【幕間】公爵家のとある一日(小咄)
活動報告に置くには長くなりすぎた!のでこちらへ。。セバスティアン視点で公爵一家。リクエスト、ありがとうございました!
ふざけた表現が多々ありますが、笑ってゆるしてくださいな。
公爵家の朝は早い。
日の出と共に起きだすと完璧に身支度を整え、公爵家の執事セバスティアンは鏡の前でもう一度頭髪の分け目から、革靴のつま先の光具合まで、齟齬がないかを念入りに確認した。
――執事の朝は、使用人たちの責任者を並べ顔を確認する所からはじめるのが常だ。
一日の細々とした予定はセバスティアンが姿を現す前に、侍従のスタニスと侍女頭のヒルダが終わらせている。
今日稼働する使用人の数と、公爵一家の予定を(差し障りがないものは)、共有し、十人程度の責任者を見渡すと、セバスティアンは皆に頷いてみせた。
「では皆、今日一日をはじめるように」
セバスティアンの宣言とともに、眠っていた屋敷は、動き出す。
公爵たちが食事を終え、三人三様の場所へ行くのを見守ると、セバスティアンは一息をついた。
ヤドヴィカは、今日も大半を執務室にこもって、帳簿とにらみ合いをするに違いない。
公爵は庭だが、彼は周囲に人が居るのを好まない。離れた場所で、目につかないように護衛を配置する。
大概の貴族の屋敷がそうであるように、使用人たちは――上級使用人と呼ばれる一部をのぞき――家族たちの前に姿を表さないように教育される。
人嫌いのレシェクが当主のヴァザ家では、特にそれが厳しく求められていた。
主達の前では息を潜めている使用人達も、階下では決して静まり返っているわけではない、掃除、食事、庭の整備と賑やかに指示を飛ばしている。
「明日の仕入れは!?ヨアンナ様がくるんだろ」
「とっくに終わってるよ。お酒はお好みのものってあったっけ?」
「ヘンリク様がくるから、大事な調度品は今日のうちに隠せ!割られるぞ」
「えええっ!昨日倉庫から出したばっかりなのにっ…」
階下も見廻り、順調に屋敷が回っていることをチェックすると、セバスティアンは、令嬢、レミリアの部屋へと足を向けた。
朝食を終えたレミリアは侍女たちから令嬢らしい装いへと、身支度を整えられる。
それが終わると家庭教師のアゼルに朝から勉強や礼儀作法をみっちりと教わるのだが――ミス・アゼルはおめでたいことに婚約が成立して今はお休み中だ。
彼女が朝にやることと言えば……。
侍女達の世話を、つん、とした表情で受けていた少女は、セバスティアンが礼儀正しくドアをノックして姿を表すと、花が綻ぶように、忽ちに相好を崩した。
「セバスティアン、おはよう!」
「おはようございます、お嬢様。本日のご機嫌はいかがですか」
「とってもいいわ、セバスはいかが?」
蜂蜜色の髪が光を弾いて、水色の瞳と同じようにキラキラとしている。あどけない表情で見上げられ、セバスティアンは仕事を忘れて微笑んだ。
彼女がセバスティアンの孫であれば抱きしめて髪をくしゃくしゃにしてやりたい可愛らしさだが、残念なことに使用人のセバスティアンは、礼儀正しく目を細めて礼をした。
「私も、とってもよろしいですよ、お嬢様」
和やかなやりとりに、令嬢づきの侍女たちが、少し悔しそうな顔をする。
レミリアは、理由あって侍女が苦手だ。
――二年ほど前、彼女を可愛がっていた優しい、男爵家出身の侍女がいた。
彼女はレミリアをだしにして、こともあろうに公爵を誘惑しかけ――彼の逆鱗に触れ、解雇された。
レミリアは、急に消えた侍女が彼女に優しくした理由が、父親の歓心を買う為だった、と気付いたのだろう。
それから、少しだけ、侍女達との交流を苦手にしている。
お嬢様が懐いてくれない、と侍女達は悲しそうだが、事情を知っているので今は仕方ないわね、と肩を落とす。
レミリアはセバスティアンに手を差し出すと、可愛い声で、重々しく言った。
「セバスティアン、今日も、私の仕事も手伝ってくれる?」
セバスティアンはよろしいですよ、と彼女の小さな手を掴んだ。
「本日のお仕事は何でしょう?」
レミリアは得意そうに頷いた。
