私のドラゴン 2
朝食が終わってふらっとしていると、ヴィンセントとマリアンヌと居たシンが、ハナの所に遊びに行こうよ、と誘ってくれた。
うん、行く行く!
シンが私の髪の毛に気付いて、可愛いねと言ってくれたので、ちょっと照れる。
ついで、シンは
「レミリアの髪の色は玉子焼の色だね」
と、褒めてくれた。
「ありがとう、ございます……」
私はずっこけそうになった。た、玉子焼………。
シルヴィアが私を呼ぶ、ひよこちゃん、から連想したのかもしれないけど、それってなんか、退化してないかな……?
私が引き攣った笑顔でいると、ヴィンセントが横を向いてクッと笑いを堪えている。いっそ、笑えばいいと思うよ!?
「レミリア、それは?」
シンが私が手に持ったノートを見つめた。
「せっかくなので、スケッチでもしようかな、と」
北部の草花や建物は私には珍しい。
またいつ来れるかわからないので、旅の思い出に、描きとめておきたかった。
「レミリア様にそんなご趣味が?」
マリアンヌが驚いて言う。
意外かなぁ。わたしは首を傾げた。
「私、趣味は読書と絵を描く事ですわ」
「へぇ」
ヴィンセントまで意外そうな声をあげた。
絵を描くのが好きなのは、前世から引き継いだ趣味かもね。令嬢らしく詩の朗読とか音楽とかって言った方がいいのかな、と思うけれど、嘘をついてもばれるので、正直に言った。
貴族令嬢の嗜みとしては、あまり一般的な習い事ではないけれど、幼児の私が絵が好きで床や壁に落描きをしては母上に叱責されるのを見兼ねた執事のセバスティアンが、母上に「そういえば、マテウシュ様も写生がご趣味で、レミリア様にもその才能が……」と、嘘か本当かわからない進言をしてくれたので、週に一度だけど、絵の先生が来てくれている。
私は兄弟もいないし、寂しい事に取り巻き以外の友達もいない。そんな子供が没頭出来るものなんて限られてない?
「見てもいい?」
と聞かれたのでわたしはちょっと視線を泳がせた。
「いい部分と悪い部分があります………あまり上手に描けなかったものもあるので」
お花や風景なんかは全然構わないんだけどさ。家族の顔とかも、見られても構わない。
困るのは趣味で――好きな本の挿絵を想定して描いたページだなぁ。
記憶を取り戻す前から、私は絵を描くのが好きだった。お気に入りの本を読んでは登場人物はどんな顔だろう、とか服はどんな、とか。スタニスに妄想逞しいですね、と褒め?られたけど。楽しくてやめられない。
カルディナの物語には「挿絵」という概念がないのが、幼心に不思議でたまらなかったけれど、今ならわかる、この世界ではそれが普通。
挿絵を望むのは、前世故の業だね。
「どうぞ」
私が、まあ、そこそこよく出来た、と思う、薔薇と、ドラゴンの――ハナの寝そべった姿――を見せると三人は覗き込んで、一斉に「おお」と声をあげた。
どうだ、なかなかのもんでしょ?十歳にしては。
「本当にお上手ね」
マリアンヌが率直に褒めてくれたので私はありがとう、と礼を言った。「小さな頃から――これだけは、続けていますの」
「驚いた。上手いな」
ヴィンセントが珍しく褒めてくれる。
「レミリア、絵描きさんになれるね」
シンがふわっと笑ったので、私もつられて笑う。それにはヴィンセントが苦笑した。ヴァザ家の人間が絵描きなんて、という所かな。
そうだね。私がそんなことを言い出したらカタジーナ叔母上あたりは屋敷に乗り込んで、私のスケッチブックを全部燃やすだろう。
「憧れますけど、私、絵描きはあまり向いてないと思います」
「あら、どうしてですか?」
マリアンヌが不思議そうに聞く。
おや、珍しくマリアンヌと会話が往復している。
「私、写生は得意なんですけれど、油絵が苦手で」
この国の絵画は油絵が主流だ。
「そうなの?」
「塗っていくうちに、あれもこれもと色を重ねてしまって、しまいには原型がわからなくなってしまうんです……」
線画の時はあんなに(自分では)名作だったのに!
と完成品の前で泣くこと数回。先生のご専門は油絵なんだけれど、当分はスケッチの練習をしましょう、と呆れ気味に笑ってらした。水彩を習ってみたいなぁ。
「こっちのページは?」
と、シン。ヴィンセントもこれって――と覗き込む。
そこには、ラフな格好をした男の子――と黒いベストを着た人間大のウサギさんが描かれていて、おでことおでこをくっつけている。ちょっっ!それは。
「だだだ、駄目!!それは駄目です!」
私が叫ぶとシンはビクッとしてスケッチブックを閉じた。うわぁぁ、見られた!
