ただいまの前に(前)
後一話で一章終わると言いつつ、前後にわけました。続きは日曜日に。
ひとつ寄るところがありますよ、と言われていた帰路四日目の昼、私とスタニスは王都の北の街、セザンに足を踏み入れた。
セザンに入る一つ手前の街で砂龍はキルヒナー商会にかえすことになったので、お別れ。
ハナのようには懐かないけれど、聞き分けのいい子だったよね。
噛まれないかなあ、と多少怯えながらさよならの代わりに喉の当たりを撫でると、目が青いからアオという、至ってシンプルな名前の砂龍はすこしだけ名残惜しそうに私に頭を擦り付けた。
セザンは物々しい白く高い壁で覆われた街だった。
私はこの白と石で囲まれた重厚な街があまり好きではない。空気が重い気がするもの。
街を一周するようにぐるりと囲む高い壁の真南に、壁の上まである重々しい門があり、街に訪れる人々を睥睨していた。
白い服をきっちりと着こんだ騎士たちは熱いだろうに涼しい顔を装い、街に出入りする人々の検査を行っている。
私とスタニスは馬車を門の近くでおりると、列には並ばず、そっと別の通路を通った。
門番から連絡をしていたのだろう。待ち構えていた白い服の騎士二人と、その上官の男性にひざまずいて出迎えられる。
物々しい感じに「王都に帰ってきた」という実感が湧く。
「お待ち申し上げておりました。殿下」
上官の男性は、やはり白を基調とした上下の服に、白に細かく刺繍がされたケープを羽織っていた。
にこやかな男性の言葉に私は殿下ではないけど、と思ったけれどもこの場所で否定すると事をややこしくするので、曖昧に微笑んで礼を言う。
「お出迎え感謝します、ジェナ神官」
――神官。そう。
ここセザンの街はカルディナの国教会の総本山なのだ。
王都の北を守護する、セザン。
住民の八割が聖職者という宗教都市にして、カルディナ国のもう一つの権力機関の長が住まう所。
私はガラス窓からのぞく、天高くそびえ立つ、白い三つの峰からなる建物をちらりとみた。
あの白い建物の中央が、国教会の中心となる礼拝堂だ。
その内部には神官と貴族しか参拝を許されぬ小さな部屋があり、その最奥には美しい神龍の彫刻が配置されているのを、私は知っていた。
カルディナの国教は神龍を祭るが――その神龍はヴァザ王家の始祖だとされている。
だから、国教会の聖職者には王朝が代替わりした今でさえ、ヴァザ家や竜族を、神のように崇める一部の狂信的な人々がいるのだ。
四十手前のジェナ神官は元々ヴァザの直臣だった子爵家の出身だから、余計に信仰があつく、私や父上に対して、崇拝者のような視線を向けてくれる。
正直に言うと、すこし重い。
「正式な訪問ではありませんので、どうぞあまり物々しくなさらずに」
スタニスに言われ神官は嬉しそうに眉を下げた。
「ああ、スタニス殿――。貴方が本教会にお越しになるのは、何年ぶりでしょう。貴方もカリシュ公爵も陛下に遠慮なさってセザンにはおいでにならない。お二人が最後に揃っておいでになったのは……」
嘆かわしげなジェナ神官の口上をスタニスはにこやかな表情を崩さずにしかし、つれなく遮った。
「昔話は不要ですよ。殿下は長旅でお疲れです。――御前はどちらに?」
ジェナ神官は至極残念そうに溜息をついた。
「御前様は奥の部屋でお待ちです。ご案内いたしましょう。……今も昔もつれない方ですな」
「ジェナ殿に愛想を振り撒いてどうするんです」
「またそのような。ヴァザのお屋敷にお邪魔してもあなたはいつもお留守で。たまにしかお会い出来ないんだ――哀れな神龍の下僕に、慈悲をくださってもよいのに」
神官の軽口に、スタニスは一瞬口の端を曲げて不快を示した。
おや、珍しい。言われてみれば神官が我が屋敷に来るときはスタニスはいつも急用でいないような。……苦手なのかな。
ジェナ神官は侍従の様子には気付かずに私たちを上機嫌で先導してくれる。
すれ違う神官や聖職者たちは私に気付くとその場で腰を折って、姿がみえなくなるまで平伏した。
