メルジェ 4
厩舎に行くなら汚れちゃうわね、とシルヴィアは私を着替えさせてくれた。
「ドレス、よく似合うわね、ひよこちゃん」
「ひよこちゃんじゃありません、シルヴィア姉様」
「だってフワフワしてて金色で可愛いんだもの。大体ぴよぴよ言ってるし」
ぴよぴよ……。あほっぽいですかね、私……哺乳類ですらない……。私の抗議を、シルヴィアはごめんね、と笑って受けた。
「レミリアが可愛いからつい、意地悪言っちゃうの。……私もアデリナもヴァザの金色の髪じゃないから、羨ましくて。それだけはお父様を恨んだわね」
私を着替えさせながらシルヴィアは溜息をついた。
「お母様がひよこちゃんを殊更いじめるのは、あの人の娘達がちっともヴァザの血筋に見えないからよ。嫉妬なの」
シルヴィア様は栗色の髪と瞳で、アデリナ様は黒髪に青色の瞳。確かに旧王家の色じゃないけれど、シルヴィア様もアデリナ様もスラリとしていて、私よりよほどヴァザ家っぽいけど。私が首を傾げると、シルヴィアは手を止め、「あの人、自分が決めた基準からはみ出たものは、全部、無価値だと決め付けるの」と皮肉った。シルヴィア様とカタジーナ様もあまり、仲の良い親子ではないみたい……。
私のドレスを脱がせて、あら、とシルヴィアが私の胸元に目を向けた。
「レミリア、それはどうしたの?」
ん?私は首もとの心臓石をみた。琥珀色の綺麗な化石。
「それって、ドラゴンの……」
私は慌ててしーっ、と口元に指を当てた。スタニスからあまり人に見せないように!と言われていたのだ。さすが、シルヴィアは交易の盛んな家柄だけあって、よくご存知だな。シルヴィアは目を向丸くしたまま声を潜めた。しんぞうせき?と聞かれ、私は頷く。
「さすが、ヴァザ本家は、すごいものを持っているのね」
「いえ、貰ってしまって」
「貰う?」
ええと、なんて言おうか。シルヴィアになら言っても構わないと思うけれど。ぼかして伝えようと思ったのに、シルヴィアの巧みな誘導尋問に負けて、結局洗いざらい喋ってしまった。私、ちょろい……。
「レミリア……。その竜族の人はかっこよかったの?」
「……ものすごーく……」
私は思い出して、きゃっとなった。盗んだ竜で走り出しそうな、悪そうな人ではあったけれど、私にはなぜだか優しかった。
それに、あんな、野生味溢れる美形は王都にはいない。
北山に住まう竜族は皆美しい容姿をしているらしいけど、イェンはその中でも別格なんじゃないだろうか。
私を呼ぶ、お嬢さん、って甘い声もよかったなー。適度に距離置かれている感じがしてさあ……。私のうっとりした様子に、シルヴィアは溜息をついた。
「貴女きっと、顔のいい悪い男に騙されて、大変な事になるわよ」
「えぇっっ!」
「間違いないわ。顔のいい男が中身までいいとは限らないからね?気をつけなさい」
いやぁぁ!結婚経験者に言われると重い!私が怯えていると、シルヴィアは、ご自分が誘導したくせに、口が軽いのも反省しなさい、と笑った。うう、反省します。
「心臓石を持っている知り合いがいたの。だから分かっただけよ。その人は、心臓石が悪いことから、守ってくれるから、って凄く大事にしていたわ。……綺麗よね、そのお守り」
大事にね、と微笑まれて私も微笑み返した。
厩舎に向かうと、シンが元気よく手を振って、私たちを呼んでいるのが見えた。
彼の後ろにはお行儀よくヴィンセント。……と、私ではなく、おそらくシルヴィア様を待っているドミニク。
イザークはもう、ハナのところかな?