「――ご、ごめん。見ちゃいけなかった所だった?」
しょんぼりとされて私の心が痛む。うぉう。いけないとは言わなかったしなぁ。
「……いいえ!人様にお見せするようなものではなかったので!!」
下手なので!と目に見えて狼狽していると、ヴィンセントが私とシンを見比べてひょっとして、と言った。
「ケペルブルクの王子様」
察しのいいガキは嫌いだよおおおお!!私は絶叫したい気持ちで顔をおおった。
マリアンヌは何故か非常に驚いた顔で私をみている。シンはちら、とマリアンヌを見て。私に、もう一回みせて、とお願いした。あ、可愛い……。
「き、気まぐれで描いただけなので」
「俺、あの話大好き。レミリアもう一回みちゃダメ?ウサギさん好きなの?可愛いよね」
「特に何がモチーフと言うわけでも……」
「ウサギの隣は主人公だよね?肩に弓を背負ってたから分かるよ。――ねぇ、もうちょっとだけ、見ちゃだめ?」
可愛く小首を傾けて頼まれては、ちょろい私は了承するしかない。
「だ、誰にも言わないでいただけます?」
さすがにちょっと、知られたくない趣味なのだ。
私は三人を見渡した。代表してシンが頷く。
「フランチェスカ殿下にも、イザークにも。言わない?」
シンは言わない、と重ねて頷いた。
「その、……ヘンリクにも」
「好んで喋ろうとは思わない」
ヴィンセントが呟いた。――ですよね!
見られては仕方ない。私は説明した。
ケペルブルクに住む『僕』は両親を亡くして、ひとりで暮らしている男の子。
ある日、悪魔の呪いによって、心を五つに砕かれてしまう。心を失った『僕』は隣に住むウサギのマリと共に、砕かれてしまった心を探しにあてのない旅に出るのだ。
旅立ち、の一巻から始まった物語は、『僕』とウサギのマリが訪れる先で様々な人と出会い、その中で結晶となった感情を、再び手にしていく事で展開していく。怒り、喜び、悲しみ、愛を取り戻す五巻までが刊行されていて、後は、最終巻の『孤独』が出版されるのを待つだけ――。
私が描いた落書きは二巻の喜び、の私が大好きな場面。
喜び、を取り戻した『僕』は相棒のマリにおでこをぶつけて――言うのだ。
「マリ、僕の中に喜びが帰ってきたよ。君に会えて、幸せで、心臓がドキドキする――忘れていた。これが喜びなんだ!」
って。
読書が大好きなヨアンナ叔母上から勧められた本なのだが、おもしろすぎて、私はもう、夜も眠れないくらいの勢いで読んだ。
徹夜なのに、次の日は頭が冴え過ぎて、少しも眠くならず薔薇園を徘徊しながら続きを空想した。
父上からさすがに「娘の頭は大丈夫か」と心配されたくらいだ。初読のとき、こっちの世界に戻って来るまで十日くらいかかった。
主人公が出会う妖精や、鼻の曲がった恐ろしい魔法使い、頭のいいずるい小人、冗談好きなドラゴン、寂しがりやの老騎士。
誰もが魅力的なんだけど、何よりマリが可愛くて。
ちょっと生意気な、ウサギの女の子のマリ。男の子の格好をしているくせに、僕が美女にぽおっとなると、ぷんすか怒るマリ。嬉しいときや美味しいものの前に出ると、ヒクヒクと髭を振るわせるマリ――。
「ヨアンナ様は、趣味で読書会をされるのです。去年の暮れに、作者のエーミール様がゲストでおいでになって……」
マリアンヌがぴくり、と反応した。あれ、来たかったかな?呼べばよかったね、うふふ。
エーミール様は予想に反して若く、落ち着いた感じの方だった。冒頭の部分を子供達向けに読んでくださったんだけど、――本を書く人は朗読もお上手なのか、まるで役者さんのように読むのが上手で、結末を知っているのに、悪魔に心を砕かれるシーンでは思わず叫びそうになるくらい怖かった。
私、物凄く、あのお話が好きなのです、と絞り出すように言った。
「好きが高じて、絵にしてしまった、と」
ヴィンセントに言われて、コクコクと頷く。シンが「…きっと本当にいたら、こんな感じなんだろうね、マリ」と私のウサギを褒めてくれた。三人とも私が説明するまでもなくお話を知っていたみたい。周囲の貴族の子供達は庶民向けの話だと誰も読んでない。
ヨアンナ様に勧められたヘンリクは、まあまあ面白い、とこればっかりは私と意見があった。
私はふと思いついて言った。
「マリアンヌ様は、ちょっとマリみたいですわね」
マリアンヌが綺麗な苺の目で私を見た。
「お名前もそうだし、ウサギさんと同じ苺色のお目目だし、男装されているところも――」
「やめて」
強い声だったので、私はビクリとしてしまった。
「私は、この話、嫌いだわ。大嫌い」
「え?」
「子供じみた、くだらない話よ」
マリアンヌの眉間にシワが寄る。