ジェナ神官は穏やかな物腰の普通のおじさまだけど、妙に仕種が女性的で丁寧な人で、脇を固める二人も、騎士というには線が細く、ひ弱な感じさえする。
さらには、神官が我が侍従を見つめる視線は、何やら熱っぽい。……なんか、疑惑ぅ。私が神官の後ろを歩きながらもの言いたげに横に並んだスタニスをじーっとみつめていると、彼はちょっと眉をひそめて「お嬢様、前を向いて歩いてください。危ないでしょう」と私に小声で指示をした。
長く続いた廊下のつきあたり、豪奢な扉の奥にある一室の前でジェナ神官が扉の前でひざまずく。
彼が私たちの来訪を告げ、扉を開けることが許されると、両脇に控えていた騎士が左右に分かれて重厚な扉を開いた。
「ヴァザ家のお二人がお見えです」
「おはいり」
低い女性の声に許され、私たちは招かれる。
ジェナ神官は面をあげないまま後ずさり、私たちを残して扉が閉められた。
皮張りの深い色の椅子に悠然と身を沈めた女性は深く皺が刻まれてなお、気品あふれる微笑みを讃えて私を見ていた。
その傍らにいる小柄な老人に気付いて私は、あっと声をあげる。
老人が目線で私をしかりつけたので慌てて口をつぐむ。
母上から教えられた作法を思い出しながら美しい老女の前に腰を折り、挨拶を述べる。
よろしい、と声がしたので顔をあげて、今度は普通の礼をとった。
「――ごきげん麗しく、大叔母上様」
八十近い大叔母は(便宜上、私たちは彼女を大叔母と呼び、一族以外の皆は彼女を御前、と呼んでいる)元は金色だったろう艶のある銀髪を品よく結い上げ、深みを増した湖のような、水色の瞳で私を見つめた。
マラヤ・ベイジア・ヴァザ。
正確には、聖職者になる際の習慣でヴァザの家名は国教会に入る際に放棄されたので、彼女は単にマラヤ様、と呼ばれている。
――私の曾祖父、つまりはヴァザ王家最後の国王の末の妹にあたりさらには、国教会の神官でもあった人だ。
神に身を捧げ、王朝が終焉した動乱期にも国教会に身をよせて政治には関わらずにいた方で、神官の職を辞した後もヴァザの家には戻らずにセザンで過ごされている。
「レミリア様。よくおいでになられました」
マラヤ様はわずかに微笑まれる。
マラヤ様のそば近く侍っていた侍女たちはしずしずと私に頭をたれ、部屋を出ていった。彼女たちを外に出すと、大叔母上のまとう空気がすこしだけ柔らかくなり、ほっとする。
「久々に貴女の顔がみたいとレシェク様に水鏡で伝えたら、旅に出ているとおっしゃるので。――帰り道に寄ってほしいと頼んだのです」
マラヤ様は椅子の横に置かれた卓の上にある銀色の盆のようなものに、手を添えた。
盆に張られた水が光をはじいてキラキラと光る。
水鏡――異能を持つマラヤ様は光る水や鏡を使って遠方の人と話すことが出来る。そう、魔法である。
国教会では魔法ではなく「異能」というけれど、使える人はとても少ない。
側室の子とはいえ、王家の末姫だったマラヤ様だが、その力ゆえに請われて国教会へ入り、家名を返上した。
私はまだ、マラヤ様が力を使うところを見たことはないので、どのように使うのか、と、興味深く鏡をみる。
「長旅は疲れたでしょう。それなのに私の我儘でよっていただいて申し訳もない事」
「いいえ、大叔母上にお会いできて嬉しゅうございます。その……お祖父様にも」
私は答えてからマラヤ様の隣でにこにこと笑う老人に視線を移す。
柔和な顔の小柄な老人は、私に微笑みかける。笑うと、きれいに切り揃えた口髭がぴょん、と動いてなんとも愉快な感じになる。私は思わずつられて微笑んだ。
私の祖父。カミンスキ伯爵だ。
マラヤ様のご機嫌伺いをしてくるように、と父上から御達示があったから、セザンへ訪問したのだけれど、お祖父さまがいるとは思わなかったな。
「だそうよ、カミンスキ伯爵」
マラヤ様が笑いかけると、祖父は相好を崩した。
「私もレミリア様に会えて、うれしゅうございますよ。御無事で何より。全く、幼いレミリア様にお一人で遠出をさせるなんて、公爵も何をお考えか――心配で爺は食事が喉をとおりませんでしたよ」
