ヒトと竜 2
「入れ」
と言われても、私は足を踏み入れなかった。
「どうかしたかい、レミリア」
シモン・バートリ。シュタインブルク侯爵はいっそあどけないとさえ表現できそうな表情で小首をかしげた。彼が動くたびに品のいい甘い香りが鼻腔をくすぐる。
私は目を伏せた。
「シュタインブルク侯爵。ここはフランチェスカ様の部屋。——部屋の主でない方に許されても、私は足を動かせません」
シュタインブルクが面白そうに私を見たので私はあるかなしかの微笑みだけを返した。
私が彼と道をたがえているのはとうに気づいているだろうし、無理に愛想をふりまく場面でもないだろう。私はフランチェスカを蔑ろには出来ませんよ。貴方の指示を受けられない。
何がおかしかったのか、シュタインブルク侯爵、シモン・バートリはのどを鳴らした。
「君は母君ではなく、父君に似てきたね」
「どちらにも似ている、と言われますわ」
「それに、君の祖父にも」
「……カミンスキ伯爵ですか?先代の」
「そう。彼は調整力に長けていた。日和見という者も居たが私は好きだったな。懐かしいねえ――彼はもう少し長生きすべきだった。この局面で彼のような人間がいないのは実に惜しい事だが……」
先代カミンスキ伯爵に似ている、と。確かベアトリス女王にもそういわれたな。
一族の中で唯一私とお祖父さまだけが小柄だし。ちょっとことなかれ主義で、一歩引いて全体を見ようとするところは似ているかもな。――お祖父さまみたいな胆力はないけどさ。
シュタインブルクは動かない私をしげしげと眺めて、嘆息した。
「彼のような人物がいないと面白くない。――舞台も王宮も。君に彼の素養が受け継がれていて頼もしい限りだよ」
「祖父にはなれませんけれど、努力いたしますわ」
この人にとってはこの世自体が舞台のようなものかもしれないな。と思いながら私が返すと、シモン・バートリの背後にフランチェスカの姿が見えた。
「殿下」
私が礼をすると、スタニスもそれに倣って頭を垂れた。
シュタインブルクには頭を下げてなかったな、と思いいたって私は心中で苦笑した。しれっとスタニスはシュタインブルクが嫌いである。
「レミリア。それにサウレ卿も。――どうか、中に入って。シュタインブルク侯爵とこのまま顔を合わせていたら私の気が滅入りそうだから」
フランチェスカはにこやかに笑い、シモン・バートリは「ハハ、酷いなあ」と肩を竦めた。
「フランチェスカ殿下のご気分が優れないのは由々しき事。私もどうかお話に参加させてくださいませ」
軽い皮肉と嫌味で本音の所在が分からない。それが貴族的会話、みたいなものだ。フランチェスカもそういう意味ではすっかり大人だなあなんて思いながら私は彼女の部屋に足を踏み入れた。
彼は私が行儀よく席に着くと、気だるげな雰囲気をひっこめて実に楽しい社交的な貴族の仮面をかぶった。話題が豊富で気さくで楽しい人だよな。表面的にはとても魅力的に見える。
私は基本的にフランチェスカと彼の話に相槌を打つに留めた。
歓談が終わると、シモン・バートリは用事があるとかで立ち上がる。
呆気なく帰るんだな、と私はほんの少し拍子抜けする。本当に、ただフランチェスカのご機嫌伺いに来ただけなのか……。
「あとは二人で楽しんでくれ」
「ありがとうございます、伯父上」
私が立ち上がって挨拶すると、シモン・バートリは目を細めた。実に楽しそうに。
「君は私に少しも聞かないのだねえ」
「何をでしょう?」
「君の愛しき伯母、そして我が最愛の妻の行方を。彼女が雲隠れしたことを心配したりはしないのかな?冷たいなあ、あんなに君たちは仲がいいと思っていたのに」
「…………」
冷や汗が背中をながれた。
「それとも、聞く必要がない?」
その通りですとも!我がヴァザ屋敷にお隠れですから、心配しなきゃいけない事を忘れてましたよっ!!