私の描いたウサギ睨みつけると、強い調子で言った。
「大体――何故ウサギが喋るの?何故人間の村に住んでいるの?なんで隣人のために一緒に旅になんか出るの?ありえない――。心が五つに砕かれる?――その前に死ぬわ。ご存知?心臓を貫かれたら――人間は、死ぬのよ」
「そ、それは物語だから」
マリアンヌ、とヴィンセントが言ったが、彼女は気付かない。
何が彼女のスイッチだったのか、分からないけれど――彼女は怒っていた。
「――どうして、こんな夢物語に、夢中になれるの?どこがいいの?――子供の遊びみたいに、絵まで描いて――!子供向けに作者が読書会?馬鹿らしい馬鹿げた集まりだわ!」
一気にまくし立てて、マリアンヌは我に返ったようだった。
はっとして口をつぐむ。
「わたし――」蒼ざめて口元に手を当てる。
「何が悪いの」
私は、多少腹がたって言った。絵を馬鹿にされたことも悔しいけれど、大好きなお話を――まるでゴミみたいに言われた事が悲しい。震える声で、私は言った。
「別に、――貴女に勧めたわけじゃないわ。私はこのお話が好きだって言っただけよ!素晴らしいお話だって、感想を述べただけ。――貴女がこれを嫌いなことなんて、私には関係ないわ。私の好きなものを、私の前でけなさないで、貴女、失礼だわ!」
ぎっ、と睨むと、マリアンヌは唇を噛んだ。
私をみていたシンが、マリアンヌに、穏やかだけれどきっぱりした口調でそうだね、と言った。
「マリアンヌが、全面的に悪い。レミリアがせっかく、俺達に大切な宝物をみせてくれたのに」
そうだ!と勢いづいてマリアンヌを見て、私はぎょっとした。
な、泣いてる?あ、あれくらいでマリアンヌが!?
彼女はいつも、小憎らしいくらい冷静なのに。マリアンヌは顔を赤くすると、殆どくしゃくしゃの泣き顔になって、くるりと振り返っていってしまう。
シンは、溜息をつくと、私に謝った。俺のせいだ、とぼやく。
「ごめんね。俺が見せてほしいなんて、余計な事を言ったせいで、レミリアに、しなくていい嫌な思いさせた」
「……いいえ」
「俺は、レミリアの絵好きだよ。優しくて。見せてくれて、ありがとう」
笑った顔が『僕』みたいで、どきりとした。
無意識に、シンの笑顔を真似て描いていたような気がする。俺、マリアンヌ追いかけるね、と私達に断り、シンは去っていく。マリを追いかける『僕』みたいに。
……なんでマリアンヌは、あんなに悲しそうだったの?
わけが分からずに立ち尽くしていると、ヴィンセントがちょっと溜息をついて、私のスケッチブックを指差した。
「……もう一度、見せて貰っても、構わないか」
「どうぞ、子供の遊びですけど」
ちょっと拗ねたまま言うと、ヴィンセントは子供だからいいんじゃない?と笑った。
マリと『僕』のページを開いて、一枚めくり、目を細めた。
「よれよれの服で白馬にのってるのは、寂しがりやの老騎士ゴーリキー?これは氷の冠を被っているから、クセルパクダ王女かな。こっちは酔っ払い谷のゴールドドラゴンのクウだ――転がってる酒瓶なんて……姫君が、こんなもの、どこで見たの」
「だ、台所に忍び込んで」
そうか、とヴィンセントは笑った。
「――誰が、誰だかちゃんとわかるかしら?」
私が恐る恐る聞くと「全部、わかるよ」と肯定してくれた。『僕』はどこかの誰かに似てるけど、と厭味を忘れない所が、ヴィンセントらしい。
私はちょっと嬉しくなって、出そうになった涙を引っ込めた。
「……俺も、エーミール様にお会いした事がある」
「そうなんですか!」
「フランチェスカ王女がお好きなんだ、このお話」
「ええっ!」
ちょっとびっくりだ。あの、大人びたフランチェスカも、子供向けの物語を楽しんだりするのか。
好きなものが同じだと聞くと、途端に親近感が沸くから不思議。
「一巻が刊行されたばかりの時に会って、エーミール様にお伺いしたんだ――巻末に、刊行予定が書かれていたから、聞いたんだ。どうして最終巻のテーマが孤独なのかって。普通、愛じゃないのか、って」
「確かに、そうですね。……どうしてその順番なんでしょう」
考えもしなかったけど、最後に愛、のほうがハッピーエンドな気がする。最後が孤独だとしたら、――悲しい終わり方は嫌だなぁ。
「エーミール様は『愛を知らなければ、孤独が、わからないからだよ』って――」
「まぁ」
なんだか、よくわからないけど、深いような。私は、エーミール様の思慮深そうな横顔を思い出した。
「マリアンヌの、叔父上なんだ」
私を見ながらヴィンセントがぽつりと言った。
「え?」
「エーミール・ハイトマン様。マリアンヌの、母上の弟君――この物語の作者だよ」
「え、えええっ」