そうかなぁ。この前お会いした時と同じく、血色いいけど、おじいさま。
「ひとりじゃありません、お祖父さま。スタニスもいたし、キルヒナー男爵家の皆様も一緒でした」
シン達も来たし。
楽しかった、とはマラヤ様の前では秘密にしておこう。私が言うと、祖父はおお、そうだった、と私の後ろで控えているスタニスの労を労った。
「お前もご苦労だったね、スタニス。レミリア様が我が儘を言って道中、困らせたんじゃないのかね」
スタニスは私はなにも、と否定し、お嬢様はご立派でしたよと笑う。
我が儘は――そんなに言ってないよ。はらはら、はさせたと思うけど。
それよりも、と私は尋ねた。
「お祖父さまがいらしているとは思いませんでした。セザンにご用事があったのですか?」
「私は定期的にセザンを訪れるのですよ。用事が終わり、マラヤ様にご挨拶に来たら、レミリア様がおいでになるというのでね。ここで待っておりました」
祖父は目を細めると私に近づきそっと肩に手をおいた。
「ご無事で、なにより」
「はい、ご心配ありがとうごさいました。お祖父さま」
侍女達が茶の用意をしてきたので、マラヤ様は私たちにテーブルへ行くよう指示する。足の悪いマラヤ様は、スタニスが恭しく抱えて、移動させた。
椅子に座り直した老女は、私に旅は楽しかったか、と尋ね、私は旅のあれこれをシンがいたことは除いて報告した。
マラヤ様はシンや現王家に対立はされていないけれど……一定の距離を取っていらっしゃるので、ありのままは話し難い。
彼女は私の話を楽しそうに聞き、優しく質問する。
「ドラゴンが大きくなったなら、貴女自身が乗るおつもりなのね?」
はい、と返事をする。
「ヴァザの始祖は龍でした。その末裔の貴女なら、きっと乗りこなすことが出来ますよ」
神官だった彼女に言われるとお告げのようだ。がんばろう。
「ただし、ドラゴンに乗るなら、よく訓練をしなければ――スタニス、頼みましたよ」
マラヤ様に声をかけられ、私の背後に控えているスタニスは、御意と頭を下げた。シン様に教えてもらうことは私もスタニスも黙っている。
私たちが話し込んでいると、マラヤ様に仕えている初老の男性がやってきて、彼女に耳打ちをした。
ああ、丁度いいわと言い、彼女は客人を部屋の中に招き入れるよう指示する。
「レミリア様」
「はい」
「貴女に会わせたいものがいます」
「私に、ですか?」
「ええ」
マラヤ様が合図をすると、扉が開かれ、緋色の髪をした女性が、同じ色の髪を短く切り揃えた女の子を連れ、入室してきた。
「――お初にお目にかかります。ヴァザの姫君」
白い神官服に、艶やかな緋色の髪を模様のように散らせた女性は、二十代の半ばだろうか。マラヤ様に恭しく挨拶をした後、私の前でも腰を折る。開いた瞳はサファイアのような蒼。
並ぶ女の子――私よりは年上だろう――も同じ色彩を纏っていた。華やかだなぁ。
女の子はにこやかな女性とは対照的に、無表情で私に頭を下げた。
「――レミリア様はいくつにおなりかしら」
問われ、私は来月には十一になります、と答えた。マラヤ様は、ふと溜息をついた。
「昔はね、ヴァザの者は十になれば国教会から選ばれた、自分だけの専属の守護者を持っていたのですよ。ここにいる二人は同じ一族の出身ですが――ヴァザ家を守る任を、最も多く担っていた血筋でもあります」
私はへええ、と思いながら、首を傾げた。でも、なんだろう、今の話、どこかで聞いたような。
緋色の髪をした女性が、微笑みを保ったまま、頭をあげた。
「ヴァザの家をお守りするのが我が一族の誉れ。けれど、カリシュ公爵は、陛下に遠慮なさって我等を頼ってはくださらないのです。レミリア様も今すぐに、とは申しませんが、是非、私どもをお側においてくださいませ」
私は、言葉に困って女性と――女の子をみた。口を開こうとした私の手を、机の下でそっとカミンスキ伯爵が握る。黙って聞いておきなさい、という事かな。
けれど、護衛?私に?専属の?
