49. 我が愛しきヴァザの面々 4(三人称注意)
小咄のつもりが、割と本編っぽいのでナンバリングしました。
殺伐してますけど、キルヒナー視点の三人称。
誰が読むんだこんな話、って時は、大抵、私がノリノリで書いてる時です。
キルヒナー男爵が夫人のオルガに招聘されシュタインブルク侯爵家を訪れたのは、誘いを受けた数日後のことだった。
侯爵、シモン・バートリは本人がキルヒナー商会の使者に告げた通り不在で、――留守を任されたオルガ・バートリは簡素な真珠色のドレスを着ていた。白い胸元には宝飾品の類はないが、かえって鎖骨が眩いほど。
不思議な光沢の真珠色のドレスは、しかし、一面同じ色ではない。
僅かに金の色を帯びた糸が袖や裾、胴回りに細やかな刺繍を施し、バッスルやコルセットなど使っていないだろう彼女の自然な曲線美を際立たせている。
「屋敷の中で、女性が窮屈な格好をするのは馬鹿げているわ」
とオルガが言ったせいかは定かではない。
が、王都の裕福な女性達は、少なくない割合で彼女を真似し、同じように体を締め付けない装いをしている。
(しかし、美女だな)
キルヒナーは感心するというよりかは、むしろ呆れた。
美しい、というだけではなく酷く若々しい。三十代も半ばのはずだが十は下と言っても無理が通りそうだ。
単に造形という点で言うならば、王女フランチェスカとカリシュ公爵に比肩する人間を、キルヒナーは知らない。
しかし、自分を知り抜いて美しく魅せると言う点では、オルガが群を抜くだろう。
(そもそも、若様は作業着がお気に入りらしいしなぁ)
相変わらず無駄に美形だったな、と先日会った公爵を思い出す。
彼の公爵の不幸は、彼の内面の堅実さに不相応な美貌を生まれ持った事だろう、とキルヒナーは思う。
こと――民衆というものは、或いは貴族というものは、美しい幻想に騙されたがるものなのだ。
彼が王冠を冠って微笑めば、例えその手綱を握るのが血塗れの軍部でも、欲にまみれた狂信者の群れでも――大半の国民は平和と繁栄を謳歌する祖国、を疑いもしないだろう。
暗愚ではなく、夢のように美しく、――欲少な。
傀儡として、彼程魅力的な人物もいない。
担ぎあげられぬよう、しかし、いつでも女王の手持ちの札として切れるよう、宰相がレシェクの動向を気にするのも無理からぬこと。
庭で引きこもり、美貌を無駄遣いするのは、実は、賢い身の処し方かもしれなかった。
その弟とは対照的に、生まれ持った美を最大限有効活用している公爵の異母姉を、キルヒナーは失礼にならぬよう、しかし、賞賛は隠さずに眺めた。
――本人が見せたいものを、愛でないという選択肢は、キルヒナーには無い。
「こんなに早く来てくれるなんて、嬉しいわ、キルヒナー男爵」
にこやかに微笑んだオルガ・バートリは彼に近づくと、そっと目を伏せた。
睫毛の長さがよくわかるよう、計算され尽くした角度に、思わず、測ってみたいという衝動が湧く。
どんな化粧品と器具を使ったらこんなに長く、絶妙な丸みを描いた睫毛になるのか、是非知りたい。
(そして、量産して侯爵夫人風と銘打って売りさばきたい)
半ば本気で思いつつ……、キルヒナーは礼をした。
「ご訪問をお許し頂き、ありがとうございました、侯爵夫人」
「他人行儀ね。懐かしいわ――こうやって夫のいない時に会うのは何年ぶりになるのかしら?」
品を損なわないギリギリの紅色が、くっきりと弧を描く。
彼女の後ろに控えた年若い――まだ十代後半だろう――側仕えの少年が、キルヒナーを一瞬非難がましい目で見て、次いで慎み深く目を伏せた。
黒髪に青灰色の瞳は北部に多いから、北部の出身なのかもしれない。
同郷の若者から汚いものを見る目つきをされたぞ、と内心傷つき、キルヒナーは微笑むに留めた。
誤解を招く言い方を敢えてする所は、いっかな変わらない――彼女とは確かに侯爵のいぬ間に会った事が何度かあるが、どれも艶っぽい話とは無縁だ。戦地に慰問に来た彼女の世話をしたとか、成り行きで護衛したとか、その程度。
だが、かつての自分との交流を、彼女が覚えていたとは光栄だね、と思うことにする。
「ねえ、キルヒナー。今日は私に何を持ってきてくださったのかしら?」
