私のドラゴン 8
「叔父は、私のためにあの話を書いてくれたんです」
私の大好きな童話、ケペルブルクの王子様、に出てくるウサギのヒロイン、マリ。
そのモデル、マリアンヌ・フッカー嬢は、懐かしむように教えてくれた。
ドラゴンが生まれた次の日の夜、キルヒナーのお屋敷でいただく最後の夕食を食べ終わって私がのほほんと涼んでいると、マリアンヌが先日は本当に失礼をしました、と彼女が私に(ヴィンセント曰く)八つ当たりした事を、謝りに来てくれたのだった。
ドラゴンの雛達は親元を離れていい大きさまで、キルヒナーのお屋敷で飼育されることになり、私とスタニスは一足先に王都に帰る。シン達は陛下からの指示で、もう少し北部にいるんだって。
一緒に帰れるかな、と期待していたから、少し残念。
謝ってくれたマリアンヌに私は、もう怒っていませんわ、と首を振った。(正直、マリアンヌに一方的に怒られたのも忘れていたし)、なんだかドラゴンが生まれたのが嬉しくて、私もマリアンヌもほわほわした気持ちになってるんだと思う。
年上の女の子に頭を下げてもらうのも落ち着かないから、仲直りしておこう。ついでに、私もエーミール様を読書会に呼んだのは私なんです、と白状して、謝っておく。
私の伯母、ヨアンナが主催する読書会。そのゲストにエーミール様を呼んだせいで、マリアンヌはエーミール様と久々の再会が果たせなかった。
「まあ、そうでしたの」
「お客様はエーミール様がいい、と私が無理に頼んだのです。マリアンヌ様の叔父上だとは、存じ上げなくて」
それと、と付け加えておく。
「あ、父にエーミール様の援助を頼んだのは私ではありませんわ!私、エーミール様のファンになったの、二巻が出てからですもの」
そこは言い訳するもんね、ちゃんと!
マリアンヌはヴィンセントから聞きました、と笑う。
「私が、大好きな童話で。私の誕生日に、叔父が身内だけに小さな本にして配ったんです。――たまたまそれを読んだ知り合いの出版社の方がとても褒めて下さって。そんなに評価されるなら、こっそり出版すればいいわ!って私と母も唆してしまって――結局そのせいで叔父は軍を辞めてしまって。本当は叔父を支援して下さった公爵にお礼を言うべきなんでしょうけど……私は、軍をやめてほしくなかったので」
マリアンヌは複雑そうに言った。
「叔父本人は楽しそうですけども……」
エーミール様は、将来を期待された軍人だった、らしい。
マリアンヌの実家もエーミール様の実家も軍門だから、難しい事も多いのだろう。
「また叔父が招かれる読書会があったら、私も招待してくださいますか」
私は喜んで、と承知した。
「今度、ケペルブルクのお話を一緒にしてくださる?」
断られたらどうしようかな、とドキドキしながら聞いてみると、マリアンヌは是非、と言ってくれた。
社交辞令じゃないといいな。
「フランチェスカ殿下もご一緒されたら、きっと、喜ばれますわ」
そう、フランチェスカ殿下もあのお話、好きなんだよね。私は気後れするなぁ、と考えたけれども、頷いた。
「喜んで――けれどマリアンヌ様、私が挿絵を描いて喜んでいるのは殿下には内緒にしてね?絶対よ」
マリアンヌはええ、と笑った。
口が軽いのは私よりシン様ですわ、と言って彼をみる。
「フランチェスカ殿下に聞かれたら、なんでも話してしまうんですから」
それはまずいな。口止めしなくちゃ。
シンはヴィンセントにあれやこれや楽しげに話しかけて、ヴィンセントがくすくすと笑っている。ちっとも似ていない二人だけど、兄弟みたい。
王都を出て一月半あまり。シン達と沢山話せたのはよかった。旅が終わってしまうのは、名残惜しい。
夕食の前に、私の世話係のウルスラにもお別れを言うと、しんみりと別れを惜しんでくれた。
マリアンヌから離れ、キルヒナー兄弟の所に改めて旅のお礼を言うと、兄弟はどちらも私に早めの再会を約束してくれた。
「また、美味しいものをお持ちしますね」
「私の所へおいでになる前に、ドミニク様はメルジェにも行かなくてはなりませんよね?」
シルヴィア姉様に会いにね?
