44. 守護者 4
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「大体、私、シン様と婚約すると一言も言ってませんから」
「ごめんなさい…」
シンが目に見えてしゅんとしてしまったので、私はちょっと苦笑いになった。
そんなに素直にされちゃうと、なんだかなぁ。しょんぼりしている耳が見えるみたいで、可愛い。あーあ、と私は溜息をついた。
「……私が大きくなって、あらためて、陛下に命令されてシン様と婚約したとしたら、私も、シン様と同じくらい……嬉しくないと思います」
「……うん」
それは、シンが、嫌いだからじゃないよ。
「……だってシン様、他に大切な人がいるもの」
シンは、えっ!とたじろいだ。フランチェスカを視線で追うのがわかる。
んん!?ま、まさか君は、周囲にばれてないと思っていたのか……。シンがそんなことは、ともごもご言っている。ばれてないと思ってたのか……!
だけど、と私は溜息をついた。
「だけど、私から婚約をお断りすることは、しないと思います」
「…………」
シンは無言で、飛龍の高度を下げはじめた。
視界の先、フランチェスカと――私を見上げるスタニスが見える。
「嬉しくなくても――お断りしたら、陛下は御不快でしょう?……そんなことになったら、きっと両親や――家の者が困ります。臣下の私からは、お断り出来ません」
父上は、家のために犠牲になることはない、と言ってくれたけど。その言葉は、とても嬉しかったけれど。
私は、私の我が儘のために、家族を犠牲にするほうが、もっと、嫌だ。
それとも、恋に焦がれて、その人のためなら家も家族もどうでもいい、なんて思う時が私にも来るんだろうか。
「だから、本当に婚約なんてことになったら、家出なんかしないで、シン様から誠心誠意断ってくださいね?」
私が冗談めかして言うと、シンは色違いの瞳を瞬いた。
「……それが出来ないなら、ちゃんと、私を一番大切にするって覚悟を決めてから婚約して、くださいね。一番好きじゃなくていいから……」
寂しい事を言ってるな、と思ったけれど、本心だった。
私の両親は――仲は良くない。子供の頃から、世間に背を向ける父と、それに苛立つ母を見てきた。
会話のない朝夕の食卓。目を合わせない二人。父の親族の、母への嘲り、父への不満の陰口。
おべっか使いの子供達。
優しくしてくれた侍女は、私を懐かせて、父への通行証がわりにしようとしていた。父は相手にしなかったけれど。
そんな場面があって、私は侍女達との交流が今でも苦手だ。
優しくされても、何か裏があるのではと疑ってしまう。
だから、私が安心して遊べるのは傲慢だけど裏のないヘンリクと、スケッチブック。
それから、セバスティアンとスタニスだけ。
寂しい子供。
両親の事は大切に思うけれど、だけどやっぱり、小さい時にもっと構ってもらいたかった。
恋愛結婚が出来ると思っていないけど、もし、望みが叶うなら。
私を大切にしてくれて、……子供を寂しくさせない人がいい、な。
シンは考え込むように黙って私をみて、何か言いたげに口を開いたけど、それをつぐんだ。
「……分かった」
「約束ですよ?」
「約束する」
「じゃあ、この問題は、今は忘れてよろしいですか?」
シンはうん、と頷いた。
私達が中庭へ舞い降りると、スタニスは穏やかな表情で私を待っていた。
ヴィンセントがイザークと並んでシンを睨んでいる。あ、これはどちらかというとスタニスより、ヴィンセントが怒っているな。
スタニスが飛龍に近付いて私に手をさしのべる。
私を抱えて降ろすと、私にしか聞こえない声で、聞いた。
「……秘密の会議は無事、終わりましたか」
「うん」
「どのようなお話を?」
「内緒なの」
何のことを話したか、分かっているだろうけど、スタニスはそうですか、と呟く。
「結論は出ましたか?」
「一時的な棚上げと相成りました」
小難しく言ってみると、はは、とスタニスは皆に見えないように、ちょっと顔を背けて笑った。
「棚上げなんて、難しい言葉、よくご存知ですねぇ。さすがお嬢様」
皆がいなかったら、よしよし、と撫でてくれただろうけど、今は沢山人がいるから、ダメだ。
残念だなぁ、と思って私はスタニスの袖口をひいた。
「また、心配したでしょう?ごめんね」
「……いいえ。まだ十五分たってませんからね。スタニスは、お行儀よくお待ちしておりましたよ?」