などと言えるはずもなく、私は平然とした表情のまま答えた。
「殿下の前ですもの。身内の話はいたしません」
ハハ、とシモン・バートリが笑う。
「じゃあ、今度その話はゆっくりとしよう。公爵にも挨拶に行くと伝えておいてくれ」
「伝えます」
彼の背中を見送って、扉がパタンと閉ざされるのを確認してから私は頬をグニグニと指でほぐした。
「何やってるんですか、お嬢様……」
「……見ないふりをして、スタニス。ちょっと表情筋がおかしくなって……解してるのよ」
スタニスはううん、と苦笑した。
しかし、シモン・バートリにはオルガがどこにいるかバレてるな。
父上に挨拶に来る、ってどういう要件だろう?オルガ伯母上に「帰っておいで」と誘うとか?
殺しかけているのに、それはないと思うけれどな、と考えを巡らしつつ、私は指を止めた。……今は考えるのをとめよう。
「シュタインブルクは、許可を私にもらいにきたのさ」
「許可?」
「部下の娘を一人、王宮の侍女に推薦したいらしい」
「不吉ですね……」
「まあ、よくよく考えるよ」
フランチェスカに誘われててテーブルに戻る。
饗応の準備について進捗を報告すると、彼女は安心したように目を細めた。
「忙しそうだね」
「忙しいけれど、楽しいわ。ドレスの試着なんかどの令嬢も楽しそう。友達が増えた気がしてるの。それは、一時的でしょうけど」
楽しい事を一緒にやっていると、どの派閥の子たちも笑顔になる。その時間が私は結構尊い、と思うのだ。親がどこの派閥の人間か、を私たちは一時忘れて目の前にある課題に取り組んでいる。
立太子の式典は終わったらまた元に戻っちゃうんだろうなあ、とは思うけれど、いいんだ。一瞬でも楽しい時間を共有した思い出があれば。敵対してしまった時でも、何かしらに立つんじゃない?
「いいな。レミリアとマリアンヌはお揃いのドレスか」
「王太子が同じドレスじゃダメでしょう。目立たなきゃ!」
「私だけ仲間はずれじゃないか」
「……特別感をだしてください、って言っているんです」
私が呆れると、フランチェスカは口を尖らせた。これは拗ねているな。
「ヘンリクみたいな拗ね方しないで」
私が言うと、スタニスが隣で盛大に咽せた。
その様子をフランチェスカがおかしそうに見ている。
「いいわよ。式典が無事に終わったら私とフランとマリアンヌでお揃いのドレスを作りましょう?」
「本当?楽しみだな」
「ただし、色はピンクね」
私の言葉にフランチェスカは絶望的な表情を浮かべた。……そう。美貌の王女様はピンクが似合わない!
