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パーティー 3

 ヘンリクが逃げるとしたらあそこだろう、と見当をつけて私は自分の温室へといそいだ。

 いつのことか忘れたけれど、ヘンリクが温室へ逃げていたのを覚えている。スタニスが追いかけて慰めていたのも。


 あれは確か、軍学校へ行けとヨアンナ伯母上がヘンリクに指令を出したときだったかな……。


「ヴァレフスキがどこに行ったかわかるの?」


 ヴィンセントが私の横に並んで尋ねた。


「なんとなく、だけど……」

「ヴァレフスキの事に、やっぱり君は詳しいんだな」

「従兄だもの」

「……そうだね」


 ヴィンセントは何故だか少し苦笑した。


「子供の頃、私にもヘンリクにも友達なんていなかったもの。自分の子供をヴァザの取り巻きにさせたい親から、無理矢理言い含められて連れてこられた子供ばかり」


 いくら親から言い含められても子供達は正直だ。

 私はつまらなかったし、彼女たちもさぞや退屈だったろう。

 あの頃よく一緒にいた子たちとは夜会で会えば親しく話はするけれど、やはりまだどこかに壁がある。

 私が、彼女たちに心理的な距離を取って……、彼女たちもそれに気づいたからだ。

 不誠実な関係を修復するのは、時間がかかる。


「本気で喧嘩ができるのは私もヘンリクもお互いだけで。だいたい取っ組み合いになるんだけど、あまりに度が過ぎるとスタニスとセバスティアンが止めに来てくれるの。……ヘンリクは、セバスティアンやスタニスが止めてくれる事を期待してたんじゃないかな」


 私は視線を落とした。


「伯爵夫妻は、ヘンリクを叱らないから」


 甘やかして、でも向き合おうとはしない。

 ……従兄は、我が家の無礼な侍従が昔から好きだ。

 たぶん、まっすぐに愛情を注いでくれる身近な大人だったから。


『スタニスが父親だったらどんなにいいか』


 ヘンリクはそれを、口にしたくなんかなかったと思う。

 意地っ張りだから。

 温室から話し声がしてきて、私は立ち止まった。声が聞こえる。だけど足を踏み入れる気がしなくて、思わずそこに蹲み込んだ。

 ヴィンセントが、私に並んで座り込む。


「シャツを汚してすまなかったな」


 ヘンリクの声が聞こえてきたので、わたしは耳をすましてしまう。


「シャツくらいはどうでも。――伯爵は酔っておられたんですよ、酔いが覚めたらきっと、馬鹿な事を言ったと後悔なさるでしょう」

「まさか、後悔するとしたら本音を吐露した事だろ。――愚かだ。あれでも、母にまだ未練があるんだ。ついでに言えば、スタニス、母とお前との仲をずーっと疑ってるんだ。馬鹿みたいだろ?」


 スタニスが困りきった声を出した。


「ありえません。一体、どうしてそんな誤解が」

「……そうだな」

「本当に誤解ですよ、坊っちゃま」

「何かないのか?一夜の過ちとか、若気の至りとか。衝動に任せてとか」

「また、お馬鹿な事を!母君に向かってなんて事を言うんですか!……ヨアンナ様と何かそう言う青春の1ページみたいな心ときめく思い出なんか一切ありませんね、ご安心を」


 ヘンリクはくつくつ、と笑った。


「知ってる。興味本位で調べたからな」


 なにをだろう、思っているとヘンリクが続けた。


「伯爵家の先代のメイド長は記録魔だった。……僕は、彼女の執務記録を全部見た。母が僕を身篭った頃の行動記録も全部、な。その頃……お前はカナンにいて、王都になんかいなかったな」


 ずいぶんと熱心に調べていたんだね。

 私とヴィンセントは思わず顔を見合わせた。

 ……ヘンリクの声は暗く、沈む。


「お馬鹿なことを、って詰っていいぞ。――そんな事をするまでもなく、父と僕は生き写しだ。顔も、中身もよく似ている。だけど、たまに思ってた。どこかに僕の本当の父親がいて、それがスタニスなら、母は……僕を見るたびに、目を逸らすことはなかっただろうか、とな。……そんなことは、ありえないけど」


 しばしの沈黙の後に、スタニスが口をひらいた。

 ゆっくりと、優しい声でヘンリクに言葉を落とす。萎れた花に水を沁み渡らせるように。

 優しい声音で。


「ご家族のことはわかりませんが、ヨアンナ様はヘンリク様を大事に思っていらっしゃいますよ。……感情表現が下手な方ですからわかりづらいとは思いますが……」

「そうかな」

「ええ。それに」


 スタニスはちょっと戯けた口調で続けた。


「ヘンリク様が……もしも自分の子供なら、貴方をこんなにも大切には思えないでしょうね。私は身勝手なので、自分の血を引く子供が欲しいとは思えないし、――存在しても、向き合おうとは思えない。私の感情も無責任なものですよ」

「それは、お前が、自分の父親を嫌いだったからか」

「……そうですね」


 スタニス?どういうことだろう?

