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長雨 2

「ーーーステラ、さま?」


 私は、私が主催の夜会に紛れ込んできた可愛い少女を思い出した。

 可憐なわがままな、ジュダル伯爵の娘でヘンリクの異母妹。

 身勝手な彼女を私は決して好きにはなれないだろうと思っていたんだけど、顔はよく似ていても目の前にいる女性は全く雰囲気が違う。


 私はアレクサンデルを見た。

 神官長補佐は笑顔を崩さない。

 本気で一度はったおしてやりたいと思っていると、彼はここではなんですから、と涼しい顔で私とステラを先導しながら国教会の中へ足を踏み入れた。


 ステラは、黙って私の後へついてきた。

 な、なんか落ち着かないなあと彼女をチラリと見る。

 背は高く、髪は黒く緩やかに波打って、肌の色は象牙色。

 ジュダル伯爵には似ていないから母君似かもしれない。

 そして、私の従兄であるヘンリクには少しも似ていなかった。


 ……ヘンリクは、妹のことが好きではないと言っていたけどステラは兄のことをどう感じているんだろう?

 そして私はどう対処したらいいんだろうか……束の間悩んだけれど、考えるのを諦めることにした。

 彼女の目的が何にしろなるようにしかならない。こんなことは!


 客間に通されて茶を出され、私はソファに腰掛ける。私の隣には当然のようにアレクサンデルが腰掛け、彼は寛いだ様子で立ったままのステラを見上げた。

 なんの感情もないように装っているが、どこか楽しんでいるようにも見える。


「沈黙の誓いを、破ることを許そう。……ステラ」

「感謝いたします、神官長補佐」


 彼女は深々と礼をした。


「お初にお目にかかります。公女殿下」

「ステラ様とおっしゃるんですね」


 ステラは顔を上げて私をみた。それからすこし口元を歪めて視線を落とした。

 何だろう?

 しかし、そのまま言葉を続けることなく沈黙する。首を傾げた私に説明をはじめたのは、アレクサンデルだった。


「ステラは国教会に家出同然でおとずれ、神官職になるための修行をしたいと言いました。一年ほど前のことですね。家を出た理由は明かせないし、家名も明かせない。そういうことは、ままあるので……沈黙の誓いを立てて修行していたのですが」


 普通神官職になるには十歳までに国教会に入る。

 世俗との交流を断つためだ。だけど、十代や二十代で目指す人間も少なからずいるわけで。

 そういう人たちは外界との未練を経つために、修行以外での私語を一年間、一切禁じられる。それが沈黙の誓いだ。


「その修行期間が終わったということですか?だとしても、ステラ様が私にお会いになりたかった理由はなんでしょうか?」


 正直なところ今まで関係なんかなかったし、関係を持ちたくはないんだけどなあ。

 ステラ様は言葉を探して視線を泳がせた。

 ひょっとしたら、私語を一年間しなかった関係で会話を思うようにできないのかもしれない。その予想は当たりだったようで、アレクサンデルが簡潔に説明をしてくれた。


「ステラの修行期間はあと1月残っています。だが、先日どうしても話をしたいことがあると直談判されましてね。真実かどうかはともかくとして、彼女は私と公女殿下が親しい間柄なのだと考えたらしい」


