46. 我が愛しきヴァザの面々 1
私の父、カリシュ公爵、レシェク・ルエヴィト・ヴァザには四人の姉がいる。
長女のヘルトリング伯爵夫人カタジーナ。
次女のサガン伯爵夫人アニタ。
四女にしてカリシュ公爵の同母姉、ジュダル伯爵夫人ヨアンナ。
それから、ただ一人侯爵家に嫁いだ三女のオルガ。
オルガ伯母上の夫は、シュタインブルク侯爵、シモン・バートリ様。……私の目の前でにこやかに微笑む男性の事だ。
幾つなのかは知らないけれど、まだ四十前だとは思う。……もっとも、実年齢よりもずっと若く見えるけど。
私は、侯爵に微笑まれ、改めてお行儀よく微笑んで見せた。
「ご無沙汰しております、侯爵」
「挨拶まで、すっかり立派な淑女だね。公爵も今から先が楽しみだろう」
水色の瞳と豪奢な金色の髪を持つ侯爵は私に友好的な態度を示すように両手を広げ、大げさに私を褒めてくれた。
舞台役者と紹介されても違和感のない大げさな動作に、私は(心の中で)乾いた笑いを浮かべた。
ヴァザの名こそ持っていないけれど、シュタインブルク侯爵家は古くからヴァザと縁深い家だ。
侯爵の母君はヴァザの一族の出、祖母もヴァザ王家の王女だったと言うから、血統的には父上の次にヴァザの血が濃い人かもしれない。
私は公爵令嬢だけれども、ヴァザ公爵家は父上の代で終わり、我が家は次代で侯爵家に家格が下げられるのが決まっている。
私が同格だからなのか、それともあまりこだわらない性分なのか、シモン伯父は私に気易い。
(――でもなぁ……)
私はため息をつく。
私はあまり侯爵に会いたくはなかった。
理由は二つある。
一つは、ゲーム、ローズ・ガーデンにおいて、私の父、カリシュ公爵に謀反を唆すのはこのシモン伯父だったから。
けれど、ゲームとは違って、このシモン伯父上はベアトリス陛下と仲が悪くない(みたい)だし、脇役だからゲームにはあまり出てこなかったにしろ、こんな軽いノリの人物では無かった。
何よりオルガ伯母上との間に存在した息子たちがこの世界には、いない。
己の息子の栄達を望んで謀反を起こすシュタインブルク侯爵だけど……子供がいないのならば、謀反を起こす理由がない…よね?
(私の知識と、現状が違うのは、いいことなんだよね?)
考え込んでいると、伯父達と話し込んでいたハイデッカー軍務卿が私達に挨拶をしてから、奥へと消えていく。
四人で話し込んでいた件はよかったのだろうか、と視線だけで彼の背中を見送っていると、ユゼフ伯父上が私に優しく尋ねた。
「今日はどちらにいらしたのです?」
「父上を待つ間、フランチェスカ殿下の温室にお邪魔しておりました。百合の花をいただいたのです」
私が百合を持つスタニスに視線を向けると、スタニスは三人に無言で頭を下げた。
「お仕事は皆様終わられたのですか?」
ユゼフ伯父上は軍部に属しているし、シモン・バートリも名誉職だけれど軍に籍をおいていたはず。
三人がここにいるというこのは、カナンに関する会議は少なくとも今日は一段落したと言うことなのかな、と思ってちょっと可愛く聞いてみた。
カナン伯、ジグムント・レームとユゼフ伯父が一瞬固まった……会議は難航しているのかも。
「レミリア様は公爵から……本日のお仕事の内容を聞かれましたかな?」
探るような視線をレームに向けられる。なんと答えたものか悩んで、私は困惑のままレームの灰色の瞳を見た。
この老人もヴァザの血筋らしく、背が高い。首が痛いなぁと見上げる。
「少しだけ教えていただきました、レームのおじさま。タイスの怖い人たちが、カルディナに攻めて来ないようにするのでしょう?」
レームはふむ、と考え込んだだけで肯定も否定もしない。
……答えてくれないのかー。
レームが交戦派なのか、講和派なのか、興味があったんだけどな。
ユゼフ伯父上が私達の間に落ちた沈黙を隠すように柔和な笑みを深くした。
「レミリア様、公爵夫人はお元気かな?夏からずっと会っていないんだが」
「え?」
