ヒトと竜 6
後半少し三人称混じります。
「こんなところにいらして、よろしいのですか?」
「……それは、貴方じゃないですか?私の役目は、もう無事に終わったもの」
「無事に、とは言い難いな。レミリア様はすこし、内心をお隠しになる術を覚えられた方がいいのでは?」
「……大丈夫よ、最前列にいたもの。あなた方以外には私の狼狽えた顔は見えていないと思うけど、……たぶん」
立太子の儀式が終わって私がヘロヘロになって一人でいるところに、赤毛の神官が背後から声をかけてきた。
どうして一人でいるときに近づいてくるかなあ。この人は。
「なかなか見物でしたけどね。王太子もそう思ったでしょう」
夜会の準備をしているのだろう。奥の方から慌ただしい声が聞こえる。
私は行儀悪く長い石廊下の手摺部分に座って、赤毛の青年を見上げた。
アレクサンデル。
「……フランチェスカが、機転を効かせてくれて、ホッとしたわ。ああいう所みるとすごいなあ、って思ってしまう」
「レミリア様が目に見えて、慌てていたからでしょう。いい具合に気が抜けたのでは?」
さも当然、と言った具合に私の横に赤毛の神官は並んで、手摺に寄りかかる。
「アレクサンデルも、疲れたでしょう?」
「いいえ。私はただ大神官のそばでぼんやり成り行きを見守っていただけですから」
「……ものがよく見える位置にいたアレクサンデルに聞きたいのだけれど、我が愛しの伯母上様は……、どんな顔をしていた?」
ヴァザの重鎮にして、未だに旧王家の復活を夢見る女性は、最近おとなしい。
私にはそれが不気味でならないのだけど……。竜族が王都にいる間には、何か不穏なことはしないつもりなのだろうか。ヴァザが竜の末裔だと頑なに信じている伯母上にしてみれば、竜族は神にも等しいだろうし……。
「……最初は楽しそうでしたが、殿下が切り抜けた時は……」
「悔しそうだった?」
「いいえ。表情を失っておいででしたよ」
怒るでもなく、かあ。一番怖いな……。
「……細工をしたのは伯母上の一派かしら?」
「……なんとも言い難いですね」
私は、ため息をついた。
「フランチェスカだって、結局はヴァザの血筋じゃない。どうしてあんなに反対するんだろう」
私が立ち上がると、アレクサンデルもそれに倣う。
「先代陛下がお嫌いだった、と聞きますから」
「……伯母上には地位も権力も富もあって、優しかった伴侶もいて、今だって、素敵な娘が二人もいて。それで、何が不満なんだろう……傍目には幸せそうに見えるのに」
私はカタジーナは嫌いだが、彼女の娘たちはすごく好きだ。
少し皮肉屋だけど優雅で楽しいシルヴィア。
天真爛漫でお節介なアデリナ。
彼女たちはかたや未亡人、かたや既婚者だが社交界でも彼女たちに憧れる令嬢は多い。自慢の娘に思ってもよさそうなのに。カタジーナは眉を顰めるだけなのだ。
ちっともヴァザらしくない!
と。
彼女たちと幸せに暮らすだけの日々は、伯母には何が物足りなかったんだろう。
「幸せの答えを、神様が書いてくれたらいいのにね。教義書に」
「書いてありますよ。しかし、我々がそれを読み解けないだけですよ」
あまりにも神官めいた言葉に笑ってしまった。
「今度教えてほしいわ。例えばアレクサンデル神官の幸せはなにか、とか」
彼は肩をすくめた。
「私の幸せはそうですね、レミリア様のご慈悲をいただいて家庭を築くことでしょうか」
「………っ」
あまりの不意打ちにずっこけた。
危ないですよ、と笑って赤髪の神官は私の腕を掴む。
「もう少し可愛い反応が欲しいな。顔を赤らめるとか。そんなに胡散臭げな顔をして嫌がらないでください」
だって胡散臭いだもん。
「……前にも仰っていましたね、その冗談」
「あながち冗談でもないですよ。……あなたは難しい立場だ。いかにフランチェスカ様と友情を育んでいらしても、……いや、だからこそ扱いが難しい。ヴァザの嫡流で、欲がないくせに不思議な求心力がおありになる。下手に有力な貴族と縁づいてその家門に力を持たせたい、とは陛下は思わないでしょうね。その点私なら安心だ。いかに権力があろうと……所詮は神職ですから。あなたの危険性は薄れるでしょう?」
私は立ち止まって後ろをついてくる神官にくるっと向き直った。
「おことわり!」
「一言で断るなんて、ひどいな。理由を聞いても?」
「利害しかない婚姻なんて御免だわ!」
「生じるのは利害だけではないですよ。私は楽しいけどな」
アレクサンデルはくつくつと喉を鳴らした。なんだか上機嫌……。
「神官職も疲れます。……私の用意した屋敷にあなたがいて、私の言葉にレミリア様が怒ったり反論したり、嫌がったりするのを見るのは……私が癒されると思いますよ?その代わり、命に換えてもあなたをお守りしますし」
歪んでない?それ?
