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【幕間】ドラゴンと温室

小話として活動報告に載せていたもの。多少手直しして、こちらに載せました。

娘が温室をほしい、と言う。


「……レシェクと同じ趣味だなんて……」


妻はなぜだか、苦悩するようにぼそりと呟いたが、カリシュ公爵レシェクは聞こえぬふりをした。


ヴァザの一族が住まうカルディナは農業大国だ。

恵まれた、豊かな水と、緑なす美しい土地を持つ四季をもった、大陸の中央に位置する国。

そこで生まれ育った者が、植物を愛するのは至極当然な成り行きだ。しかも、祖父のための薬草を作りたい、とは、娘はなかなかに、気の利いた事を言う。


それに――、レシェクの母が死んでからは殆ど誰も足を踏み入れる事もなかった侘しい温室が、彼女の孫の手で甦るのは酷く優しい事に思えた。

レミリアの希望で庭師のミハウが手を入れた温室は、なかなかに見事なものだった。

花は野にあるほうがレシェクは好きだが、古めかしくこぢんまりとした温室も、悪くはない。


機嫌伺いに訪問した姉ヨアンナは、温室に入るなり懐かしいわ、と目を細め、くるりと見渡した。


「母上を思い出すわ」

「私は温室の記憶はない」

「そう?」

「懐かしい感じはするけどね……」


上三人の異母姉(あね)達は早くに嫁ぎ、父マテウシュはレシェクが物心つく前に、病没した。


だから、記憶にある、レシェクのはじめの家族――この家で暮らしていた――は、物憂げな母とヨアンナだけだった。

家族三人のひそやかな団欒はこの温室で行われていたのだ、とヨアンナは言う。


母も、七つの時に儚くなり、二人は祖父母の屋敷に引き取られ……一年のうちに相次いで祖父母が亡くなると、今度はカミンスキの屋敷へと引き取られた。

温室で過ごした親子三人の記憶など、遥か遠いが、その空気は、感覚として覚えているものらしい。


出来上がった温室を見て、セバスティアンやミハウは懐かしいですな、と頬を緩めていた。


古参の使用人二人が嬉しいようだったのを、何やらおかしい気持ちで思いだし、今は誰もいない温室にそっと足を踏み入れた。

しばし感傷に浸っていると、


「っと、誰かいるのか?いるんなら手伝って……、って旦那様ですか」


たそがれていた気分は、無粋な男の声に邪魔された。

見れば、スタニスが袖をまくって何やら運んでいる。


「何をしているんだ、お前」

「何って――見てわかるでしょう。仕事ですよ、おしごと。肉体労働。あ、旦那様、なんなら椅子運んでくれます?」


レミリアの希望でスタニスは温室にテーブルと椅子を設置することになったらしい。

主を使う奴があるか、とレシェクはフン、と鼻を鳴らした。

高さのある花壇の縁に腰掛け、わざとらしく足を組む。


「生憎と、食器より重いものを、私は持たない」

「はいはい、そーでしたねー、公爵さまでしたもんねー。庭仕事しかしてないんで、庭師の方かと思ってましたよ」

「言ってろ」


互いにぞんざいな口調は、余人のいない時だけのものだ。

じっと観察するレシェクに構わず、スタニスは手際よくテーブルを運ぶと、設置して見せた。


「場所、ここでどうですかね?若」

「もう少し、左がいいかな」


スタニスが首を傾げて何故と言う仕草をしたので、レシェクは右手で天井を差した。


「そこだと、少し日差しが強い。――少し左なら西日があたっても、木が緩和するだろう?座るなら、その方がいい」

「なるほど。植物の事は、さすがにおくわしい」


刺がある台詞をつん、と横を向いて聞かないふりをすると、スタニスは、その表情、お嬢様にそっくりですよ、と笑った。


「親子だからな、似るだろう」

「左様ですね」


スタニスは何がおかしいのか、くつくつと笑い、テーブルの位置をレシェクの指示通り動かし終えた。

手をぱんぱん、と払い、よし、と頷いた。


「ここで、いかがです?」

「うん、悪くない」

「本当は――俺も、お嬢様と一緒にお花植えたかったんですけどね……」

スタニスがぼやく。

レシェクはスタニスが設置した椅子に座りなおして、娘の温室を眺めた。

花壇にハーブを植えて、とりあえず育てると言っていたが、次の日には「茄子とか胡瓜とかトマトかなぁ」と呟いていたので、なんだかわけのわからない家庭菜園になりそうだ。

統一性がないのが可笑しいが、色々な事に興味のある年頃なのだろう。多分。


「お前が?――やめておけ。枯れる」


片眉を器用にあげて揶揄すると、スタニスは「ですかね」とがっくりと肩を落とした。レシェクは、声を出さずに口元だけで笑った。


竜族混じりのくせに、それとも竜族としての異能なのか、植物を育てると大抵枯れるという珍妙な属性持ちのスタニスは、レシェクの薔薇園には(かつて十日でその半分を枯らしたという罪により)立入禁止だ。


