長雨 3
穏便に。
そして、何よりもヘンリクを傷つけないように進めたいけどそれは無理なことだろうなあ。
数日間色々と画策しながら……。
迷いながら私は動く。
ステラから聞いたことをオルガ伯母上の伝手を頼って調べてもらい。
ーーー迷った末にすべて父上に話をすることにした。スタニスと、カミンスキー伯爵ユゼフ伯父上にも集まってもらう。
アレクサンデルも呼んでステラの告発を打ち明けた。
「ここ数日、やけに慌ただしくしていると思ったら。そんなことを調べていらっしゃったんですね、お嬢様」
「……なるほど」
父上は二通の手紙を見ながら低く、声を絞り出した。
「ステラ様の勘違いや嘘ということもありえます。ただ、ステラが名前をあげたならずものは、確かに存在するようです」
私があげた名前を聞いてユゼフ伯父上とスタニスが顔を見合わせた。
……元軍人らしいその男を、二人は知っているらしい。
ーーーげんなりとした表情でユゼフは首を振った。
「……彼なら知っています。人を頼って話を聞いてみましょう」
「任せた」
ユゼフが苦り切った表情で言うのに頷いてから、父上はスタニスを見た。
「ーースタニス。おまえは今、無職だな?」
「あのねえ、若。人聞きの悪いこと言わないでもらえますかね?今は教師生活を終えてたのしい休暇中です!」
「それを無職と言うんだよ、義兄上さま?」
元々、シン達の世代が卒業するまでの暫定的な軍部復帰、だったので実はスタニスの去就も決まっていない。
のんびりヴァザ家の侍従に復帰みたいなことにはならなさそうだけど。
「悪いがしばらくヨアンナの護衛をしてくれ。問題はないと思うが」
「……承知しました」
はあ、とスタニスがため息をつく。
父上は青い瞳でアレクサンデルを見て、神官長補佐は礼儀正しく目を伏せた。
「身内の揉め事を、恥を聞かせてすまないな」
「ーーそれは私が先でしょう。そして、幸いなことにまだ何も起きてはおりません。私の身内が……、リディアが引き起こした災厄に比べれば……恥ではないでしょう」
神官長補佐の協力に感謝しよう、と父上は言い。
ーーー事態は急速に動いた。
◆◆◆
軍学校の卒業からわずか、二ヶ月後。
ヘンリク・ヴァレフスキはジュダル伯爵の急病により、爵位を継いだ。
伯爵が療養中でめでたいことばかりではないからと。
伯爵家の代替わりにしてはささやかなその祝いの席のは「病気療養中」の伯爵の姿は無く、代わりに後見として父上が差配し、驚くほどあっさりと、そして違和感無く代替わりが進んだ。
ヨアンナ伯母上は訪問客ににこやかに礼を述べるヘンリクの隣で、朗らかに微笑んでいる。
みな、二人の微笑みが心からのものでないことくらいはわかっているだろう。
結局、ジュダル伯爵はヨアンナ伯母上を害しようとした計画などない、ステラの妄想だ!と言い切った。
ステラが名を告げた「ならずもの」はユゼフ伯父上に金を積まれてあっさり「事故に見せかけて襲うつもりでしたよ」と笑ったと言う。金をもらってさらに罪に問わないのならば、なんでも白状しますよ、と。
あっさりジュダル伯爵の計画を喋った。
絶句するユゼフ伯父上に向かって「ただし」と彼は付け加えたらしい。
「金さえもらえれば実行に移すつもりでしたよ。だけどそのうち、そのうち、と言うばかりでいっこうに払う気配がない。怖気付いたのか、殺す気が最初からなかったのか……」
男は笑ったらしい。
「たぶんね、自分を蔑ろにする妻を殺す計画を立てて満足したんですよ。いつでも殺せると思ったら安心して気が抜けたのさ。だけど実行する胆力なんかあの男にはありはしない。俺はごっこ遊びにつきあってやっただけ……何か罪になりますか?」
彼は西国に行くように命じられ、対価を受け取ると煙のように姿を消した………。
客がすべて帰ってしまうとヴァレフスキ邸はがらん、とする。
父上は屋敷に戻ったが、私は家庭教師兼護衛のカミラと、スタニスと共にヴァレフスキ邸にとどまることにした。
私だけではなく、ユゼフ伯父上も留まるらしい。……伯父上はいうなればヨアンナ伯母上の兄君みたいなものだものなあ。
広い客間で。
ユゼフもヨアンナも先ほどまでの祝いの席とは打って変わって静かで、私とカミラは重い沈黙に挟まれて小さくなっている。
「……何か話題は……ないかしら。う、歌おうかな?」
私が小さく場違いなことを言うとカミラは声を潜めた。
「おやめになったほうがよろしいかと、レミリア様。きっと物悲しく響きます」
だよね。
カタン、と椅子が音を立てて私はビクッと左を見た。正装のユゼフ伯父上が立ち上がってヨアンナ伯母上のそばへと座りなおしたのだ。
「それで?ヨアンナ。君はいつ籍を抜く気だ」
「離婚のことですか?」