私はその暮らしを首を捻って想像してみた。気まぐれに訪れるアレクサンデルを待つ生活……。
「いかがですか?」
「やっぱり、お断り。楽しいのはあなただけじゃない!……守られる代わりにどこにもいけず、ただ、貴方を待つだけなんて……。そんなの、暇だわ。そんなのは伴侶でもなんでもなくて……」
愛玩動物よ、と言いかけてさすがに私は口をつぐむ。それ以上は言葉が過ぎる。怒ったかなと見上げると、意外なことにアレクサンデルは苦笑していた。
私は渋面で咳払いした。
「……私の条件に、アレクサンデルは合いません」
「残念だな。……でも、そうですね。私はあなたが伴侶だったら楽しいが、レミリア様には窮屈で退屈でしょうね。あなたはどこへでも行けるし、どこでだってきっと笑っている人だろうし」
「そんなことはないわ。不自由な生活よ」
ぼやくと、アレクサンデルはなおも笑って私の手を取った。
「一人でこんなところにいらっしゃらずに、広間へ行きましょう。振られて傷心の私と、一曲くらいはダンスを」
「それは喜んで……!……第一、結婚しなくてもあなたの言葉に怒ったり、嫌がったり、はいつでもして差し上げますから。末長い友情を望んでいますから」
「あなたから欲しいのは、友情とは少し違うんだよなあ」
難しい人だな……、と私が眉間に皺を寄せていると広間に向かう廊下に人影を見つけた。近衛騎士の服に身を包んだ黒髪の青年、イザークに私はあ!と笑顔を向ける。
イザークは人懐っこい笑みで私に近づいてきて、目にも止まらぬ速さでアレクサンデルの手から私の手を奪い去った。
こ、高速すぎて見えなかった……!?
「無礼でしょう。イザーク殿」
「失礼、アレクサンデル神官。女性の手を神官職の方がいやらしく掴んでいるのは御身のためにもならぬかと。早く任務に戻られては?」
「今日は、レミリア様のそばにいるのが私の任務なので」
二人は笑顔でむかいあった。目が笑っていない…………。
どうしてだか、イザークとアレクサンデルは馬が合わないんだよなあ。
意外にもアレクサンデルとヴィンセントは仲がいいんだけど。
攻略対象たちの人間関係を私が興味深くみていると、イザークが私を覗き込んだ。
「竜族の長が、レミリアをよんでいたよ。迎えにきた」
「シア様が?何か?」
何か不備があったかな、クレームかなあ、と胃が痛む。
「世話になったから、お礼がしたい、ってさ」
なんと竜族の長殿は、早朝には帰途に着く予定だという。予定ではあと10日ほどいるはずだったのに!
聞けば私たちのもてなしに不備が、というより王太子を認めたのだからさっさと帰らせろということらしい。残りの王宮側と竜族の儀礼的なやりとりなんかは、シアの側近のカガリとヤエト、それからイェンが残るという。
「竜族の方に呼ばれたのでは仕方ありませんね。ではレミリア様。また今度」
「ええ、アレクサンデル。屋敷でお待ちしています」
我が弟の体調を案じて、彼は数日中にはヴァザ邸にはくるだろう。アレクサンデルと私が結婚するメリット。弟の体調が安定するなあ、と私は考えて苦笑してしまった。
私の邪な思いには気づかず、神官は未練なくサッと身を翻す。
「……レミリアを一人にしたくないな。変な奴が寄ってくる」
「一人でも大丈夫だよ。子供じゃないもの」
「それは知っているけど。ただの嫉妬です」
明るく言い切られて私は少し、照れてしまった。
イザークと、もしもイザークと結婚したら、楽しいだろうな、とどこか他人事のように思う。イザークと結婚して楽しくない令嬢なんかいるんだろうか?