「レミリアの温室も枯らすんじゃないか、お前」

私の薔薇園みたいに、と多少の恨みを込めて言う。

「枯らしませんよ!若の薔薇園は気合い入れて水をやりすぎただけですって!」

「どうだかな、お前は呪われている」


言いながら座れよ、と指し示すとスタニスはおとなしく従いながらも、ひっでぇな、とぼやいてテーブルに行儀悪く頬杖をついた。

無礼な奴めと思いながら見ていると、視線がかちあう。

なんとなく、聞いてみた。


「……スタニスお前、母の温室を覚えているか」


スタニスは、幼いころ、ほんの一時期レシェク達家族と同じ屋敷にいたそうだ。すぐに軍部へ連れて行かれたらしいから、幼かったレシェクには、その頃のスタニスの記憶はない。

初めて彼と出会った時には、スタニスは既に思春期の少年だった。

軍服に身を包んだ少年は、カミンスキに連れられてレシェクの元に来ると、冷たい瞳でレシェクを見下ろし、形だけ頭を下げた。

印象は最悪だったろう、お互いに。


時を経て、軍に将来を嘱望されていたスタニスは退役してレシェクの護衛となり、何の因果か長い付き合いになってしまった。 

軍にいた頃の面影を探してスタニスの横顔を眺めていると、侍従は頬杖をついたまま、うーん、と首を傾げた。

確かに穏やかにはなったかもしれないが、(レシェクに対して)無礼な男なのには、変わりない。


「……俺は、奥方様とはあまりお話したことがありませんでしたけど、この温室は覚えてますよ……見たことがない綺麗な花がたくさんあって、びっくりしたな。世界にこんな綺麗な場所があるなんて、知らなかったから」


独白のように懐かしむ口調に、そうか、とつぶやく。

母はここに何を植えていたんだろうか、と天井を眺める。

硝子を通り抜けた光が、木々で緩和されて、優しく降り注ぐ。


若くして亡くなった父母と子供達にも、ここで寛ぐ優しい時間があっただろうか。


しばらく二人して無言で温室を眺める。

スタニスがそういえば、と口を開いた。


「お嬢様は、俺のためには芋を植えてくれるそうです」

「芋?」


胡瓜と茄子とトマトと、芋。

レミリアは、薬草園じゃなくて野菜園を作るつもりなのだろうか。


「ヴィカ様には野いちごで、セバスティアンにはかぼちゃにしようかなといってましたよ」

「広範囲だな」

「いざ、貧乏になったときのための、食糧難に備える、んだそうです……いじらしい」

「……………………」

涙を拭う仕種をするスタニスから視線を逸らし、レシェクは明後日の方角を向いた。

どっかの誰かさんが働かないから、お嬢様、ご不安なんでしょうねぇ、と厭味たらしく言うのを聞かないふりをする。

スタニスはその様子をくつくつと笑って、再び視線を前に戻した。


「これから、どんな風になるんでしょうねぇ。楽しみだな」


何がか、とは聞かなかった。

温室の事だけではないだろう。


「……そうだな、楽しみだ」

珍しく本音を漏らすと、スタニスは口元を緩めた。

それに気付かないふりで、足を組み替える。

「色んなものを植えるといいさ――どんなものでも、そこに在るだけで、綺麗だよ」

レシェクの言葉にスタニスは目を細めた。

薄い茶の瞳は、光の加減によっては金色に見える事がある。


「温室のことですか、旦那様」

「温室のことだとも」


レシェクは肩を竦めた。

くすり、と笑って侍従は立ち上がる。


「お嬢様はこのテーブルでお茶をお飲みになりたいようで。座り心地を確かめられますか、旦那様?」


茶でもいれましょう、とスタニスもたまには気の利いた事を言う。

レシェクは無礼な使用人に手を振って命じた。


「酒にしろ。たまには付き合え」

「ご命令とあらば」


スタニスがわざとらしく一礼し、口の端をあげてそれを見送る。


外は近付く冬の冷気が吹き付けていたが、小さな温室は柔らかな暖かい空気に満ちていた。


終わり

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