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【幕間】師弟

旅路6の裏で起こってた話。三人称です。

船旅での夜風は、夏とはいえ……冷たい。静かに、ひそやかに進む船の上を、男は足音すら立てずに歩いていた。


「よぉ、器用貧乏」


酷く甘い声が聞こえ、男は足を止めた。気配など、造作なく消せるだろうに、外見と同じく派手な気配をわざわざ撒き散らすのが煩わしい。

振り返る男の明らかに首もと――致命傷を狙って飛んできた刃を叩き落とす勢いで掴み、男――は、ちッ、と音を立てて舌打ちした。


「……人を見れば喜々として刃物を向けるの、いい加減やめてくれませんかね」


あんた、馬鹿なんですか。どんだけ刃物が好きなんです。

苛立ちを交えて吐き捨てると、行儀悪く片膝を立てて船尾に座り込んでいたイェンは両の黄金を細めた。

彼と同じく視線の鋭い砂龍が、男の殺気を感じてか、グルル、と低く鳴く。

飼い主と同じく、可愛い気のかけらもないドラゴンだった。


「いい細工だろう。東国で貰ったんだ。柄に細かな模様が描いてある。月に住んでる女神だとよ。それ、おまえに土産」


殺しかけておいてふざけんな、と喉まで出かけたが、断って難癖を付けられるのも面倒で、ありがたく、と受けとった。ついでのように投げつけられた鞘に、刀身をしまう。

鞘も柄も、確かに値の張りそうな意匠の細工(いっぴん)ものだった。しかし、この男の物を身近に持っておくのは縁起が悪そうだ。

後で、息子達を通じてキルヒナーの親父に高値で売り付けてやる、と決め、竜族の男を見る。

イェンは親しげに、ただし目の奥は全く冷えたまま、笑いかけた。


「腕が鈍ってないようで安心したよ、それで?お前が子守だって?笑わせる」

「あんたがやるよりか、マシでしょうよ」

「俺の子守が上手いのはお前が一番知ってるかと思ったけどなぁ、ユエ」

「……その名で呼ばないで貰えますかね、イェンジェイ(、、、、、、)

イェンは懐かしいなと笑い、くつくつと喉を鳴らした。


「俺は別に、その名前嫌いじゃないんだぜ?なぁ、――スタニス」


お前と違ってな、とイェンは目を細めた。




嘘をつきやがれ糞爺が、とスタニスは内心で口を曲げた。


……昔、スタニスが軍に『兵士見習いの少年』として配属されて間もない頃、この男に酷く腹が立って一方的に罵った事がある。

確かにあれはスタニスが悪かった。子供の癇癪をぶつけたにすぎない。

イェンはやれやれ、と相手にせず、これだから人間のガキは、だかなんだったか、スタニス少年の癇癪を鼻で笑った。

その余裕な言い草にかちんときて、お前だって人間混じりじゃないか、糞爺!と罵倒し、彼の、人である頃の名を大声で呼んだのがまずかったのだと思う。喚くスタニスの腕を、イェンは真顔で、文字通りぽきりと折った。まだスタニスが十かそこらの頃だ。

いくら生死の境を生業にする稼業をしていたとはいえ、子供にたいしてあれはない。単なる暴力だ。


『殺してやる……!お前も国王も、北部の貴族連中も!絶対いつか殺してやる……!』

『そりゃ楽しみだ。まあ、そんな寝言は、俺から一本でも取れるようになってからほざくんだな、馬鹿弟子』


痛みと悔しさで泣き喚いたスタニスに、晴々とした笑顔でイェンは言い、あろうことか自らが折った骨を手当さえしてくれた。


認めたくないことに、己の歴史から葬りさりたいことに、この男は、一時期、己の剣の、あるいは武術の、有り体に言うならば人殺しの師だった。

唾棄したいが、疑いようもなく事実だ。

スタニスがヴァザの先代……レシェクの父親のマテウシュ……に気まぐれから命を拾われ、故に、彼の身代わりとして軍に入れられた時。

食客としてほんの一時期身を置いていたイェンは、竜族混じりというスタニスの出自を知ると、面白がって少年の教育係を買って出た。まだ竜族の長は代替わり前で、一族と人間達との交わりに否定的ではなかった頃だ。