そっかぁ、と私はチラリとイザークをみた。イザークはシンに難しい顔で何か言っているヴィンセントの横で、黙って二人を観察している。スタニスにうまく言ってくれたんだろうな。
後で、お礼を言っておこう。
ポツと額に水滴が落ちてきて、私は空を見上げた。雨が降り出したのだ。……遠くに行かなくてよかったな。ずぶ濡れになるところだった。
急に雲が空を覆うのを見ていると。
「温室に戻ろうか」
フランチェスカが提案したので、私達は従う。フランチェスカは数歩歩いたところで立ち止まり、彼女の従弟の方を向いた。
「シンは来なくていい」
「え」
フランチェスカは綺麗な水色の目を細めた。感情が揺れると瞳の色が濃くなるのは、父上と同じだ。
「――理由は、自分の胸に手を当てて考えたら?レミリアに怪我でもさせたら、どうするつもりだったんだ」
「俺は……!」
王女はぴしゃり、とシンの言葉を遮った。
「言い訳は要らない。部屋にこもって、頭を冷やせ、馬鹿」
私は口を挟めずに二人の間で内心おろおろしていた。いや、もう、大丈夫なんだけど、私は。
シンはわかりました、と小さな声でいう。
「イザーク、アキとアルを繋いで来てくれる?」
イザークは承知し、騎士とシンだけが中庭に残された。残ろうとしたヴィンセントをフランチェスカが呼ぶ。
「構わなくていい。……後で慰めるのも許可しない。私の叱責が無意味になる。一人で反省させて。いいな?」
「……御意」
ヴィンセントは頭を垂れた。
温室に辿りつくと、フランチェスカは私を案内して温室の奥へ向かう。先ほど言っていた、「青い薔薇」をみせてくれた。わぁ、珍しい。綺麗な色だな、身を屈めて眺めていると、王女が私に頭を下げた。
「えっ、殿下!?」
「……シンが、迷惑をかけて、すまない」
私は思わず挙動不審になって薔薇とフランチェスカを意味もなく見比べた。フランチェスカは顔をあげない。
「……誘われて、ドラゴンに乗せていただいただけです、殿下」
いいや、とフランチェスカは言って、本当にすまない、と再度、頭を下げた。
「もし、レミリアが怪我でもしていたら、取り返しがつかない事だった……。我が儘を許しすぎているんだ、私と母が」
頭をあげたフランチェスカは、再度、俯いた。
「シンは……王宮の堅苦しいしきたりや、上辺だけの会話が、好きではない……だから窒息しそうになって……たまに逃げ出す」
「ええ」
「だけど、それに、レミリアを巻き込む事なんか、あってはならない。二度とさせないから」
「……シン様は、遠くに行かずに、空を、お散歩して下さっただけです。私も同意しました」
フランチェスカは、沈黙して、私を見つめた。
ありがとう、と言う。真面目だなあ……。
「……殿下の気がすまないのなら、百合を、またくださいますか。今度は『萎れていない』花を」
私は首を傾げた。王女は私の意図を理解して、いいよ、と言った。
「……タイスの事は、聞いた?」
「はい」
カルディナとタイスの国境、カナンでは、今、いさかいが勃発しようとしている。
カナンは、名目上はヴァザ一族の重鎮の領地で、実際は陛下が任命した代官が治めている土地だ。
「母は穏便にすませたいようだけど、軍部は全面的に争うべきだと主張している。その中心にいるのは……ユゼフ・カミンスキだよ」
伯父上が?私は顔をあげた。伯父の母上とよく似た横顔を思い出す。背が高く、冗談が好きな伯父だ。軍に長く勤めているけれど、とても好戦的には見えない……。
「彼の父、ウカシュ・カミンスキは、穏健派だ。……母は彼を通じてユゼフの説得を依頼したけれど、かなわなかった、らしい」
相反する親子。だから、枯れた百合か。
「ユゼフ・カミンスキはカリシュ公爵を崇拝している。彼は熱心な国教徒だから。公爵が彼を説得してくれたらいいけれど…」
それを期待して、父上はユンカー卿に、引いては陛下に召喚されたのか。フランチェスカは視線を温室の入口に向けた。
会議には父上も、勿論陛下もいるだろう。軍務卿の副官を勤める、ユゼフ伯父上も。
王女は、ベンチに座り込み、私も横に腰を降ろす。
「軍部は――即位した時は、母上の後ろ盾だったけれど、最近は折り合いが悪い――母上が他国とは外交を重んじて、戦争をしなくなったから」
現王朝の初代国王――ベアトリス陛下の父君は、元は北部の辺境伯だった。古い家柄の、国軍とは別に独自の軍隊を持つ、稀代の戦上手。だから、彼がヴァザ王朝を滅ぼした時、享楽にふけるヴァザの王ではなく、軍は彼に味方した。軍の期待に応えた先王は、曖昧だった国境をカルディナに有利な形で引き直し……王家と軍部の蜜月は続いたらしい。娘のベアトリス様が即位した時も、幾つか起きた反乱を軍はすぐに鎮圧したと聞いている。
