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幕間 軍学校の人々 上


 ヘンリク・ヴァレフスキはその日、ヴァザの屋敷で身支度を整えるとすっかり私物の増えた客間を見渡した。

 夜会で父親のジュダル伯爵が醜態を晒して数日後、ヘンリクは軍学校の卒業式を控えて最後の休みをヴァザの屋敷で過ごしていた。


 軍学校に通った4年の間。


 ヴァレフスキの屋敷にはほとんど戻っていない。

 休暇中、父親に言われて夜会に参加して儀礼上の愛想を客人達に振りまくことはあっても翌日にはヴァザ邸に逃げるように泊まり込んでいた。

 父親はむしろ喜んでいた。

 ヘンリクがヴァザの屋敷で歓迎されるということは、レミリアの婚約者候補としてレシェクが黙認しているからだ、と父親は考えていたし、周囲の一部貴族もそう考えているようだった。


 今はユリウスがいる。

 レミリアと結婚しても、ヴァザ侯爵にヘンリクはなれないのに……と思っているが、父親はこともなげに言った。


「ユリウス様は身体が弱い。なにがあるかわからないではないか」


 酷く冷えた心地でその台詞を聞いて。

 ヘンリクはその日、父から記念日に贈られた一切の物品を捨てた。


 父親との思い出は、実はたくさんある。

 お忍びで街に連れて行ってくれたし、美味しいものもたくさん一緒に食べに行った。

 ヘンリクを溺愛し、甘やかし、褒めて愛してくれてはいた……。だが、彼には決定的に倫理観が欠けている。そして、息子に甘いのと同じだけ、自分にも甘かった。


「……本当に、僕と貴方はよく似ていますよ、父上」


 ヘンリクは苦笑して部屋から出た。


「へんりく兄様!!」


 とたんに金色の髪の幼児がまろび出てきてヘンリクに飛びつく。

 レミリアの弟は随分と大きくなった。突進されると結構痛い。

 ユリウスは身体が弱い。だけれども、賢い子で、いつも朗らかだ。

 ヘンリクは「重いぞ、子豚」と憎まれ口を叩いて柔らかい体を抱き上げた。

 ユリウスが死ぬなんて、考えたくもない。それはヘンリクにとって絶望でしかない。ユリウスが死んで手に入るものが侯爵位なら、そんなものは捨ててしまってもいい。


 それが、父たるジュダル伯爵には……全く、わからないのだ。


「ヘンリク様!申し訳ありませんっ」

「いいよ、慣れてる」


 子供の暴挙に慌てた侍従が廊下の影から現れてヘンリクに謝罪した。

 ユリウス付きの侍従トマシュ・ヘンデル青年は平民出身だ。

 何か特殊な能力があるわけではないけれど、ユリウスの母親に不遇を救われたことに恩義を感じて、ヴァザ家に勤めている。

 ユリウス様のことはなにがなんでも俺が守りますからね!と熱心に言い、ユリウスから「トマシュだけじゃやだー」断られてショックを受けている姿は多少おかしみを感じる光景ではあるもののの、妙にくすぐったかった。


「ぼっちゃま、トマシュと行きましょう。ヘンリク様はお出かけですよ」

「トマシュ、やだー!ヘンリク兄様と遊ぶんだよ!兄様だいすき!」


 トマシュが世にも情けない顔をしたので、「僕が勝ったな」とヘンリクは多少勝ち誇ってみせた。

 たまにしか現れないヘンリクが、幼児のユリウスには珍しさで勝っているだけだとわかってはいても、ふにゃふにゃとして、純粋に愛らしいユリウスに慕われるのは嬉しい。

 トマシュがガックリと肩を落としたので笑ってしまった。


「最近は熱は出してないのか」

「ええ!アレクサンデル神官や、その同僚の方がひんぱんにきてくださって。高い熱は出しておられません。ありがたいことです」

「ユーリはおとなです!熱が出なくなりました」

「おねしょは治らないけどな?」


 ヘンリクが笑うと、ユリウスはポカ、とヘンリクの肩を叩いた。


「してないもん!おねしょしてないもんっ」

「はは、悪かった、今のは僕が悪いなユーリ」


 おでこをぶつけて謝ると、いいよ、と許してくれる。


「ヘンリク様はこれからお出かけですか?馬車は……」

「客が勝手に馬車を使えないだろう、徒歩で行く」

「坊ちゃま!お一人では危ないでしょう」


 心配顔の青年にヘンリクは苦笑した。ヘンリクはヴァザ家坊っちゃまではないのだが、侍従長のセバスティアンがヘンリクを未だにそう呼んで甘やかすし、スタニスもなんだかんだで子供扱いするので、ヴァザの使用人達はヘンリクをそう呼ぶ。

