パーティー 5
翌日、ご機嫌伺いにオルガの別宅に出向くとちょうどヨアンナは出掛けるところだった。
「レミリア!?スタニスまでどうしたの」
「ご機嫌伺いにきたのですが……伯母上、どこかにお出かけですか?」
迂闊なことに外出は想定してなかったので戸惑う私に、ヨアンナは「マラヤ・ベイジアの運営する救貧院に行くのよ」と言った。
伯母上の、ヘンリクと同じ濃い青の瞳が優しく揺れている。
「それなら、おともしてよいですか?伯母上に会いたかったので」
「ええ、ありがとう」
国教会本部近くにあるそこは、救貧院というよりも、身寄りのない子供たちばかり集う施設のようだった。
孤児院……というには何か違和感。
違和感を感じた理由はすぐにわかった。
なんだか綺麗な子が多いのだ。マラヤ様の直属なら栄養状態はいいだろうけど、そういうことじゃない。
目鼻立ちが明らかに整っている。
しかも子供たちの人数は多くなく、10人ほどの小さな孤児院だ。
マラヤ・ベイジアは何を目的に子供たちを保護しているんだろう。
子供たちの中でもとりわけ最近入ったばかり、という兄妹は目を見張るほど綺麗で、私はますます困惑してしまった。
綺麗な金茶の髪をした兄と、黒髪に翠の目をした妹は私たちを遠巻きにして、あまり歓迎してはいないようだった。……まだ、知らない人に慣れていないのかな。
私も領地にある孤児院にはお邪魔することがある。
やることは一緒だからそこに違和感はないんだけど……。なんだか…、子供たちの施設にしては静謐すぎる。
子供たちと触れ合って、遊んで……。
ひと段落つくと、お疲れ様、とヨアンナは朗らかに私たちを労った。
スタニスはカップに手をつけずに、私の伯母を醒めた目で射た。
「ずいぶんと趣味がいい子供たちを集めていらっしゃいますね、ヨアンナ様」
「スタニス?」
スタニスの薄い茶の瞳が細められた。声音は口調に反して厳しい。
ヨアンナはそうね?と首を傾げた。
「綺麗な子が多いでしょう。神官候補になるかもしれない子ばかりよ。異能があったり、あるかもしれない子」
スタニスが言葉を続けた。
「竜族混じり」
私はギョッとして、顔を上げた。
視線の先、綺麗な子供たちは太陽光が差し込む図書室でお行儀良く本を読んでいる。
すごく、綺麗。……人間離れした……。
竜族は皆美しい容姿をしている。だから竜族混じりは綺麗な子が多い。
「……だけど、あの綺麗な兄妹の兄は違うな、ただの人間だ。妹は……血が濃いですね」
「同族の気配がわかるの?」
「近くにいれば、大体は」
「そうね、妹は……貴方と変わらないくらいの濃さかしら。あの兄妹は母親が違うのよ。ひょっとしたら父親も。だけど兄妹として育った2人をひき離すわけにはいかないでしょう?」
「まるで慈善家みたいなことをおっしゃるんですね?」
皮肉な言葉をヨアンナは肯定した。
「ええ、慈善事業よ。――国教会はね、今でも竜族混じりが好きなの。焦がれていると言ってもいい。だから強い異能を持った神の子を探してる。竜族は今の長は人間をきらって接触を禁じているから、この半世紀でずいぶんと竜族混じりは減った。血は薄れるし……だから曽祖父が竜族だった、というような孤児でさえ探して集めている……。だけど国教会は異能がない竜族混じりには興味がないの。……貴方のように並外れた力があればべつだけど、そうでなければ……。綺麗な子が多いもの、娼館や、いかがわしい趣味の富裕層に下げ渡されないとも限らない。……マラヤ・ベイジアはそのことに心を痛めていた。だから贖罪のようにこの施設を作ったのだ、と聞いているわ……先代国王の死後だから、歴史は浅いけれど」
「へえ、お優しい」
スタニスが片眉を器用にあげた。
ヨアンナはヒリついた空気を意に介せずに続ける。
「偽善でも、しないよりよほどマシでしょう。マラヤ様の孤児院出身ならば例え能力がなくても、身元が確かな家庭に養子縁組ができるわ。もしくは自立する力をつけられる。国教会の職員になったり、ね」
マラヤ・ベイジアがこの孤児院を作るまでは、「いらなくなった子供たち」は……どうなっていたのか。
それを考えると、暗い気持ちになるな。
「呆れている?」
「え?」
突然話をふられて呆けた私にヨアンナは目を伏せた。
「……慈善事業へ逃げるな、と呆れるかしら?自分の夫から息子からも逃げて、見知らぬ子供達に上部だけのいい顔をして……、姉の世話になって……情けない大人だって」
そんなことはない!と私は首を振ったけれど、スタニスは半眼でヨアンナを見た。
「自覚はあったんですね、一応」
スーターニースー!!
