メルジェ 2
郊外で馬車を走らせ、人工的に作られた閑静な森を抜けると、小さな城が見えてきた。
オレンジとベージュの煉瓦で組まれた小ぶりな城が、湖の側に古式ゆかしく建っていて、凪いだ湖面はまるで鏡のように、青い空とオレンジの城の、美しい姿を見事に写しとっている。
「ご無沙汰をしております、伯母上」
かわいらしい城とは対照的に、可愛いげのない伯母上が、私達を出迎えた。
宿でキルヒナー男爵とは別れた。
陛下のご要望を私達に告げ、ご本人は用事は果たしたからな!と意気揚々と帰って行ったからだ。
陛下の「カタジーナに会いに行ってこい」というご命令に、シン自身も驚いていた。
「俺が?!陛下の名代?」
「そう、レミリアの伯母上のカタジーナ様は、それはそれは気むずかしいお方でな。仲良くしたい陛下がどれだけ熱心に誘っても、お願いしても、王都においでにならない。――せめておまえがカタジーナ様に会って、周囲に陛下とカタジーナ様は、仲良しだって示してこいってさ」
つまりは――
「いい加減、反抗期も終わりにしなさい、ってことですか?」
スタニスが天を仰ぐ。
そういうこと、とキルヒナー男爵は同意する。
新旧王家の仲は(父上はのぞいて)あまりよろしくはない。
女王陛下は様々な改革を進められたけれど、その過程で権益を取り上げられた旧王家の一派やその取り巻きは、陛下を恨み、ことあるごとに陛下の改革や政の揚げ足をとる。
ヴァザ家の領地も祖父のマテウシュが亡くなったのを幸い、半分以下に減らされたのだとか。
王家の独断を防ぎ、貴族とその領民の平穏を保つ――そんな大義名分の旗頭としては現党首の父上が相応しいんだろうけど、無関心無感動を信条として生きている人なので――その椅子にはマテウシュの長子、カタジーナ伯母上が座るわけだ。
実際、カタジーナ伯母上が出来る事なんて大したことではない。
大したことでは無いけれど。
陛下が治水のために増税をすればその土地の民にことさらな、しかし、一時しのぎな施しをして、人気を稼ぐ。
その土地の民は、カタジーナの気まぐれな慈悲の後に増税する陛下が現れたら………恨むよね?
おかげで治水は難航する。
身分を問わず、有能な人材を雇用すれば遠い身内に犯罪者がいたと軽微な罪を暴いて失脚させる。陛下のお気に入りの侍女に身分違いの恋人がいれば、相手の両親に財力をちらつかせて無理矢理貴族の令嬢と結婚させる。
やりたい放題。
私が父上じゃなくたって、苦手だよ、こんな人。
――貴族のためだって言うけど。多分、カタジーナ伯母上は、自分以外の人間が、幸福になるのがお嫌いなのだ。
それが、身分の低い人間や、陛下の身内なら、なおさら。
「陛下も無茶をおっしゃいますねえ。シン様をカタジーナ様の前に連れてったら頭から食われちゃいますよ?」
ため息をついてスタニス。怪獣かなにかか、伯母上は。
「まさかカタジーナ様だって、領地に堂々と入り込んで来た相手に乱暴はできんだろう。それでもシンが危ない目に会うようなら――」
シン、とキルヒナー男爵は竜公子に目を向けた。
「何かされそうになったら、おまえ、なにをしてもいいから、ちゃんと王都に帰ってこい。一人でいい。馬鹿三人は見捨てていい」
「マリアンヌは?」
シンがマリアンヌを伺う。
「マリアンヌは一人でも帰ってこれるよな?」
男装のマリアンヌは、キルヒナー男爵の確認に、はい、と微笑んだ。自信ありげだなあ。
目の前の会話のやりとりに、私が両手で耳をふさいでいると、キルヒナー男爵は、苦笑して私を見た。
「いかがなさいました。レミリア様」
「私が聞かない方がいいのかと・・・」
一応伯母上の悪口だもんな。そもそも、子供が聞いていいのか微妙な話だし。キルヒナー男爵は、あはは、と笑った。
「本来なら、レミリア様にお聞かせする事じゃないんですけど。まあ、陛下としてはそういう意図があるわけです。ので、無事にシンとカタジーナ様が面会できるよう、カタジーナ様の周りの方々に、陛下はレミリア様の伯母上と仲良くしたいんですよ、と示す事にご協力いただければ。なに、万事うちの長男と――スタニスがやりますよ」
随分と気安い口調で男爵は言った。スタニスが渋面になる。
「勝手に決めないでくださいよ」
「いいじゃないか、おまえ、今回は若様の名代なんだろ」
ん?と私は二人を見た。
スタニスが父上の事を若様って言うの、なんで知っているんだろう。さっきから不思議なんだけど、二人ってば、なにか親しげじゃない?