 どう言う表情をしているのか気になって温室を覗き込むと、スタニスとバッチリ目があった。

 あわわ。覗き見がバレた!

 スタニスは苦笑しつつ、静かに、と言うように口元に人差し指をあてたので、私とヴィンセントはこくこく、と頷く。そのままそろり、としゃがみ込んだ。


「僕も言いすぎたが。……父はああいう人だ。酔いが醒めれば、レミリアやオルガ伯母上の前で自分を罵倒した息子を、きっと許さないだろう。父子ともに騒がせて悪かったな……今日は屋敷に帰る」

「公爵閣下より、客間を用意せよと仰せつかっております。どうぞそちらに。……いつも自分の部屋みたいに使っているでしょう?今更遠慮なんかするな、とレシェク様が仰せです」

「……わかった……」


 ヘンリクとスタニスが温室から出ていくのを見送って、私は息を吐いた。


 ……あんな風に思っていたのか、ヘンリク。


「……大丈夫かな、ヘンリク」

「どうかな。図太いようで彼も繊細だから。ただ、浮上するように気をつけておく」


 ヴィンセントが立ち上がって私に手を差し出す。

 その手をつかんで立ち上がり、私はなんだか急に申し訳なくなってしまった。


「ここまで付き合わせて言うのも変だけど、なんだかごめんなさい」

「盗み聞きがバレたらヘンリクにきっと噛みつかれるね」

「ううっ……」

「一緒に怒られてさしあげますよ、お嬢様。……それに、意地っ張りのくせにヘンリクは寂しがりだから、君には本心を知っておいてほしいと思うよ」

「そうかな?」

「たぶんね。僕も、彼には西国で色々世話になったから、恩は返すよ。彼にも、レミリアにも」


 緑の瞳が柔らかく細められたので、私はなんだか照れてしまった。

 ありがとう、と微笑み返す。


「でも、ヨアンナ伯母上と……スタニスなんて、どうしてそんな事を思ったんだろう」

「当時、悪い縁組じゃなかったんじゃないかな。先生はそう言われるのがお嫌いだけど半竜族は貴種だし、先代の公爵閣下の猶子なら……こういってはなんだけど、公爵家の四女の相手としては悪くなかったのかも」


 そういえば、母上が昔「スタニスがヨアンナと夜会でダンスを踊った」と言っていたことがあったな

 本当のところはどうだったんだろう。

 聞いてみたいけれど、スタニスに直接聞くのはなあ。父上は気付いてなさそうだし、オルガ伯母上なら知ってるかな。気になる……。


 ヴィンセントに泊まっていけばいいのにと勧めたけれど

 そこまで図々しくはなれません、とヴィンセントは徒歩で帰っていった。

 月夜だし散歩は思索にちょうどいいよ、とのことだ。





 客間に泊まることにしたらしいオルガを訪ねて、今夜の礼を言うと、ファン国の羽織をガウンがわりにした貴婦人は紅茶を片手に「困ったものよね」と溜息をついた。


 実は、ヨアンナ伯母上とジュダル伯爵の夫婦仲は、現在最悪だ。

 昔は冷え切ったながらも同じ屋敷にいてお互いに夫婦の役割は保っていたと思うけれど、

 この半年ほどはヨアンナが屋敷を出てしまって……うちに来たり、オルガの屋敷に行ったり、ヴァザの重鎮であり、神官でもあるマラヤ・ベイジアに付き添って彼女の侍女みたいな事をしていたんだけど……。


