パーティー 2
お詫び
前回の話の季節が間違っておりました。
現在は春!です…なので、レミリアの誕生日ではなく、ただの夜会として、
前回の話を少し改訂してます。(本当にすいません(・_・;
「ヘンリク様が、お兄様?」
「では、ジュダル伯爵の……なぜ、ここに」
人垣がざわめき、私も目を丸くして固まっていた。
ヘンリクは見たこともないような冷たい目をして可憐な令嬢を見下ろしている。
いや、違う。
私は、あの表情を見た事がある。
どこでだろう。
そうか、と私は思い出した。あれは、悪夢で見る、私と結婚するはずだったヘンリクの顔だ。
『僕が君を愛してるだって?愚かな。同じ一族じゃなければお前なんか視界にいれたくもない』
私を夢の中で嫌悪して罵った。レミリアの婚約者だったヘンリク・ヴァレフスキの顔。
いま、嫌悪に満ちた視線でヘンリクが見ているのは私ではなくて、初めて見るご令嬢だったのだけれど。
「招待状もないのに、なぜきた」
「それは、お父様が!」
低い声でヘンリクが問うと、令嬢は目に涙を溜めて抗議をした。こんな状況でなければ彼女を愛らしいと私でさえ感じただろう。彼女は助けを求めるように周囲を見渡すが、救いの手はない。
彼女が誰なのか、私は分かったし、客人たちも気づいただろう。
ヘンリクの両親は不仲で、ヨアンナは今は屋敷を離れて姉のオルガの別宅にいる。
夫であるジュダル伯爵はヨアンナと結婚してすぐに外に恋人をつくって、もっぱら彼女と二人の娘と過ごしている。―――ヘンリクは、屋敷にはあまり帰っていないと思う。
好奇の視線が容赦なくヘンリクたちに注がれる中、背の高いどこか退廃的な雰囲気の男性が人垣の中から現れた。
「テレサ」
「お父様!」
ヘンリクの父親であるジュダル伯爵が慌てたように娘に駆け寄る。
娘を抱き起こすと、それから取り繕った笑みを自分よりも背の高い息子に向けた。
「へ、ヘンリク、今夜は……」
ジュダル伯爵が何かを言おうとして、ヘンリクの表情がさらに凍る。
……私は、ぎゅ、とスカートを握りしめて、大きく深呼吸をした。お腹から声を出す。
「まあ、こんなところにいたの!ヘンリク!」
すこぉし声が裏返った気がするけど、棒読みだったような気もするけど、いいや、ご愛敬だ!
レミリア、貴女は女優よ!!千の仮面……は持っていない、な。
でも、今は、精いっぱい、能天気な浮かれた仮面を被ろう。
「レミリア」
「ヘンリクに見せたいものがあって探してたんだから。さあ、早く来て」
私は予想外に声をかけられて戸惑うヘンリクの腕をお構いなしにとって腕を組んだ。
虚をつかれたジュダル伯爵にご機嫌よう、と微笑みかけて、視線を泳がせる。
ええーと、スタニスいないかな。
どっかに……きょろきょろと辺りを見回していると少し離れたところにいたスタニスと目が合う。
私が何をしたいか心得たスタニスが口の動きだけで「いつでも大丈夫です」と言って、小さく指で丸を作ってくれた。
さすがスタニス!もう!!大好き!!と心の中でガッツポーズをしながら、私は野次馬に向かって微笑んで、大げさに礼をして見せた。
「皆様、今日は私主催の夜会に来ていただいてありがとうございます。本日は皆様にぜひ、観ていただきたいものがありますの」
私が合図をするのを待っていたかのように、広間の前方から音楽が鳴り出す。
面白い見せ物にお客人たちは敏感だ。
そして、私がヘンリクから視線を逸らさせたい意思も汲んでくれたのだろう、と思う。
私は無邪気な声で続けた。
声が震えませんように、とお腹に力を込めてヘンリクの腕をぎゅ、と握る。
