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長雨 4

 十日ほど雨が降り続いたのち、私のところへあまりよろしくない報せが届いた。

 カタジーナの領地であるメルジェ付近の川で、堰が決壊したというのだ。

 私は書類に走らせていたペンの動きを止めて慌てて入室してきた老執事を見上げる。


「……被害は?」

「お嬢様の御命令通り、民家近くの防波堤は修繕が済んでいましたので人的被害は幸いにしてないかと。今は修復も完了しています。しかし、作物への被害は見てみないと、なんとも……」


 セバスティアンの報告に私はため息をついた。

 以前、ドミニク・キルヒナーに頼んで、堰を修復していてよかったな。

 人の被害がないのが一番だもの。


『治水だなんて!この数年、我がカルディナでひどい雨など降ってはいませんよ。意味があるかわからないものを修復してどうするのです?今目の前にある問題に目を背けてお気楽なこと!』


 云々。

 ――メルジェの現主人であるカタジーナに色々言われて腹が立つこともあったけど、歯をギリギリしながら交渉して、下見とか色々して奔走した甲斐があった!


「状況を見に行くわ。雨は止んだんでしょう?」

「――危のうございますよ!」


 セバスティアンは止めたけど、私は父上から借りた水鏡で今はなぜかメルジェにいるらしい従姉のシルヴィアに連絡をとって、視察の約束を取り付けた。

 メルジェは父上からカタジーナにあずけた領地。

 伯母の手が離れたら、長女であるシルヴィアが継ぐかもしれない。


 そうなると私も色々やりやすいだろうな、と思ったりもする。

 シルヴィアは(たぶん)私の味方をしてくれる、……んじゃないだろうか。だといいなあ。


「というわけで、父上、私は半月ほどメルジェに行って参ります!」

「ドラゴンで?」

「はい、カミラにも付き添ってもらって」

「君は忙しいね」


 ソラの手綱を握って温室の父上のもとへ向かい、努めて元気よく宣言すると、私のドラゴン、ソラがキュイキュイ!と鳴いた。

 久しぶりの遠出だからか、ソラは嬉しそうだ。

 しかし、と父上は考え込んで背後に控えていたスタニスを手招いた。


「どうなさいました、閣下」

「スタニス、おまえも同行してくれ。カミラのことを信用しないわけではないが、カタジーナの元へ娘をやりたくない。風除けを頼む」

「もちろん、そのつもりでおりましたよ……。まさかお嬢様も、女性二人で行くつもりではなかったでしょう?」


 私は、う……とちょっと斜めの方角を見て呻いた。

 スタニスも忙しそうだし、ドラゴンで行けばそんなに時間はかからないしそれでもいいかなーとか思ってた。

 私の沈黙の理由を悟って、保護者二人は「頭が痛い」とため息をつく。


「スタニスは忙しいんじゃないの?それにスタニスがいないとお父様の警護が……」


 私がもごもごと言うとスタニスは苦笑した。


「私は現在無職なので暇でございますよ、お嬢様。……軍学校の講師も一応、シン公子が卒業するまでとの約束でしたし。警護は私がおらずとも、公爵家には優秀な人材がたくさんおります」


 そういえば軍からは慰留されているみたいだけど、スタニスはのらりくらりと返事を保留しているみたいだった。

 シン公子の側近になれ!と宰相閣下やベアトリス陛下が内々に打診したみたいだけど、責任が重すぎます、と。

 それは固辞しているみたいだった。


 そういえば、


『側近として仕えるには、ちょっと苦手なんですよねー、シン公子〜』

 とスタニスが西国で、本人の目の前で堂々と嘯いていたのには笑ってしまった。

 シンは「どうしてだよ!スタニスの意地悪!俺って結構楽しいやつじゃない?可愛いよ!?」と喚いていたが。

 イェンがぼそっと、「そういうとこだろ。まあ、お前ら合わねえだろうな……」と苦笑しつつ同意していた。

 純粋な竜族じゃないけど、その能力が高いことではスタニスとシンは同じだと思うんだけど、そのスタニスを以ってしてもシンは「規格外」らしいので、警護(もしくはお守り)を期待されて、しくじるとヴァザに与える悪影響が大きすぎる……との配慮があるんだとおもう。



 ——というわけで。私と今は無職のスタニス、それからカミラがメルジェに行くことになった。



 かつて、馬車と船を使ってのんびりと進んだメルジェまでの旅程は、ドラゴンに騎乗すればほんの数日で過ぎてしまう。

 メルジェ近くの街にたどり着くと、私から報せを受けたドミニク・キルヒナーが宿をとって待っていてくれた。


「ご無沙汰しております。レミリア様」

「ドミニク!宿の手配までありがとう」


 私は彼に手をひかれて、宿の貴賓室に向かう。


「イザークも来たがっていたんですが」


 とドミニクが邪気なく笑うので、私は少しだけどきっとした。

 実は、卒業式からーーーヘンリクとシン以外には会えていないんだよね。成人するということは、こういうことだなあ、と実感してしまう。


『君が好きだよ』


 ……なんて言ってくれたけれど、イザーク達と会える時間なんてこの先どれだけ持てるんだろう。


「どうかなさいましたか?」


 ドミニクが優しく尋ねてくれたので、私はちょっと肩を竦めた。


「数年前は、ここに皆で来て、賑やかだったなあと思い出して……懐かしくて寂しい感じです」

「はは!そうでしたね。けれど寂しさはすぐに忘れますよ、レミリア様のこれからはお幸せで楽しいことしかないはずですから、子供時代の思い出ばかりを慈しんでも仕方ありませんよ」


 ね!と微笑んだドミニクが以前見た時より痩せたような気がして私は首を傾げた。

 病気というより少し窶れたような?