「男爵は――スタニスを以前からご存じなんですか?」
私の疑問に、イザークがあれ?という顔をした。
「レミリア、知らなかったっけ」
何を?私が首を傾げると、キルヒナー男爵はにやりと笑った。対照的にスタニスは心底嫌そうな顔をする。
キルヒナー男爵が、にっこにこと笑いながら教えてくれた。
「同じ時期に軍にいましてね」
「少しだけです」
ああ、それでか!軍にいたスタニスと、元々軍人家系なキルヒナー男爵。面識があってもおかしくはなかった。
「つれないこと言うなよ、友人だろう、俺たちはー」
「いいえぇ!男爵と友人だなんて、そんな恐れ多いこと、微塵も思ったことはございません。年齢も違いますしぃ」
「そんなに年離れてたか?それにしても白髪増えたなぁ、スタニス」
「男爵と違って私めは繊細に出来ておりますので」
「繊細って意味、後でちゃんと辞書でひいておけよ?」
ははは、と二人は顔を見合わせて乾いた笑いを交わす。
「仲良しだな」
シンが呆れたように呟いた。仲良しというか、悪友?意外なところで意外な交遊関係が。
私が感心していると、スタニスはお会いしたのは十年以上ぶりですよ、本当に仲は良くないですからね、と嫌そうに訂正した。
そんな事があって、ドミニク様が伯母上の家までの差配や先触れをし、屋敷に到着したのだが。
意外なことに、カタジーナ伯母上はシンの来訪を喜んだ。
「竜族のお客様をおもてなしするのは久々ですよ、竜公子……陛下も味な事をされること。何もない田舎ですけれど、どうぞ、ゆっくりなさってね」
椅子から立ち上がって、彼女はシンを出迎える。
若い頃はさぞ騒がれただろうカタジーナ伯母上の美貌は、まだ健在だった。若々しくみせるための厚い化粧は、かえって刻まれたシワを目立たせているけれど。
不自然にご機嫌な伯母上を居心地悪く感じる私の横で、シンは誰の目にも優しい、独特の柔らかい笑顔を向けた。
「突然お邪魔して、申し訳ありませんでした、カタジーナ様。お会い出来て光栄です」
カタジーナ伯母上は執事に命じてシンとドミニクを案内させると、ついて行こうとした私を「お待ちなさい」と引き止めた。
「レミリア、久しぶりだこと。みないうちに随分と陽に焼けたのではなくて?肌は白い方が良いのよ、カルディナではね。それに、そのドレスはなんなのです」
ドレスは、キルヒナー男爵が私に似合うだろうと言って、わざわざ揃えてくれたものだった。
最近流行りのすそがふわりとして、レースが幾重にもなった深緑のドレス。
皆、似合うと……私に好意的ではないマリアンヌでさえ、褒めてくれたのに。
「下品なドレスだこと。一体どこの国の趣味なのかしら。それに、今回の件は何なのです?ドラゴンが欲しいですって?あれは、貴族が自ら乗るものではありませんよ?傭兵に乗らせるものです」
私は俯いた。
私の後ろに控えているヴィンセントとイザークへのあからさまな当てこすりなのは分かる。私は口をつぐみそうになったけれど、ここで何も言わなかったら、せっかくの楽しい旅の思い出が全部消えてしまう気がして、……反論を試みた。
「ひ、陽に、やけたのは、健康的でよいと、皆褒めてくれます!伯母上は都においでにならないので、ご、ご存じないかもしれませんが!このドレスは都の流行なのです!」
私は言ってやったぞ、と思って目をつぶった。
恐々と伯母の出方を疑うと、伯母上は、扇を広げて濁った水色の瞳をちょっと眇た。
「まあ、年長者に若い娘が賢しらに口答えをするとは可愛くない。嫌な時代になったこと。それとも、気が強いのはカミンスキの血かしらねぇ」
パタパタと扇で仰ぐ。
「レシェクも哀れなこと。ヤドヴィカのような気の強い行き遅れを押し付けられて。他にもっと似合いの娘がいたでしょうに。あのような嫁だから、娘の他に、子も生まれないのだわ」
私は口を曲げた。母上は関係ないじゃない!カタジーナ伯母上は事あるごとに伯爵家出身の母上を馬鹿にする。母上のいないところで。私にきこえるように。
「同じ娘ならせめて、フランチェスカ王女のようであればねぇ」
私は視線を落とした。
フランチェスカみたいなら、とはヨアンナ様をのぞいた伯母上達によく言われる言葉だ。
(せっかくヴァザの髪と水色の瞳なのに、レミリアは顔立ちが王家と違う)(ヴァザの娘にしては小柄だ)(短気なのは、総領娘としてふさわしくない)(浅はかだ)。
