36. 温室と姫君 1
更新は週2目途で…。
旅を終えて一月ほどたった秋のはじめ。
私は誕生日を迎えて、十一歳になった。
去年の誕生日は十歳の節目ということで、それなりに盛大に祝って貰ったけれど、毎年盛大にすることもないだろう、という父上の意向で(単に、色んな他人に会いたくなかっただけな気もするけど…)今年はごく親しい人たちだけで、ささやかに祝ってもらった。
母上は祝事が減って寂しそうだったけれど、私は、父上から「誕生日に」と結構な贈物をいただいたので、一向に構わない。
誕生日の一月前、旅の報告を二人に終えた夜、私が薬草園を作ってみたい、言うと父上は「いいんじゃないか」と予想外なことにあっさりと喜んだ。
娘が己と同じ道(農業?)を進むのは嬉しいものなのかもしれない。
母上は「レシェクと同じ趣味……」とすこぶる嫌そうな顔をしたけれど、お祖父様の火傷を治す薬草を作りたいな……のくだりで、仕方ないわね、と折れた。
喧嘩ばかりの父娘だけど、数年前にお祖母さまが亡くなって、独り身のお祖父さまの体調を母上が気にしているのは知っている。孫娘の祖父への気遣いを無碍にはしたくなかったのかも。
「薬草園はいいですけれど」
と母上は言った。
「けれど、レシェク。貴方のように、レミリアが屋外で作業するのは反対ですよ」
「どうして」
父上の問い掛けに、母上は深く溜息をついた。
「レミリアの白い肌が台なしになるじゃありませんか。この子のせっかくの美点なのに」
数少ない、とかうっかり言いそうになってませんでした?母上?
「子供用の作業着の手配なら私が」
「却下します」
父上の提案を母上は食い気味に切り捨てた。
公爵家の父娘そろっての麦藁作業着は、着道楽の母上には許容しがたいらしい。えー、お外で作業したかったなぁ、と私が残念がっていると、母上は妥協案を提示してくれた。
「屋敷の南側の温室を使ってはどう?今は特に何も作ってはいないけれど、今もミハウがたまに見てくれているから、荒れ放題ではないはずよ」
「私が温室を使っても、よろしいですか?」
私の問いかけに、母上は、父上を見た。父上が頷く。
「ミハウに話して、使えるようにしてもらいなさい。レシェク、それでいいかしら」
「構わないよ――レミリア。君の誕生日祝いに、温室を贈ろう。好きに改装してみるといい」
――そういうわけで、めでたく温室は私のものになったのだった。
屋敷の南にある温室は、父上のお母様が造らせたものらしい。
ベアトリス陛下やフランチェスカ王女のローズ・ガーデンみたいに立派なものではないけど、四角錐の屋根が可愛い建物で、二階建て程度の高さはある。
大人の腰の高さまである煉瓦の土台に、木枠が組木のように組まれていて、それが幾何学模様のように天井まで続いている。
木枠の間には特別にしつらえられたガラスがはめこまれて、強い陽射しを柔らかく変換させていた。
そこまで広いとは言えないけれど全て空にしたら、五十人位は立食でパーティーが出来そう。私が扱うには、十分な大きさだった。
誕生日の翌日には、ミハウさんが手配してくれた業者の人が内装も綺麗に整えてくれて、体裁が整ったのをみて、私は歓喜した。なんだか、秘密基地みたい!