(教育係?とんでもない。ひとつ間違えれば敵ではなく、この爺に殺されていた)


確かに、イェンの熱心な教育だか嫌がらせだかのおかげで、腕は多少なりともたつようになったかもしれない。

しかし、反抗すれば殴られ、口答えには百倍罵倒され、更には敵方に売られかけた事まである。

受けた恩義よりも、恨みの方が骨に染みている。


少年時代、死ね、と心中で毎日罵っていた男は、行き先も告げずにある日忽然と姿を消した。

次に会ったら殺してやる、と心の隅に誓って青年となり、気まぐれな師とは戦乱期の端々で出会い、そして、別れた。

結局、師を殺すという目的はあやふやになったまま、動乱は終わり。スタニスは剣を投げ捨てて、もう一つの名前とともに、忌ま忌ましい竜族(イェン)の記憶も、葬り去る事にした。

それから十年あまり。

ようやく……最近は欠片さえ思い出さなくなったと言うのに。


「まさかお前とこんな所で会うとはなぁ。時の流れって奴は実に優れた喜劇の運び手だ。――おまえが侍従?おまえが、軍に向いてなかったって?おまえが!」


笑わせやがる、とイェンは心底愉快だと言わんばかりに肩を揺らした。やっぱり昼間のレミリアとの会話を盗みぎいてやがったな、とスタニスは苦く、イェンをみた。

レミリアがこの爺の何に惹かれたのか(多分頭の痛いことにこの野郎の顔だ)、イェンの周りを、生まれたてのヒヨコよろしく、ちょこまかとうろつくので、護衛としてはイェンの側にもいざるを得ない。


「人殺しはお前の天職だろう」

「あんたに言われたくないね」


イェンが笑んで立ち上がる。近付いて来る姿に今でも条件反射でぎょっとする己が、忌ま忌ましい。


「なあ、スタニス。お前のお嬢様は随分と朗らかだなあ」


明らかに馬鹿にした口調で、主家の娘の事を言われてムッとした。


「なんですか、女相手する余裕がなくなって、いよいよ、幼児趣味に走ったんですか」

幼児じゃないもん!と口をとがらせるひよこが頭をよぎったが、まあ、それはよしとする。

「昔から俺は、子供が好きだぜ?お前も知ってるだろ」


うそぶく爺の首をかっきれたら、さぞスカッとするだろう、と久々の黒い感情(ぞうお)をもてあまし、スタニスは沈黙した。

出来れば近付くな、と言いたい。あんたの汚れきった目で、前途ある少女の姿を見ないでもらえませんかね、と。


「随分と可愛がってるじゃないか。」

「職務なのでね。任務に忠実たれと肋骨(あばら)を折りながら教えてくれた御老人が、かつて側におりまして」

「……単なる職務(ぎむ)だと?」

「それ以外に何があるってんです。給料貰ってますからね。真面目に働きますよ」


イェンは実に楽しげに笑った。


「あのお嬢さんが、単なる雇用人なら、俺にくれよ。ちょうどああいうのを探していた」

「ああいうの?」

「中身のない、空っぽな、可愛い、お人形さん」


単語を区切りながら言うのがいやらしい。

確かに、目に見えて賢いとは言い難いかもしれないが、少女は少女なりに懸命だ。余計な世話だと鼻にシワをよせたスタニスに、イェンはいい募った。


「西で売りさばけば、一年は遊んで暮らせるぜ?子供相手にしか興奮できない爺さんとかな」

「………」

「山分けにしてやってもいい。なんなら行先をお前が選ぶか」


浮かんだのは、殺す、という言葉だった。

胸元にある、この男から貰ったばかりの短剣を意識する。


(何歩だ?)