「それにしても、今回は素敵な婚約者候補を三人も連れていてびっくりしたわ。もてるじゃない、レミリア」
楽しそうにシルヴィアが言った。
「こんやくしゃこうほ……」
私は虚ろな目になる。シン様とヴィンセントとイザークかぁ。
みんなねぇ、貴族の女の子に大人気でねぇ。
「あら、違ったの?三人ともタイプが違って素敵じゃない!ねぇ、レミリアはどの子が好きなの?」
きゃっきゃとシルヴィア様が華やいでいる。私の婚約者候補じゃなくて、『前世で私がはまっていた、乙女ゲームの、フランチェスカ女王のお婿さん候補』なんですのよ。
……と言いたかったけど、頭の中身が鳥類どころか菌類クラスと思われかねないので、「残念だけど、皆さん、王女殿下とご懇意なのです」と虚に言っておいた。
……ついでに、悪役たる私はヘンリクという立派な婚約者候補がいるのである。たとえいずれ貴族でなくなる運命が待ち構えていたとしても、ヘンリクに嫁ぐ未来だけは、チェンジ!!と全力で叫びたい。シルヴィアはまあ、と沈痛な表情を浮かべた。
「フランチェスカ王女が相手だと大変よね」
「そうなんです……」
私は頷いた。
見目好く、賢く、性格もよく。そのうえ、努力家。
私が男だったら、絶対好きになっちゃう。私は、彼女と比べられる事が多いので気後れしてしまうし、正直あまり近しくはなりたくない。近づけば近づくほど、その差を思い知って、妬ましくなるもの。彼女に勝てる部分なんて、何一つ見つからないし、誰かを妬んだり、とかは……正直しんどい。
『そんなのは言い訳だ』
脳裏で声が聞こえた気がした。「勝ちたければ、努力すればいいだけだ、馬鹿らしい」とも。船で、……ヴィンセントがヘンリクを評して、言った言葉。
私は自嘲した。
偉そうにヴィンセント相手にヘンリクを擁護したけれど、ヘンリクと私は結局の所よく似ている。
甘ちゃんで、何一つ王女に勝てるものがないからと、勝負自体、避けている。何に勝ちたいかもよくわからないけど。
私なんかより、無謀と知りつつ、例え間違った方向であっても王女に敢然と立ち向かったゲームの「レミリア」の方が、……潔かったよね。
自己嫌悪でちょっぴり気分が落ち込んだので、私はわざとらしく明るい声で、シルヴィアに言ってみた。
「私、三人よりも、ドミニク様なんか、素敵だなぁ!と思うのですがいかがですか、シルヴィア姉様!」
シルヴィアは、あらあら、おませさんと笑った。ドミニクの好意に気付いてるかぁ。そりゃあれだけ露骨なら気づくよねぇ。
「素敵な方だけど、年下は好みじゃないわ」
一刀両断。
「それにこの年で、出戻りで。……年下の男性とお付き合いするとなると、すぐに結婚って言われそうだし。結婚はもう、こりごり。私は向いてなかったわ」
口調にご夫君を悼む気配はなかった。あっさりとしている。
「……私、シルヴィア姉様はヘルトリング伯爵家にお戻りになられるかと思っていました」
カタジーナ様のいるメルジェじゃなくてさ。
「お母様が心配で、メルジェにいる、…って言える孝行娘ならいいんだけれど。アデリナの旦那さんが当主の家に出戻るのも肩身が狭くて。アデリナはしつこく、意地を張らずに戻って来なさいよ!って怒るのだけどね」
それに、とシルヴィアは言った。
「母上が昔、私から取り上げたものを、どこかに隠してるはずなのよ」
「え?」
彼女らしからぬ暗い声だったので、私は驚いて彼女を見上げた。しかし、その表情は穏やかだ。
……気のせいかな?
「それを見つけてからじゃないと、どうしてもメルジェから去れないの」
見つけたらもう、大量に砂かけて出ていくんだから、と笑った。
「シルヴィア様こっちだよ!」
すっかりシルヴィアに懐いたらしいシンが満面の笑顔で手を引いて、案内する。
あ、ドミニク、意気消沈。下心に、無邪気さが勝つなぁ。あーあ、という目でドミニクを見ていると、私と同じく憐れみの目でドミニクを見ているヴィンセントに気付いた。
「ドミニク様、残念ね。シルヴィアさま、年下は好みじゃないって。そういえば、ユンカー様もぽーっとなってらしたけど?」
貴方も好みじゃないって!と、言外に告げると肩を竦められた。
「シルヴィア様は素敵だけど、俺が相手にされるわけもない」
あら、気弱な発言。歳の差超えて行きなよ。
「三人とも素敵、って言ってましたよ、シルヴィア様。……でも、素敵でしょう?自慢の従姉なのです」
あんな風になりたいんです、と笑うと、ヴィンセントは私とシルヴィアを見比べて、ちょっと鼻で笑い、小声で言った。
「白鳥と……ひよこちゃんだな……」
おまっっ!聞こえてますけどぉぉ!聞こえるように言った!?