 ヘンリクは笑った。


「大丈夫、ユンカーとキルヒナーが迎えに来る」

「ならば安心ですね」


 トマシュは胸を撫で下ろした。

 むずがるユリウスをトマシュに預けてヘンリクは口の端をあげた。


「ユリウスの大好きくらい貰わないと、お前に負けっぱなしだからな」


 ヘンデルは頭をかいた。


 剣術はヘンリクもそこそこ得意な方だ。

 しかし、トマシュの方が腕はたつ。

 たまに剣術の稽古に付き合わせるがヘンリクの方が負け込む。

 休みのたびにスタニス・サウレ直々に朝から晩まで鍛えられ、平日はユゼフ・カミンスキかその部下に鍛えられ……という生活を続けてきた賜物なのだが。

 レミリア曰く「トマシュはね、ユリウスに青春を捧げたせいで、美人な彼女に愛想を尽かされて、それからずっと彼女が出来ないの……。元彼女はすごく幸せになったのに……」という悲しい事情もあるので、本人は複雑かもしれない。


「お前はいいな、スタニスを独占できて。僕もつきっきりで鍛えて欲しかった」


 ヘンリクがため息をつくと、トマシュは乾いた笑い声を漏らした。


「……す、スタニスさんは容赦ないです……地獄の使者です……」

「はは!まあ、厳しいだろうな。サウレ教官も血も涙もないほど厳しかったし。しかし、僕の同級生にはスタニスくらいの化け物がいるからな。それくらい鍛えて貰えばよかった。最終学年でも、模擬試合では10本に1本しか取れなかった」