「さ、行きましょう、シア様を待たせたら怒られそう」
私が貴賓室に行くと……。
「お待たせいたしまし……」
「遅い!」
盤上遊戯に興じていた美貌の竜族は私を見るなり舌打ちした。
し、舌打ちしたあああああああ!?無礼がすぎないか!?私のこめかみにピク、と怒りの波がきて、私をみたカガリさんが「申し訳ありません……」と小声で謝った。
「饗応役なのだから、呼ばれたらすぐにくるべきでは?」
ふん、と鼻を鳴らしたシアの目の前にはヘンリクがいて、お行儀悪く足を組んでいる。何をしてるの、君は。
私が疑問符を浮かべて従兄見ると、ヘンリクはニィ、と笑った。
「そうだそうだ。おかげで苛々したシア殿に、また僕が勝ってしまった」
「……もうひと勝負だな」
シアは駒を右手で握り込んだ。ジャリ、と乾いた音がする。
いいんですよー、シア様がわがままなのは知っているし!しかし、ヘンリクは長を目の前にしても、全く動じないのがすごいな。
「八つ当たりでは?……痛っ……」
ヘンリクのさらに背後に控えていたスタニスが片眉を上げてボソリとつぶやくと、シア様は駒を眉間に投げつけた。
すごいな、スタニスが避けられなかったぞ?
私が妙な感心をしていると、シアがカガリに「お前たちは下がっていろ。ジュダル伯爵もだ」と命じた。
私とスタニス、それからシアが残される。
「……お前も下がれ、ユエ」
「誰ですかね、それ?」
「……スタニス・サウレ。下がれ」
「御言葉ですが、長殿。我が姫を殿方と二人きりにするなどできかねます」
「私が不埒な真似をするとでも!?」
シアが目を剥いたので、私はどうどう、と二人の間に割って入った。
「残念ながらシア様。私が、シア様を誘惑したと思われかねません。……ので、スタニスはここにいてもよろしいですか?」
む、とシアは押し黙った。
「どうして公女が私を誘惑する?あなたは、私に興味がないだろう」
「私はヴァザなので。……竜族を見れば目の色を変えて追いかける、と思われているんです。一部の方には」
カタジーナが若かったらシアを誘惑していたかもな、と私は考えて震えた。
もしも伯母が竜族の子を産んだなら、……正しい神の後継者としてその子を立てたはずだ。たぶん。
シアはゲンナリとした表情を浮かべた。
「我々は神ではない。……人間の国の北方に、たまたま暮らす異民族だ。過剰に期待されるのも、神と祀りあげられるのも、うんざりだ。人々の権力争いに巻き込まれるのも、な。神話など、すべてが創作だ」
私は視線を泳がせた。そう言われてしまうと……、
この国の礎となる神話を、神様からそうあっさりと否定されちゃうと、立場上、同意しづらい。
「私は歴史学者ではない。真実、ヴァザがそういう系類かは知らん。……多少、竜の気配は感じるが」
「そうなんですか!?」
関係があったことに驚きだよ!
私の声に、シアの方が呆れた。
「私より不信心なものがいるな」
あはは、と私は苦笑し、スタニスはひっそりと微笑んでいる。
「なので、儀式の前に難癖をつけて帰ろうかと思っていたが……」
シアの金色の瞳が私を射抜く。
「なかなかに居心地が良かった。我らの仲間も退屈しなかった。……ので、昨日のあれは、この饗応への滞在費だ」
「ありがとう、ございます」
私がギョッとしていると、シアはやれやれと言いたげに部屋を見渡した。
「随分と私の好みを知り尽くしていたらしい。……叔父上から聞き出したな?」
「失礼がないように、色々と教えていただきました」
私は褒められているのか、な?と思いつつ頷くと、シアは言葉を選びつつ、私に尋ねた。
「信じてもいない神話を利用して、私が王太子を寿ぐことになんの意味がある?」
「……わかりません。けれど。シア様に信頼していただいたおかげで、フランチェスカのことを、皆がより一層信じるのだと思います……竜族は我が国民の憧れですもの。ご本人たちには不本意でしょうけれど」
私は彼女の危うさも知っているけれど、それ以上に彼女の真摯さ、強さを知っていると、思う。
彼女がこの国をいい方向に導くと願う。その治世の片隅に自分の幸せもあればいいなあと思うけどね。
「王太子を信じたわけではない。いまさら騒動を起こして……、君の努力に水を差すのが嫌だっただけだ」
「おそれいります」
これ以上ない褒め言葉に私は頭を下げた。
「礼をしよう。何が欲しい」
「……えっ……!?もう、お礼ならいただきました」
フランチェスカのことフォローしてくれたしなあ。
私が首を捻る。
「竜をやろうか。貴重な魔石でもいいぞ」
「…………ううん」
私が口籠ると、竜族の長は口の端を上げた。
「私が不必要にあなたに肩入れしては、不和の種になるか?」
「有体に申しますと、そうですね」
せっかく、竜族の長はフランチェスカを寿いだ、のに私にまで友誼を示されては台無しだもの。シアは皆まで聞かずに、人間は不便なものだな、と呟いた。
「……けれど、もしもお願いできるなら……」
「なんだ。何が欲しい」
「いつか、気が向いたら、竜族の里にお招きください。私か、わたしの子孫でも!あ、それと、もしどこかで私とか私の家族が死にかけていたら助けてください」
「二つも願いがあるのか、欲が深いな?」
ひとつだけ!って言わなかったじゃない?
