私のドラゴン 4
私がイザークに伴われて厩舎に行くと、ハナの部屋の前でドミニクが座り込んでいた。
な、なんで体操座り――?
「兄上、レミリアを呼んで来たよ」
ドミニクは、ん?っと私に気づくと、途端に相好を崩した。
にこーっと、怖いくらい――違うな、気持ち悪いくらいにっこにこしている。まったくこの兄弟は。ドラゴンオタクめ、と同類別種の私から罵って差し上げよう。
「レミリア様、見て下さい。ハナのやつ、ちゃんと卵を産んだんですよ……」
旦那さんですか、とツッコミたくなるくらいのドミニクの笑顔に、若干引きつつ、私は、そーっと足を忍ばせた。
「覗き込んでも、ハナ怒らないでしょうか……」
怒るわけないよ、とイザークがほら、と指をさす。
優しいハナもさすがに卵を産んだばかりで気が立っているから、とちょっとだけ距離をとって覗き込む。
寝そべって、しきりに自分の鍵爪の間を舐めているハナの足元には、私の顔と同じくらいの大きさの、楕円形の卵があった。
「二つもある!」
私は押さえた声で、悲鳴をあげた。
ドラゴンの卵は通常、一つ。たまに二つだと言っていた。二つなら多い方だね!
わぁ!と私が手を合わせて喜んでいるとドミニクは首をふった。
「そう思うでしょう?ところがね、レミリア様、見てください」
ドミニクが上機嫌で指を指した。
私はあっ、と声をあげた。
二つの卵からちょっと離れて、もう一つ。
他の二つと比べて一回り小さいけれど、三つ目の卵がある。
すごい!私が小さく手を叩いていると、厩舎でハナの面倒を見てくれていた――厩務員さんが、生まれるのは明日か――明後日くらいですよ、と教えてくれた。
「卵が産まれたって?」
シンがひょっこりと顔を出した。背後にはマリアンヌがいる。何か言いたそうな、しかし気まずそうな。
彼女の視線を感じたけれど、私も同じ気分だったので、素知らぬふりで二人の名を呼んで、遠回しに(さっきの事は後でね)と伝えてから、ハナの卵を指さす。
二人は私たちと同じように、わあっ、と歓声をあげた。
……とりあえずマリアンヌと私の諍いは、棚上げしておこう。
「三つか、凄いね」
シンがちょっと嬉しそうに言った。
身を乗り出してハナの側に行くと、彼女の頭を撫でる。ハナは無垢な瞳で彼を見つめ、顎を彼の膝に乗せた。安心しきった表情で喉を鳴らす。
ドミニクを伺うと、彼はシンの行動を微笑ましそうに見守りながらも、自分は柵を超えようとしない。
あくまでドラゴンと竜族の距離と、人間の距離は違う、って事なんだろう。
「――全部、無事に孵るといいな」
シンがハナを撫でながら、ちょっとだけ苦い口調で言う。
一度、ハナは孵らない卵を産んだ。
今回がそうならないといい、とここにいる誰もが願っていた。
「今夜生まれそうだから、皆で見守るのよ。スタニスも行くでしょう?」
次の日の夕方、私はスタニスの袖をひきつつ報告した。スタニスは多分、もう知っていたんだろうけど「よかったですね、お嬢様」と目尻を下げて一緒に喜んでくれた。
「お父様とお母様にも、早く帰って教えてあげたいな。ハナが三つも卵を産んだって知ったら、びっくりするかしら。ねぇ、スタニス、知っていた?普通はドラゴンは一つしか卵を産まないんだって。それを三つもハナは産んだのよ。凄いでしょう?」
私がまるで自分のことのようにハナの自慢をすると、スタニスは知りませんでした、と驚いて、ご機嫌な私の話に付き合ってくれた。
「きっとお二人とも大喜びされますよ……何より、一月以上もいらっしゃらなかったお嬢様が帰って来られる事を、楽しみにされているはずですからね」
大喜びする二人かあ。想像して笑ってしまった。
そんなの見たことがないけど、そうならいいな。
侍女のウルスラは私たちが夜通し見守るつもりだと知ると、熱心ですねぇと苦笑して夜食を用意してくれた。夜食の入ったバスケットと――スケッチブックも持っていきたいけど、邪魔かな。私がページをめくっていると、ウルスラがあら、お上手!と褒めてくれた。
「お嬢様は絵がお好きなんですねぇ」
「後で、ウルスラも描いてあげるわね」
私が言うと、まあ嬉しい、とウルスラは喜んでくれた。
「サインをお願いできますか?お嬢さまが有名な画家になったら自慢しなくちゃ」
私たちが和やかにしていると、イザークが私を呼びに来た。
「レミリア、準備出来た?」
「出来ました。イザーク、ウルスラが夜食を作ってくれたのよ」
ほら、と私が見せると、イザークは美味しそう、と喜ぶ。
って、こら、つまむな。
「いいじゃん、どうせ食べてなくなるんだし」
「お夜食の意味がなくなるでしょ!」
バスケットを取り上げた私の隙を縫って、さらにイザークがパンをつまむ。もう、すばしっこい!私が呆れていると、ウルスラが、ぺし、とイザークの肩を叩いた。
「何やってるんですか、坊ちゃん!お客様の前でお行儀が悪い」
そーだ、そーだ!私がウルスラを応援すると「ウルスラの作ってくれた夜食が美味しいのが悪くねぇ?」と人好きのする笑顔でいった。ウルスラは、にこっ、と笑い――またイザークを小突く。
「笑顔で、ごまかさない!」
イザークは子供らしい笑顔で、はーい、と笑う。
「でも、ドラゴンが生まれたらお嬢様は王都に帰っておしまいになるんでしょう?せっかく仲良くして頂いたのに、私は寂しくなりますよ」
ウルスラが惜しんでくれた。
「またいらっしゃいね」
「イザークが誘ってくれたら、遊びに来るわ」
私が元気よく答えると、ウルスラは茶化すように笑った。
「いっそのこと男爵家にお嫁さんにいらっしゃいな。ドミニク様でもイザーク様でもお好きな方でいいですよ?」
「――っ、ウルスラ、何言ってんだよ!」
まあ!と私が笑った横で、イザークがパンを噛み損ねて、むせている。あはは、イザークが珍しく、照れている?
