秘密の約束
翌日、シアは私を「散歩」に連れて行ってくれた。
誰にも見つからないようにこっそりと。竜族の長に誘われるなんて、栄誉じゃないかとヘンリクが珍しく目を丸くしていた。色んな人にバレると面倒だから私はフードをかぶって彼の前に座り、手綱を預けた。
「公女も竜を駆るとか」
「ええ。私の相棒は寂しがりやなので寝室のすぐそばに彼が着陸できるテラスを増設しました。……たまに気が向くと、そこで寝ているんですよ」
シアのドラゴンは物静かな性質だった。私たちの会話にも興味を抱かずに悠々と空をとんでいる。
世間話なんてものを竜族の長とするなんて、なんとも不思議な心地がしたけれど、彼は王都の暮らしを知りたがった。女王が引いた下水道や救貧院の話、神殿……。
異能を持つアレクサンデルには気づいていたようで、彼の話をする時には眉を顰めた。
この人は多分、己や己の同胞が意に染まぬ形で利用されるのが嫌なのだ。
だから人間には関わりたくない。
それを利用する形で、……私の平穏な未来のために無理矢理、引っ張り出して悪かったな。
「スタニスと何を話したんですか?」
仰ぎみると、シアは静かな瞳で私を見返してきた。
至近距離で見ると、彼は思いの外、イェンに似ていてちょっとどきりとした。甥っ子だものね。
「あいつが望まぬことは私は口にできない。本人に聞くといい」
「話してくれるといいんですけど。……スタニスは私に心配かけないように、なんでも秘密にしちゃうの。家族なのに、遠慮が多すぎる!」
私のぼやきに、竜族の長は笑った。家族か、と小さく口にする。
「繰り返し言ってやるといい。……誰が何と慰めても己の価値というものが信用ならんのだろう」
ため息をついて、シアは手綱を操った。王宮に帰るらしい。
「そういうところも、イェンと似ていて腹が立つ」
確かにあの二人似ているもんなあ。
キレ方とか。口調とか、ちょっとした仕草とか。
「イェン様に似ているから、シア様はスタニスが嫌いなのですか?」
「そうだとも。ただの嫉妬だ」
あまりにキッパリ言われて私は笑ってしまった。嫉妬かあ。
「どうしてそんなにイェン様がお好きなんです?」
長の周囲には沢山の強い人や美しい人がいるだろうし、皆、彼に優しいだろうに。
イェンの態度を見る限り、イェンは甥を煙たがっている。それなのにシアはめげていない。
「……イェンが一番、危うくて美しいからだ。叔父は私が嫌いだがな」
ふん、と拗ねたような返答が返ってきて私は視線を泳がせた。それは尊崇の念なのか、もっと即物的なそれなのか、ちょーっと重すぎて、私には判断しかねる告白だった。シアが「イェンは私の大事な家族だ」と己に言い聞かせるように呟くのでそういうことなのかな、と私も納得することにした。それ以上は私が立ち入れない領域だ。
「レミリア・カロル・ヴァザ」
「はい」
急に名前を呼ばれて私は背筋を正してしまった。
「……もしも叔父があなたに仇をなすことがあれば、私がくる。何かあれば、呼んでくれ。だからその時は彼を……見逃してほしい」
なんとも不吉な申し出に私が目を白黒させていると、シアは苦笑した。
「念のため、だ。……頼む」
いいですよ、と私は安請け合いをした。
「シアは私の家族を。私はシアの家族を助けるんですね?わかりました」
にこりと私が微笑むと、シアは硬質な美貌で生真面目にうん、と頷いた。
王宮の北門のあたりに舞い降りると、ヘンリクが一人でわたしたちを待っていた。
「ずいぶんと長い散歩だったな?なんの話を?」
「大したことではない。……まあ、密約を少々」
ヘンリクの私への問いに、シアが答え、彼は颯爽とドラゴンから降りて客室へ戻っていく。
ヘンリクがジロリと私をみた。また厄介なやつを引っ掛けて、と小さくぼやいたので、なんだそれは?と私も半眼になった。シアに関しては、私よりもヘンリクの方が仲良くなってないかな?
