私のドラゴン 3
知らなかった?
とヴィンセントは苦笑した。
「ちょっと有名な話なんだけどな。軍の上層部に将来を嘱望されたハイトマン子爵の次男が、何を思ったのか軍を辞めて、子供向けの本を書いてる、って。父上が頭を抱えていた」
エーミール様、軍人さんだったのか。優しそうな方で、とても軍の関係者には見えなかった……。
「一巻を匿名で出して、売れただろ?それが軍に知れて。――馬鹿げたものを出すな、って上層部で問題になったらしい。それで軍をお辞めになって。それだけが退職理由じゃないだろうけど」
一巻の売れ行きはよかったのに、軍に睨まれるのは嫌だと、出版社は、皆手を引いたらしい。
資金がなくては、本は出せない。
時がたてば、童話作家などという軍門の息子に相応しくない夢を諦めて帰ってくるだろう、と、お家の方々は楽観視していた。
伝手を駆使して、一時的な休職という扱いにまでしたらしい。
「マリアンヌも言ってた。エーミールはすぐに戻ってくるだろうから、心配なんかしてない、って。出版は残念だけれど、また偉くなってからでも出せばいいから、って」
仲のいい叔父と姪だったんだ、とヴィンセントが説明してくれる。
ところが、マリアンヌの期待を裏切り、困窮したエーミール様に、援助のお申し出があった。
その篤志家のおかげで、続刊が出版出来たとか。
「まあ。素晴らしい事をされる方がいらっしゃるのね」
マリアンヌには悪い気もするけど、あの物語を埋もれさせるなんてカルディナに住む少年少女への多大な損失だよ。お会いしたら是非、お礼を言わなくては!
私が感心していると、ヴィンセントは「本気で言ってる?」と呆れた声を出した。
ん?
「公爵だよ」
「――はい?」
「カリシュ公爵が、その篤志家の正体」
「お父様が!?」
私は呆然と呟いた。なんと――父上が!
不思議だったんだ、とヴィンセントは言う。
「なんで公爵が、童話の出版を支援なさるのか。興味がおありには思えなかったし――、そうか、君のためだったんだな」
勝手に納得している風のヴィンセントに、私は首を振った。
「多分それ、違いますわ」
私のために援助したというのは、誤解だな。父上が私に甘い、とイザークもヴィンセントも勘違いしているけど、基本的にあの人は私の我が儘に興味はない。
それに、時期が違う。
「私が読みはじめたのは二巻が出てからですもの――。おそらく、ヨアンナ伯母が、父に頼んだのかと」
とても面白い話がある、と私に本を勧めてくれたの、ヨアンナ伯母上だし。
読書会でもエーミール様とヨアンナ伯母上は、大層親しげに見えたから、きっとそうだ。
「……そうなのか」
ヴィンセントは目を瞬いた。
「ヨアンナ伯母は、実家に頼み事をなさらない方です。その伯母上のたっての頼みなら、父は力になると思います……」
実を言うと、カタジーナ伯母はじめマテウシュ様の上から三人の子供たちと、ヨアンナ伯母と父上の母君が違う。
唯一の同母姉と言う親しさもあるだろうけど(多分には相性だろうけど)父上は、ヨアンナ伯母上に対しては、いつも優しい。
「ヘンリクの母君ですから、皆様、いい印象を持たれてはいないでしょうけれど、優しい方なんですよ、本当に」
そういえば、退役軍人の支援なんかもなされていたな。エーミール様ともそのご縁で知り合ったのかもしれない。
――ヨアンナ伯母上は、あんなに優しくて思慮深い方なのに、息子の馬鹿な行動の数々は、ほったらかしなんだろう。謎だ。
けれど、と私は溜息をついた。
マリアンヌの怒りの理由がわかった。
「マリアンヌは……私の我が儘で父が叔父上の支援をして、……作家を続けてしまったと――そう、思われたのね」
「公爵の支援があったんじゃ、軍部も出版の妨害なんか出来ないからな。元々妨害なんて、褒められたものじゃないけど」
それは、そうだ。
「エーミール様も、ここ数年は実家に寄り付こうともなさらなかったみたいだけど、去年の暮れ、久々に帰ってくるって、マリアンヌが凄い喜んでいた――だけど、急に来れなくなったって」
支援者のお宅に伺うから、と連絡があったらしい。
私は内心で、頭を抱えた。――それは、私のせいだ。
読書会のお客様は誰がいい?と聞いてくれたヨアンナ伯母上に、私はエーミール様がいいっ!と元気に答えたもん。
憧れの作家を支援しているのがヴァザ家だなんて知らなかったし、まさか本当に来てくれるなんて、思わないじゃない?
