私のドラゴン 7
シンの冷たい言葉に、私は耳を疑う。彼のすぐ近くで、断続的な音は、まだ続いているのに。
「それは、どういう意味ですか?」
シンはハナをそっと撫でながら、色違いの瞳を細めて、すぐ先にある卵をじっと見た。手を伸ばせばそこにあるのに、彼は決してそれに触れようとしない。
「ドラゴンの雛で――卵から出れないまま、死んでしまう事があるんだ。強い雛はちゃんと自分で、でてこれるからいいけど……」
ギャ、ギャと生まれたばかりの二匹の雛が、同意するかのように鳴いた。
厩務員さんが、そっと雛達に近付いて二匹を籠に入れる。ハナの視界に入るよう、でも、自分たちで勝手に歩き回らないよう、絶妙の位置に籠を置いた。歩き回っていた彼らは安心したかのように、籠におさまって肩をよせている。
「その卵みたいに、力を持たない雛は、殻から出られずにそのまま朽ちていく」
「死んでしまう、ということ?」
「生まれないまま、神様のところに還るんだ。死ぬわけじゃない」
……生まれない事と、死ぬことは、何が違うんだろう。
私は卵をじ、っと見た。心なしか、音が小さくなった気がする。
「殻を破りやすいように、ひびを入れてあげては駄目なの?」
「自分で殻を破れない雛は、永くは生きないよ。だから、駄目だ」
いつも優しいシンは、穏やかな口調のまま、きっぱりと私の提案を拒絶した。
「ハナはもう、野生ではないわ。野生じゃないドラゴンなら人が保護しないといけないのでは?」
「俺も、そう思うけど、駄目なの?」
イザークが聞き、ヴィンセントとマリアンヌが、同意するように、シンを見た。あの卵だって、生まれてしまえば、ちゃんと息をするのに。大事に育てたらきっと、大きくなるのに。なのに、手を貸してあげないの?シンは首を振った。
「運命があるんだ。人でも、ドラゴンでも。――それは、勝手に変えちゃいけない」
運命。嫌な言葉。
(そんなの、わからないじゃない。運命が決まっているなんて、そんなのは嫌だ。変えちゃいけない、なんて)
私は、自分と雛を重ねて、わけもなく泣きたくなった。
決まっている運命から逆らえないなら、何のために頑張ってるんだろう。
「あの子がいいな」
私は、ドミニクに助けを求めた。
「ドミニク様、私、あの卵がほしい。それでも助けてあげたら、だめ?」
「そう、ですね」
ドミニクはちょっと困った顔でシンをみた。
シンは沈黙し、やがて、諦めたように私とドミニクを交互に見た。
「そうだね、キルヒナーのドラゴンだから、ドミニクの好きにしていいよ。でも、俺は駄目だと思う。判断は、レミリアに任せる」
「私は、手伝ってやっていいと思いますよ」
ドミニクは私に微笑みかけ、厩務員さんに目配せした。
そして、ハナから届かないよう、距離をとりながら卵に近づいていく……。厩務員さんを、私は、止めた。
「――待って。待ってください」
「レミリア様?」
私は、ハナの尾の先に転がったままの、卵を見る。
「まだ、待ちます。あの子が、自分で出てくるの」
シンが駄目というものを、無理にしてはいけない気がしたし、なにより、私は卵がきちんと自分の力で孵るのを、見てみたかった。
(……ねえ、あなたはちゃんと、運命に勝つでしょう?竜族から駄目だと言われたって、きちんと生まれてくるでしょう?)