証拠に、その日、シアはいつものように朝食を取って、ヘンリクを呼び出して、盤上遊戯に興じていた。
夕食だから、とヘンリクが部屋を辞する際に「世話になったから」と彼の腰に差していた短剣を我が従兄に投げて寄越した。現場を目撃した侍女たちが、きゃあ、と歓声を上げたので私はヴァザの伯爵が評判をあげるのはどうかな、困ったなと思ったが……。
まあ、これくらいならいいかと思うことにする。
ではな、と私たちに手を振って……、それが最後。
翌朝、彼と彼の側近の半分はもはや王宮にはいなかった。
「まるで煙みたいに消えた……って、近衛の騎士団長が頭を抱えてた」
がらんとした客室を私が眺めていると、ひょっこりとイザークが顔を出し、笑いながら説明してくれた。
「本当に……!すごいのね竜族の人って」
近衛騎士たちは厳しい訓練を積んでいるのだ。
それなのに全てを素通りして去るとは……。フランチェスカも女王も苦笑するしかなかっただろう。
宰相閣下と竜族の間では何やら小難しい取引があるようだが、その対応は残された(のか、残った、のか)シアの側近であるカガリが任に当たるらしい。
そして、意外なようなそうでもないような……、と。
私は、イザークの後ろから呑気についてきた白髪の麗人を見上げた。
「イェン様は里に戻らなくてもよかったんですか?」
「俺に帰ってほしいのか。冷たいなレミリア」
嫣然と微笑まれて私はあからさまに目を逸らした。
悪い人なんだけど!
顔がよろしくて、彼が私の理想なのはもう、仕方ない……駄目なのはわかってるけど!好きなんだもん!
「いてほしいような。何か厄介なことを起こしそうなので帰ってほしいような……複雑です」
正直な思いを吐露すると、イェンはくつくつと笑った。
「嬢ちゃんに危害を加えたりはしないよ」
本当かなあ……。
「信じてないな?本当だから、信じろ」
疑わしい目で見ていると、イェンは私のそばに寄ってきて機嫌をなおせ、と飴玉をくれた。
いや、そもそもそれは饗応役の私が厳選して準備した飴玉なんですけど!?と思ったけど、ありがたくと苦笑して受け取る。
「イェン様は私に何か食べ物を与えておけばご機嫌だと思っていますね?」
「そういうわけでは……、あるかもな。レミリアが何かを食べて幸せそうにしてると懐かしい心地がするよ」
誰を思い出してるんだろうな、と聞いてみたかったがそこは触れないでおく。
昔の恋人とかだったら照れるじゃない?
(なお、私が後でこっそり話すと、我が友マリアンヌは「飼っていた犬に似ていたとかじゃないの?」と宣ったので、私はおおいに拗ねた)
「心配せずともカガリの野郎と一緒に帰るさ」
イェンは楽しげに宣言し、じゃあな、とひらひらと手を振って帰っていく。
「あの人も何を考えているのかなあ」
私の隣でぼやいたのは、ヴィンセントだった。
イェンと入れ替わるようにして、ドミニクと一緒に客間にきてくれたのだ。
商会から準備してもらった調度品も多かったので、これから引き取ってもらったり、貴族たちに下げ渡したり。
竜族の長愛用の……とは宣伝しないだろうが欲しがる貴族はいそうだなー、と私は苦笑した。
「イェン様?気ままに遊んでいるだけなんじゃない?」
「だといいけどね」
ヴィンセントはチラッとドミニクを見た。
「竜族の面々の何人かは貴族に招かれて、夜会にも出席していた。……イェンもね」
「みたいね」
私が頷くと、ヴィンセントは声を潜めた。
「……シルヴィア様と連れ立ってイェンは遊びまわっていたみたいなんだけど」
「……それも、ちょっと聞いた」
シルヴィアは美人だし、話も面白いし、寡婦だし、貴族の屋敷に伴うにはちょうどいい相手かもしれない。だけど、期間限定の恋人、というには。
うーん、と私は首を捻った。
イェンが好きなタイプは知らないが、シルヴィアは多分、イェンみたいな退廃的な怠け者の美形は一番苦手だと思うんだよね。なんかヴァザっぽいし。
妙な組み合わせだなあと思っていると、ヴィンセントがさらに不安を煽るような事を言った。
「二人して、シモン・バートリ様の屋敷にも何度か行ったって」
「……!二人で!?何しに!?」
一族の問題児、退廃貴族のトップであるシュタインブルク侯爵様の名前を聞いて私の胃がキュッと痛んだ。
なんか不穏だなあ……。
ヴィンセントは「二人に目的があるのかただの暇つぶしかはよくわからないけど」と首を捻り、私にこっそりと囁いた。
「なんなら、僕と一緒にシモン・バートリ様の夜会行ってみる?」
「気になるし、行ってみようかな」
「じゃあ、明日日暮ごろに馬車を寄越すから準備していて」
「うん、わかったわ」
私たちは何事もなかったかのように客間の後片付けに専念する。
屋敷に帰った私は疲れたあ!とお行儀悪く私室のソファに身を投げ出し、翌日の予定をセバスティアンとカミラに尋ねられ、はた、と気づいた。
「…………私と。ヴィンセントが。夜会に……いくの」
迎えにくるから、準備していてって。
私はがばっと上半身を起こした。
……。
それって、夜会のパートナーとして、ヴィンセントがエスコートしてくれるってこと!?
ど、どうしよう!?
続きは……6月15日には!