 直談判?私はステラを見る。

 彼女は私の前にひざまずいて、女神に祈るみたいに私を見上げた。視線自体はそんなに純粋なものではない気がするけど。い、居心地がわるいなーとみじろぎする。


「お見せしたいものがあるのです。そして、公女殿下のお力をお借りしたい、と願っております」

「……私の力?ヘンリクではなく?」


 はい、と頷いて彼女は二通の手紙を取り出した。

 その一通に目を通すように促されて私は首を傾げた。

 なんだろう、淡々とした……、誰かの行動観察日記のように思える。


「彼女」がどこに出かけ、誰と会って。

 次はどこに行く予定なのか、細かく……一ヶ月にわたって書いてある。

 ………。


 国教会。

 マラヤ・ベイジアの孤児院。

 オルガ叔母上の別荘。

 アニタ叔母上の領地への贈り物を選んだり、も「彼女」はしている。

 軍学校の式典にも、こっそりと顔を出して、エミール・ハイトマンに会って昼食を取った、と書いてある行は……多少筆跡が荒くなっていて文字から苛立ちを感じる。

 ヴァザの屋敷に来た日もある。この日はユリウスの誕生日だったから、よく覚えている。


 末尾に「つとめを果たすように!」と書いてあって、私は沈黙した。

 つとめ?ってなんだろう。

 そして、この行動記録はどう考えても……。


「筆跡に見覚えはありますか?」

「いえ、……どこかで見たような気はするけれど。……この記録は……もしかして、ジュダル伯爵夫人の記録でしょうか?」


 ステラは小さくはい、と肯定し。もう一通の手紙を差し出した。

 そこにはきちんと署名があり、宛先はステラだ。


「……筆跡はジュダル伯爵のものということですか?」

「はい。父が……ヨアンナ奥様の行動を書きつけて、ならずものに渡しているのを、私は見ました」


 ステラが言いたいことをなんとなく予測して、私はうっすらと背筋が寒くなる。

 聞きたくなくて思わず顔を逸らした先に私を窺うアレクサンデルの目があって、私はステラに視線を戻した。


「ならずもの……」


 ステラは無言でうなずくと、スカートの上に置いた手をギュッと握りしめた。しかし、きっぱりと言い切った。


「公女殿下に告発をしたく御前に参りました。私は、見ました。父が、風体の良くないものに伯爵夫人の行動記録を渡すのを。そして、聞きました」


 私は唇をきゅ、と噛んで尋ねた。


「なにを、聞いたのです?」

「父は、その男に金貨を渡して命じました」


 ステラは語った。

 ジュダル伯爵はこう言ったのだ、と。



 ーーーあの、ヴァザの女の息の根を止めて来い。決してしくじるな。



 私もステラも。しばらく沈黙していた。

 アレクサンデルは表情を変えずに、隣にいる。私はこのまま倒れてしまいたい気分でこめかみの辺りを抑えた。

 大きく息を吐いて、私は居住まいを正して彼女を見た。ステラの手を取ると、彼女を立たせて椅子を進める。ステラが戸惑うような気配を見せたけど、私は彼女の手を強く握って彼女の目を覗き込んだ。


「目線を合わせてくださいますか?じゃないと話がしづらいもの」

「畏まりました」

「そして、順を追って話してください。あなたがその手紙を手に入れた経緯と、ここになぜいるのか、まで。ぜんぶ」



 ーーーステラが話してくれた内容は、簡単に纏めると実に単純なことだった。

 ジュダル伯爵は、ヨアンナ叔母上と結婚する前からずっとステラ嬢の母君と恋人同士だった。ヘンリクが生まれるまでは一時期別れていたらしいけれど、関係は復活し、姉君とステラ嬢が生まれた。

 伯爵はほとんど別宅にいて、ステラはヘンリクの存在を七つになるまで知らなかったらしい。


 妾腹だ、という誹りをあまり受けずに姉妹は育ったんです。とステラは自嘲気味に言った。

 それよりもむしろ……。


「私たちの家族が本物で、ヨアンナ様とお兄様がおかわいそうだと思っていました。家の存続のためだけに、無理やり結婚させられたのだと」


 たぶん、それはそうなんだろうけど。

 だけど、少し大きくなれば事情が違っているのだと感じるようになる。あくまで伯爵が大事にしたいのは「本家」で、姉妹はいわばオマケなのだと。


 姉妹の母君もそれを不安に思ったようで、別れると言い出したらしい。


 ーーーヨアンナ様と正式に別れてください!それが出来ないのなら、私たちの関係は終わりです!


 母君の要求に困り果てた伯爵が、別宅に密かに人を呼んで話すのを、ステラは聞いたのだという。


「ヨアンナを事故に見せかけて、殺せ」と。


 ───その場面を見たステラは、書きつけと、署名のある手紙を奪うと国教会に飛び込んだ。

 そして、両親に手紙を書いたのだという。

 自分がどこにいるかは明かせないが「ずっと両親の行動を見ている」と。

 ヨアンナ様に何かあれば、証拠を持って「ヴァザに駆け込む」。だから、馬鹿なことをしないでくれと手紙を送ってずっとここに隠れていたのだ、と言った。


 それで、ステラは国教会にいたのか。

 そして、ジュダル伯爵とステラの母君がステラを探さないでいる、というスタニスの報告の理由もわかった。

 無理に探し出して、そんな目論見をしていた、と知れたら……破滅だもの。



「……どうして、今、私にそれをおっしゃるのですか?」


 私が聞くと、ステラは少しだけ苦い顔をした。


「ヘンリク様がご卒業されたと聞き及びました。ジュダル伯爵から爵位を譲られてもいいお立場になったでしょう?それに……。噂で、妹がレミリア様にご無礼を働いたと聞きました。もう、頃合いだと思ったのです」


 例の乱入事件みたいな隠したい醜聞が、修行中のステラの耳に入るなんてことがあるだろうか?