私は驚いて顔をあげた。
公爵夫人、私の母上はユゼフ伯父上の妹だ。母上はカミンスキの屋敷に半月前から戻っているはず。
「伯父上、母上は風邪をひかれたお祖父様の御見舞でカミンスキのお屋敷にいるはずです。伯父上は……お会いになっていらっしゃらないのですか?同じ屋敷にいらっしゃるのに?」
私がそう言うと、ユゼフ伯父上は、困ったように頭をかく。
「それは知らなかった……、実は屋敷を出て、春先から王宮近くに部屋を借りているのですよ……しかし、父が風邪とは。見舞いに顔を出さないと、拗ねるだろうな」
おどけて拗ねる小柄な老人が目にかぶようで私はくすくすと笑った。
フランチェスカはお祖父様とユゼフ伯父上との間にカナンを巡って意見の相違があると言っていたけれど……、深刻な対立ではないと安心してもいいのだろうか。
「私も伯爵の御見舞に伺ってもよろしいでしょうか」
「レミリア様がおいでになれば、父も全快するでしょう、屋敷にも伝えておきますよ」
「ありがとうございます、伯父上」
私達が微笑みあったところで、シモン伯父上が私の後ろへ体を向けた。
「君は今日はレミリアのお付かな、スタニス」
「はい、侯爵」
「公爵の護衛は今日はいいのかい?」
「近衛の皆様がおられますので、私はレミリア様のお側におります」
スタニスが儀礼的な微笑みで応えた。
来たな、と私は内心で身構える。
「今日は妻も私と来ていてね……私の無粋な用事が終わるまで、庭を散策すると言っていたから、そろそろ戻ってくるだろう……」
うぎゃ、と私は内心で叫んだ。多分、スタニスも。
侯爵はいい終えないうちに、口元を楽しそうに綻ばせた。
侯爵が軽く手を上げ、視線を向けた先、数人の貴婦人が歩いていた。
その中の背の高い金髪の女性は私達に気づくと――、貴婦人達と別れて護衛の青年だけを伴い、こちらに来た。
「まあ!レミリア。お久しぶりね。一年ぶりかしら」
オルガ・バートリ、――シュタインブルク侯爵夫人は三十過ぎとはとても思われぬ若々しい美貌に花のような微笑みをうかべた。
襟と胸元があいた鮮やかな青のドレスを着て、惜しげなく肌の白さを披露している。
「スタニスもごきげんよう。貴方が来ているのだったら、散策など止めて早く戻ってくるのだったわ」
叔母はふふ、と一切邪気の無い……ように見える、蕩けそうな笑顔を私の侍従に向けた。
「オルガ、私には何も挨拶なしかい?」
「残念ね、侯爵様。貴方の顔なんて毎日見ているもの、飽きてしまいましたわ」
「酷いな」
「貴方だって、そうでしょう?」
「ははは」
美男美女の夫妻はにこやかに、しかし、あまりもな会話を繰り広げる。
ユゼフ伯父上とレーム卿はわずかばかり鼻白んだが、まあ、いつもの事なので私達は沈黙を守った。
オルガ伯母上は私の下ろした髪を可愛いわね、褒めてくれてから、私の侍従との距離をいつの間にか詰めていた。
い、いつの間に。早いよ伯母上。
「スタニス、その百合の花はどうしたの?――私への贈物かしら?」
花弁を左手で玩びながら、悪戯っぽく微笑む。
男が花を持っていたら、それを貰えると当然のように思う、……わけではないだろうけど……、この人に期待に満ちて潤んだ瞳で見つめられて悪い気がする男性はそうそう多くないと思う。
スタニスはあくまでにこやかにオルガ伯母上に応じた。
「レミリア様が王女殿下より頂いたものです――カミンスキ伯爵の御見舞にどうかと」
ん?フランチェスカはそんな目的でくれたわけではないぞ、と思ったけれど、私は敢えて訂正せずにオルガ伯母上を見上げて言った。
「カミンスキの紋章は百合ですから」
「まあ、残念――カミンスキのものなら諦めるしかないわね――ねぇ、レミリア、せっかく久々に会えたのだもの。少しあちらでお話でもいかが?スタニスも、一緒に」
許可を求めるようにオルガ伯母上は私ではなく侯爵を見た。侯爵は好きにしなさいと言うように肩を竦める。
え、これって伯母上とお話する流れ?