「国教会に、借りを作るのはよくないでしょう?」


 というオルガの鶴の一声でヨアンナは彼女に回収されてしまった。

 彼女の別荘をヨアンナ名義に変えてしまってそこに住んでもらってるみたい。


「無料じゃないわよ?私の劇団の財務を見てもらってるの。ヨアンナは有能な会計よ。こき使わなきゃ損だわ」


 と、オルガは言うけれど、ヨアンナ伯母上にはそれがどれだけ嬉しいことか、私にはわかる気がする。

 父上はそういう……ヨアンナの自立には、という考えには至っていなかったみたいで、オルガ伯母上に粛々と怒られていたし、たぶん、今日の夜会にオルガの一座を招いたのもその返礼だ。


「……せっかくの一座のお披露目を心から楽しめませんでした。オルガ伯母上、ごめんなさい」

「まあ、あんな予想外の来客があった後ではね」

「…………うう、せっかく歌姫二人の歌をあんなに近くで聞けたのに。ううう……上の空で」


 思いだして泣きそう。ジュダル伯爵、絶対許さない……うう。劇場で聴くこともあるけど!!貴賓席は遠いんだよ!!推しの顔が見えないんだよ!!

 これは一般客に混じって最前列を取るために並ぼうかな。ううっ……。


「その台詞をあの子たちが聞いたら飛び上がって喜ぶわ。また稽古場にお招きするから、くれぐれもお忍びはやめてね」


 私の行動を見透かして、オルガは楽しそうに笑った。

 疎遠だったオルガ伯母上とここ近年、我が家は割と友好的である。彼女は自分の一座を公爵家のお墨付き、で売り出したい思惑があるし。父上も私もオルガ伯母上の教えてくれる貴族社会の交友関係や、王都に暮らす庶民の王家や私たちへの評判、はありがたく教えてもらっている。

 私だけじゃ全然わかっていないところ、あるもんね。私は情報通のオルガ伯母上に聞いてみた。


「……オルガ伯母上、そのぉ……少し聞きたいんですけども。スタニスがヨアンナ伯母上と、恋仲だったって……」


 オルガは面白そうに指を口元に持っていった。


「スタニスがヨアンナとねえ……、気になる?ふふ、それなら私より詳しい人がいるだろうし、見舞いがてら聞きにいきましょう。貴方のかっこいい男友達も連れて!」

「かっこいい、男友達……?ヴィンセントですか?」


 オルガは上機嫌に頷いた。


「そう。背の高い彼。育て親に似なくてよかったわね、あの唐変木なユンカーとは少しも似てないわ」

「そうですか?ユンカー卿も真顔で冗談をいう、面白い方でしたよ」

「ふふ、相変わらずみたいね。……それに、キルヒナー家の次男も素敵。二人を連れてきてちょうだい?みんなでジグムントの屋敷にいきましょう。ジグムントもカナンから王都に戻ってきているはずよ?」

「帰ってきたとは聞いていましたけど。お邪魔しても大丈夫でしょうか?」

「構わないわよ。ジグムントは今頃、どういう口実で孫を屋敷に招くか悩みすぎて、禿げそうになってるはずよ?あの石頭。本当に要領が悪いのよねえ」


 別に公にはしていないが、父上はヴァザの四姉妹にはヴィンセントの事を個別に説明したみたいだ。王都にはいないアニタ伯母上にもちゃんと訪問して説明していたので、私は少し驚いた。

 アニタ伯母上は私が生まれる前から、大怪我のせいで少し身体が不自由で、だいたい、旦那様の領地にいる。伯母上にも従兄妹たちにも何度かしか会ったことがないんだよね。


「ジグムントが喜ぶなら、訪問します」


 オルガはそれがいいわ、と優しい表情をした。石頭で頑固で偏屈な人……ではあるんだけど、ヴァザの女性陣はシルヴィア姉妹も含めてジグムントには好意的だ。

 だから、ヴィンセントが彼なりにジグムントと関係を保とうとしている事を喜んでいるみたいだ。長姉のカタジーナ以外は。


 ―――というわけで、妙な面子でジグムントの屋敷に行くことになった。



 ◆◆◆◆◆◆

「卒業おめでとう」


 ジグムントの客間に私たちが到着すると、老伯爵はいつものしかめっ面で出迎えてくれた。私とオルガを丁寧に迎え、それからイザークとヴィンセントに学校を卒業した祝いを述べた。