 私はチラリとアレクサンデルを見た。

 神官長補佐は涼しい顔だ。……アレクサンデルが耳に入れたんだな?たぶん。



「……どうして、止めようとなさるの?その……貴女にとってもヨアンナ様は憎い人ではないのですか?」


 私が尋ねると、ステラはクッと笑った。


「たとえ妾腹の子でも、人並みの倫理観はございます。公女殿下。……父親が人の道を逸れようとするのを止めてはいけませんか?」


 じっと見られて、私は言葉に詰まった。


「そういうつもりじゃなかったけれど……いえ、そうね。どうしても私はジュダル伯爵夫人の味方だから。貴女がた母子に敵意があるかもしれない。嫌な言い方だったわ、ごめんなさい」


 私がいうと、ステラ嬢は毒気を抜かれた表情を浮かべて、慌てて頭を下げた。

 それから、悲しそうに首を振る。


「ご無礼を、申しました。レミリア様。聞いていただけるだけで申し訳無いのに。……先ほどの理由は、嘘です。父が人の道を外れるのが怖かったわけではありません」

「……じゃあ、なぜ?」

「だって、お父様がそんな大仕事を無事にやってのけるわけがないもの。人殺しの娘になんてなりたくないという、私の保身です」


 露悪的に彼女は悲しく笑って、それからまたジュダル伯爵の「計画」について話をしてくれた。

 ……半刻ほどステラの話につきあって私はぐったりとしてしまった。

 話を終えた彼女を迎えに来たのはテト神官で、彼が気遣わしげに私を見たことから察すると、テト神官も事情を知っているんだろう。

 ステラが一礼して部屋を去っていき、私はアレクサンデルを見た。

 なんか聞いた事が衝撃的すぎて誰かに八つ当たりしたい気分で、ちょうど目の前にいけ好かない神官がいたので、軽く睨む。


「彼女を一度私に会わせましたね?アレクサンデル。偶然のようだったけれど、あれは、わざとだったんですか?」

「ええ」

「その時に言ってくれたら……!」


 アレクサンデルは笑った。


「レミリア様が、ヘンリク様の異母妹の顔を知っているのか知りたかったんですよ。予測通りご存知なかったようですが。……興味がないとはいえ、ヘンリク様のご姉妹は把握しておいても良いのでは?と思いますね……貴女は色々と狙われる立場にある。身辺に普通ではない人間関係があるなら、把握し記憶すべきですよ。弟君を守るためにも」


 私はくっと言葉に詰まった。


「その時はまだヨアンナ様の件は知りませんでしたよ。だが、何か事情があるのなら近くで観察していよう、とは思っていましたが……役に立ったでしょう?」


 正論すぎて反論ができないよ。

 アレクサンデルは実に楽しそうにそれを見ている。


「今回、教えてくださったのはどうしてです?」


 私が聞くとアレクサンデルは苦笑した。


「貴女やヘンリク様が苦しむと分かっている事を黙っておくほど悪人ではないつもりですよ。それにリディアの件ではレミリア様に大きな借りがあります」


 私は、重くため息をついた。ステラが教えてくれた情報が本当か裏をとって、そして、父上に報告しないといけないなあ。ああ、頭が痛い。


「なんで私に教えてくださったんですか?父や、叔母に直接ではなく」


 アレクサンデルは肩を竦めた。


「貴女がいちばん平和的に解決するだろうという確信ですね。苦しんで助けを求めて修行に真面目に取り組んでいるステラのことを思っても、貴女がいちばん優しい判断を下すだろうと……知ってしまったもので。あなたの判断が絡めば、公爵閣下も無碍にはすまい、という……下心、かな」


 かなー、じゃないよ!!


 私は眉間にシワを寄せてアレクサンデルを睨んだ。

 だけど、お礼は言わなくちゃいけない。


「……教えていただいてありがとうございます」


 アレクサンデルは実に丁寧なお顔で、私に微笑みかけた。中身を知る前の私なら絶対キャーキャー騒ぎそうな甘い表情だ。


「私は役に立ちますよ。レミリア様。貴女はいろいろな情報を手に入れられるし、私は退屈しなくていい。──お試しでいいので、結婚する気になりませんか?」


 私は眉間にしわを寄せた。


 断固!拒否!

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