「私の敬愛する伯母、オルガ・バートリが後援する一座の新作劇の触りを皆様にいち早くご披露させて」
私の芝居好きは西国に行く前に少し有名になった。
私は観る専門だけれど、オルガ伯母上に至っては私財を投じて劇団を支援しているのは有名な話。
余興として披露するためにスタンバイしてくれていた歌姫二人が仮面を外して花の顔を露わにし、人々の前に進み出ると、若い少女たちからきゃあ、と歓声があがった。
よかった、食いついてくれた。
「演目については」
私は、にこ、と微笑んで本日のメインゲストに呼びかけた。
「伯母上が紹介していただけるのでしょう?」
私が尋ねると、歌姫の近くにいた美しい女性が微笑んで進み出た。
今度はちょっと男性陣がざわめく。
オルガ・バートリ。社交界の花であるシュタインブルク侯爵夫人は、年齢不詳の艶な美貌にくっきりと笑みをはいて、扇をゆっくりと動かした。
「私の一座の紹介の時間をくださってありがとう、レミリア」
私はほっと息をついた。
オルガの話術は巧みだ。これで、きっとみんなの意識は逸れる。
執事長のセバスティアンが素早く動いてジュダル伯爵とその娘に声をかけて、そっと退出を促す。どこに連れて行ったかはわからないけれど、セバスティアンとスタニスが行くなら、上手くやるだろう、と思う。
観劇のために用意された席に私は従兄を誘った。
「……オルガ伯母上が新作を少しだけ見せてくれるんですって。私、すごく楽しみにしていたの。ヘンリク、一緒にみよう?」
水色よりも、青が勝った瞳で、ヘンリクは私を見下ろした。
随分と身長に差ができてしまったから、視線が遠い。
ヘンリクは、ひどく疲れた顔で首を振った。
「今夜は、帰る。……せっかくの夜会に水を差してすまなかった。公爵への謝罪は、明日必ず」
手を振り払われて、追いかけようかと思ったけれど、人の目がある。そうは行かない。
背中が遠ざかるの呆然と見つめた私に、声がかけられた。
「レミリア」
「ヴィンセント」
「君が広間を出て行くのでは、侯爵夫人も上演しがいがないだろ?一座の一番のファンなのに。ヴァレフスキは僕が追う」
イザークが俺も、と言いかけたけれど、ヴィンセントはちょっと笑ってイザークを制した。
「今夜は、ザックはいないほうがいいと思う。後で報告するから」
「…………わかった」
イザークは溜息をついて、退いた。
確かに、父親との関係で荒れているヘンリクのところに、イザークが行くのは逆効果かもしれないね。
イザークの父親であるキルヒナー男爵は、爵位は低いとは言え北部を代表する商会の主人で、さらに言うなら掛け値無しに好人物だ。
出会った誰もが彼を好きになるような……。ジュダル伯爵とはあまりに対照的な……。
私はヴィンセントをそっとうかがった。
「お願いしてもいい?」
「もちろん。後でちゃんとレミリア様にもご挨拶に伺いますから」
うん、と言って私は用意された席についた。
先ほどまでは広間にいたヨアンナ伯母上も姿を消している。
ずん、とお腹が痛くなった気がしたけれど、全く何も見ていない、といった風情の父上が現れたので、ちょっとだけ気が楽になった。
怒ってはいるだろうけど、それを表に出す人ではない。
―――劇は素晴らしくて、私は初めから終わりまでずっと楽しんでみせたけれど、ふわふわと落ち着かない気持ちで観てしまって。
演者たちに大変申し訳無い気持ちになった。
◆◆◆◆◆
「水責めと細切れに裂かれるのと、火あぶりと。どれがお好みかしら?」
―――微笑みからこぼれ落ちたあまりに直接的な言葉に、ジュダル伯爵はうっ、と蒼ざめた。
