41. 守護者 1
半月過ぎても、お母様はお戻りにならなかった。
「伯爵の風邪が思った以上にひどくて、ご看病が長引かれたようですね。もう少しのんびりしてからお帰りになられると」
セバスティアンの言葉に私はがっかりとする。
「お迎えに行こうかしら。お祖父さまのお見舞いもしたいし」
「お嬢様に風邪をうつしては大変ですから、お見舞いは不要だと伯爵からご伝言が」
そう、と私は手の中にある手紙に視線を落とした。セバスティアンが慰めるように私をみたので、大丈夫よ、と私は老執事に言って手の中の手紙をみた。
ドミニク・キルヒナーからの手紙。
ドラゴンの雛を連れていきたいと書いてある。いつがいいか、との質問を貰ったけど、どうせなら、母上がいらっしゃるときに相談したかったな。
「早いほうがいいだろうね」
あっさりと父上は日取りを決めてしまった。ドミニクに返事を書いてしまう。
私の沈んだ様子なのに珍しく気付いた父上は、羽ペンの手を止めた。
「せっかくドラゴンが来るのに、あまり嬉しくはなさそうだね?」
手招かれたので、父上の横に行く。
私は首を振った。
「ものすごく、嬉しいですわ、お父様。――けれど、お母様もいらっしゃる時がよかったな、と……ハナが卵を無事に産めたのも、元はお母様のお口添えもあったからでしょう?」
キルヒナー兄弟が父上の助力を求めたとき、父上はすげなく断った。
渋る父上を動かしたのは「ハナがかわいそう」と言った母上の言葉だったと――私は、思うのだけれど。
父上は否定せずに、そうだねと呟いた。
「ヤドヴィカから手紙が来ていたよ。伯爵の体調は悪くないが――彼も年だからね。少し長く滞在して様子をみてから戻る、と。――もう少ししたら、帰ってくるよ」
心配することはないといいたげに、さ迷った父上の指がそっと私の頭におかれた。撫でてくれるのかな、と思ったけれど、慣れない父上はそこまではしてくれない。
「明日、また王宮に行く。ユゼフがいるだろうから、様子を聞いてみよう。伯爵の体調が――見舞ってももう大丈夫なようなら、カミンスキの屋敷に訪問しようか」
「よろしいんですか?」
「伯爵は、レミリアが来たら喜ぶさ」
ユゼフ様はヤドヴィカ母上の兄上で、軍に所属している。
今は中央の軍にいらっしゃって、王都に居るはずだ。カミンスキの屋敷から通っているから様子はわかるはず。
こういうとき、貴族は面倒だな……。
父上は公爵だから訪問に伺いを立てて断られることはあまりないけれども(そもそも、あまり他人のおうちに行きたくない人だし)、貴族同士で急な訪問はあまり喜ばれない。
ごく親しい親族をのぞいては、今日会いましょう!って気軽な約束が、できないものね。
「父上は――お忙しそうですが、王宮では何をしていらっしゃるのですか?」
「お仕事だよ」
父上はうそぶいた。
教えてくれないんだ?
父上が足繁く王宮に通うなんて珍しいのに。不満、と顔に書いて父上をみつめると、彼は美麗な顔に苦笑を浮かべた。
「レミリアがもう少し大きくなったら教えてあげるよ」
「私はもう、十一です、父上。父上は十一の頃にはもう、公爵でしたでしょう?」
「そうだったかな?今も昔もたいして仕事はしていないからね、わからないよ」
悪びれもなく父上は言った。惚けた……。
なおも不満を隠さずにいると、父上はやれやれと肩をすくめ、棚からおりたたんだ大きな紙を取り出した。「ご覧」と机の上に広げる。
大陸の地図だ。
大陸には中央にカルディナ王国、東にファン皇国、それから西にはタイス。三つの大国が位置し、あとは中小いくつかの国がある。
父上はタイスとの国境を指差した。カナン、と地名が書いてある。
「レミリアが生まれた頃まで、タイスとカルディナは国境を巡って争いをしていてね」
カルディナと西国タイスは歴史的にあまり、仲はよくない。
ファン皇国との間には北山と言う目に見えた国境(それと、北山に住まう竜族達という緩衝材と)があるから揉めた事はないようだけれど、タイスとの国境はこの百年常に流動的だった、と家庭教師から習った。
「陛下は即位後に和平に尽力して、タイスの前国王との間に協定を結んだ。カナンまでをカルディナとする、と。タイスはカルディナから賠償金を貰って、納得したはずだったんだ……」