ちょっと厳しいよ、と思ったけれど、ヨアンナは私たちに頭を下げた。
「夫がせっかくの夜会を台無しにしてごめんなさい」
「それはヨアンナ様の罪ではないでしょう」
「……ヘンリクを置いて逃げたわ、また」
スタニスは何か言いたげだったけど、唇を引きむすんだ。
追い討ちをかけるのはやめたんだろう。
……ヨアンナ伯母上は優しい。
私には。
素敵な人で、私は大好きだけれど。
ヘンリクに対しては、たまに対応がおかしいと思うことがある。
浮気性な夫にそっくりな息子が……嫌いなんだろうかと思うこともあるけれど、多分違う。
心配しすぎて溺愛して、空回っているようにも思える。いつだったか、ヘンリクが怪我をしたときなんか半狂乱になったのを見たことがあるし。
「……伯爵とはどうなさるんですか」
出過ぎた質問だろうけれど、私は聞いた。
「ヘンリクが成人して、あの人が爵位を譲ってくれるまでは別れたくないの」
「伯母上はお辛そうです……」
「少しも。辛いのはあの人の方だわ。家に帰らない、自分を顧みない、つまらない女と結婚して、さぞあてが外れたでしょうね……夫が他所に家庭を持ったことは……仕方ないことだわ」
スタニスがめちゃくちゃ怒りそうな発言だなあと思ったけど、黙っている。
「伯母上は、伯爵の上のご息女をご存じですか?いま、お屋敷を出て行ってお一人で暮らしているとか」
「いいえ?でも、そうね。姉妹の姉は……礼儀正しい、とてもよく出来たお嬢さんよ。何かの時に、一度だけ会って話した事があったわ。……酷く自分の立場を恥じているようで……子供に罪はないのにね」
意外な高評価だなあ。
妹のテレサお嬢様は我がままいっぱい、って感じだったけど。
ヨアンナはなおも続けた。
「私と夫はうまくいかなかったけれど、それでも、ヘンリクを授かったことだけは感謝している」
スタニスがじ、っとヨアンナを見た。
詰りたいけど、そこは同意なのだろう。
「ヘンリクのためにも、夫とは話し合って、きちんとけじめをつけるつもりよ。ごめんなさいね、スタニス。貴方にまで迷惑をかけて。姉上に聞いたわ。……私が貴方と恋仲だったと疑うなんてね……。本当に、見当違いもいいところよ」
ヨアンナは力なく言葉を紡ぐ。
私は……、疑問を思い切って聞いてみた。当事者に聞くのが一番だ。
「だけど実際に伯母上とスタニスとの婚約の話はあったんでしょう?……ジグムントは悪くない縁組だと思った、と言っていました」
「ええ、あったわね。でもスタニスに振られてしまったわ、残念ながら」
らしくなく、伯母上が戯けた。
……ものすごく、らしくないな。
「伯母上は残念だと、思っていらしたんですか?」
「ええ、女の子なら誰でも憧れるでしょう?竜族の血を引く軍人の奥方になるなんて、とてもロマンチックだわ。……レミリア、貴女がシン公子に憧れたのと同じよ。わたしは断られて残念だったわ」
おかしい。
私は慎重に言葉を選んで、何気ない風を装って質問を続けた。
「じゃあ、伯母上が拒否されたわけじゃなかったんですね?私はてっきり伯母上がお断りされたのかな、って。スタニス意地悪だし」
スタニスが私を窺うのを気づかないフリで、私はいっそ無邪気に笑って見せた。
「そんなことないわ!私は断ったりしない。スタニスが拒否したのよ。ふふ、悲しいわね」
変だ。
それは、変。
絶対に、そんなことはない。スタニスが断れるわけがない。
―――無礼で生意気な竜族混じり。
スタニスの若い頃の評価だ。
傭兵の息子。ヴァザ公爵に助命された、謀反人の息子。
それなのに、ヴァザに心酔しない、いつ裏切って逃げるかわからない、類稀な身体能力をもった。
神の子。
彼をヴァザに取り込む絶交の機会を、彼の意思なんかで破談にするだろうか?