「夫人におすすめできるものを考えるのは骨が折れました……お持ちしたものを夫人に笑われては、王都中の貴婦人から見放されるでしょうから」
「大げさね」
慕わしげなオルガに騙されてはいけない。
この女性がやろう、と思えば北部の田舎商会の都での評判など、無粋ねの一言で底辺までこき下ろされるだろう。
「焦らさないで教えて?」
「何だとお思いですか?」
言葉遊びをしましょう、と持ちかければオルガは楽しげに喉を鳴らした。
「大荷物ではないのね?ファン皇国の美しい布をみせてくれるのかと思ったのに」
「夫人は既に何枚もお持ちでしょうから。今日のドレスもその一つでしょう」
「あら、では、美しい宝石かしら?」
「今更、夫人を飾るものを商うなど、無粋かと存じまして」
「貴方の息子が姪に売ったというドラゴン?」
「侯爵夫人がご希望なら、美しい雛がまだ我家におりますが、今回は外れ、です」
「では、何を?」
キルヒナーは、人好きのする笑顔を、オルガ・バートリに向けた。
「出来れば、ご紹介する前に、目を閉じて頂きたいのです、夫人」
「……無礼でしょう、キルヒナー様」
オルガの横で沈黙を守っていた少年が鼻白む。
おや、愛玩対象かと思えば、番犬程度に噛み付く牙はあるらしい、とキルヒナーは少年を意外な思いでみた。
「おやめなさい、アロイス」
侯爵夫人が優しく窘めると、少年は不満げに、しかし大人しく従う。
「なにかしらね?どきどきするわ」
夫人は少年に目を閉じるよう命令し、本人も瞳を閉じて長い睫毛を震わせた。
キルヒナーの合図で、前室に待たされていた人物が部屋へ入ってくる。
彼、は身構えると一息吐いて……右手を肩から胸まで流れるような動作で振り落とした。
(……………音!)
掻き鳴らされて、旋律が流れ出す。
ヴァイオリンの咽び泣くような高い音に、オルガは目を閉じたまま、顔をあげた。
その鼻先を音が駆けていく。
不協和音を奏でるように引き出されたそれは、次の瞬間、またたく間に一つの線になって、部屋へうずまき、ぶつかり。
共鳴する。
(指が、速い――!)
今まで聞いたこともないほどの速さで音節を彩る、音楽の奔流。
流れていく音達にひたすら圧倒されて、オルガは息を止める。
ようやく息をはいたのは、全ての音が終わってから、数秒たっての事だった。
「……終わり、です」
素っ気ない声に促されてオルガはゆっくりと目を開いた。
そして、演奏者――声の主が一人だったことに――、予想はしていたとはいえ、改めて舌をまく。
キルヒナーは、いかがでしょう、と言わんばかりに侯爵夫人に笑顔を向ける。
オルガは、不機嫌に立ち上がり、ヴァイオリンを降ろして佇む青年に目を向けた。
年の頃は二十すぎくらいか。
くすんだ灰色の髪の下に、鋭い面差しを隠している。
「……彼は?」
オルガの声に、青年が伺うようにキルヒナーへ顔を向けた。
「自己紹介していい」
青年が顔をあげ、左目の色が僅かに薄いのに気づく。まっすぐこちらをみる視線も、僅かに焦点がぶれている。
目が不自由なのは見て取れた。
「……クラウスです、侯爵夫人」
家名を名乗らないということは平民なのだろう。
無愛想に言い切り、それ以外は口にしない。キルヒナーがのんびりとした口調で補足する。
「侯爵家の楽士が、最近お辞めになったとか。次をお探しではないかとおもいまして……この男を、と」
オルガは声なく笑った。
つい先月までいた侯爵家の楽士は、シモンの気に入りの侍女に溺れてシモンの不興を買い――オルガも知らぬ間に二人して姿を消していた。
それをキルヒナーが知っているとは。
邸内にキルヒナーと親しいものがいるのかもしれない。
「誰の紹介かしら?どこかの屋敷で演奏していたの?」
青年は皮肉気に笑った。
「主にマダムエリナの所で」
「エリナ?」
一体、何家のエリナだろうか、とのオルガの疑問に、キルヒナーが笑って答えた。
「王都の西区にある――酒場ですよ、夫人。ちなみに、紹介者はおりません――クラウスは、素性の怪しい、平民の男です」
オルガはきろりとキルヒナーを見た。
「――侯爵家の楽士として、このみすぼらしい男を飼えと言うの?」
オルガの挑発的な言葉に男二人は身じろぎもしなかった。