ランチ時にシルヴィアが私のことをひよこちゃんって言う度、ヴィンセントが口の端を上げて笑って居たのは知ってたけど!
「わ、私だって白鳥になるかもしれないじゃない!!」
ヴィンセントは、ふふん、と笑った。
「無理だな」
「どうして」
「白鳥は生まれた時から白鳥だ。それに引き換え、ひよこは成長すると……」
未来の宰相殿は、彼特有の上から目線で私を見て、はっきりと告げた。
「ニワトリになるんだよ、レミリア嬢……」
「…………!!」
ニワトリっっ!
私は衝撃に、思わずくらりとしそうになった。美しい白鳥に成長すると信じているのに、大きくなってみればコケコッコー!!
嫌だ、そんなの!
白鳥的美女にひよこちゃんなどと呼ばれ、私ちっちゃくて可愛いのかしら~、などと、いい気になっている場合ではなかった。
「楽しそうね、何を話してるの」
白鳥が優雅な首を巡らして、私たちを見た。
いい子の仮面を完璧に被り直したヴィンセントは「レミリア様の将来について少々」とうそぶく。感じ悪うぅ。しかし、感じの悪さなら、私も本家悪役、負けぬ。私はかわいらしく、うふ、と笑って見せた。
「ユンカー様は賢くていらっしゃるから、私に色々、教えてくださいますのよ」
もちろん、嘘である。
ヴィンセントは極力私には関わらないもんね。厭味は随所で言うけど。
「つい先日は、動物の生態について教えていただいておりましたの」
ヴィンセントが、ん?と不審な顔をする。
「特に鼠の生態と鳴き真似について、おくわし……っ」
「詳しくないっ。全然、詳しくない」
ちーちーと鳴いてやりたかったのに、慌てたヴィンセントに、口を後ろから塞がれる。
おのれ気易く触るな、ヴィンセント・ユンカー!この無礼者め!
私たちがばちばち睨みあっていると、シルヴィアが仲良しねぇ、と笑った。シンもそうだね、と笑っている。
仲良くないもん。
そうこうしている間に、厩舎の扉が開いて、ひょこっとハナが出て来た。
ハナは沢山のお客様に、目をぱしゃぱしゃとさせていた。カボションルビーのような、優しいピンクの瞳が私たちをぐるっと見渡す。
側に控えていたイザークが、少しだけ散歩させてもいいか聞き、いいわよ、とシルヴィアが言うなりイザークはひらりとハナにまたがった。ハナは立ち上がって数歩歩いて翼を広げ……、
(あ、飛んだ……!)
翼に怪我をして飛べない筈のハナが、はばたいて――私達は声を無くして彼女の動きを見ていた。ハナは屋根のあたりの高さまで飛んで……ふらふら、とすると、たたらを踏みながら着陸した。
「ん、ハナいい子だな。よく飛んだ。今はこれが精一杯、かな?頑張った」
ハナから降りたイザークが、ハナの首にかじりつきながら撫でる。ドミニクも駆け寄って、大分よくなったなぁ、と目を細めて……やっぱりがしっと抱き着いた。
二人ともお母さんに甘える子供みたい。
大好きな兄弟に抱き着かれたハナはご満悦で二人にぬ首筋に何度も鼻を擦り付け、顔をなめる。
キルヒナー兄弟は勿論、飛んだハナ自身が飛べた事が嬉しそう。
ハナは空を見上げて、次に兄弟をみると、ワタシ、チャント飛ベタヨ、と二人に訴えかけるように、キューキュー、と鳴いている。
「怪我をして飛べないと聞いていたけれど」
シルヴィアが質問すると、「大分よくなったんだよ、船でいいお医者さんにあったし」とシンは少し誇らしげに言った。テーセウス先生か!シンによれば、添え木の代わりに少し翼を切って、金属を入れたらしい。テーセウスが船を降りるまでハナの治療をしてたのは知っていたけど、そんな事してたの。凄いな。
「イザークとドミニク、ずっと心配してたんだ。ハナがもう二度と飛べなくなるんじゃないかって。ハナおばあちゃんだから。……でも、大丈夫そうで、よかった」
ドラゴンにとって飛べなくなることは、俺達が足を失うことと同じだからさ、と、シンが色違いの瞳を細めた。
うん、よかったね。私も少し、うるっとしてしまった。
これでもう、ハナ、大丈夫だねぇ。
シルヴィアがキルヒナー兄弟に許可をとって、ハナに近寄ると、彼女の頭を撫でた。