 スタニスに敵うことがあるとしたら、それはイザークくらいだろう。

 イザーク・キルヒナーは剣術の天才だ。

 身体はそんなに大きくないが、まず、速い。そして目がいい。

 さらに言うなら相手の動きを半瞬前に読む……まるで野生動物のようだ。思い出したら腹が立ってきたな、とぼやくとトマシュは微笑んだ。


「頼もしいご学友がおられて、よろしゅうございますね」

「違う。友人じゃない。たまたま同じ時期に同じ学校にいただけだ!断じて友人じゃない」


 ヘンリクが食い気味に否定すると人のいい侍従は、苦笑しつつも反論はしなかった。

 トマシュ・ヘンデルは孤児で、拾われてからすぐにカミンスキ家で働いていたから、学校には行っていなかったはずだ。

 最低限の教養はカミンスキの侍従長と、ヴァザに来てからは、セバスティアン達が教えたはずだが。

 たしか、彼の妹と一緒に勤めていたはずだが……。

 ヘンリクは玄関まで歩きながら聞いてみた。


「トマシュ、最近は妹の具合はどうなんだ?」

「……お気づかい、ありがとうございます!……まだ本調子ではないですが、少しずつ外にも出ております。早く、働けるようになるといいんですが……」


 トマシュの妹は身体が弱い。肺を病み一時は重篤だったという。

 レシェクの配慮で、高価な薬と神官の治癒術を使って回復傾向にあるという。


「無理をさせなくていいさ。大事な妹なんだろう?」


 大事な妹、と舌に乗せるとチクリ、と心が痛んだ。

 ヘンリクにも妹がいるが、彼女達を大事だと思えたことはない。……そんな風に、妹を大事にできるトマシュが少しだけ羨ましいとも思う。


「ありがとうございます。皆様にはなんとお礼を言えばいいか……」

「叔父上も、お前を手放したくないのさ。子豚がこんなにワガママを言えるのはお前くらいだ。な、ユーリ!トマシュが好きだろう?」

「トマシュはね、僕のじじゅーさんだよ!」


 なぜか誇らしげに胸をはるユリウスに、トマシュは明るい声を立てて、幼児を抱きしめる。

 使用人と子息の距離が近すぎるかもしれないが、それくらいでちょうどいい、とも思う。

 愛情に飢えてひねくれていた幼少期のヘンリクのようになるよりも、ずっといい。


「何かいい治療方法があるといいな」


 言いながら、ヘンリクはふと、西国で会った風変わりな男を思い出した。

 半竜族で医師のテーセウス。

 彼なら肺病の根本的な治療も知っているかもしれない。


 彼の行方は、キルヒナーなら知っているだろう。

 話のついでに聞くことにしよう。

 トマシュとユリウスに見送られて玄関を出ると、門扉のところに青年が2人立っていた。


 ヴィンセント・ユンカーとイザーク・キルヒナーだ。

 一度軍学校の寮に荷物を取りに行くというのでヘンリクも一緒に行くことにしたのだ。


「ヘンリク、遅くない?」


 イザークがヴィンセントの時計を指差して文句を言うので、ヘンリクはふん、と鼻を鳴らした。


「僕を待てて、光栄だろう?喜べキルヒナー」

「いや全然!」

「じゃれてないで、さっさと行くよ、二人とも」


 年長者のヴィンセントが促すので、二人も大人しく従う。

 時間にうるさい奴めと舌打ちすると、イザークもだよなーと小さく同意した。


 軍学校の最上級生が住む寮に行くと、寮生はほぼ帰省中で閑散としていた。


 狭い、古い、男臭い、飯は栄養満点だがまずい……という、悪夢のような食事が出る、さらには男くさくて嫌になる寮だったが、個人個人で部屋があるのだけが救いだったな、とヘンリクは思う。


 ここで、切磋琢磨し……とはこいつらには決して言いたくはないが、本音をぶつけ合うのは、貴重な時間だった。


 面倒な事ばかりだったが、総じて、楽しかった。


 それも、もう終わる。


「ヘンリクは卒業後どうするんだ?」

「お前にいう義理はない」


 イザークの問いにヘンリクはふん、と鼻を鳴らした。

 イザークがケチと口を尖らせるが、実のところ言いたくない、というよりかは迷っている、と言う方が正しい。


 部屋を片付けて、教室や鍛練場に向かって各所に散らばる記憶をそれぞれ思い出しながら、なんとなく3人とも無言になる。


 将来……。


 卒業後、成績優秀者は軍部というよりも近衛騎士になるのが慣例だ。

 イザークは首席卒業生だからまず間違いなく王女の側近になるだろうし、ヴィンセントもそうするだろう。


 ヘンリクにもその道は用意されているが、父親や一族の思惑がそれを許すかはわからない。

 ……それに、あまりに新王家と近すぎる場所にいるのは、ヘンリク自身にとっても都合が悪い。

 正直にいうならば、聡明な王女の側近になって職務をこなすのは、想像するだけで―息が詰まりそうだった。


「卒業後はどうなるかわからないけど、……パーティーは楽しみだね」


 ヴィンセント・ユンカーが綺麗な緑の目を細めた。

 西国から帰って、ずいぶん険がとれた西国混じりの聡明な少年は感慨深くいった。

 軍学校の卒業式の後は上流貴族も集まって、はなやかな夜会が開かれる。……首席のイザークが華々しく表彰されるのは気に入らないが、誇らしい気持ちも確かにある。


「四年間楽しかったなあ。そして、寂しくなる」


 イザークがポツリと言ったのでヘンリクは少しばかり意外な気持ちで、自分より背が低い青年をみた。

 ……寂しいなんて気持ちが、こいつにもあったのがおどろきだ。


 ……みんな、違う道を歩む。

 いいや、違う。

 元から、違う立場の人間がいっときここにいただけだ。


 まるで、奇跡みたいに。


 なぜか夕陽が眩しくてそこから目を逸らしながら、ヘンリクは静かに、そうだな、と同意した。


 卒業式は、三日後に迫っていた。




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