ところが、タイスの前国王は昨年おなくなりになった。
タイスの今の国王は、前国王の協定は保古だ、カナンを返すか、賠償金を裁定しなおすように、と通告して来たらしい。
私はまあ!と胸に手を当てた。
そんな事があっていたのか。しかも、
「カナンの領主は名目上は――」
「ヴァザ、ですね?」
そうだよ、と父上は地図を指でさししめした。
「カナンはヴァザの土地だ。私の代になってジグムント・レームが仮にカナン伯となって治めているけれども、……継承権は私にあるし、実際の政務は陛下の代官がとっている」
ジグムント・レームの灰色の髪と薄い水色の瞳を思い出して私はちょっと眉を下げた。一族の重鎮で何度かあったことがあるけれど、陰気で、私は好きではない。
父上が忙しかったのは、タイスの件があったからなのか。
「どうして、タイスの国境がヴァザの土地なんですか?そんなに大事な土地ならば直轄地にしても良さそうなのに……」
首を傾げた私に、父上は、少し皮肉に口を曲げた。
「もし、カナンをタイスに取られたとして……それが王家の土地だと、国民へ与える王家の印象は悪いだろう?だったら旧王家の土地にしておいた方がいい……」
考え込んだ父上は、神妙な顔をしていた私を見て、表情を緩めた。
「と、こんなところかな。実質的には私の土地ではないが、名目上は私の土地だ……居たところで役には立たないが、どうするか決める会議に、不在は許されない」
吐息のように父上は言い、その話は一度そこで切り上げられた。
「この話は今は、終わりにしよう。――それと、後もうひとつ、陛下から君の事を聞かれてね」
「私のことをですか?」
どきり、鼓動が速くなる。
正直なところ、私はベアトリス陛下が怖い。
ゲームの中では「病に倒れた、強く冷静な女王陛下……」という一言でさらりと紹介されるだけのベアトリス様には、怖い話が沢山ある。
前国王を幽閉したとか、夫君を密かに殺害したのでは、とか。
暗殺をしかけてきた乳兄弟を毒をもって返り討ちにしたとか。
或は謀反を企てた軍部に怒り、人員を大幅に削減した、おもに処刑という手段を使って、など……。全てが真実ではないだろうけど、怖い噂は枚挙にいとまがない。国民の人気は高い名君だけれど、敵には容赦がないのだ。
私もお会いする機会は少なくないけど、心底の笑顔って向けられた事がない。陛下にとって、私は敵だったらどうしよう。
父上は内心で怯える私に気付かず、言葉を続けた。
「有り体に言えば、君の婚約のことだね」
「えっ!」
私は口を開けた。
「わ、私はまだ十一ですので、そういうお話はちょっと……」
父上はさっきと言っている事が違わないかい?と首を傾げた。
「レミリアの言葉を借りるなら、レミリアの年には私は既に婚約していたよ――陛下は、陛下の息がかかった貴族の子弟か、もしくはシン公子と君を婚約させたいらしい。どうだい?」
「ええええ!」
思いがけない事を言われて、私は思わず、叫んだ。
父上はそんなに驚かなくても、と楽しそうに笑う。
し、シン(かどっかの貴族の坊ちゃま)と私が婚約!!
……そういえば、イザークがそんな話があるとか言っていたな、あれは本当だったのか。
「妥当な縁組みだろう?レミリアはシンが嫌いじゃないだろうし、婚約したかったらするといいよ。あ、他の候補者の絵姿も沢山もらってきたから後で見せてあげよう」
軽い口調に私は呆れた。
「……父上」
「うん?」
「婚約の話ってこんなに軽くするものですか?!別室へ呼び出されて、もっと……こう、重々しく、レミリア、話がある、聞きなさい……とか、そういう……」
そういう、重々しいノリで言ってほしかった。
今日の献立はこれです、みたいな軽いノリではなくてですね!?娘の婚約なんだからね!
私がむくれていると、父上はさらりともっと酷い事を口にした。
「ヘンリクと婚約するから、と断っておけばよかった?」
「婚約は、ぜっったいにしませんっっ!!そのルートは阻止します!」
父上は、ルート?と首を傾げ、私はコクコクと何度も頭を振った。
「ヘンリクとの婚約だけは!私は絶対にしませんから、父上っ!何があっても、ヘンリクと結婚はできません!」
「そうかい?」
「絶対です!」
私と結婚すると、死んじゃいますから、ヘンリクが!私も浮気されちゃうし!破滅エンドだし!!