私の勝手な言い分を、ドミニクは分かりました、認めてくれて、厩務員さんは彼の隣に戻った。
私は、そっと、柵の前に移動して、服が汚れるのも気にせずに座り込んだ。
卵がちゃんと生まれますように、と祈る思いで見つめる。
けれど、いつまで待っても、卵が破られる気配は――なかった。
(音が、段々と小さくなっていく気がする――)
私は俯いた。
可哀相だ、と思うのと、同時に、やっぱり駄目なのかな、と酷く悲しい気持ちがする。私の祈りなんて、通じないのかな。自分の運命にあらがう、なんて事は無理なのか。いっそ、シンが諦めたらといってくれないかな、と私は思った。もしくはドミニクが、私の意見を聞かずに、雛を助けてくれないかな、と。そんな卑怯な事を考えた。けれど、二人とも、待ってほしいと願った、私の意見を尊重しようとしてくれている。
このまま、卵を生まれないままにするのが正しい、のだろうか。私はしばらく考えこんで、卵の中に耳を傾けた。
まだ、音は聞こえている。
私は、その場に立ちあがった。
シンには、人間の身勝手だとがっかりされるだろうけど、私は彼に嫌われても、あの卵を助けてやりたかった。ひびを入れてくれないか、頼もうと思ったとき――。
キュー、と鳴いたハナがシンの膝から顔をあげて、立ち上がった。
危ないかも、とヒヤリとしたけれど、ハナはシンのおかげか、すっかり落ち着いていて、私を害する気配はない。シンは黙ってハナと私を見ている。シンが止めないから、大丈夫だろう、と判断して、私は彼女の首を撫でた。
ごめんね、ハナ。いいことか悪いことか、私にはわからないけれど、貴女の卵を無理矢理生まれさせても、いいかな?神様にお返しせずに、いいかな。
(れみりあ、ナゼ泣クノ、ドウシタノ。ナカナイデ)
ハナが、キュー、と優しく鳴いて、私にはそんな声が聞こえた気がした。
私がヨシヨシ、といつものように首裏を撫でてやると、ハナはご機嫌に、長い尾を振った……。
うん!?
私は、はた、と思い当たった。尾!?
尾の先に何か無かった!?
私と同じ事を思ったらしいシンが弾かれたように卵をみる。
「た、卵――!」
私とシン二人して叫ぶ。
無邪気なハナの尾に、ぽーん、と弾かれた卵は、コロコロと転がって柵を超えた。
そして、ハナのいる区画と隣の区画の僅かな隙間に、コロン、と落ちて……、カシャンと音がした。
「お、お、落ちちゃった…」
「ど、ど、どうしようっ」
さすがのシンもうろたえ、私は青くなった。ハナは無邪気に私をつついて、ご機嫌にキュッと鳴いている。ハナ!無邪気に鳴いてる場合じゃないよ!いやいやいやいや、そ、そんな事ってある?そ、そんな終わり方って。
よりにもよってハナが、卵を落としちゃうなんて!
固まってしまった私とシンを横目に、イザークがひょいと隙間を覗いた。彼は、ちょっと笑うと、ヴィンセントを呼ぶ。イザークの上から隙間を覗いたヴィンセントは、今度は、シンを呼んだ。
「運命は、こいつに味方したみたいだね――ほら」
私とシンは、恐る恐る隙間をのぞきこみ、二人してあっ、と声をあげる。
雛は、ひびの入った裂け目から、皺くちゃの翼を出していた。
よっこらしょ、と言うような緩慢な動作で、胴体を卵の外に出し、足も卵の殻から出すと、ばたばたと――兄弟達と同じような動きをする。卵の殻を頭には被ったまま、彼は(彼女かな?)ギャッ、と鳴いてよたよたと歩き、コロン、と転がった。
「不細工だなぁ、おまえ」
イザークが、ぷは、っと吹き出した。私も、つられて笑った。まるで、殻を被ったお化けみたいになってる。卵が落ちた先は、藁が敷いてあって、程よいクッションになっていたらしい。殻が割れてしまった雛は――欠伸のように何度も口を開け、呼吸を繰り返してあた。
シンは、雛をみながら、ポカンと口を開けている。
「そんなのって、あり?」
「自分の力じゃないけど、生まれちゃったね――シン、雛を卵の中に返す方法はあるのかな?」
シンはヴィンセントの軽口に、口をへの字に曲げて、ないよ!と肩を竦めた。
「戻す方法がないなら、助けてやるしかないね」
「なんだかおまえ、…反則だなぁ」
隙間に落ちた雛の殻を除けてやり、雛を拾いあげた時には、シンはいつものシンの顔に戻っていた。
「偶然も実力のうちだよ」
多分ね、とヴィンセントが言うので、シンは仕方ないなぁ、と笑った。目があったマリアンヌが、よかったですね、と優しく言ってくれたので、私はうん、と頷いた。