過去言われた数々の悪口を思い出して、唇を噛む。
「全く、外れもよいところだわ。レシェクが何故、こんな目に遭うのかしら」
イザークが何かをいいかけ、ヴィンセントがそれを止める気配がした。
嫌い、わたし、この人、だいっきらい。
言われた言葉より、その言葉をイザークとヴィンセントの前で投げつけられた事が惨めだった。ヴァザの姫様だなんてサロンで偉ぶっても、伯母上達の前に出れば私は出来そこないの小娘として吊しあげられてしまう。私は、ぺしゃんこになった気分で自分の足元を見つめ続けていた。
私がフランチェスカみたいに綺麗で賢くて、落ち着いた娘ならば、こんなふうに言われる事もないのに。
伯母上が楽しそうに、黙り込んだ私を見る。私は伯母が上機嫌だった理由がわかった。父上も母上も付き添っていない私に、これ幸いと、日頃溜め込んでいる苦言を言うつもりなんだ。
泣くもんか、と唇をぎゅっと引き結んだ時。
「遅くなりまして」
ハナを厩務員と共につないできたスタニスが、扉を開けて入ってきた。伯母上が椅子から立ち上がる。
「誰です、私の許しもなく……!」
と言いかけた伯母上はスタニスを認め、ぎょっ、と言葉を止めた。私の侍従はにこにこと機嫌よく私の横に並ぶと、振り返って、イザークに微笑みかけた。
「イザーク様、ドミニク様とシン様は?」
イザークが、奥に、と示すと、では、お二人ともいってらっしゃいまし、とイザークとヴィンセントを送り出す。
二人がちらり、と私を気遣わしげに見たけど、私は視線をあげなかった。
「誰に許しを得て、あのようなもの達を客間に!」
二人が部屋を出て扉を閉めると、カタジーナ伯母上が声を荒げる。その様子をスタニスが笑むと、伯母上は視線を明らかに泳がせた。
「そ、そもそも、お前が来るとは聞いていませんよ!セバスが来ると、早馬には……」
「申し訳ございません、カタジーナ様」
カタジーナ伯母上にスタニスは殊勝に頭を下げ、胸元から父上の手紙を出した。あ、私が父上に貰った手紙だ。
「旦那様からカタジーナ様に、と。セバスティアンが訪問する予定だったのですが、急にギックリ腰になりましてねぇ……。私がセバスティアンの代わりに来ると書いてございます」
カタジーナ伯母上は手紙を食い入るようにみて、眉をよせた。
「書いてございますでしょう?……私に差配をお任せすると、公爵からの命令です」
「おまえなどに差配ですって?」
カタジーナ伯母上が怒りのまま破きそうになった手紙をひょい、ととりあげ、スタニスはトン、と伯母上の肩を押した。
同時に見えない位の速さで足を払う。よろめいた伯母上は椅子に座らされる格好になった。
「おや?何もない所で急に転ばれるとは大丈夫ですか?カタジーナ様も寄る年波には、そろそろ気をつけられた方がいいですよ」
「……傭兵あがりが無礼なっ!私を誰だと思っているのです」
叫んだカタジーナ伯母上の眼前に、スタニスは手紙をつきつけた。
「ヘルトリング伯爵夫人」
スタニスはカタジーナ伯母上の婚家の名を呼んだ。カタジーナ伯母上が恥だと思っている、亡くなられた格下の夫の名だ。
「誤解なさらぬように」
カタジーナ伯母上の顔が強張る。スタニスの背中しか見えないから、私は表情がわからないけれど、スタニスの声は穏やかだった。けれども、スタニスから視線を落とされてた伯母上は、ひ、と小さく悲鳴をあげた。
ひ、てなんなのです。伯母上。
「これは弟君から姉君への機嫌伺いのお手紙ではありませんよ。正式な署名のある、カリシュ公爵から伯爵夫人への命令書です。レミリア様とそのご友人を歓待せよ、とね。老眼で読めなければ、皆様の前で一言一句違わず、読み上げましょうか、伯爵夫人」
なにをと言いかけたカタジーナ伯母上の言葉をスタニスは遮った。
「もうひとつ、我が主より伝言です」
使用人に言葉を遮られた伯母上は、屈辱でワナワナと震える。
「『ヴァザの名を勝手に騙るのは、ご遠慮いただこう、伯爵夫人。ヴァザ家にカタジーナという女がいるかと、事あるごとに聞かれ、私は迷惑している。ヴァザ家にそんな名の女はいない。その名を名乗って許される女性は、ヤドヴィカとレミリアだけだ』――さて、こちらについて、お返事を頂いて、よろしいですか?」