「護衛ですか?私が国教会の方からわざわざ護衛していただくのはとても恐れ多い気がします」
私が困惑のまま――しかし反論せずに恐る恐るただ尋ねると、マラヤ様は首を振った。
「この前は怖い目にあったでしょう、レミリア様。やはり、身辺の警護はもっと、厚くするべきです」
確かに、数ヶ月前、崖から落ちそうになって死にかけた…。
原因は馬が薬を吸わされていたせいで…。明らかに私は殺されかけたのだ、と思う。
「この者なら歳も近いし、ちょうどよいでしょう。今すぐに、とは言わないのだけれど、考えておいて頂戴。レシェク様には私から伝えておきますから」
挨拶なさい、と言われて、――女の子は私を蒼い目で射抜いた。
「――お初にお目にかかります、殿下」
私は、見た目に似合わず、ハスキーな声ねと彼女をみつめる。そして、続いた彼女の言葉に、絶句した。
「アレクサンデルと申します」
少年の名前だ。アレクサンデルーー?アレク…さま。
私はぎょっとして目の前の人物を見た。
女の子――ではない、よくよく見れば顔立ちも女の子にしては凛々しい。
そして、なにより、――なによりも、その名前と炎のような髪と、対照的なブルーの瞳。
私は目の前の人物が誰か、いま、ようやく気付いた!
「どうなさいました?」
少年の血縁だろう女性が首を傾げる。
私は慌てて「失礼を。男の方だと思わなくて」と繕った。女性は、慣れているのか、ふふ、と笑い、少年は困惑と、僅かながら不快な感情を瞳にのせた。
あああ!動揺のあまり、失礼なことを!!ごめんなさい!!
しかし、あまり謝りすぎるのも妙だろうか、ぎこちなく微笑む。
リディアと名乗った女性は、少年の叔母だといい、マラヤ様の許しを得て、甥共々、私達と同じテーブルについた。
侍女達が私たちに次々と茶や菓子をもってきてくれる。私は菓子に手を付ける気にもなれずに、ひたすら紅茶の水面の模様をみて、早く時間が経つのを願っていた。
少年は品よくカップを口元に運びながら談笑する大人たちの輪と、だんまりを決め込む私を、じっと観察している。
私はひたすら頭の中で、胃薬、胃薬が欲しい、と呪文のように唱えていた。
「アレクは力の強い子なのですよ――神官長も、その才能に期待しておられて」
(……知っています)
マラヤ様の嬉しそうな声に、祖父がそれは凄いと相槌をうつ。
(……というより、今思い出しました!)
私は、上の空で二人の会話を聞きながら炎のような髪を持つ、少年の横顔を盗み見て、視線が合いそうになり、慌てて目を逸らした。
ローズ・ガーデンで、女王フランチェスカの攻略対象となる男性は四人いる。
半竜族のシン。武術に優れたイザーク。宰相となるヴィンセント。
そして、最後にもうひとり。
苛烈な性格を表すような緋色の髪を持つ彼は、フランチェスカ女王に心酔し、王家に対して批判的だった国教会をまとめあげる一方――女王に害なす、元々、彼の主家だったヴァザを没落――あるいは滅亡へと導く。
(……出来れば、忘れたままでいたかった)
未来の神官長、アレクサンデル少年が、私の前にいた。