しかし、ベアトリス陛下は即位して数年立つと、領土拡大を主張する軍部を抑えて、内政充実に舵を切った。
「素晴らしいことだと思います、殿下」
戦争なんて、ないほうがいいに決まっている。沢山の人が傷つく。
私もレミリアに同意だよ、とフランチェスカは言う。
「けれど、戦争をしない軍は……規模と権力を縮小せざるを得ないからね。不満がうずまいているんだ。女は弱腰で困る、と」
……だから、父上を軍は推しているのか。けどなぁ…。
弱腰と言うなら、陛下と父上だったら多分陛下が素手で勝てる気がするんだけど。陛下に瞬殺される図が浮かぶ。
「私が王子ならよかった。軍は私が即位するまで、我慢しただろうね。けれど、また女王か、と。さらに軍部の立場が弱くなるのでは、と危惧しているんだ……」
私は、弾かれたようにフランチェスカを見た。
類い稀な美貌をもつ彼女はあまり少女らしく着飾る事をしない。むしろ近衛達にまじって訓練する事も多いと聞く。
どこか少年めいた口調や服装。
遠乗りが趣味だという、フランチェスカ。
剣術の稽古を怠らない、フランチェスカ。
その理由の一端が見えた気がした。
彼女は「王女らしくない」と言われなくてはならないんだ。軍からの反感を和らげるために。
「シンだって、無理をしている。本当は、王宮にいたくないだろうに。……私や母の権威づけのために、無理をさせている……」
竜族は、王の権力の象徴だ。
見目麗しい王女が即位した時、傍らにいる竜族の若者は、国民の熱烈な支持を得るだろう。国民の支持は、力だ。国教会や軍も無視できない。竜を信奉する国教会への影響は言うまでもない。
「そんなこと、私に話してよろしいんですか?」
王女の弱みを、旧王家の私なんか、に。
フランチェスカは、笑った。
「私が全部、本当の事を話しているとは限らないよ?」
それに、とフランチェスカは肩を竦めた。
「下心があるんだ。……私は狡いから。優しいレミリアが私に同情して、公爵を動かしてくれないかな、と思っている」
「父は、私の言うことは聞かないと思います……」
「そう?……公爵は慎重な方だ。ご自身の影響力を懸念して、あまり政治には口出ししない。その思慮深さがどれだけ母を助けてくれたか。……その分表に出てきて貰うのは、難しい。レミリアなら出来るみたいだけど」
し、しりょぶかさ。
思わぬ父上への高評価に私は内心で、ナイナイと手を振って否定した。殿下、父上は物ぐさなだけですよー。王宮から帰ると毎回「ひきこもりたい」とかぼやいてセバスティアンに怒られてますよー!?
それに、私がお願いしたって、大抵めんどくさい、で却下するよ、父上!
私がなんとも言えない表情を浮かべていると、フランチェスカはふふ、と笑った。「勝手に期待してるだけだから、片隅にでも、覚えておいて」そう言って、立ち上がる。
「せっかくだから百合は切ってくるよ、待っていて」
私は、はい、と頷いた。
王女も、いろいろあるんだな、と、私は彼女の後ろ姿を見送った。
ゲームでみたよりも、ずっとフランチェスカの周りは…厳しいんだ。思わず天井を仰いだ。私よりずっと、フランチェスカの人生は多難だ。
ローズ・ガーデンのガラス張りの天井からは緩やかに陽光が降り注いでいる。
この優しい場所は、王女の逃げ場なのかな、と思った。
私の薬草園、みたいに。
しばらくして、私は王女を追い掛けようとして立ち上がりかけ……後ろに髪をひっぱられた。な、なに!?
後ろを振り向いてぎょっとする。
ぎゃーー!髪がっっ!私の癖毛がひっかかってるーーー!!
いつも外出時はまとめているんだけど、久々に王宮に来るから、と背中に流したのがまずかったー!!
王女が戻ってこないうちに、なんとかしようと思うたび、絡まる。絡まる。あああ、薔薇の蔦にひっかかってるよーー!
どうしよう。さっきまで真剣な話をしていたのに、この姿、ちょっと間抜け過ぎない!?あたふたとするうち、足音が聞こえてきて私は頭を抱えたい気持ちで顔をあげた。
「レミリア嬢、何をしてるの、君は」
呆れた声が降りて来る。
そこには、王女ではなく、よりにもよって、先ほど私が厭味を投げつけたアレクサンデルと、厭味大王ヴィンセント様が居た。
うわぁん、最悪…!