夜会は滞りなく終わり、すべてのお客様が(ヘンリクと一緒にいるヴィンセントを除いて)帰った後に、客間にいるジュダル伯爵の元へと、私は足を運んでいた。
難しい顔でそばに控えるセバスティアンからワインを受け取った伯爵は、気まずそうに視線を逸らした。
「侯爵夫人、申し訳なく思っていますよ。あなたのご自慢の一座のお披露目の場を騒がせてしまって。しかし、私は場を騒がすつもりなどなかったのです……寛大な心でどうぞお許しー」
「おだまり」
つらつらと続きそうな言い訳をピシャリ、と遮ってオルガ伯母上は閉じた扇を伯爵の首に寄せた。斬り落とすぞ、と言わんばかりに。
「騒ぎを起こそうと、起こすまいと関係がない。あなたが詫びるべきは、嘘をついて、招かれざるものをヴァザの屋敷に呼んだことでしょう」
ジュダル伯爵は私をチラリと見て、大きなため息をついた。
いや、溜息をつきたいのはどう考えても私だ。
今日の夜会に参加するには、招待状がいる。ジュダル伯爵は、従兄弟の娘を、是非夜会に呼びたいと言っていた。地方にいるその娘が王都に来るので見学させてあげたいのだと。
―――ヨアンナ伯母上と不仲な伯爵の申し出に、ちょっと迷ったけれど、事実、そういった関係の娘さんがいるのは確かみたいだったから、私はどうぞと許可をしたのに……。
この世界じゃ顔認証なんてものはないから、連れてくる人間の誠意を信用するしかないのだ。
伯爵が連れてきたのは……、私が招いたご令嬢ではなく、ジュダル伯爵の内縁の妻との娘であるテレサ嬢だったわけだ。
きっと、この醜聞は社交界に広がる。
招いた私の恥になる、とも言われるだろうけど……なにより、と私はヘンリクの表情を思い出した。
あんな傷ついたヘンリクの顔を見たのは……久々だった。
「レミリア様」
「なんでしょう、伯爵」
猫撫で声の伯爵とは対照的に、声が尖るのは許してほしい。
「テレサは本当にいい子なのです。今日は……失礼をしましたが。あの子が王都の社交界に憧れていたのは本当なのです。親としては一度、貴族の夜会を見せてやりたかったのです。煌びやかな……」
「それで?彼女の学びの場として、私の主催の会を選んでくださったと?」
「そうなのです!あの子は賢いし気立てもいいし、レミリア様の話し相手としても……」
オルガ伯母上の美しいこめかみに青筋が走る。
それでかえって冷静になった。
「不要です。貴方の娘に私は興味がない」
私の静かな声にジュダル伯爵がぽかんと口を開けた。
オルガ伯母上は面白そうに扇で口元を隠す。
「友人は己で選びます。話し相手も自分で探すわ、それに困っていないもの。侍女にだって推薦は不要です。――私の侍女は母が亡くなる前から、ずっと私のそばにいて支えてくれていた、誠実な人達ばかりです。嘘をついて夜会に潜り込むような、礼儀知らずではない」
「そ、――わ、わた」
「『それは私が誘ったから、娘は仕方なく』ですか?でしたら伯爵。しばらく伯爵もヴァザの屋敷へはおいでにならないでください。謝っていただく必要もありません。怒ってはいないから」
私は立ち上がった。
「伯爵がここに御自分のお嬢様を連れてきたことに呆れてはいます。潰された私の面子なんてどうでもいいけれど、ヘンリクにあんな表情をさせた事は……、出来れば悔いてください」
私が言うと、ジュダル伯爵は忌々しげに首を振った。
「……御高説を、胸に留めます。公女殿下」
私は心底ムカッとしたけれど、耐えた。
我がヴァザ旧王家は、今ではカルディナ国唯一の公爵家。しかし、弟の代では侯爵家になることが決まっている。だから、公女なんて呼ぶのは侮辱に他ならない。