クラウスは特段美男ではない。背は高いが、痩せすぎていた。愛想でもあれば違うだろうが、臭いものを嗅いだかのように不機嫌に眉根をよせている。
オルガは、笑みを消して、不機嫌に扇を開く。
楽士は大抵夜会に出て音を奏でる。
言わば貴族の装飾品のようなものだから、当然のごとく見目の良い青年たちが選ばれる。
クラウスと名乗った青年はみるからに痩せぎすで、みすぼらしい。
それを勧めてくるキルヒナーの気がしれない。
(けれど……)
そう、思う一方で、先程の音を思い出して身震いした。
キルヒナーはオルガの逡巡には構う様子がない。
「いいえ、侯爵夫人。貴女に買っていただきたい」
品定めをするために、彼に近づく。
息がかかりそうな位置ではじめて青年はオルガに気付いた。
左目は赤味の強い茶で、右目は濡れた烏の羽のような、黒。
――悪くない色だ。
「全く見えないわけではないのね?生まれつき?」
青年の応えは短い。
「子供の頃に、病気で。左は全く」
「右は?」
「近くに寄せれば、かたちはある程度……生活するのには、困らない」
オルガは沈黙した。気に喰わない態度だが、確かに、あの演奏は素晴らしい技巧だった。
甘美だったとすら言っていい。
「もう一度、聞けるかしら?」
侯爵夫人の要望に、青年は不快に顔を歪め、吐き捨てた。
「キルヒナーに一度だけ、と言われたから弾いたんだ。あんたは客でもないのに、二回も弾きたくない」
無礼な言い草に、オルガは鼻白む。
「まあ、鼻持ちならない男だこと。随分と自信家なのね?」
「俺は音楽家です、それで食ってる」
侯爵夫人は若者の虚勢を鼻で笑った。
「あら、そう。――可愛くないのね。謙虚になるなら、少しは褒めてあげようかと思ったけど――だったら――――正直に言うわ、酷い音。安物のヴァイオリンの安い音だわ!高い音がひび割れて、断末魔のよう!一番高い音が出ていないのがなぜか、わかっている?」
オルガは彼の腕からヴァイオリンを奪った。くたびれたそれを憐れむように指でなぞる。安物にしては形もニスも悪くない。だが、「悪くない」だけだ。
「糸巻きがゆがんでいるからよ。これではどれだけ調律しても無駄ね。どこで弾いているか知らないけれど、湿気のせいで弓もおかしくなっている――音楽家が聞いて笑わせるわ。自分の楽器ひとつ満足に管理出来やしない。こんな安い音を奏でる男の演奏を、私に聞かせに来るとはね――どういうつもりか釈明なさい、キルヒナー」
キルヒナーは焦るでもなく笑った。
「釈明は出来ませんね。――それが、その男の限界ですよ。安宿で、音楽のおの字も知らない酔っ払いのイビキと協奏してる。弦を買う金は酒に消えます。たまには酔っ払いに酒をかけられることもあるでしょうし」
オルガに無言で射抜かれて、キルヒナーは肩を竦めた。
「けれど、私は夢想家でして。馬鹿なことを真剣に考えるのです。この男に、一流の楽器を持たせて、貴女ほどでは無いにしろ、耳の肥えた客に――しかし、音楽など夜会の添え物としか思っていない連中に聞かせたらどうなるだろうか、とね。きっと、度肝を抜かれるでしょう」
そう言って、笑う。
「ですから。侯爵夫人、どうかこの無礼な男に投資していただけませんか」
「なぜ、私が」
「侯爵夫人ほど既成の価値観に囚われず、美しいものを愛でる事が出来る女性はいらっしゃらないからです」
「あら、お世辞がお上手」
「本気ですよ。貴女が買ってくださらなければ、この男はこれからも安宿か場末の酒場で才能を無駄に浪費するだけ。まあ、二、三年もすれば酒のせいでまともに指が動かなくなるでしょうけどね」
しばらくの沈黙の後、オルガはキルヒナーではなくクラウスに問うた。
「――いくらほしいの?」
キルヒナーに乗せられているのは分かるが、それよりも面白いと、目の前の青年が惜しいと思う気持ちが勝る。
クラウスは侯爵夫人の直接的な申し出に、唾を飲み込み――、口にした。
「年で400欲しい」
「なっ」
オルガの横にいる少年が思わず声をあげた。
キルヒナーは、すました顔を保ちながら、内心ではクラウスの言葉に顎を大きく外していた。
(おまっっ、ふっっかけやがったな!)