最初から薬草は難しいから、ハーブを植えてみてはどうですか、とミハウさんが提案してくれた。ハーブかぁ、それもいいな。
「ハーブを収穫するまでに、どんなものを植えるかゆっくり考えなさるとよいですよ」
計画的に設計しないと、何がなんだかわからなくなりそうだもんね。
「ねえ、ミハウ。野菜とかも植えたらだめかしら」
計画的に、なんて言った側から言うことじゃないけど。
お野菜も育ててみたいなぁ……。
温室の東側は、一部土をむき出しにして畝になっている。その畝に一定間隔でとハーブの苗を配置しながら私が言うと、ミハウさんは楽しそうに笑った。
「お花や薬草じゃなくてですか、お嬢様。たくさん育ったらどうされますね」
「収穫したら皆で食べるの。料理長に希望をきいてみようかしら」
ミハウさんは、と肩を揺らし「今度、育てやすい冬の野菜を探してみますかな」と言ってくれた。
スタニスからお誕生日の贈物は何がよろしいですか、と聞かれたので「温室に丸いテーブルと椅子を置きたい」とねだると、彼はどこからかテーブルと椅子を二脚ひっぱり出してくれた。
落ち着いた木目のテーブルは煉瓦で舗装された温室の床に似合いすぎて、目眩がしそうに嬉しい。
「可愛い!」
「……差し出がましいですがお嬢様、テーブルは四角い方が物が置きやすくていいと思うんですが」
「いいの、丸い方が可愛いから。お招きできるほど友達いないし!」
「……それは、元気よく言うことでしょうか……」
苦悩する侍従の横で私は別にいいもん、と口を尖らせた。本当は、誰か招待してここでのんびりくつろぎたいな、と思うけれど。
お招き出来るようなお友達がいない……。
しかし、誰か招いて自慢してみたいな、という私の願いは、あっさりと叶えられることになった。
ある日の夕食時、私たちが夕食を終えるのを見計らって、セバスティアンが、明日の来客の予定を告げる。
我が家は公爵家だし、父上は偏屈だし、前日に訪問の連絡をして、受け入れられる人など限られている。
案の定、お客様はヨアンナ様だった。
父上はわかったと呟くと私を見た。
「ヘンリクも来るらしい」
予想通り、従兄の名前があがり、父上は私によかったね、といい、母上は仲良くしなさいね、と私に言い付ける。
ヨアンナ様とは父上も母上も懇意だから楽しくていいんだろうけど、私は別にヘンリクの訪問はうれしくないぞ。
「……わかりました、父上、母上」
「嬉しくなさそうね、レミリア。まだ喧嘩したままなの?」
沈んだ声で言うと、母上があきれた口調で言う。
「ヘンリクが、また私の画材をめちゃくちゃにするのではないかと、心配なのです、母上」
私の不機嫌な口調に、両親は一瞬顔を見合わせてやれやれ、と溜息をついた。
誕生日に来てくれたごく親しい人たち――そこにはもちろんヨアンナ伯母上と(不本意ながら)ヘンリクも含まれていた。それはいい。
ヘンリクは私のために、と得意なピアノを弾いてくれたりした。それもいい。正直嬉しかったし。
だけど。
私の誕生日に来訪こそしなかったものの――贈り物をくれた方は、そこそこいたのだ。その中に、見慣れぬ筆跡の小包がキルヒナー男爵の名前で届いて、開けるとそこにはシンが書いたメモと、共に絵の具――油絵で使うものではなく、水彩画で使う顔彩が並べてあった。
綺麗な表紙のスケッチブックも添えてある。
『皆から レミリアへ。
お誕生日おめでとう』
手紙が嫌いなシンらしく、素っ気ない文だったけど、私は物凄く喜んだ。
皆から、と書かれていたことも嬉しかったけど、「油絵より水彩画をやりたい」と何気なく私が言ったことを、シン達が覚えてくれているとは思わなかったのだ。
スタニスがドミニクからの説明書きを読んでくれた。
「ファン皇国の画材だそうですよ、お嬢様。――綺麗な色ですね」
「見たことない色合いばかりね」
水彩が描ける!と私が喜んでいると、こともあろうにヘンリクは「へえ、見せてよ」と言い、ヒョイ、と長方形のパレットをつまみあげた。
「くすんだ色だな」
十二色並んだ絵の具を、例の如くヘンリクが馬鹿にしはじめたので、私はむっとして、彼から絵の具をとりあげようとした。
「ヘンリク、私がもらったものに、勝手に触らないで!」
「いいだろ、別に――減るわけじゃないんだから」
「減るもの。やめて、乱暴に扱わないで」
「大丈夫だったら――!!ちょっと借りるだけだって――」
小さなパレットをとりあいになり、あっと思った時には時すでに遅し…。
私とヘンリクでとりあった結果、顔彩のはめられた長方形のパレットは高くと宙を舞い、パキン、と軽い音を立てて床に転がった。
幾つかの絵の具は粉々に割れて――床に散らばってしまっている。
私は泣くより先に腹が立って腹が立って、腹が立って――「……なんてことをするの……」と人生で初めてじゃないかという位、低い声がのどから出た。
さすがにまずいと思ったのかヘンリクは沈黙したけど、そっぽを向いて「君が手を放すから」とのたまった。
なんですって!!