「今日は、温室にラベンダーを、植えます。ミハウさんにやり方を聞いたから、セバスにも教えてあげるわね?」
「ありがとうございます、お嬢様」
セバスティアンが微笑むと、レミリアも楽しそうに笑う。
ほのぼのとした二人の空気を楽しんでいると、セバスティアンは背中にゾクッと、冷気を感じて振り返った。
はたして、そこにはヴァザ家の侍従、スタニスがいた。
「…………スタニス、い、いつの間にそこに!?」
セバスティアンの問には答えず、スタニスがハンカチを噛みそうな勢いで二人を見つめている。
はっきりいって、怖い。
セバスティアンは、こほん、と咳払いをすると、威厳を取り戻し、まだ若い侍従を見つめた。
「あー、スタニス。何か用かな」
「お嬢様、温室に行かれるんですか!昨日も一昨日もセバスティアンがついて行きましたから、本日は、私が!私がぜひっっ!!」
レミリアはたじろいだ。
スタニスの希望を叶えてやりたいのはやまやまだろうが、彼には世話した植物を枯らすという類まれな特技がある。
レミリアは冷や汗をかきながら、ええっと!!と考え込んだ。
「……………………そ、そうね!きょうは、ど、どちらにたのもうかなぁ」
心優しい令嬢は、棒読みで言うと、考え込むふりをたっぷり五秒はしてから、小声で、今日はセバスで、と言った。
目に見えて落胆するスタニスを尻目に、逃げるように温室へと去ってしまう。
くっ、と屈辱に打ち震えながらスタニスは持参していたスコップで地面を叩いた。
「くっ……!なんで、なんで、俺じゃだめなんです、お嬢様っっ!!」
(枯らすからね)
悲嘆にくれているスタニスを、あーあ、と半眼でセバスティアンは眺めた。現場を目撃していた侍女頭のヒルダも「どうして選ばれると期待したのか、そちらのほうが不思議よ」と呆れた顔で告げる。
「ひっでぇよ……俺だって、お嬢様ときゃっきゃしながら温室で過ごしたいのに……うう」
悲しそうなスタニスに、セバスティアンとヒルダは顔を見合わせて呆れた。本人にしてみれば悲劇かもしれないが、傍から見ると単に喜劇だ。
「スタニス、お前、温室のお世話は諦めたらどうだ。苗が枯れたらお嬢様、泣くだろう」
「大丈夫ですってば!苗を植えるくらいっ!」
無理だろうな、と考えていると、騒ぎを聞きつけたヤドヴィカがやって来て、呆れたように執事をみた。
「まだ温室の世話をしたいの、スタニス……いい加減に諦めたら?」
「ヴィカさま!?諦めたらそこで試合は終了なんですよ!?」
なんの試合よ、とつっこみながら、公爵夫人はうなだれた侍従に優しく手を差し伸べた。
慰められると思ったのか、感動して手を出すスタニスに、はい、とヤドヴィカは鉢を置いた。
スタニスの手には鉢植えの可愛いトゲトゲが乗せられている。
「はい」
あげるわ、とヤドヴィカはレミリアそっくりの顔で言った。
「なんです、これ」
「見てのとおり、サボテンよ、……貴方にあげるわ」
「………………さ、さぼてん……」
スタニスは慄いた。
「サボテンが一ヶ月生きてたら、レミリアにスタニスを使うよう、説得してあげる」
スタニスは口を曲げる。
「条件厳しくないですか、ヴィカ様。せめて十日にしましょうよ」
「サボテンを十日で枯らすのはあなたくらいよ」
「えー」
「えー、じゃないわ、遊んでないでさっさと仕事してちょうだい、ほら、貴方の手を借りたい資料作成があるの。――行くわよ!」
「お嬢様と遊びたいのに……」
「ぐずらない!」
ほら、とヤドヴィカに襟首を引っ張られて、スタニスは渋々仕事に戻る。なんだか昔みたいだ、とセバスティアンは苦笑した。
カミンスキの家にレシェクが引き取られて後、伯爵は、ヴァザ家に半ば打ち捨てられていたスタニスの後見人も買って出た。
いやいやスタニスが屋敷に帰る度、アグニエシュカ、ヨアンナ、ヤドヴィカの三人に、スタニスはよく、おもちゃにされていたものだ。
懐かしい。
ブツクサ言いながら連れ去られたスタニスの手の中で、心なしかサボテンの棘が既に元気がないような気がする。
枯れたサボテンの墓標がスタニスの部屋に増えるのを確実に予測して、セバスティアンは祈った。
サボテンよ、お前の犠牲は忘れない。安らかに眠れ……!