退屈を何より嫌い、そして、音楽を愛するオルガなら、この酔狂な申し出に300位なら払ってくれるんじゃないか、とキルヒナーは算段していたのだ。
そして、それを事前にクラウスにもいい含めていたというのに。
「……長年侯爵家にいた楽士にさえ、そこまでは払ってなかったわ」
「俺の腕にはその価値がある。王宮のソリストは倍貰えるんだろ?それに比べたら安い」
言って、クラウスは横を向いた。
馬鹿なことを言った、と自嘲しているのだろう。
その様子をオルガが明らかな不快を持って眺める。
気まずい沈黙が降りて――キルヒナーがこれはしくじったかなとさすがに思い始めたとき、オルガが動いた。
オルガは――閉じたままの扇を手にすると、男の顎を持ち上げた。
睨むように、見て、しげしげと男を無遠慮に眺めて――ふ、と笑む。
「いいわ、面白い。貴方が言った倍額払ってあげる」
「えっ!」
側づかえの少年がオルガの横で声をあげる。
キルヒナーも思わず腰を浮かせた。
破格などというものではない。
800あれば、騎士の年収に相当する。楽士の身分が高くないこの国にあっては、異常ともい得る厚遇だ。オルガは涼しい顔で言葉を続けた。
「ただし、三年だけ。あとのことは知らないわ」
「あ、あんた、正気か」
当のクラウスが、呆然と言った。
「あら、王宮のソリストと同じ値段なんでしょう?――大口を叩くくせに、自信がない?なら辞退なさい」
挑発に、赤い左目が、オルガを睨む。
「同じ条件なら、――俺のほうが、数段上だ」
「卑屈なのか自信家なのか、分からない男ね?大言壮語は嫌いじゃないわ。どうせ私に買われたという箔をつけるのなら、はったりは大きい方が楽しいでしょう?みすぼらしい場末の楽士に侯爵夫人は大枚を叩いたと――世間はさぞかし注目するでしょうから、腕に自信があるのならその価値があるのだと大衆の前で証明して見せなさい。おまえがそれを見返せればよし、もし、しくじって嘲笑を買うようなことになれば――」
低い声に気圧されて、クラウスはごくりと喉を鳴らした。
「先程のような苛立ち混じりの演奏をして私に恥をかかせてみなさい。八つ裂きにしてやるわ、文字通りね。それから、大口を叩くなら、さきほどのような卑屈な表情はお止し。私の楽士なら、女王の前でさえ毅然と前をみなさい」
オルガは、扇をおろした。
「ただし、私の目だけは不躾に見ないようにすること。常に目は伏せて?――誰に噛み付いても構わないけど、私にだけは従いなさい」
クラウスは、沈黙し。
やがて、諦めたように頭を垂れた。キルヒナーもいつの間にか握り込んでいた拳を、そっと緩める。
「貴女の仰せのままに、――オルガ様」
「名を気易く呼ばないでちょうだい、不快だわ」
「――承知、いたしました。……侯爵夫人」
「それでいいわ、……アロイス」
「はい」
「この男を連れて行って、まともな服に着替えさせて頂戴」
「……はい、侯爵夫人」
少年は頷きながらも、噛みつきそうな顔でクラウスを見ている。
番犬としては、厄介な買い物をした、と思っているだろう。
少年は、それでも、こちらです、と男の楽器を丁寧にしまうと、手をひいて案内をした。
つづきは土曜日に