「ドラゴンをこんなに近くで見たのは初めてだわ。可愛いくて、優しい目をしているのね……貴女は幸運なドラゴンねぇ。貴女の赤ちゃんのために、皆が協力してくれている」
シルヴィアがドミニクを見た。
「無事に雛がかえったら、教えてくださる?」
「もちろんです。カタジーナ様とシルヴィア様には、改めてお礼に参ります」
「楽しみに待っているわ」
ドミニクは感じよく微笑んでから、彼女に見えないところで、よしっとばかりに拳を握りしめた。
よかったね、再訪する口実が出来たね……。
本当は二泊する予定だったけれど、ハナが疲れていないなら、とシルヴィア様の勧めで私たちは翌日発つことになった。「うちの母上様がなにか良からぬ事を考えないうちに、お早めにね」と、冗談か本音かわからない事を言う。
翌朝、出立する私たちをシルヴィアが見送ってくれた。カタジーナ伯母上は体調が悪いと言うので、いらっしゃらない。
私はほっとしたけど、スタニスが「それは良くないですね、私がご挨拶を」とお部屋に向かっていた。
カタジーナ伯母上、スタニスのご挨拶喜ばないんじゃないかな。仮病のつもりが、真面目に寝込みそう……。薮蛇をつつかなくても、と私がハラハラしながら侍従を見送っていると、
「あの二人も因縁があるのよ」
とシルヴィアが笑って教えてくれた。
「スタニスが軍にいた頃、母上がスタニスに、凄い酷いことをしてね。彼の逆鱗に触れて」
「え……」
スタニスの逆鱗。
職務の時はともかく、素のスタニスは、大抵へらへらしてるから、ピンと来ない。
「激怒したスタニスに、危うく殺される所だったのよねぇ、母上」
「ええっ!」
私はびっくりしてシルヴィアを見上げた。
そ、そこまで怒らせるってカタジーナ伯母上、何やったんだろ。
全然想像つかないんだけど。
「結局、軍の偉い方が仲裁に入って下さって、スタニスが引き下がってくれたんだけど。……スタニスに怯えてたでしょう、母上。今でも怖いらしいわよ?レシェク様もそれを知ってるからスタニスをお付きにしたんでしょうね。……ほんと、あんなに尖ってた人が、別人みたいに穏やかになっちゃって」
「知りませんでした」
私の侍従は元ヤンだったのかー、と私は頭の中のメモに書いた。
これからは、あんまり怒らせないようにしよ。
キルヒナー兄弟が馬車に乗り込み、シンとヴィンセントもシルヴィア様に別れを告げに来た。
去り際、シルヴィアがヴィンセントを呼び止めた。
「ねえ、ヴィンセント様、少し聞いてもいいかしら」
シルヴィア様がヴィンセントを見て笑う。その笑顔が消え入りそうに寂しげで、あまりに綺麗だったので、私とヴィンセントはちょっと見惚れてしまった。
「貴方のご両親のどちらかは、西国の方なの?」
ヴィンセントはちょっと困った顔をしていたけれど、頷いた。皆、ユンカーの出身がどうなのか、気にはなっているだろうけれど、はっきり聞いた人は初めてみたな。
「父はユンカー家縁の者で、母は西国の出でした」
あまり私には聞いてほしくない話題だろう、と思ったので私は二人のやりとりを聞いていないふりをして、馬車に乗り込む。
シルヴィアは頓着する風でもなく言った。
「私の侍女も……昨日話した、一緒にドレスを仕立てた侍女ね。貴方と同じ肌の色と緑の目をした子だったわ。瞳はちょっと黄が強かったけど。貴方の瞳も綺麗ね。懐かしい気分にさせて貰ったわ」
私は貴方の姿、とても好きよ。と笑う。ヴィンセントは面食らったような顔をしたけれど、少し柔らかい口調でありがとうございます、と返した。
「その方は今、どちらに」
ヴィンセントが聞くと、シルヴィアは悲しそうにいった。
「私たち姉妹が結婚した頃、彼女も遠くに嫁いだけれど、今、何をしているのか……」
元気でいればいいけれど、とシルヴィアがしんみりと言ったとき、出発の声がかかった。
ヴィンセントも、彼女に礼をして、乗り込む。
シルヴィアが、私達にまたね、と笑い手を振る。
馬車はメルジェを後にした。
次は、幕間のお話です。