私が意地悪く言うと、ドミニクは「それはもう、早急に、雛の様子を説明せねばなりませんから」と悪びれなく言った。
「脈、あると思う?」
イザークが、浮かれ顔の兄君を冷静な目で見て私に囁いた。
「……シルヴィア姉様、年下は好みじゃないって」
こそっと言うと、だよな、とイザークはあきらめ顔で飲み物を口に運んだ。
「兄上、それなりにもてるんだけど――好きな人にはいつもフラれるんだよな」
おかわいそうに……。
まあ、本人が楽しそうだからいいのかな。
私が同情を込めてドミニクを見ていると「レミリアとは、気が合うと思うぜ?」と、イザークがやけにいい笑顔でのたまった。
……どういう意味かしらね、知人イザーク様……。
イザークと一緒にシンとヴィンセントにもお別れを言いに行くと、シンは、また遊ぼう、と約束してくれた。
本当にシンからドラゴンの乗り方を教えて貰えるみたい。屋敷に帰ったら、訓練に備えて体力づくりでもしようかな。
ヴィンセントは微笑んでお別れは言ってくれたけれど、特別何かを言うことはなかった。
彼の私への敵意が薄れているといいけれど。どうだろうか。
スタニスと何やら話し込んでいたキルヒナー男爵は、二人の話に聞き耳を立てた私に気づくと会話を中断し、笑顔で近くまで来てくれた。この度は……、と私に改めてお礼を言ってくれる。
「これに懲りずに、またお越しください。いつでも喜んでお迎えいたします――北部には、観光すべき場所も沢山ございますから」
私はええ、と頷いた。
北部の神話や言い伝えは私には面白そうだったけれど、観光が全く出来なかったのは残念だった。また北部に来れる日がくるといいな。
キルヒナー男爵が私に話しかけている間、シンは、じっと男爵の隣のスタニスを見ていた。
スタニスは自分は階下の者ですし、明日も早いから、と夕食会を固辞しようとしたけれど、私と男爵に言われ、仕方なくここにいる。それでも、彼が手にしていたのはお酒ではなく、ただの水だった。
シンは可愛く小首を傾げ、スタニスに、ねぇ、と笑いかけた。
「ねえ、あなたって俺と同じ?」
「…………はい?」
スタニスが、笑顔で固まっている。
「同じって、何がです?」
私はきょとんとした。視界の端では、キルヒナー親子が、あちゃーという顔をしている。ん?なんで?
「スタニスって、半竜族じゃないの?違うの?」
固まってしまった我が家の万能使用人と、ぽかんと口を開けた私に構わず、シンは無邪気に続けた。
「ドラゴンに乗るのが上手だし、よく観察したら、俺と同じ気配がするもん。ヴァザ縁の人なら半竜族でもおかしくないよね?目が金色じゃないから、半分よりか、少し遠い?」
「スタニスが、ですか?」
確かに、昼間キルヒナーのお家のドラゴンを借りて騎乗したスタニスは、随分様になっていた。それに限らず、色々も器用な人だし、竜族の血筋ゆえといってもおかしくないだろう。
だけど、スタニスの薄茶の瞳はどちらも金色ではない……。
(スタニスが、竜族?)
思ってもみなかったことを言われて私は考え込み、脳裏にイェン様とテーセウス先生とそれからシンを思い浮かべ。
それから、三人の横に、スタニスの顔をぽわわん、と並べてみた。
…………スタニスが、竜族…………。
(うん!ないね!)