何歩歩いて。

何秒あれば。

どれだけ深く斬れば、――殺せる。


あからさまに怒りを立ち上らせたスタニスと対照的に、イェンはどこまでも楽しげだった。殺そう、と思った瞬間。


「よさないか、お前達!」


低く押さえた、理性的な声がとんだ。

スタニスが振り返ると、船へのもう一人の来客の姿があった。

黒づくめの男が視線をやると、イェンはやれやれと首をふった。


「テーセウス。可愛い弟子との久々の逢瀬を邪魔するなよ。せっかく遊んでやろうと思ってたのに」

「ここをどこだと思っている。キルヒナーの船だぞ。争いたいなら場所を移せ」


イェンは、テーセウスと争う気はないらしく、はいはい、と決まり悪げに耳の後ろをかいた。彼はちらりとテーセウスとスタニスをみると面白くない奴ら、とぼやいた。


「そんな怖い顔するなよ、……気がそがれた。また明日な」


我が物顔で船室へと戻っていく。それを黙って見送ると、テーセウスは、はあ、と溜息をついた。


「……すまないな、スタニス。船に、君がいるとは思わなかった」


テーセウスは、本当に済まなそうに言った。

十年前とまるで変わらない穏やかな表情に毒気を抜かれ、スタニスは師の後ろ姿を見送ると、殺気を納めて、息をつく。

テーセウスと言う風変わりな医師に関してはイェンの古馴染みということしか知らないが、一度死にかけた時に治療して貰った恩がある。責めるのも躊躇われた。


「ご無沙汰しております、先生」


向かい合い、思わず軍隊式の礼をしてしまい、気付いて、お互いに苦笑する。癖と言うのは厄介なもので、忘れたと思っていても、ふとした拍子に顔を出す。その頃の知己と再会した時は、特に。


「本当に偶然なんだ。まさかイェンといるときに、君と……シンがいる船に出くわすとはな」

「ご縁ってやつでしょうかね」


出来たらお会いしたくなかったですけどね、と本音を漏らすとテーセウスは困ったように微笑んだ。


「言っておきますけど。ここで意味ありげに、先生とシン様のお母様とのご関係とか、爺との馴れ初めとか、細かく語らないでくださいよ?別に詳しく知りたくありませんから」


他人様の交遊関係にやたら首を突っ込まないのが、己の身を守る一番の方法だ。スタニスはぼやいた。


「悪いな」

「悪いと思うならあの人、どっかに連れていってくれませんか。子供相手に色気出して、薄気味が悪いんですけど」

「君のお嬢様は朗らかな人だな」


テーセウスは思い出したのか、少しだけ目尻を下げて言った。

同じ朗らか、いう言葉だと言うのに、イェンとテーセウスが口にするのとでは、天と地ほど印象の違いがある。

これが人格の差かと、いっそ感動すら覚えているスタニスに、しかしながら、優し気な医者は、ろくでもない事を言った。


「お嬢様に絡むと君が気にするから、楽しくて仕方ないのさ。……イェンにしては珍しく上機嫌なんだよ。――君に会えてよほど嬉しいらしい」

「俺は、一欠けらも嬉しくないですね」

スタニスが目を細めると、テーセウスは笑った。

そういう表情、イェンそっくりだよ、と囁き、唖然としているスタニスにお休み、と告げ一方的に去っていく。


(表情が似ているだって?)


縁起でもない、と寒気を感じぶるりと震え、……スタニスも船室に戻ろうとする。扉に手をかけようとし、思い直して、脇に置かれた大きな樽の横を覗き込んだ。それで、と声をかける。


「いつまで隠れているおつもりで?イザーク様」

「――ばれていました?」

黒い瞳が楽しげに煌めく。

スタニスは表情を取り繕うのも面倒でちっ、と舌打ちした。イェンもテーセウスも、どうせこの坊やの好奇心丸出しの気配に気付いたに決まっている。それでいて、面倒な口止めをスタニスに押し付けたのだろう。