スタニスの父上を真似た口調がそっくりで、父上が言ってくれているみたいで、私はちょっとだけ気分が浮上した。
物真似もうまいのね、スタニス。
屈辱にうち震えたカタジーナ伯母上は声もない。私がどうしようかも身じろぎしたとき。
「まだ、ここにいたのね」
艶のある茶色の髪を結い上げた女性が部屋に入ってきた。
カタジーナ伯母上が、はっ、と彼女をみる。二十代前半とおぼしき、優しげな女性だった。彼女が開けた扉が閉まる直前、扉の影に、イザークがいるのが見えた。なんで残ってるんだ、イザーク。
「あまり遅いから心配で見に来てしまったわ。お母様の事だから、どうせ、レミリアに意地悪していたんでしょう」
久しぶりねぇ二人とも、と笑いかけてくれたのは、カタジーナ伯母上のご長女のシルヴィア様だった。私は頭を下げた。
「お母様、約束でしたわね。今回の差配は私にとらせていただけるって。お二人を広間にお連れしても構わない?」
「好きになさい!」
シルヴィアの質問にカタジーナ伯母上は叫ぶ。さっと立ち上がり、私とスタニスに目もくれずに部屋を出て行った。シルヴィアは、はいはい、と苦笑して母親を見送ったあと、スタニスに視線を移す。
「ご無沙汰ね、スタニス」
スタニスは無言で頭を下げた。
シルヴィアは私の顔をちらりとみると、また後でね、落ち着いたら広間にいらっしゃい、ひよこちゃんと笑い、部屋を出た。
残された私は、「返事せずに逃げやがった」と舌打ちしているスタニスの袖をひいた。
「どうなさいました、お嬢様」
シルヴィアも伯母上も、部屋に誰もいないのをもう一度確認してから、私はスタニスに抱き着くと侍従の腹に顔を埋めた。
「お嬢様」
貴族令嬢が使用人に抱き着くなんて褒められたものではない。困ったようにスタニスが笑ったけれど、知るもんか。
「……外れって言われた」
「外れてるのはカタジーナ様の頭のネジです」
「フランチェスカみたいだったらいいのに、ってまた言われた。可愛くないって」
泣くまいと思ったのに、よしよしと優しく肩を叩かれたせいで、涙声になる。
「老眼が進んでるんですよ、可哀相に」
スタニスは侍従らしくなく、よいしょ、っと私を引き離して中腰になると、私のほっぺたを左右からぎゅーっとひっぱった。
まだ幼児だったころ、よくこんなふうにして私をからかって遊んでたよね。無礼なスタニス。
「ほら、そんな顔をしないでレミリア様。可愛いお顔が台なしですよ。にっこり笑って嫌なことは忘れちゃいましょうね?ほら、笑った方がずーっと、可愛い」
「私、ちゃんと可愛い?」
私が泣き笑いで尋ねるとスタニスは当たり前ですよ!と大袈裟に驚いてみせた。
「可愛いに決まっているじゃありませんか」
「ほんとに?」
「本当です」
「ほんとに、ほんと?」
「スタニスがお嬢様に嘘をついたことがありますか。お嬢様が、世界でいちばん、可愛いですよ」
いつも結構、嘘つかれている気がするけど、と笑いを噛み殺して私は顔をあげた。何でも知ってるスタニスがそういうなら、きっとそうだ。スタニス分を摂取したので、私の気分はちょっとだけ復活した。
「ねぇ、スタニス」
私は甘えて袖をひいた。
「なんです、お嬢様」
私はシルヴィア様の綺麗に結い上げた髪型を思い出す。左右が編み込まれていて、とても可愛かった。
「私もあれやって!さっきのシルヴィア様の髪型!あれと同じがいい」
「はいはい」
スタニスは呆れたように笑ったが、私の髪を解くと、手早くまとめて整えてくれる。さっき、ちらり、と目にしただけだろうに、手の動きには迷いがない。
本当に、なんでも出来るなあ、スタニスは。
スタニスが髪を整えてくれる間に、私の赤い目もおさまるといいな。
男の侍従が、私のように育った貴族の娘の付き添いだなんて、こんな風に髪を触るのなんて、あんまり褒められたものじゃないんだろうけど。カタジーナ伯母上の小言が蘇る気がしたけど、知るもんか、と私は思った。
父上も母上も、それでいいと言っているのだ。
ヴァザ家以外の人間に口だしされることではない。
「はい、綺麗に出来ましたよお嬢様」
姿見で写すと、髪は見事に仕上がっていた。
「ありがとう、スタニス」
私が微笑むと、スタニスは侍従の顔に戻って、礼をする。
スタニスが差し出した手を取ると、私は広間へ進んだ。




