思案 3
深夜。
一つの馬車が王都の外れで川の底へ沈んだ。
車輪が外れてそのまま御者とともに王都の東を流れる川へと転がり落ちたのだ。
御者は自力で岸へとあがり、座席に座っていた貴人はそのまま行方知れずとなった。
後部座席に座っていたシュタインブルク侯爵夫人の行方は、杳としてしれない。
シュタインブルク侯爵夫人が行方不明になる十日前のこと、小さな馬車で、ひとつの茶番が繰り広げられていた。
◆◆◆
オルガは座席に深く座り直した。
表情から私の発言に対する恐れは感じられない。
「数々の人間から命を狙われたことはあるけれど」
「あるんですか!」
私の言葉に伯母上が片目をつむった。
「まさか、姪から自分の暗殺計画を打ち明けられるなんて思わなかったわね!なんで私を殺したいのか聞かせてもらおうかしら?」
私はあははーと笑った。
あまり怖がってはもらえないみたい。
「伯母上。私、実は野望があるのです。壮大な野望が」
「どんな?まさか、国家転覆とか?そういうのはね。私聞き飽きているのよね。手は貸さないわよ」
ふふ、と私は笑った。
「ご期待に沿えず申し訳ございません。もっと壮大で難しいものです」
「まあ、どんな?」
「昔はヴァザの王女様と言う響きに惹かれたこともあったのですけど。今は別の夢があります。——みんながヴァザ王家だなんて呼称を忘れて、私は孫の手を引いてのんびり庭園を散歩するんです。誰に利用される心配もなく、命の不安なんかもなく――」
伯母上は呆れた。
「それは国家転覆よりもずっと難しいわね……」
馬車が止まり、馬に騎乗して並走していたスタニスも「失礼」と御者席に身を滑り込ませる。
「まあ、スタニス。あなたが暗殺の実行犯?」
「予定ですね、オルガ様」
スタニスが「はい」と小さく手を挙げるのを見てから、私は続けた。
「野望のためにはまず、フランチェスカ殿下の立太子をしてもらわなきゃ。そして王家の支配を盤石にしてもらわなくっちゃ。ヴァザ派の人々は言います。レミリア様はおかわいそう。いつも王家にいいように使われてって。でもそうじゃない。利害が一致しているもの。私はフランチェスカの治世が見てみたいし、私は……まあ多分治世者には向いていません。興味もないし。……平和な生活を、家族皆で享受したいと思います」
ふぅん、とオルガは顎に手を当てた。
私は水色の瞳を見上げた。
「伯母上はこの数年、ずっと居所を変えておられますよね。ご夫君とは滅多に同じ家に戻っておられない」
「ええ、そうね。放蕩者ですもの」
奔放。自由。
それがオルガ・バートリの世間一般の評価だけど、そうでないことも私は知っている。
才能ある若者を素性にこだわらずに育て、支援し、評価し、人に知らしめ、束縛せず。
困って頼れば、今まで疎遠にしていた異母弟の頼みも聞いてくれるし、精神的に不安定な異母妹のことを親身に世話し。
私の事だって助けてくれた。降ってわきそうになる厄介な婚約を事前に潰せているのはオルガのおかげだと言ってもいい。
――彼女が侯爵夫人と言うその地位になくとも、支援者は多いだろう。
彼女の夫とは違って。
シュタインブルク侯爵。彼はどこまで行っても、侯爵だ。
ヴァザの色濃い、血統主義者。
「伯母上は――侯爵閣下を避けておられるのでは?実は前から不思議でした。オルガ伯母上は神出鬼没いらっしゃるし。馬車をどこからか手配していらっしゃるのかな、って……。居所を悟らせないようにしていらっしゃいますよね」
シュタインブルク侯爵夫妻の婚姻関係が、上辺は良好に見えてその実破綻しているのは有名な話だが、近年、あまり一緒にいるところを見かけない。
オルガは愛人の屋敷や、オーナーをつとめる劇団の住居にいたり……。
「それに。近年、何度か……事故に巻き込まれかけていらっしゃいますよね?これは勘ですけれど。そのようなことをなさるのは……シュタインブルク侯爵をおいてほかにはいないのでは?」
オルガは表情を変えずに扇を開いて自分を仰いだ。
「……まあ、怖い!夫に殺されかけているわけ?私は?」
オルガはお道化て言ったが、笑わない私たちを見て。
――はあ、とオルガは肩を竦めて。頷いた。
「半分あたりで半分外れね、シモンが私を殺そうとしているのは、新婚の頃からの——遊びなのよ。真剣に殺そうと思えば私なんかとっくに百回はあの世に行っているわ。——あの人が仕掛けた罠に私が気付いて回避するのを楽しんでいるの」
スタニスがうんざりと髪をかき上げた。
「趣味が悪い男ですね……相変わらず」