 私が疑問をヒソヒソと口にすると、寝支度を手伝ってくれていたカミラがすこし眉間に皺を寄せながら推察してくれた。


「シルヴィア様とお別れしたのがお辛いんでしょうか?」

「……二人が分かれたのは、だいぶ前な気もするけど……」


 シルヴィアもこの街に来るかと思っていたのに、来なかったのはやっぱり気まずいのかも。


「……恋愛は私にはよくわからないなあ」


 私の呟きにカミラは優しく微笑んだ。


「お嬢様のお相手はきっとお幸せでしょう。どんな方か、今から楽しみです」

「……ありがとう、カミラ!だけどカミラの伴侶となる方もきっと幸せだと思うわ」


 カミラは優しいし強いし聡いし、一緒にいて気持ちの良い女性だ。

 我が伯父、カミンスキ伯爵をずっと想っている、のは知っているんだけど、先日のユゼフ伯父上の話を聞いた後では、なんだか無理に勧めづらい。


 シルヴィアとドミニクも。

 カミラと伯父上も。


 側から見たらお似合いの二人なのに、うまくいかないことも、あるのだ。

 なんだか切ないね、と思いながら私は眠りについた。




 私達は翌日から、壊れた堰の周辺を見て回った。

 王都からメルジェに来るまでの間は見計らったかのように止んでいた雨はまた断続的に降り続いている。地面を叩きつけるような音が午前中いっぱいつづいて、また川が氾濫するのではないかと恐れたが、昼になると晴れ間が重い雲の合間から覗いて、ほっとする。

 しかし、安心できない空気だ。

 私の背後で傘をさしてくれたスタニスの声も、険しくなる。


「異常気象ですね」

「……そう思う?」

「初夏にこんなに雨が降ることが、かつてあったでしょうか?……よくないな」


 本当にね、と私は溜息をついた。

 宿のある街の責任者だという壮年の男性が私に状況を説明してくれる。


「……公女殿下のご命令のおかげで、避難はできました。しかし……」


 植えたばかりの穀物や植物の畑が軒並み壊滅状態なのだという。


「これでは、メルジェ周辺の民は餓死してしまいます。なにとぞ、ヴァザにご助力をお願いしたく……」

「どうか、心配しないで。全てとはいかなくても出来る限り支援いたしますから」


 私がいうと、彼はなきださんばかりに感謝してくれた。

 ……未曾有の事態に、気が動転するのはわかる。


 私は、ローズ・ガーデンの筋書きを知っているから驚きは少ないけれど、やっぱり怖いよね。

 生活が奪われた人たちはざっと百人ほどいるらしい。

 避難した皆の生活をなんとかしないといけないなあ。

 さて、また経費の計算が大変だ。ーーこんな時、我が家が意外にもお金持ちで、しかも元々の筋書きと違って倹約していてよかった、と思う。


 長雨が続いて、川が氾濫し、領民の生活が破綻し。

 うまく立ち回れなかったヴァザは彼らの恨みを買うのだ。

 ……コツコツとだけど、堰を修復していてよかったし、食料や避難のための物品も備蓄していてよかった。


「自分も救わなきゃいけないけど、今は避難した皆かな」


 私はまだまだ灰色の空を眺めた。

 ぼやけた太陽が歪む。


 ーーーと。白い太陽を、さっと二つの影が過ぎった。鳥のようだが、大きい。

 メルジェで、空を横切る大きな鳥。

 なんだか既視感があって私は目を細めた。

 私の隣でキュイキュイと言っていたソラがソワソワとしはじめた。


 ……あれは、鳥ではない。今はわかる。


「レミリア様」


 ……スタニスの声が尖る。


「わかっているわ、ドラゴンね?」


 騎乗しているのは誰だろう。

 ここを通り過ぎるのか、と思われた二騎のドラゴンは、ゆったりと銀色の雨を弾きながら私たちの前に舞い降りた。


 ………騎乗していた人物に竜の背中から見下ろされ、私は僅かに緊張し、背を伸ばす。

 若い男性二人は興味深そうに私を、見下ろし、それから傲慢な口調で尋ねた。

 容姿は異なる二人だが、彼らには共通点がある。

 すらりとした長身、美しい容姿。そして、ヒトでは持ち得ぬ、金色の双眸。

 思わぬ人々の登場に、私は密かに息を止め、街の責任者の男性は奇妙な声をあげてへたりこむ。

 スタニスは静かに気配を殺して、しかし私を守るように前へ進み出た。


「人間の貴族のようだが、何をしている?」


 金色の髪と金色の双眸を持った恐ろしく美しい竜族の男性が、私に平坦な声で質問した。



短いので次回は8/10に。

8月は 8/10、8/15、8/31更新予定です。

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