会話が重いよーーーーー!!酢を飲んだ気持ちの私の耳に、二人の殺伐とした会話が飛び込む。
ヨアンナ伯母上は「そうね、そのうち……」と言葉を濁したが、ユゼフ伯父上は首を振った。気遣うような口調ではなく、責めるような声だった。
「今すぐ、離婚してやれ。そして君の夫を自由にしてやれ」
「ーーー自由?」
「彼は不実な男だが。君も大概だ。愛してもいないのに縛りつける君も不誠実だろう?君の夫のそばには、愛人がずっと付き添っているようだな。彼らがどういう関係であっても、互いを大事に思い合っているのなら妻の座を返してやるといい」
ヨアンナ伯母上は言葉に詰まった。
「たしかに私は不誠実です。ですが、もう少しジュダル伯爵夫人でいることくらいは彼は許すでしょう?殺されようとしたのですし、それくらいは……」
「いいや、別れるべきだ。明日にでも」
ユゼフ伯父上にしてはきっぱりとした口調だった。いつもはヨアンナ伯母上には優しいのに。
ヨアンナ伯母上も少しばかりきつい口調になる。
「ユゼフ兄上にはわからないでしょうが、伴侶に殺されかけるというのはそれなりに応えるものです」
「わかるぞ。私も経験者だからな。実際、私は妻のくれた毒で死にかけたしな」
ヨアンナ伯母上はギョッとした顔でユゼフ伯父上を見たし、私は思わず立ち上がってしまった。
ユゼフ伯父上は、昔結婚していた、それは私も知っている。
そして奥様が早くに亡くなったことも。
カミラはチラリとユゼフ伯父上を見たが驚いた様子はない。ーーーということは知っていたんだろう、か。ユゼフ伯父上は笑って私を手招いた。
それから客間の扉に視線をやる。
「ヘンリクもスタニスも入ってくるといい。昔話を笑い飛ばすなら大人数の方がいい」
扉を開いてスタニスとヘンリクが入ってきた。
スタニスはワゴンをもっていて、軽食とお酒とお茶が乗っている。ヘンリクは無言で自分の母親をチラリと見て、ユゼフ伯父上の向かいに座った。
「笑える話じゃないでしょう。少しも!」
「そうかな……そうだな」
ユゼフ伯父上は笑って足を組み直した。そういえば、私がユゼフ伯父上の奥様の話をしたとき、スタニスも父上も非常に微妙な顔をしていた……何か事情があるのかなと思っていたん、だけど。
「よくある話だ」
ユゼフ伯父上は笑った。なくなった奥方は、幼い頃からの許婚だったらしい。
十六の時に正式に婚約し十八で結婚した。だが、奥方は結婚にはあまり乗り気ではなかったらしい。それを感じてはいたが、ユゼフ伯父上は気にしていなかった。
「貴族の婚姻などそんなものだろうか、と思っていたし。まだ若いので彼女は馴染んでいないだけだろうと思っていたんだ……私は軍部にいるのが楽しかったしな。……数年、一緒に暮らせば彼女の意識も変わるだろうと思っていた」
だが、予定外の帰宅をした時、どうして奥方が結婚に乗り気でなかったかを知った。
ーーー彼女は持参金とともに、侍女や使用人も連れて来ていた。その中の一人は腕のいい庭師で、彼女は温室で、その庭師と逢瀬を重ねていた。
「それは、また……」
ヘンリクがさすがに呻いた。
二人が温室で幸福そうに口付けを交わす現場にユゼフ伯父上は踏み込んでしまったらしい。
「よくある話、だな。……今思えば私は怒っていたし、哀しんでもいた。だが彼女を問い詰める事もせずに、一方的に言い渡したんだ」
離婚して家に帰るか、それとも庭師と別れるか君が決めてくれと。自分は何方でも構わない、と。
「伯爵夫人がいればいい。君じゃなくても構わない。と……見栄を張ってすこしも傷ついていない振りをした」
ヨアンナ伯母上の状況と何か似ている気がする……。
私はそろりと手を上げた。
「あ、あのーユゼフ伯父上」
「発言を許そう、レミリア。何か疑問が?」
「……どうして、その……奥方様から殺されそうになったんですか?伯父上は被害者のように思うのですが」
ユゼフ伯父上は苦く笑った。
「結局、妻は庭師と別れることを選んだ。当然だと思ったよ。特に学があるわけでもない、美しくもない、背が高いわけでもない……そんな、身分の低い平民を好む妻の気が知れなかった。それに、カミンスキ家は妻の実家に多額の援助をしていた。その恩を忘れるわけがないと思った……寛大に、私は彼女を許して、だが家には帰らず仕事に励んだ……彼女が泣きついて来たら帰ってやろうと思っていたんだ」
スタニスが苦い顔で天井を睨んでいる。スタニスも事情を知っているらしい。
「庭師はどうなったんですか?」
私が問いを重ねると、ユゼフ・カミンスキは焦茶の目を細めた。
「腕のいい庭師だったから。退職金をくれてやって、紹介状を書いて、……裕福な貴族の家に追い払った」
追い払ったというけれど。……それは破格の温情措置だろう。
「だが、彼は一月後にあっけなく死んだ」