私はぷはっ、と吹き出した。
「ありえないと思いますわ!」
「え、そうなの?」
「ありません!」
きっぱりと言った私に、シンが目を丸くした。
(だってスタニス、美形じゃないもーん)
ビシッとしてるときはちょっとだけカッコイイけど、休日のスタニスなんて前世の日曜のお父さんレベルにだらけているよ?
私や母上にだらし無い格好を見られたら怒られるから、階下でダラダラしているけど、お屋敷ぼっち探検が大好きな私は、ちゃーんと見つけて、証拠も残しているのだ!
そんなスタニスを竜族の皆様と同じにしたら、石投げられちゃうよね?
「……お嬢様が、今、すごーく、私に失礼なことを考えているのが、よーくわかりますよ…」
スタニスが苦り切った声で言った。
はっ!ばれた!!
私は口を尖らせた。別に顔だけで言ってるわけじゃないもん。ちゃんと根拠があるもんね。
「だって、スタニス、サボテン枯らすじゃない」
ぐ、とスタニスが沈黙した。
「ほら、反論出来ないでしょう!」
竜族といえば植物大好きなはず。
しかしながら、我が家の万能侍従は、植物の栽培だけが、どうしてだか苦手なのだ。竜族であろうはずもない。
庭師のミハウさんが十日いないだけで、代理で世話した庭の薔薇の大半を枯らす(父上も枯れそうになっていた)、貰った切り花を生けると何故か一日で枯れる(侍女頭が、だからスタニスには渡したくなかったのよ!と怒っていた)。
西国土産に貰ったサボテンを部屋の窓辺に並べたところ、一月で完全ミイラ化させる。
話題には事欠かない。
執事のセバスティアンが何か特別な気でも出てるのかねぇと首を傾げていたほどだ。
「えっ!……じゃあ違うのかな」
シンは若干引き気味にスタニスを見上げた。サボテンってどうやったら枯れるの?と真剣にスタニスに聞いている。
スタニスは「どうやってですかね……?」と虚に視線をさ迷わせた。
まあ、と気をとりなおして、スタニスはシンを見つめ返した。
「――何かと器用に出来ましたので、軍部にいた時分から、そうじゃないかと言われることはありましたね。――己の血筋はよくわかりませんが、多少は混じっているかもしれません」
よくは知らないけれどスタニスの、ご両親は彼が少年のころ亡くなったとセバスティアンから聞いたことがある。
「そっかぁ」
シンはちょっと残念そうに言ったので、
「スタニスの、遠いご先祖様にはいたかもしれませんわね」
私はちゃんと二人をフォローしてあげた。
私がニコニコと笑っていると、スタニスはとほほ、といった風に肩を落とした。その様子を、キルヒナー男爵と、なぜかイザークも堪え切れずに笑っている。
変なの。
翌朝、私とスタニスはキルヒナー男爵の屋敷をあとにした。
◆◆◆
「まさかドラゴンに乗って帰るとは思わなかったわ……」
スタニスに抱きかかえられるようにして、ドラゴンに騎乗し、眼下に広がる北部の街を見下ろしながら私は呟いた。
父上から「ドラゴンを飼うつもりなら、乗りなれておいで」……というお達しがあったらしく、帰路は元々、その予定だったらしい。
スタニスと二人っきりの旅なんて、行きよりもっとドキドキするねと言うと、たった五日ですけどねぇ、とスタニスが笑った。もっと長いといいのにな。
家に帰れるのは楽しいけど、旅が終わるのは寂しいね。
高いところの風は気持ちがいいなあと感触を楽しんでいると、スタニスが苦笑した。
「もう少し怖がって頂けるかと思っていたんですが……お嬢様は高いところが平気ですか」
うーん、と私は考え込んだ。
「そんなに。――高いところが好きなわけじゃないけれど、スタニスがいたら、どこでも怖くないもん」
