんでしょう?けど、お祖父様と伯父上が喧嘩したまま、なのは嫌です……」
「レミリアはどう思う?」
「カナンの事を、ですか?」
「うん、そう」
私が意見を言っていいのかな。
困ってスタニスを見ると、スタニスは目だけでちょっと笑いかけてくれた。話していい、のだろう。
「……私は、争いは嫌です。」
「そうだね」
「沢山のひとが亡くなるでしょう?カルディナの人も、タイスの人も。それはとても、恐ろしい事のように感じます……。けれど、カナンの人達が怖い目にあっているのに、軍の人たちが助けてくれないのは、よくないのだろう、と思います」
カルディナの公爵令嬢ならば、カルディナの事だけを考えて、発言すべきだろうけれど、私にはどうしても争いは「恐ろしいもの」としか思えない。避ける方法があるなら、それがいい。
言って、私は項垂れた。
「申し訳ありません、お父様。全く答えになっていません……」
せっかく父上が私の意見を聞いてくれたのに。フランチェスカなら、もっと賢い意見を言えるのかな。
父上は、溜息をついた。
「レミリア、明日はカミンスキ伯爵邸に行こうか……」
「よろしいのですか?お父様」
私は行きたいけど、父上はまた王宮なのではなかったのか。
「すこしの間、会議はおやすみになったんだよ、レミリア。……カナンの事はね、私達も答えを出せないんだ。争うか、機嫌を取りつつ、協定をやりなおすか……。個人としては無益な諍いなどないといいと思うが……陛下としては弱腰だと軍部から詰られるのも頭が痛いだろう。カナンは軍部が死力を尽くして勝ち取った土地だ。言い分もわからないではない……」
「そう、ですか」
「そうなんだ。……ユゼフはじめ軍の話は聞いた。カミンスキの考えも聞くべきかな」
真面目な話をした父上は、ふ、と破顔して私を安心するように微笑んだ。
「――というのは建前で、そろそろカミンスキの顔もみたいし、ヤドヴィカがいないと屋敷の中も平和すぎてよくないしね。ご機嫌うかがいにいこう」
「はい!」
私は元気よく返事をした。母上が帰ってこないと私も寂しい。
「では、先触れを……」
スタニスの言葉を、いや、と父上は否定した。
「言わなくていい。たまには突然訪問して、驚かせよう」
父上が電撃訪問?らしくないな、と思って私は困惑した。スタニスは何か思うことがあったようだけれども、畏まりました、と異は唱えない。私を部屋に返してからも、二人は難しい顔で、何事かを話し込んでいるようだった……。
翌日、朝早くに私は起こされた。
いつもより二時間近く早く。私が寝ぼけ眼でふらふらしていると、大急ぎで侍女に身なりを整えられる。
「どうしてこんなに、はやいの?」
眠いよう、と思いながら侍女に聞くと、侍女二人は顔を見合わせた。
「――今からカミンスキ伯爵のおうちに行かれるそうですよ」
「そうなの?」
私が眠いなぁと思っていると、侍女は戸惑いながらも髪に櫛を通した。寝癖がからまって痛い。
スタニスが迎えに来た。
「――ああ、スタニスさん、お嬢様のドレスはこれでいい?もっと時間があれば御髪も……伯爵邸に行くならもっと凝ったほうがよいのかしら?」
侍女も困惑したように聞くと、スタニスは二人を安心させるように笑った。
「大丈夫、お嬢様はどんな髪型だって可愛いよ。伯爵もお孫様の顔を見るだけで喜ぶさ……さぁ、お嬢様。旦那様は馬車でお待ちです」
朝の弱いお父様が?
眠いな、と思ってスタニスの声にうつらうつらとしながら歩いていると、階段前でスタニスが苦笑して私を抱き上げてくれた。
「ご無礼を、ちょっぴり急ぎますからね?」
私は頷いてぎゅっとスタニスの首に抱きついた。
スタニスはコロン類は一切つけないので、石鹸の匂いがする。
(いいにおい……)
「スタニス、ばしゃでまたねてもいい?」
「ようございますよ」
私がむにゃむにゃとしながらスタニスに持ち運ばれ、何故か裏口に行くと、いつも使う馬車より簡素なものが用意されていた。
スタニスが私をおろし、馬を引いてきた侍従に声をかける。
あ、トマシュだ、と私はのんびりと思った。
何年か前にカミンスキ伯爵家から紹介されて来た、二十過ぎの侍従。
美男ではないけれど、笑顔に愛嬌があって皆に親切だから、侍女たちに人気があるのを私はミスアゼルから聞いて知っている。
「トマシュ、お前が御者をしてくれるか?」
御者は訝しげにトマシュを見て、金茶色の髪をした侍従は、え!と声をあげた。
「お、俺がですか?俺は仕事が……」
馬車の中から父上が声をかけた。
「――私の命より大切な仕事があるのか。トマシュ……お前もたまにはカミンスキ家に堂々と帰れて嬉しいだろう?」
トマシュはぎょっと肩を竦めた。
スタニス以外の侍従に父上が話しかけるのは、珍しい。私も不思議に思って彼をみあげると、トマシュは酸っぱいものを食べたあとのように、目を瞑る。
「もっとも、お前は頻繁にカミンスキ邸に帰っているようだがな?カミンスキは元気か」
「……旦那様は……お、お風邪で」
父上は皮肉に言った。
「旦那様、伯爵がお前の主人かな?それともヤドヴィカか?」
トマシュは、馬車とスタニスを見比べて、観念したように御者と役割を代わった。
「……承知いたしました、公爵閣下」
「私も御者席に座りますので、お嬢様は旦那様と後ろへ」
スタニスから促されて私は頷く。
「そんなあからさまに見張らないでくださいよ……スタニス!」
「いいや、信用できないね。おまえ、俺達が出発したらカミンスキ邸に先回りするつもりだったろう?」
「いやぁ……」
「ほら、さっさと準備しろ」
「勘弁してください」
準備しろ、と言われたのは私じゃなかったけれど、私は寝ぼけて、「はぁい」と頷いて馬車に乗り込んだ。スタニスがありゃりゃ、と私を心配そうに見ていたけど、構わずによいしょと馬車に、乗り込んだ。眠いよぅ……。
私の顔を見て、父上がすこし笑った。
「朝が弱いのは私と同じだね、レミリア」
「こんなに早くに、いくのですか?」
「礼がなっていない、と母上が怒るだろうね」
「きっと、おこられます」
父上が手を伸ばしてくれたのをなんだろう、と不思議に思ってみていると、苦笑して父上は、おいで、と私に声をかけた。
「ねむい?」
「はい」
幼児にするみたいに抱きかかえられて、私は戸惑うより先に眠さにまけて父上に抱きついた。
「眠っていたらすぐに着く、少し目を閉じておいで」
指が優しく私の髪を撫でる。
父上にこんなことをして貰うのって、はじめてかもなぁと思いながら私はくすぐったさに身をよじる。父上の匂いはちょっとだけ甘い。
あったかくて甘い匂いがして、温室にいるみたいだな、思って目を閉じる。
私はストン、と眠りに落ちた。
つづきは、明後日