ウルスラもイザークを照れちゃってまあ、とからかって、横からもう一つバスケットを、出してくれた。「どうせ足りないでしょうからもう一つ作っておきましたからね」私たちはそれを受け取って、礼を言い、部屋を出た。
「レミリアが、男爵家なんかに嫁に来れるわけないだろ」
廊下を歩きながら、イザークがぼそっと言ったので、私はにやっとしながら振り向いた。
「あら、来れたら来てほしい?」
ドミニク様とイザークどっちにしようかな、と私が軽口をたたくと、イザークがちょっと苦笑して「別にぃ」と言う。
なんだよー、もう照れるのやめたの?可愛くないなぁ。
可愛いお嬢様、とウルスラに気に入ってもらえたらしいので、私は機嫌がいい。
都だと私はヴァザの姫様に向けたお決まりの美辞麗句しか貰えないので、あんな風に率直に親しくされるのは、とても嬉しいのだ。イザークは私をちょっと見てから聞いた。
「レミリアって、ヘンリクと婚約すんの?」
私は足を止めた。
「……どうしてそのような質問を?」
「いや、そういう噂を聞いたことが」
イザークか言いよどむ。
噂の出所ってどこだ。まさかヘンリク本人ではあるまいな?世間の狭さを感じて嫌になる。私は苦虫を百匹くらいかみ砕いた顔で頷いた。
「そういう噂は私も聞いたことがありますわ。不本意ながら」
母上とヨアンナ伯母上の口約束だけどね。
イザークはちょっと目をみはった。
「不本意なんだ?」
「だって、相手がヘンリクだもの」
これ以上ない理由でしょ?
イザークは笑った。ヘンリクが聞いたら泣くぞ、と目を細める。
ヘンリク、泣くかしら?我が従兄は、私のことは別に好きでもなんでもないと思うけど。でも、カリシュ候爵にはなりたいと思っているかも。
「じゃぁ、シンは?」
「シン様?どうして?――ひょっとして、そんな噂もあるの?」
首を傾げた私に、ないけど、とイザークは視線をさ迷わせた。
「現王家の庶子(陛下の甥)と、旧王家の姫様なら、釣り合うのかなって――」
なるほど。私が目をぱちくりさせていると、イザークは私が不快に感じたと思ったのか、しおらしく謝った。
「――ごめん、立ち入りすぎた」
私は首を傾げたまんま、考えた。
(……シンと婚約かぁ。私には悪い話じゃないし、家格で言ったら釣り合うものね。シンは庶子とはいえど、王女の従兄弟で、しかも半竜族だもん)
家に帰ったら、毎日シン様がいるのかぁ。「おかえり!レミリア」とかってお出迎えしてくれるのかー。「ごはん出来たよ!」とか、呼びに来てくれるのかぁ。「遊びに行こう!」って、ドラゴンに乗って二人でお散歩とか出来るのかぁ。邪魔されずに二人きり。楽しかろうなー、と私が両頬に掌をあてて、にやにやしていると、「そっちは不本意じゃないんだ?」とイザークが言った。私はふふん、と笑う。
「だって、シン様かっこいいもの」
「王宮で噂になったらどうすんの」
「別にぃ?シン様に憧れているの、私だけじゃないですもの」
私はイザークの口調を真似る。
王宮にいる女の子なら皆が憧れるんじゃない?竜族の婚約者なんて、お伽話みたい。シンはかっこいいだけじゃなくて、優しいし。不思議な力もちょっと怖いけど、魅力だよね。
「でも、そんなお話があったとしても、――シン様からお断りされると思いますわ」
「なんで?」
「だって、シン様、フランチェスカ王女大好きだから」
私は脳裏に、フランチェスカ王女を思い浮かべた。ついでに、彼女といるときにだけシンが見せる、ひどく幸福そうな顔も。
あの二人に立ち入る勇気と無謀さは、今のところ、もてないな。
「高望みは、しないことにしていますの」
イザークは「ふーん」となんだかおもしろくなさそうに呟いた。
あ、そっか。イザークもそういえばフランチェスカの攻略相手だったわ。殿下の相手が断定されては面白くもあるまい。
私はイザークに向かって微笑みかける。
「あ、でも、殿下の恋は自由ですから。万が一、イザークが殿下の婚約者になったら、私、ちゃんと応援してあげますね」
「なんだよ、それ。ありえないだろ」
イザークは呆れ気味だ。私は心中で忍び笑いを漏らす。
人生は何があるかわからないよ?イザークは、フランチェスカと結婚したら、国王様になるお人だと、私は知っているよ?
――イザークが国王様かあ。案外向いてると思うけど、未来はどうなるんだろうね?
私たちが、あれこれ話しながら屋敷の裏手の扉を開けると、噂をすれば、影。
シンがいた。
「レミリア、準備出来た?」
私がええ、と頷くとシンは、じゃあ行こう!と笑ってくれる。
待っていてくれたんだろうな、と思うと嬉しくて、私は、はい、と笑顔を返した。
(俺だって、レミリア呼びにきたんだけどなぁ)
by 次男坊