「君は首席だったとか?素晴らしい事だ」

「ありがとうございます。伯爵。優秀な同期が多い中、幸運が味方しました」

「ヴィンセント、君も優秀な成績だったと聞いている、おめでとう」


 ヴィンセントは少しだけ肩を竦めた。


「優秀な同期が多くて……、というのはキルヒナーの謙遜です。他の友人たちと結託してなんとか首位から引きずり下ろしたかったんですが、完敗でした」

「……負けを認める事ができるのは素晴らしい事だ。身近に追うべき背中があるのも、な。……大したものではないが、君たち二人に卒業祝いを贈りたい、ここにある物からなんでも選ぶといい」


 ジグムントが合図をすると、部下の人たちが色々な宝物!を持ってきた。

 先頭にいたのは西国でもあった侍従さんで、私はつい手を振りそうになってしまった。よかった、こっちにも来てくれてたんだ。

 ヴィンセントが目を丸くし、それは、と固辞しようとした横で、イザークがにっこりと微笑んだ。


「ありがとうございます!伯爵!」

「……ええっ」


 戸惑うヴィンセントを尻目に、伯爵が選んできたいかにも値が張りそうで、かつ多岐に渡る品々を眺めはじめた。

 短剣を頂いても?とイザークが聞くと、ジグムントは構わないよと答えて、なんとなく、そわそわしている。

 その後ろで侍従さんが少しばかり期待を込めてヴィンセントを見たので、ヴィンセントはうううん、悩みはじめた。


 オルガ伯母上がイザークも一緒に、と言った意味がわかった。

 ヴィンセントだけ連れてきても、贈り物は固辞しそうだもんなあ。イザークは自分の役割がわかっているから、率先して贈り物を受け取った。イザークだけ贈り物貰ったら、ジグムントの面子もイザークの面子も潰すことになる……ヴィンセントは仕方ないなあと諦めたみたいだった。

 さんざん悩んだ挙句に、精緻な細工が施された本を選んだ。年代物の、聖書だ。


「――いただいても、いいですか?」

「構わない、うん、卒業おめでとう……それは……私の、その……娘がよく読んでいた本だから、君が持っているなら、喜ぶ、だろう」

「母さんの。――ありがとうございます、伯爵。これからも勉学に励みます。王国の役にたつように」


 お祖父さま、とはまだ呼びづらい、と言っていたけど、ヴィンセントが喜ぶ様子に、ジグムントはほっと安心したように肩の力を抜いた。

 侍従さんが、ヴィンセントさまたちにはぜひ、伯爵の自慢の馬を見てほしい、と言って二人を連れていき、オルガと私、それからジグムントが部屋に残された。


「……ふふふ、ずいぶんとぎこちないこと」


 オルガが肩を揺らすと、ジグムントは苦りきった顔をした。


「お恥ずかしいかぎりで……。どう接して良いのか、全く見当もつきませんで」

「ヴィンセントはいい子だもの。貴方が多少偏屈でも、気を回して優しくしてくれるわ、きっと。よかったわね、本当に。貴方の娘夫婦のことは残念に思っていたけれど……こうして、縁が戻ってきた」

「望外のことです」

「素直に喜んでいいわ、私も嬉しいし、アニタも、たぶん、ヨアンナもね」


 オルガは若い頃、男の子を死産して、それから子供が望めなくなったのだ、ときいたことがある。だから、若者たちに投資をするの、とも言っていた。

 ジグムントもそれを知っているからか、ありがとうございます、と言ってそれから私に水を向けた。


「――そして、レミリア様。私に聞きたい事があるとは?」


 私はええっと、と遠くを見た。スタニスの恋愛話を聞きにきた……というのはちょっと言いづらいのだけれど、実は、と昨日のジュダル伯爵の醜態を掻い摘んで話し……、スタニスとの仲をジュダル伯爵が疑っていたのだ、と説明すると、意外にも、ジグムントはああ、と頷いた。


「ジュダル伯爵はまだ忘れていなかったのでしょうね、確かに、スタニスがヨアンナさまと婚約する……という話はありましたよ」

「えええええっ!!あったの!!」


 私ははしたなく声をあげてしまった。

 ジグムントはあっさり肯定し、さらに爆弾を落とした。


「というより、先代公爵閣下の遺言でしたし、ヨアンナ様はそれをお望みでしたでしょうね」


 そ、そうだったの!?


4月は5日、15日、25日、30日に更新します

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― 新着の感想 ―
[一言] 女王陛下の愛した魔女でも思いましたが、四姉妹、カタジーナ以外は案外まともなんですよね……。カタジーナは何でああなんだろう。ヨアンナはまだいまいちどんな性格なのか分かりませんが、次で少しわかる…
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