私とヘンリクは同じ動きで固まった。ま、まさか伯父上が?と思ったのが顔に出たのか、スタニスが苦い声で捕捉してくれる。
「火事ですよ。貴族の屋敷が火事になって巻き込まれたんです……それを知って、奥方はお倒れになった。言っておきますけど、放火ではありませんよ。火の不始末が原因の不幸な火事でした」
ーーーさすがにユゼフ伯父上は屋敷にもどって、抜け殻のようになった妻のそばにいた。
半月ほどたって、すこしだけ元気になったように見えた妻に伯父上は言ったのだという。
「君の恋人のことは残念に思っている。君が少しずつでも元気になってくれれば嬉しい。これから、夫婦としてやりなおそう、と……」
その言葉に奥方は微笑んだ。
その日夜まで茶を飲みながら、ユゼフ伯父上は奥方と語りあったという。その茶に毒が混ぜてあって、ユゼフ伯父上は三日三晩毒で苦しんだ。
「国教会の神官に助けられなければ死んでいたな。起き上がって、さすがの間抜けな私も激怒して、妻を殴り殺してやろうと思ったんだが……ずいぶん、修羅場だろう?」
「泥沼ですね」
スタニスが茶をすすりながら投げやりに言い、ユゼフはそうだなと苦笑する。
「ところが、起きてみれば妻は寝ついているという。彼女が私に毒を飲ませた夜は、今日と同じような長雨の最中だった。彼女は恋人が植えた花の前で一晩中雨に打たれて……高熱を出したんだな」
高熱に魘され、回復する気力も持とうとせず。
そして、呆気なく、死んだ。
「あなたのせいだと、言われたよ。……どうしてあんな屋敷にやったのか、と責められた」
ヘンリクが少しばかり気色ばむ。
「あまりに勝手ではないですか?」
「そうだな。だが、こうも言われた。……どうせ居ても居なくてもいいのに。あなたは私じゃなくてもいいのに。どうして縛ろうとするの、もう、自由にさせて、と」
ヨアンナ伯母上は弾かれたように顔をあげて、ユゼフ伯父上を見た。
ユゼフ伯父上は病床の彼女にすまないと謝って。
もう自由になっていいと告げ……翌日彼女は儚くなった。
私たちは静まりかえった……。あまり幸せな結婚生活ではなかったのかなと思っていたけど。そんな重い話だったなんて。
スタニスが視線を逸らしつつ、言った。
「……まったくの第三者から言わせていただければ、ユゼフ様に落ち度はないと思いますよ……」
「新妻をほったらかしにして、ろくに帰宅もしなかった」
「いや、しかし。それならそもそも結婚しなければよかったでしょうに」
「ーーー彼女の実家には多額の負債があった。だから断れない婚姻だったんだろう。そもそも、彼女が私たちの婚姻に初めから乗り気でない事に私でさえ実は気づいていたが、私はその理由を聞くつもりがなかったし、今更知らない相手と婚姻するのも面倒だった……私にとって婚姻はそれくらい価値がないものだったんだ。その無関心さが、彼女とその恋人を不幸にして死なせた」
貴族の婚姻に恋愛感情が必要だとは思わないが、とユゼフ伯父上は笑った。
「せめて相手に誠実でなければ、互いに不幸だ。……私は彼女を詰るべきだったし、その価値があるものだ、と彼女に知ってもらう努力をすべきだった。………夫と向き合う誠実さが君の中にないのなら。せめて解放してやるのが義務だろう」
ヨアンナ伯母上は蒼ざめて……よく、考えますと小さく言った。
立ち上がってよろけるのをヘンリクが慌てて支え、二人の後をカミラがついていく。
私はユゼフ伯父上を見た。
「……私も、伯父上は悪くないように思うのですが」
どう考えたって、一方的な裏切りで逆恨みなのでは?
私の指摘に、ユゼフ伯父上はどうかな、と首を振った。
「私は彼女を一度として個人として見なかった。伯爵夫人という記号で見て軽んじていた。積極的に裏切ったわけではないが……同じくらい申し訳ないことをしたと思う」
「……そうだったとしても、あれから何年たったと思ってるんです。もういい加減、自分を許せばいいんだ」
スタニスが敬語をやめてぼやくと、ユゼフ伯父上は苦笑した。
「そんなに私も善人ではない。独身が気楽すぎて今更いろいろなことが面倒なだけだよ」
そうかなあ。
……私は扉の向こうに消えたカミラを思った。カミラはユゼフ伯父上が好きで再婚の候補にもなっているらしいんだけど。
ユゼフ伯父上は誰とも再婚する気がない、という。……お似合いだと思うし……、もう一度幸せになることを考えたらダメなんだろうか。
私は溜息をついた。
色々なことがあったけれど、ヘンリクは無事に伯爵位を継ぎ。
ジュダル伯爵、ヘンリク・ヴァレフスキになった。
ローズ・ガーデンの内容と同じだ。
ただ、私と結婚する予定は全くないんだけれど。……少しずつローズ・ガーデンの地位にみんなが就いていることに気づいて、私は身震いした。