私が内心で口を尖らせていると、わかった、と長は神妙に頷いた。
「あなたに誓おう、レミリア。あなたの子孫が……もしくは家族が困難な時に、我が血族が借りを返すだろう」
「ありがとうございます」
それで、十分だ。
私がスタニスと微笑みあっていると、さて、とシアは私たちを見た。
「家族、とはそこの男も含まれるのか?」
「もちろんです。義理の伯父上様ですから」
シアは鼻を鳴らし、わかった、わかった…と面倒臭そうに頷いた。
「レミリア。そこの男と二人きりにしてもらってもいいか」
「スタニスと、ですか?」
……スタニスは、シアの敬愛するイェン愛弟子だ。だから、シアはスタニスが多分好きではない。嫉妬している、と言い換えてもいい。何か危害が……。私の杞憂をスタニスは笑い飛ばした。
「……大丈夫ですよ、お嬢様。私とシアが二人きりになっても噂は立ったりしません。襲われるかもしれません…‥って、痛ぇ!!モノを投げるなよ!野蛮人!!」
「いい加減な物言いをするな!だから貴様を昔から好かんのだっ!」
私は呆れたが、大丈夫ですよ、とスタニスに重ねて言われて部屋を後にした。
「大丈夫だよね?」
「……何も問題ありませんよ」
優しい侍従はいつものように私を安心させて送り出した。
◆◆◆
「……それで?あんたが俺に話って?駒で遊びたいんなら、俺はあんたの鬱憤ばらしには向いてない。ヘンリク様に教えたのは俺だから、俺の方が強いもんでね」
「そんなことは知っている」
お嬢様、がいなくなった瞬間に敬語をやめた無礼な男にシアは鼻白んだ。
以前、ずっと昔。
彼がまだ青年と少年の狭間にいた頃、成り行きで彼を竜族の里に置いたことがある。
叔父であるイェンが、スタニスを心配して己の元に戻ってこないだろうか、と愚かにも考えたからだ。結果として、イェンは確かにシアの元に戻っては来たが、またふらりと出て行ってしまった。
その際に、退屈を紛らわせるためにユエを相手になんどもゲームをした。ユエは、恐ろしく強く、そして今と同じくひどく生意気だった。
今もいけ好かない男ではあるが、とシアは扉の向こうに消えた公女を思い出していた。
正確には公女という身分ではないらしいが、それはシアには関係がない。
「……レミリアに、誠実な対応をしてもらった礼だ。あの少女が家族だというおまえに、忠告をしておいてやる」
ピクリ、とユエの頬が歪む。シアは立ち上がって、同胞の目を覗き込んだ。
普通、二代も人間が混ざれば竜族の証である色は消える。だが、彼はその瞳を持ってしまっている。
シンに劣らない異能を、彼が気づいているのか。気づいて使っていないのか。
稀に、そういう人間が現れるのだ。代を経て、強い血を発現させる。
「自分でも気づいているだろう。そろそろ、お前の器はお前の異能を 納めきれない」
シアが見下ろしたユエの双眸が、部屋の明かりを弾いて黄金に光る。
華やかな色ではない。彼の名の通り、夜空を切り裂く月の冴え冴えとした冷たい色だ。
「このまま、人間と共にいれば、お前は数年も保たない。……同族としての慈悲だ。私と共に里へ来い。私なら、助けてやれるだろう」
長の申し出に、スタニスは、無言で彼を見上げた…………。
次回更新は6/1
だけど気が向けば5月にもう一回くらい……。