「それは貴方もよく知っているでしょう。面倒だけど慣れたものよ。たしかに、近年、頻度が高くなっているけれどね。そろそろ本気で私を始末したいのかもしれないわね」
どんな夫婦関係なの、それは……。
ちょっと視線をさまよわせた私の前で、オルガは毒づいた。
シモン・バートリがどんな人間なのか、私は直接的には少ししか知らないけれど。あのカタジーナと懇意だし、彼をとりまく軍部の人々の冷たい視線を思い出して身震いした。
それから、姿勢を正し、一気に言った。
「私の未来に、伯母上はいます――けれど侯爵閣下はいません。——伯母上。どうか侯爵の手を逃れて私の側に来ていただけませんか。……そして、私を助けてください。私が竜族の饗応役を無事に勤めることが出来るよう、ご指導いただきたいのです」
◆◆◆◆
「くしゃんっ」
「……オルガ様でもそんな可愛らしいくしゃみをされるんですね」
スタニス・サウレは小さな小屋で暖炉に薪をくべながら後ろを振り返った。
簡易ベッドでは目を覚ましたオルガが小刻みに震えて毛布にくるまっている。
「していないわよ、くしゃみなんて!聞き流しなさい!……くしゃん!」
「めっちゃ、してんじゃん……」
つい昔のきやすい口調に戻ったスタニスはボソ、と呟いた。
どうぞ。と着替え一式を淑女に渡して背を向けた。
川底に沈みそうになっていたオルガを引き上げて近くの小屋に引っ張りあげたのはスタニスだった。
馬車に細工がされている。
命を狙われていると思う、とオルガがスタニスに打ち明けたのはつい先日のことだ。よくあることではあるが、と。
そのまま馬車は川に転落し、おぼれた(と思われる)オルガをスタニスが助けた、というわけだ。
「シュタインブルク侯爵夫人は生死不明。……という報を侯爵閣下は信じますかね?」
薪をくべながらスタニスが振り返れば、オルガは猫のように目を細めた。
「さすがにしばらくは油断するかもしれないわね。いいのよ。しばらくしたら何食わぬ顔で記憶喪失になってレミリアに保護されていたって嘯いて戻るから」
スタニスは椅子を引っ張ってきて腰かけた。
「お嬢様の悪ふざけに乗っていただけるとは思いませんでしたね……」
オルガは鼻を鳴らした。
姪のレミリアはフランチェスカの立太子を祝う竜族の訪問の式典で……饗応役の一人として働くという。それはヴァザ王家がフランチェスカの味方になる、と公的に宣言すると同義だ。
軍部は表向きは何も言わないものの、内心は苦々しく思うだろう。
ただでさえ彼女への評価は分かれる。
だってもう彼女は「唯一のヴァザの跡継ぎ」ではないのだし、そもそもレミリアは「ヴァザらしくない」。王女と親しくし、カタジーナには抗い、軍部とは距離を置き、カナンでは西国の王子と友誼を結び庶民の娯楽にも明るい。
親しみやすい人格が王都で人気があることが、軍部の一部からは余計に、少なからず反感を買っている。
そんな彼女がフランチェスカの側に就くというのはヴァザ派にとっては楽しくない傾向だろう。
ただ、饗応役を年若い彼女がうまくやるのは難しい。
お手並み拝見と思われているだろうが……。
その教師役としてこっそり死んだふりをしながら、協力してほしいと言われ、オルガはそのたくらみに乗った。
オルガはスタニスからわたされたワインを口に含むと、目を細めた。
「……絆されてしまったのよ。あの子面白いんだもの。昔からそう。私の演劇もいつもしつこい位に感想をくれるし、劇団員にも労いの言葉をくれるし……私の事、家族ですって」
オルガは笑った。
どこか、悲し気に。
「私の家族はね、アニタ姉さまだけだったのよ」
ヴァザ四姉妹の二女のアニタの名をオルガは口にした。二女は身体を悪くして、遠い土地に嫁いだ。
今は幸せにしているのを知っているが、それを喜んでいる反面、懇意にしていたオルガは心のどこかで見放されていたような気がしたのも事実だ。
寂しい心に、あんな率直さで柔らかく切り込まれてはたまらない。
「……皆で平穏に生きましょう、ですって。そんな日が来るなんておめでたい……壮大な野望が叶うものかしら?って思うけど……ちょっと乗ってみたいと思ったのよね」
「なるほど」
ある時から全く年を取らなくなった義弟は薄い茶の瞳を細めた。どこか誇らしげなのが頭にくる。
月明かりのせいで瞳が金色にも見えるのは気のせいだろうか。
「あなたの大切なお嬢様は大した人たらしだわよ。ひねくれた私までついつい手を貸したくなっちゃうんだもの」
オルガのぼやきに、竜族の血を引く男は破顔した。
「それは、——私が一番、よく存じております」