読書会という言葉に反応したマリアンヌに、私はちょっとした優越感で微笑みかけたけど、あれ、すごーく嫌な感じに見えたんじゃないかな。
「貴女の叔父上は、貴女との約束を破って、私の読書会に来たのよ!羨ましいかしら?」って。
そんなつもりじゃなかったんだけどなぁ……。
ひょっとしたら、あのお話のどこが好きか、親しく語り合えるかな、とか……ほんのり、期待をしたのだ。
(マリアンヌに、また嫌われたな、きっと)
マリアンヌが私にずっと冷たかったのは、いけ好かない旧王家の娘だからというだけでなく、叔父上を唆した一族だ、という思いもあったのかもしれない。
「……どんな事情があるにしろ、さっきの態度は、マリアンヌが悪い。君は八つ当たりをされただけだ」
ヴィンセントがスケッチブックを閉じて私に手渡してくれた。さすがは公正を旨とするユンカー様。
「謝るように言っておく。彼女がどうするかまでは分からないけど」
「……かえって気まずい気がするので、気になさらないで、と伝えて下さいますか。――それに、ご事情を知らなかったとは言え、読書会にエーミール様がいいな、ってヨアンナ伯母にお願いしたのは私なので」
「行くと決断されたのはエーミール様だよ。君が気に病むことじゃない」
私はなんとも答えられず、マリアンヌの去った方向をみた。
「……うさぎのマリって、本当にマリアンヌが由来だったんですのね……」
泣き虫で怒りんぼうで、ちょっと得意げで、お洒落で寂しがりやのマリ。
私は親しくないから、マリアンヌがどんな子なのか知らないけれど、エーミール様には、そんな風に見えているのかな。元々は、マリアンヌのために書いた話だったらしいよ、とヴィンセントは言った。
本当はマリアンヌも、あの話が大好きなんだろう。
「マリアンヌの家も軍門だから。エーミール様は軍務卿からの覚えもめでたい方で……、自慢の叔父上だったんだろう」
人気童話作家だって、エリート軍人に負けない、自慢の叔父上だと思うけれど。
――けれど、それが原因で大好きな叔父上に会えなくなったら悲しいかもしれない。
「どうして――」
考え込む私に、ヴィンセントが聞いた。
「はい?」
「フランチェスカ殿下はともかく、イザークにも秘密なんだ?」
聞かれて私はうーん、と考え込む。
「イザークにはいまいち、弱みを握られたくないというか」
「弱み?」
「イザークって、なんでも出来るじゃないですか」
「……まあ、そうだな」
学問にしろ、剣術にしろ、個々の出来ならヴィンセントやシン、あるいはヘンリクの方が優れた箇所もあるだろう。
けど、イザークは、全方位なんでもそつなく出来てしまうのだ。
しかもそれに頓着せず、涼しい顔でこなしてしまう所が腹立たしい。正直に言うと、すっごく妬ましい。
「私の格好悪いところばかり、知られるのも悔しいんです」
男爵家の次男だけど、王女にさえ遜る事もなく。
あんな風に自分に自信をもって、堂々と生きていけたらなぁ、と思う反面。器が小さく、いろんな事が苦手な私は、そんなイザークに(彼は馬鹿になんかしないだろうけど)私のちょっと変わった趣味を知られるのは悔しいのでした……。
イザークにはなんだか、弱みばっかり見られてるし、カッコつけておきたい。ヴィンセントは片眉を器用にあげた。
「いい趣味じゃないか。これだけ描けたら少しも恥ずかしくないと思うけど」
私は、絵はいいんです、と溜息をつく。
「ああ、恥ずかしいのは、物語の絵を描いたこと?」
「……ヴァザの娘の趣味が、妄想だなんてあまり人に言えない……」
私が眉をへの字にすると、あはは、とヴィンセントが吹き出した。
初めてみるんじゃないか、ってくらい爽やかな笑顔だった。
私はちょっとほっとする。
昨夜の夢のようには、ヴィンセントは私に冷たくない。
「何でも出来て腹が立つ、のは俺も分かるよ。ザック、出来ない事が基本的にないからな」
ヴィンセントでも、そう思うことあるんだ?
「……ご命令どおり、秘密にしておく」
「よろしく、お願いします」
珍しく、私達が盟約を結んだ所で、敵将が、遠くから私達を呼ぶ。なんだろうと思っていると、イザークは息せき切って駆けて来た。
「ヴィンセント、レミリア!」
私たちのところに来ると、よほど急いでいたのかイザークはらしくなく膝に手をついて、中腰で息を整える。ヴィンセントもらしくない彼の驚いたのかきょとんとしている。
「どうした?何かあったのか」
「あったよ!!――シンとマリアンヌは?」
「……屋敷の方に戻られたかも」
「じゃあ、二人は後でいいや!」
いつも飄々としているはずのイザークが、うろたえて――取り乱して興奮している。
私をみると、紅潮した頬に押さえ切れない笑顔が浮かんでいる。
「早く、レミリア来て!」
あ、と私は思い当たった。
「ひょ、ひょっとして!」
イザークは、ぶんっぶんと顔を大きく縦に振った。
ついでに、無言で、私とヴィンセントの手を握って、ブンブンと振り回す。
「落ち着け、イザーク・キルヒナー」
振り回された手を痛い、痛いってば!とヴィンセントがちょっと困ったように愚痴ったけど、彼の口元も、笑い出す前のように綻んでいる。
「無理だよ、ヴィンセント・ユンカー!」
だって、とイザークが叫んだ。
「ハナの卵が生まれたんだ!」
「やっぱり!?」
私も思わず歓声をあげた。
(生まれるんだ、……私のドラゴン!)
 