――――午後。
「ねぇ、非常食料として、何があったら嬉しい?」
料理長の後ろで、ハウスメイドが笑いを堪えている。
突如として厨房に現れたレミリアに真剣な声音で聞かれ、生真面目な料理長は腕を組むと、至極真面目に答えた。
二人して真剣な顔で相談している。それがまた、おかしい。
「さようですなぁ。ジャガイモとかですか。保存もききますし」
「ジャガイモかぁ」
レミリアはふんふん、と頷いて、メモをする。
「じゃあ、温室に植えるのはジャガイモにしよう――料理長にも収穫出来たら分けてあげるわね」
「本当ですか、お嬢様、助かりますよ」
なんとも平和なやり取りに、厨房の用人たちは皆、笑いを噛み殺した。
老齢に差し掛かったメイドが、セバスティアンに小声で聞いた。
「執事さん。うちのお嬢様は、今度は何がしたいの?」
「畑をつくりたいんだと」
メイドはくっ、と笑いを堪えた。
「――お父様のお血筋だねぇ」
セバスティアンはそうだね、と目尻の皺を深くした。
レミリアは料理長との相談に満足すると、また、たたた、と小走りで、部屋を出ていった。セバスティアンは溜息をついて、金茶色の髪をした若い侍従を手招く。
「トマシュ、悪いがお嬢様のお守りを頼めるか?」
以前からレミリアはひとり、ふらっと屋敷を探索しては、じっと使用人たちを観察して遊ぶ癖がある。
本人は隠密のつもりでも、スケッチブック片手にテクテクと歩く姿は目立つし、たとえ屋敷の中であっても、一人で彼女を歩かせる事は警護上あり得ない。
トマシュは苦笑いして、いいですよ、と請け負った。この二十歳すぎの若者は元はカミンスキ伯爵家の侍従で、武道の心得もある。
物々しい護衛をそばに置きたがらないレシェクのために、カミンスキ伯爵から、出来れば護衛兼侍従として使ってくれ、と言われた若者で、距離を取りながらレミリアの護衛をさせるにはうってつけの人材だ。
「いつもすまんね、トマシュ」
「いえいえ、楽しい仕事だから嬉しいですよ。お嬢様かわいいし!なんだか、公爵夫人の昔をみてるみたいですよね、……俺は存じ上げませんけど」
伯爵に恩があるトマシュは、ヤドヴィカに慕わしさを感じているようだから、そういう点でもレミリアを任せるには適任だった。
頼むよ、とトマシュに任せて、また屋敷内を歩く。
レミリアの温室から人の声がするので何事かと覗き込めば、公爵夫妻が――珍しく二人きりでそこにいた。
セバスティアンは少し、頬を緩めた。
様々な要因で仲がぎこちなくなっていた夫妻は――娘の不在をきっかけに、距離を縮めている。
よいことだな、と微笑み、邪魔をしては悪いと、そっと側を離れようとしたセバスティアンの耳に密かな会話が飛び込んで来る。
「レミリアは、君のためにイチゴを作ってくれるらしいよ――」
笑い含みの公爵の声に、ヤドヴィカは困った声で応じた。
「なんだか、まとまりのない温室になりますわね?……元は薬草園じゃなかったのかしら、あの子……スケッチに植物栽培に……もう少し、女の子らしい趣味を持ってくれたらいいのに」
ぼやくヤドヴィカにレシェクが揶揄する。
「君の趣味は乗馬だった気がするけどね――ヴィカ姉様?」
古い呼称に、ヤドヴィカはやめてください!と小さく悲鳴をあげた。
「馬が怖いと言って泣いた私を無理やり馬に乗せたのは誰だっけ?」
「昔の話でしょう」
「令嬢らしくない、のは君に似たんだよ、きっと」
「嫌なことばかり言うのね?」
「少しも嫌なことじゃないさ……懐かしい思い出だ……」
楽しげな会話が途切れ、意味有りげな沈黙が降りる。
おやおや、と思ってセバスティアンは足音を立てないように側を離れた。
長い廊下をしばらく歩くと、セバスティアンを見つけたレミリアが笑顔で歩み寄ってきた。
姿を隠して彼女を護衛していたトマシュがセバスティアンに一礼して、持ち場に戻っていく。
「温室に行こうと思うの、セバスティアンも行く?」
楽しげに誘われ――公爵家の有能な執事は微笑みを隠して、いいえ、と首を振る。
「今は温室は少し……あつうございますので――厨房に遊びに参りましょうか。お嬢様のお好きなお菓子がございますよ」
レミリアはきょとんとしたが、すぐに執事の提案に喜んで、温室に背を向けて、厨房へと向かう。
「夕飯の前だけど、こっそり、お菓子を食べてもいい?セバス?」
「ほんとはいけませんよ、お嬢様――なので、セバスとお嬢様の秘密になさって下さいね」
「わかったわ!セバスと共犯ね!?」
どこでそんな言葉を覚えてくるのかな、と思いながらセバスティアンは少女の手を取り、微笑みながら厨房へと足を進めた。
小咄はあと一つ。
本編は25日目度に再開します。書き溜め中。