私が、嫌だと思いながらスタニスを見ると、スタニスは一歩後退りながら百合を抱え直した。
「侯爵夫人、お誘いは光栄ですが、私は馬車の手配をせねばなりませんので、どうぞお二人で……」
あ、スタニスが私を捨てて逃げようとしている!
「馬車なら私が手配しておこう」
シモン・バートリが親切にも申し出て、オルガ伯母上は嬉しそうに口元を緩めスタニスの二の腕に甘えるように手を添える。
「侯爵もああ言っているし、少しくらい私と遊んでもよいでしょう?陛下ご自慢の庭を散策しない?小鳥が歌って、とても心地良いのよ」
伯母上は己の手をスタニスの手に重ねるようにして百合を持ち、怯んだ侍従から優雅に奪い取ると、ご自身の護衛の青年――まだ十代に思える――に手渡した。
両手の空いたスタニスに手を差し出し、当然の如くエスコートを求める。さすがに、スタニスが困ったようにユゼフ伯父上とレームを見た。
二人は苦笑を堪えて目を逸らす。助ける気は、ないらしい。
私が、侯爵及びオルガ伯母上に会いたくはない理由、二つ目。
オルガ伯母上が、やったらと過剰に我が家のスタニスに絡むから。そして、侯爵が全くそれを止めないからっ。
我が家の歩く広報部長、家庭教師のミス・アゼルに拠れば、仲睦まじい侯爵夫妻に、夫婦円満の秘訣を尋ねた猛者がいるそうだ。
夫妻は笑って答えたと言う。
「伴侶の他に恋人を作ることだよ」
と。
そういうわけで、夫妻共に艶めいた話が多い享楽的な二人ではあるけれど、オルガ伯母上は我が家のスタニスにご執心。
――本気なのかからかっているだけなのかは知らないけれど、顔を合わせるたびに遊びを仕掛けては、困惑する侍従を見て喜んでいる。
悪趣味……。
「あら、レミリア怖い顔ね、どうしたの?」
スタニスの腕を絡め取ってオルガ伯母上が首を傾げた。さすがに私は口を曲げて、言った。
「伯母上、今、カナンは大変なのでしょう?父上が呼ばれたこの大事な時に、我が家の侍従が呑気に王宮で遊んでいたのでは示しがつきません」
私の主張にオルガ伯母上は、まあ、立派!と扇を広げて笑った。
「賢いのねぇ、レミリアは。……私には難しいことはわからないわ。けれどね、レミリア。どんなに国が大変な時だって、人々には生活を楽しむ余裕が必要よ?暗いご時世だからといって、右に倣えで行動を萎縮してしまうなんて……、そしてそれを人に強いるなんて、こんなにつまらない事はないわ。私はただ、美しい庭をお友達と仲良くする散歩するだけよ?いけないことはないでしょう?」
「お友達では……」
ボソリと呟いたスタニスの嘆きは黙殺された。
……明らかに小馬鹿にされた私は、しかし、ぐうの音も出ずに口を噤んだ。確かに、何もかも自重しろとは思わないけど、時と場合ってもんがあるよね。
それに、スタニス嫌がってるじゃないー!
私がむう、と口を曲げたとき、背後から冷たい気配がした。
「……何をしている、スタニス」
私は弾かれたように振り返った。
そこには、明らかに不機嫌な父上と、キルヒナー男爵がそこにいた。
(なんだか、珍しい組み合わせ)
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