「意地悪」
「忙しくさせた仕返しなんだから!決まりね」
私が小さく舌を出すとフランチェスカは眉間に皺を寄せた。その様子に私はくつくつと笑ってしまう。
「いっぱい友達は出来るかもしれないけれど、やっぱり一番の仲良しはマリアンヌとフランだけ。だから、あんまり拗ねないでね、王女様」
私が慰めると、フランチェスカはくすぐったそうに笑った。
「殺し文句だね、レミリア様」
「王女様のお気に召したなら幸いです!」
私たちは微笑みあい、和やかにお茶会兼、報告会は終わった。
……翌日から怒涛のように日々は過ぎ、瞬く間に時間は過ぎた。ドレスの仮縫い、王宮の一角に準備された竜族達の宿舎の手配。諸々。
饗応役って大変だよなあ、と日々に忙殺されながら――ついに、体調を崩した――
のは私ではなく、なんと熱を出したのはスタニスだった。
「シュタニス、だいじょうぶ?ねんしなきゃだよ」
「外見は若いけど、中身は結構、年ですからねえスタニスさん」
「……聞こえているぞ、トマシュ……」
「怒らないの!弟子としては心配なんでしょ!……それにちょっと前にもスタニスは風邪ひいてたもんね。本当に大丈夫?お医者様に一度見てもらう?何なら神官とか……アレクサンデル神官に聞いてみようか?」
心配になって見舞いに訪れた私とユリウス(と付き添いのトマシュ)に悪態をつく元気はあったみたいだ。そういえばアレクサンデル神官とも最近会ってないな。私は嬉しいけどさ……。
「本当に何でもないですから。風邪がうつらないように早くお戻りを。神殿に行くとさらに具合が悪くなりそうですよ」
神殿嫌いのスタニスが呻いた。じゃあ、はやく体調を整えてくださいな、と私が笑うと承知いたました、とスタニスはばつが悪そうに頷く。大したことがなさそうでよかった、と私は胸を撫でおろした。
「俺がちゃんと面倒を見ますから!」
と病人の看護には慣れているトマシュが請け負ってくれたので、私とユリウスはスタニスの部屋を後にすることにした。
私が小さな弟の手を引いて自室に戻ると、弟は嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねながら歩く。お行儀が悪いですよ、と窘めながらも微笑んでしまう。ここのところ、あまり遊んでなかったものね。
ごめんね、ユリウス。
「姉上は明日も屋敷にいないのですか?」
「ううん……明日はのんびりしようかな」
「ほんとう?やったあ!」
明日は何して遊びましょうか、と楽し気な弟を抱きかかえで私もそうだねえと考える。
――数日後には竜族たちの一団が来る。彼らはひと月弱は王都に滞在するだろうし――ユリウスにはその間寂しい思いをさせちゃうかもしれない。
ぞんぶんに甘えさせておこう、と決めて私は次の日は弟と、熱の下がったスタニスと父上と、ゆっくりと家族の時間を楽しむ。
ほんとうは駄目なんだけど、ソラも窓から顔をのぞかせて、ユリウスの手元を覗き込んでいる。
「うごいちゃだめだよ、ソラっ!」
「キュイ??」
弟はどうやらソラの姿を描いているらしい。
オルガ伯母上も途中で参加してユリウスが描いた絵をひたすら褒めている。
「ユリウス、その色遣いは天才的ね!あなたには絵画の才能があるわ」
「……そうですかね……ミミズにしかみえませんけど、これ」
「これだから芸術を解さない男は嫌なのよ!レシェク、何とかいいなさい」
「……ミミズでなければ……な、縄かな」
「……ですよねえ、若。どうみても……」
「もういいわ、お前たちには何も期待しないわよ」
賑やかな大人な達を眺めて私はアハハ、と笑っているばかりなんだけどさ。
なんだかもう一人足りないなあと思っていたら、何かを察したのかヘンリクまで来たので笑ってしまった。
多分、トマシュ経由で(ヘンリクはトマシュと何か連絡手段を持っているらしい)スタニスの具合が悪くなったと聞いて心配して来たんだな。私は相変わらず甘えたなヘンリクにほんの少し笑ってしまった。
ヘンリクは子供のように口喧嘩を繰り広げる大人たちを見ながら少し微笑んだ。