ちょっと、狡い気もするけれど、いいや。私は仲良く並んで、ギャッ、と鳴いている雛達をみた。
先に生まれた二匹に比べて、一回り小さな三匹目は、シンの手から、籠に移動させられた。
小さな生き物が肩を寄せ合う様は、なんとも言えない、幸福な気分がする。
隣で「よかった」と、すすりなく声がしたので、私はそっと肩をたたいた。ドミニク様、さすがに泣きすぎ――ん?なんか、ドミニク様背格好が変わって……
「ぎゃ!」
私の横で、泣いていたのはドミニクではなく、彼とよく似た背格好の紳士だった。
「キルヒナー男爵っ!」
「父上!」
「ハナ、よがっだなぁぁあ」
何故かトンカチを持ったキルヒナー男爵が、私の横で号泣しながらそこにいた。うるうるしていた私の涙は引っ込んだ。側に号泣している人がいると、感動の涙って引っ込むよね……。
「い、いつのまにそこにいらっしゃったんですか」
キルヒナー男爵はスタニスからハンカチを差し出されると、思い切り鼻をかんだ。それを懐にしまい込んで、私に悪戯っぽく笑いかけた。
「ついさっき戻って参りましたよ――シンが卵を割るなと言ったあたりに一度いたんですがね――トンカチを取りに屋敷に戻ってまして」
えええ。唖然とする私に気づいただろうに、キルヒナー男爵はお道化て卵を叩く真似をした。
「殻をカツーンと割ってみようかと」
そんな、あっさりと。さっきまでの私の苦悩は一体。
「卵、割るつもりだったの、男爵!」
シンが不満、と書いた顔で男爵を見上げると、キルヒナー男爵はていっ、と竜公子の額を指で弾いた。
痛っ、とシンが小さく叫ぶ。
「あったりまえだ、おばか公子め。ドラゴンの卵がどれだけ貴重か考えてからものを、言いなさい。そもそも私のドラゴンで、レミリア様の卵だからな?」
「て、テーセウスは駄目だって言ってたもん」
男爵は人の悪い顔で顎に指をそえた。
先生なら言いそうだな、と笑う。
「そりゃ、竜族の理屈だな。自然の摂理に逆らうな、神の御心のままに。だけど、人間はこう考える。卵を割って助けてやれば、ハナも幸せ、雛も幸せ、私も幸せ――レミリア様だって、泣かなくていい。なら、割りゃあいい。そこに手段があるんだ。そもそも、ハナは野生のドラゴンじゃない。私の身勝手で飼ってる。だったら、身勝手ついでに、出来る限り面倒をみてやらなくちゃ、とね」
そうだろ?と男爵が言うと、シンは私をみて頷きかけ――けれど、納得いかないかのように、口を尖らせた。
「でも、狡いよ」
キルヒナー男爵は肯定した。
「狡いな。けど、誰も不幸にしない狡さは、北部では知恵とか工夫と言うのさ」
そうかなぁとシンが首を捻る。
キルヒナー男爵はトンカチを置くと、シンの頭をくしゃくしゃと撫でた。
イザークに向けるのと同じくらい愛情に満ちた目線で彼を、みつめる。
「……そういう狡い考えもあるって事を、覚えておいで。狡いこと全部が悪いことじゃない。テーセウス先生は、勿論、正しい。けれど、ひょっとしたら私の言う事も正しいかもしれない。シンにとって何が正しいかは、お前がちゃんと考えなさい」
シンは少し黙っていたけれど、――雛とキルヒナー男爵と、それから何故か、最後に私をみて、うん、と頷いた。それから「考える」と素直に言う。
ほのぼのとした空気が流れて、父親とシンのやり取りを眺めていたドミニクが、私の方を見た。
さて、レミリア様、と雛たちを指し示す。
「どの雛を、レミリア様のドラゴンにしますか。――聞くまでもないかもしれませんが」
私は、籠に視線をうつした。三者三様、気ままな方向を向いて鳴いている。
「この子にします。この子がいいな」
私は、最後に生まれた雛をみつめた。本当に皺くちゃで、なんとも可愛かった。
「お買い上げ、ありがとうございます!」
イザークとドミニクが示し合わせたかのように声を揃えたので、皆で吹き出してしまった。
楽し気な人間たちをハナだけがわけもわからずにきょとん、としている。
笑う皆を順番に眺めて少しばかり幸福な気持ちに浸りながら、私は最後に雛を見た。
幸運な、反則なドラゴンは、眠いのか疲れたのかあくびを繰り返している。
私は、雛に、心の中で挨拶をした。
(こんにちは、私のドラゴン。どうぞ、よろしくね)
雄なのか、雌なのかいまだに決めかねてたり…。