「お上手が言えるくらいには、平気なご様子で」
侍従は私の背中で苦笑する。
スタニスは、ドラゴンの操縦が本当に上手だった。
速いからと飛龍ではなく、砂龍をキルヒナー商会が貸してくれたのだけど、気性が荒いという砂龍は彼が手綱を握った途端、おとなしくなった。
慣れてるのね、と私が感心すると「昔は今よりもドラゴンに乗れる機会が多かったんですよ」とスタニスは謙遜した。
今の竜族の長が代替わりする前は、もっと竜族と人間の交流はさかんだったらしい。
だから、ドラゴンの飼育数も多かったし、ある程度の地位にあった軍人は今よりも頻繁にドラゴンに乗る機会があった、とか。
「ある程度の地位にいたんだ、スタニス!」
「それはまあ、ヴァザ家の御威光で」
私の揶揄いに侍従は、お道化て答えた。
「……ねえ、スタニス。軍人さんにもう一回なりたいとか思ったり、する?」
「どうしたんですか、お嬢様。いきなり」
ドラゴンの騎乗だけでなく、スタニスは――本当に、何でもできる人なのだ。このままで満足なんだろうか。
昔は(たぶん)名の知れた軍人だったスタニスは、今でも腕は立つし、そのころの経験からか、西国の言葉や南国の言葉も喋れる。
人当たりもいいし……おおよそ彼が出来ない仕事を見たことがない、公爵家の財務だって、セバスティアンの補佐をしているから、あらかたわかっていると思う。
いかに旧王家とはいえ、……じきに執事にはなるだろうけど……使用人のままで、満足なんだろうか。
昨夜、キルヒナー男爵が冗談めかして「お前も北部に来て商売でもはじめりゃいいのに。いつでも歓迎するぞ」とスタニスに言っていたのを、私は聞いていた。スタニスは馬鹿を言わないで貰えますか、と呆れた風だったけど。あれは、本音だろうか。
「ヴァザ家が嫌になって、転職しちゃったりしない?」
見上げた私に、スタニスが目を丸くした。
「転職ですか?それはまた……考えたこともなかったですね」
「本当に?」
私がなおも疑問を口にすると、無礼者のスタニスは、空の上で誰も見ていないのをいいことに、よしよしと私の頭を撫でた。
「さては、昨日の男爵の冗談を真に受けましたね、お嬢様。……転職なんて考えたこともありませんし。私が公爵家以外のどこかに行くことはありえませんよ……でも、そうですねえ、お嬢様が嫁がれたら、転職でも考えますか」
ええー、と私は不安の声をあげた。
「スタニスがいなくなったら、お父様が困っちゃうから駄目よ」
「公爵はやればおひとりで何でも出来ますよ。面倒くさがって、いつもさぼっておられますけどね」
本当かしら、と首をかしげ、私はスタニスの薄茶の――ともすれば冷たくみえがちな瞳を、じっと見つめた。
キルヒナーの屋敷で見た悪夢では、スタニスは傍にいてくれなかった。
(だけどあれは夢だから。スタニスがいなくなる事も、あんな悪夢も、現実にはなりえないよね)
「約束ね。私が誰かと結婚するまでは、うちにいてね」
「お約束しますよ。ずっと、おそばにおります」
砂龍の背の上で私は無邪気に甘えて、私の侍従は微笑みながら約束を返してくれる。私はご機嫌でスタニスに全体重を預けた。
それは他愛もない日常で繰り返される、いつものように他愛もない約束だった。
けれど。
後に、その約束を私はひどく後悔するはめになった。
側になんていてくれなくて、よかったのに。
彼がどこかで元気でいてくれるだけでいい、と。
――私は、彼の手を離すべきだったのに。
ドラゴンは、一路、私達の都へと風を裂いて進んでいく――。
後2話で、一章は終わり。
明日は幕間。