それからはもう、(お客さまに見えないように一応部屋の隅で)髪と服の引っ張り合い、たたき合いである。ヘンリクも大人の目がないところでは私に容赦がないので、私たちは貴族の子女にあるまじき取っ組み合いを始め――、目敏くそれに気づいたスタニスとセバスティアンに仲裁されてしまった。
スタニスが私を猫の子よろしく抱えあげて、あきれた声を出す。
「ご令嬢が、殿方と殴り合いをするなんてことがありますか」
「だって、せっかく皆がくれたのに!」
目に涙を浮かべて抗議すると、散らばった絵の具に気づいたのか、スタニスはため息をついた。
「ヘンリク様……」
セバスとスタニス二人に非難の目を向けられ、ヘンリクはぷい、と横を向く。
「買って返せばいいんだろ。そんな安物、すぐに手に入る」
「買えないわ!せっかく――私のために選んでくれたのに……」
涙声になった私をよしよしと撫でながらスタニスが言った。
「絵の具ですから、手を加えてやれば、すぐにくっつきますよ――ヘンリク様もわざとじゃなかったんですからお嬢様もそんなにお怒りにならないで。ほら、お互いにあやまって仲直り――」
ヘンリクは私とスタニスと――散らばった絵の具を見て、吐き捨てた。
「いやだね。僕は謝らないぞ。馬鹿みたいだ、――そんな安物にころりと騙されて。そんなもののために、むきになるレミリアが悪い。大体シンが本当に選んだかどうかもわからないだろ!」
ヘンリクは深い青の瞳に不機嫌をのせて私を睨んだ。
私は唇を噛み、この十一年で何度となく口に乗せた憎まれ口をたたいた。
「――ヘンリクなんて、大嫌いっ!!二度と口きかないから!!」
それからひと月あまり、二度ほどヘンリクは我が家に来たけど、私もヘンリクもむすっとしたまま一言も口をきかなかった。
母上とヨアンナ伯母上もいつもの喧嘩かとため息をついたけれど、いつもの喧嘩じゃないもの。
確かに、絵の具はスタニスが綺麗になおしてくれたし、そんなに高価なものじゃないのかもしれないけれど。初めて「お友達」から貰ったものだったのだ。
今回ばかりは、ヘンリクから謝って貰わないと気が収まらない。
――そんなことを考えているうちに、ヨアンナ様とヘンリクが屋敷にやってきた。
ヨアンナ様と母上が仲良くお話を始めたので、私は仕方なくヘンリクに型通りの挨拶をする。ヘンリクも不機嫌な表情のまま、私に挨拶を返す。
ヨアンナ伯母上がぎこちない私たちに気づいて私をそっと抱きしめた。
「こんにちは、レミリア。ご機嫌はいかが?」
「いらっしゃいませ、伯母上。伯母上にお会い出来て嬉しいです」
来てくださるのが伯母上だけなら、もっと嬉しかったけど!
ヨアンナ様は蜂蜜色の髪をいつものように綺麗に結いあげてまとめていた。
伯母上はヴァザの一族にしては小柄で、瞳の色も深い青なので、カタジーナ伯母上曰く「ヴァザらしくない」。
なので、私は親近感を感じている。
優しい伯母上は柔らかく、それからいつもふわりと花の香がする。
耳元でそっと「そろそろヘンリクを許してあげて頂戴ね」と言われて微笑まれてしまった。
確かに、大人げなかったもんな、私も……。
私は仕方なくヘンリクを温室に案内することにした。
 