「貴方のお父様も、よくそうやって、聞かなくてもいい話に首を突っ込んでましたよ。おかげで私は、何度も何度も迷惑を被りました」

「血筋なんです。ねぇ、師匠」

「誰が師匠ですか」

ふざけるな、と首を振ったスタニスに、イザークは凶悪なまでに人懐こい、彼の父親そっくりの笑顔をうかべた。


「なってくださいよ、師匠に。そうしたら俺、今夜のことはレミリアには言わ――」

皆言わせるまでもなく宙を舞わせて転がした。

背中を強か打ち付けた少年は、それでもケロリと半身を起こし、イテテと呟いて、青筋を立てたスタニスを小憎らしく見上げた。


「ない、とか言うと嫌われそうだから、引き受けてくださらなくても、絶対、今夜の事は言いません」

「いい心掛けですよ、お坊ちゃま」

命が惜しけりゃな、と暗い川を視界に入れつつ、心中で毒づいた。

用事は終わったとばかりに身を翻すと、でも、とイザークは立ち上がった。


「俺、諦めませんからね。俺が知ってる人の中で、多分あなたが一番強いでしょ?ねぇ、俺を弟子にしてくださいよ」

「誰が――」


うんざりと少年を見て、スタニスはぎょっとした。

何かがざわつく、何かを思い出す。思い当たって非常にうんざりとした。


『……諦めないからな、お前を絶対殺してやる。お前が一番強いんだろ?それなら、お前を殺したら、後はどうにでもなる』


灰茶の髪に薄茶の瞳、痩せこけた、目つきばかりが鋭い、イザークよりも少しばかり年下の少年。……口にした言葉こそ違え、転がされて立ち上がり、こんな風にあの男を見上げた事が、かつてスタニスにもあった。


「……貴方を弟子にして、私に、なんの得があるんです」


動揺のあまり、思わず口にしてしまい、スタニスは心底後悔した。


(これは、あの野郎(キルヒナー)の手だ)


少年の父親はいつも、奇想天外な、無理難題ばかり提案してきた。うんざりとしながらも、口車に乗せられて、ついつい理由を聞いてしまい、結局奴の思い通りになってしまうのが戦場での常だった。

案の定、少年は得たりとばかりに笑う。


「いくら師匠が強くても、一人しかいないでしょ?俺が強くなれば、カリシュ公爵とレミリアがバラバラになって危ないとき、レミリアを護ってあげられます」

「…………貴方は、王女殿下とシン様のご友人でしょうに」


イザークはにこにこと、笑った。


「両立すると思いますよ。レミリアが二人と心底から対立するなんて、ないと思うし。それに、フランチェスカとシンは、護衛がわんさかいるから大丈夫ですって。俺、カリシュ公爵にも、何かあったらレミリアに恩がえしするって約束したし、強くならなくちゃ」


少年の提案に僅かばかり魅力を感じた己が憎い。

勘弁してくれ、と空を仰ぎ、そういえば、これも師匠(イェン)の癖だった、と、はた、と思い当たって、スタニスは頭を抱えて泣きたくなった。

あの不良老人に似ている所が己にあるなんて、死んでも認めたくない。


己の心中を知らず、ね!と瞳を輝かせた少年を見つめて、スタニスは溜息をつく。


「イザーク様」

「はい、なんでしょう」


期待を込めた視線を感じながら、意を決して扉に手をかけると、スタニスは少年を振り返って「冗談じゃありませんね」とニッコリと笑った。


「私はね、軍を辞めた時に、二つ決めた事があるんですよ」

「なんです」


「金輪際、竜族と、キルヒナーには、関わらない」


ろくなことにならないですからね。

と言いきって船室に続く扉に身を滑り込ませ、後ろ手で、内から鍵をかける。「げ!締め出された!」とイザークが喚く声がしたが、知ったことかと大人げなく思ってスタニスは耳を塞いだ。


季節は夏だ、一晩中甲板に居たって、死にはしない。


……それにどうせ、キルヒナーの息子のことだ。なんらかの方法で活路を見出だすに違いなかった。


それをなんとなく、楽しみにしている己に気付いて、スタニスはやれやれ、と首を振った。


イェンは悪い奴、イェンは悪い奴… byスタニス


イェンの「不肖の弟子」のネタバレと、スタニスがチートキャラな理由(竜族混じり)のネタバレ、でした。

不肖の弟子が誰か、気付いていた方は多いかと思いますが、騙されてたよ!って方がいたら教えてやってください。

単に、書いてるひとが(゜∀゜)ワ~イって喜びます。


旅路3からイェンが竜族混じり云々言ってたのは、シンじゃなくて全部、弟子スタニスの事でした。


スタニスの事書きすぎた自覚はあるので、しばらくは地味な侍従に戻します…w

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