「ヨアンナ伯母上もきたらよかったのにね」
「……今は一人になって色々考えたい、んだそうだ。それなりに元気そうだから安心しろ」
「そっか」
ヘンリクの両親は離婚調停中。フランチェスカが無事に正式な王太子になったら、前ジュダル伯爵夫妻は離婚するだろう。ヘンリクの父上は今も長年愛人だった女性と同じ家にいる。
――ヘンリクとしては複雑な心地だろうな。
「それで?饗応なんかレミリアにつとまるのか?」
話題を変えた従兄に私は、うん、と頷いた。
「全力で頑張っております。失敗したら泣くから。慰めてくれる?」
「嫌なこった。――せいぜい恥をかけ。別に接待に失敗するくらい、たいしたことじゃないさ。メンツが傷つけられても誰が死ぬわけでもない。王家の奴らが無理難題を言ってきたんだ気楽にやれよ」
「わかった。ありがと」
憎まれ口は相変わらずだけど、ヘンリクは昔に比べて優しくなったなあと思う。
たとえヴァザ家が滅亡したって私はなんとか生きていけそうだし、ヘンリクの庭の一画にでも家族で住まわせてもらおうかな、なんて呑気に考えた。
私は窓を見た。
――北の空には、雲一つもない。
竜族がくる方向は明るく、澄んでいる。
◆◆◆◆◆
集まった群衆の声がいちだんと大きくなった。
「嬢ちゃんが饗応役とはな!」
水鏡の前触れを得て私が王都の北にある大きな門の前で正装をして待っていると、大きな竜が空からひらりと舞い降りてきた。
――騎乗していたのは褐色の肌に雪のように白い髪をした男性だった。
私は飾り立てた重いドレスを出来るだけ優雅にさばこう、と思っていたのをあきらめた。
どれだけ美しく飾り立てても私の容姿は貴族としては中の中だ。竜族の前で虚勢を張ってもむなしいだけだ。
私はいつも通りにやりますか、と覚悟を決めて肩を竦めた。
「嬢ちゃん、はやめてください。イェン様」
「これは失礼。――レミリア・カロル・ヴァザ殿。久々に会えて嬉しいよ」
イェンは私の手を取って口づける。私の背後に控えていた侍女と何故か騎士までも、小さく嬌声をあげたので、私は心中でなんでよ!と突っ込みたくなった。まあ、いつ見てもイェンはかっこいいけどさ。
「あまり――お久しぶり、ではないですよね。今回は」
「確かにな。ま、もっと気軽に北部に遊びに来るといい。その時は俺が遊んでやる」
「……私の後ろで、スタニスがすごい怖い顔をしているのでやめてください」
くつくつとイェンが笑う。
私の背後では物見高い王都の民がワアっと歓声をあげている。立太子の儀に竜族が来るのがこの国の伝統だ。今の長になってから竜族は人間とのかかわりを禁止しているらしいから、実際に竜族を見るのは初めて、という者も多いだろう。
「他の方々は?」
「奴ら、ドラゴンに乗るのが下手すぎる。なあ?相棒。遅れてくるぞ」
イェンが相棒のドラゴンを小突くと彼女は彼の言葉がわかったように、キュイと鳴いた。
どうやら彼の言葉がわかるらしい。
イェンが視線で示した方角から、総勢十騎のドラゴンたちが飛んでくるのがわかった。
その先頭に居たのは、金色の髪をした青年で集まった人々は嫌でも神話を思い出したかもしれない。
竜神はこのカルディナに降り立って人間の娘と恋に落ち。その子供がヴァザの始祖となった、と。
その神話が歴史の一部ならば、私を頭上で見下ろす傲岸不遜で美しい青年は私とも遠い親戚になるわけだけれど。
金色の瞳が、不快気に細められる。
当代の竜族の長――シアは答えずに頷いただけだった。
仲良くなれそうにはないなと思いながら、頭を垂れる。
私の動作に会わせて背後の近衛騎士立ちがざっと一斉に頭を下げた。
ドラゴンの羽音。
民衆の歓声。誰かのひそやかに笑う声。案ずる囁き。私を評価しようとする瞬き。
彼らが腰に佩いた剣が着地と同時にガチャガチャと不穏な音を立てる。
「――お越しを、心よりお待ちしておりました」
ゲームスタート。
と、私の頭の中で、ピッと音を立てて、無機質な文字が浮かび出た気がした。
続きは3月1日はマストです。
(気が向けば2月にも何か)
 