私の剣幕に父上は残念そうに呟いた。
「ヘンリクが婿なら、毎日ピアノやヴァイオリンが聞けて楽しいだろうに。残念だね」
そんなことで婿を決めずに、音楽が好きなら、楽士を雇ってください、公爵なんだから……。
どっと疲れた私に、父上は笑って告げた。
「君は公爵家の娘だからね、これから婚約の話は、気候の挨拶と同じくらいの頻度で出てくるだろう。あまり大げさに考えない事だ。ベアトリスも本気で今すぐに何かしようと言うつもりはないのさ。ただ、勝手に縁を結ぶなと忠告したいだけだろう」
ベアトリス。うっかり呼び捨てかあ。
「その話はまだ早いと伝えておいたよ。陛下もあっさりと同意されていた」
「はい」
私が素直に頷くと、父上は椅子から立ち上がった。
「貴族の婚姻は家の存続のためにあるものだ」
「……はい」
私が殊勝に頷くと、父上は水色の瞳を細めて私を見た。
「だが、私はいささか偏屈でね……、ヴァザの家など相応しい能力のある、継ぎたいものが継げばいいと思うよ。ヴァザの命運は半世紀も前に尽きている。そんな家に無理にこだわって、亡霊を甦らせる必要も、そのために君が意にそまない婚姻をする必要もない」
冷たい口調は、悪夢で見る「父上」と同じだった。
私は初めて聞いた父上の考えに目をぱちくりと、させた。父上は――ヴァザ公爵は、そう考えていたのか。
それでは、ヴァザを復権させたい「レミリア」とわかり合えたはずなど到底ない。
「レミリア」は、ヴァザの復権が、父親の望みでもあるだろう、と考えていたけれど、全く反対だったわけか。没交渉ゆえのすれ違いだな。
けれど、意にそまぬ結婚か……。
(……父上と母上は、意にそまぬ婚姻でしたか?)
私は喉元まで出かかった質問を飲み込んだ。
答えのわかっている質問をぶつけて、子供向けの優しい嘘を貰っても、嬉しくない。
それならば、聞かないほうがよかった。
「レミリアも明日は一緒に王宮に行くかい?――家庭教師も決まっていないし、屋敷にずっといても暇だろう」
私が答えるまでもなく、父上はそうしよう、と勝手に決めてしまった。まあ、ひまですけど……。
私は、心にひっかかった疑問を、ひとつ吐き出した。父娘で没交渉と――すれ違いはよくないものね?
「父上、先ほど相応しいものが継げばいいとおっしゃっていましたけれど、……例えば私が婿をとって、ヴァザ家を継ぎたいと言ったら……それは父上にとっては、ご不快ですか?」
父上はきょとん、とした。ややあってしまったな、と呟く。
「レミリア、――さっきのは、君の資質を問題視しての発言じゃない。君が継ぎたいのなら、それでいい。だが、君が家のために犠牲になることは、私は望まないよ――それは覚えておいで」
「ありがとうございます、父上」
私はほっとした。
出来のいい娘ではない自覚があるので、早々に見限られていたらどうしようかと思った。
「公爵家を継ぎたい?」
はい、ともいいえ、とも私は答えられない。
父上の気持ちもありがたいけれど、母上や祖父は私が義務をはたすことを期待して私に色々と教育してくれるのだ。
「――まだ、わかりません。父上。けれど、いつかきちんと選べるように、準備はしておきたいと、思います」
父上は今度は優しい視線で私を見た。
それがいいよ、と肯定してくれる。
「君は真面目だから、――私などよりも、よほどいい当主になるよ。そうだね、まだ君は子供なんだから、ゆっくり悩んでおいで……」
翌朝、まだ早い時間に私は王宮についた。
会議に行く父上とは別れて、私は王女の温室へ案内される。
いらっしゃい、と言った王女の横にはマリアンヌとヴィンセントがいた。
それと、思いがけない人物をみつけて私は声をあげそうになる。
緋色の髪に、サファイアの瞳。
一見すると少女のような――けれど、そうでないのを私は知っている。
アレクサンデル!
異能者を多く排出するレトの血族の少年。ヴァザの長老、マラヤ様が「私の護衛にさせたい」と(勝手に)言っていた人物だ。
ついでに言えば、攻略対象の一人で、神官長になる少年……。
アレクサンデルは立ち上がり、私に礼をとった。
「初めまして、レミリア様。アレクサンデルと申します」
「……はじめまして」
私は彼の感情をうかがいしれない顔をみながら、応じた。
フランチェスカが「レミリアに紹介するよ」と私と彼の間に立った。
「アレクサンデルは国教会の神官候補者で」
ええ、存じ上げています。私は無表情の下で頷く。
初めてではないもの。私の動揺に気付いているのか、いないのか。
フランチェスカは続けた。
「今月から、私の護衛をしてくれているんだ」
……へぇぇ!