私は唇を湿らせた。
「……スタニスには、当時、拒否権なんてあったんでしょうか」
「え?」
私はヨアンナをじっと、見つめていった。視線を逸らさないままに、隣のスタニスに聞く。
「……スタニス、正直に答えて。ヨアンナ伯母上との婚約を、望んでいた?」
「……いいえお嬢様。いや、ヨアンナ様だけでなく……誰とでも嫌でしたよ。……未来を決められるのは」
「もう一つ、教えて。スタニス。貴方は婚約の話を正式に断ったり、した?」
スタニスが少し考えて静かに否定した。
「いいえ。私は……していませんね」
「うん、そうだよね。……皆が許すわけがないもの。それにスタニスは逆らうことなんか、出来なかったはず。だって……」
一瞬、あたりが、シン……となる。私は唾を飲み込んだ。
「スタニスには首環があった」
静寂の中で、ヨアンナが表情を喪っている。
スタニスには、逆らえば命を奪うまで絞められる忌まわしい呪具が嵌められていた。
だから拒否権なんか、なかったのだ。
「伯母上は拒否しなかった、スタニスは拒否権がなかった。だけど、婚約は破談になった」
じゃあ、多分。
ジグムントが正しい。
「二人の婚約は先代国王陛下とマラヤ・ベイジア様が強固に反対されたんですね?ヴァザに竜族の血が入ることを嫌って」
この国では竜族は特別で、信仰の対象だ。
旧王家とヴァザの血が混じるのを先代国王が嫌がった?だから反対した?
「そうだったかしら、……そうかもしれないわね」
ヨアンナの目が泳ぐので、私はなおも畳みかけた。
「国王陛下はこうも仰っていたそうです。他の娘ならまだしも、ヨアンナだけは、駄目だって。どうしてですか?独身だというなら当時、アニタ伯母上だって独身でした。なんでヨアンナ伯母上だけ?」
すごく不可解に感じる。
「先代国王にとってヨアンナ伯母上はどう、とくべ……」
「レミリア!」
声を荒げたヨアンナに私は目を丸くした。
ヨアンナ伯母上に怒られたのは初めてだ。何かをふり払うようにヨアンナは手を動かして、悲鳴をあげた。
「あんなっ……!あの男の思惑なんて、知るわけがないわ!詮索はやめてちょうだい。もう、昔のことよ。経緯なんて覚えていないわ!もう…………」
私はじっとヨアンナを見ていた。
怒りに震える肩を……いいや、違う。ヨアンナは怯えている。何に、だろう。
私は頭を下げた。
「ごめんなさい、伯母上」
ヨアンナは椅子に座り込んで首を振った。
「……悪かったわ。大声を出して。……先代国王陛下は恐ろしいから嫌いだったのよ。……それに、今日は、気分が良くないの。どうか帰ってちょうだい」
私とスタニスは顔を見合わせた。
そして、わかりました、と私達も一度頭を下げる。
「……公爵にも貴方にも、ヘンリクにも、謝りにいくわ。ごめんなさい。……ごめんね」
子供のように謝罪を繰り返すヨアンナは今にも倒れそうに見える。
スタニスが大丈夫ですかと手を差し伸べると、その手をつかんで立ちあがる。
何事かスタニスに呟いたけれど、それは私には聞こえなかった。
「……失礼いたします、伯母上」
私の挨拶に、ヨアンナは弱々しく微笑んで私達を見送った。
……試すようなことをヨアンナに言って、申し訳ない気持ちを抱きながら、私はオルガの別宅を後にする。
馬車に乗り込んで私は首を傾げた。
「……ヨアンナ伯母上、やっぱり、変だわ」
「……」
「スタニス?」
私の独り言をスタニスが聞いていないのは珍しいな、と思っていると、馬車で隣に座った我が家の万能侍従は、バツが悪そうに私を見た。
「申し訳ありません、ヨアンナ様の態度が気にかかって」
「うん……そうだよね」
私たちはめずらしいことにお喋りもせずに、ヴァザの屋敷へ戻ったのだった。