私はきぃいい、と奇声をあげたいのをグッと堪えて微笑んだ。
喧嘩を売ったのは私だという自覚はあるので、嫌味くらいは言わせてあげよう。
「お酒がすぎたようですね、伯爵。今日はどうぞお屋敷にお戻りください」
私が言うと、扉近くに控えていたスタニスがさっと伯爵のそばへ動いた。
「馬車を準備してございます、伯爵、どうぞこちらへ」
彼の前にひざまずいたスタニスに、ジュダル伯爵は眉をしかめた。
「これはこれは、義弟殿!今日は侍従ごっこかな?昨日は軍人、今日は使用人。たまに人外の特権もかざして、相変わらず貴方は自由に振舞う。そして公爵閣下は貴方が何をしようと笑ってお許しになる。羨ましいご身分だな」
憎々しげな伯爵の言葉をスタニスは涼しい顔で「ありがとうございます」と受け流した。
私は怒ると言うより、驚いた。
ジュダル伯爵の視線が今まで見たことがないほど険しい。まるで親の仇でも見るような視線だ。
「伯爵もう黙って。そして早く貴方の屋敷に戻りなさい」
オルガの冷たい言葉にかえって煽られたらしいジュダル伯爵はなおも続けた。
「昔からオルガ様まで貴方を寵愛していらっしゃる。公女殿下もそうだ!そのうえ、わが息子まで誑かして……」
私はようやく、ジュダル伯爵の粘着質な視線の意味が飲み込めた。
ヘンリクは昔からスタニスを慕っていたし、それは今も変わらない。
スタニスだってヘンリクを特別に可愛がっている。
だけど甘やかしていたわけじゃない。いつだってスタニスはヘンリクに公平だった。
いい子な時には褒めて、悪いことをすれば叱り……、当たり前に接してきただけ。だから、二人の間には確かな絆がある。
それが、実の父親には気に入らないのだ。
父親の仕事を全部放棄してきたくせに。嫉妬だけは、するのだ。
スタニスは彼にしては珍しく曖昧に微笑んだ。
「私がご不快なら、別の者を連れて参ります。しばらくお待ちを」
「ハッ!私とは口論する時間さえ惜しいらしいな!竜騎士どのは!」
「伯爵」
ジュダル伯爵はワイングラスに自分で赤い液体を注ぐ。諌めるような低い声を出したスタニスに向かって微笑んだ。
「私は飲み過ぎかな、サウレ?」
「今夜はもう、おやめになった方が賢明でしょう」
「じゃあ、君が飲むといい」
パシャン、と。
赤いワインがスタニスに真正面からかけられた。
「なんて事を!」
私が目を吊り上げると、スタニスが、大丈夫です、と視線だけで私を押し留めた。
スタニスの手招きに応じて、侍従のトマシュが動く。
扉の前に同じく待っていたトマシュが「さ!こちらへ!」とジュダル伯爵を羽交い締めにする。トマシュ青年が馬車まで連行しようと伯爵を動かすと、彼は大声で喚いた。
「この……!はなせっ!薄汚い孤児の分際で!ヴァザの血を啜る寄生虫め!お前のようなものがこの場にいること自体が汚らわしい!!――どうせ、ヨアンナを誘惑したのもお前だろう!!この間男がっ」
「誤解です。なぜ、ヨアンナ様の名前が出てくるのですか」
「私が知らないと思っていたのか!お前はずっと私の妻に色目を使っていただろう」
「ありえませんね」
間男?
スタニスの顔にはうんざり、と書いてあったけれど、私はそろそろ血管が切れそうだった。
か弱い私が手で殴るなんて無理だから、そこら辺に手近な椅子とかなかったかな、と視線を彷徨わせた。
その間もジュダル伯爵はなおも叫ぶ。
トマシュがおろおろしながらも彼を抑えていた。
「伯爵、どうかお静かに、落ち着いてくださいませ」
「ヘンリクだって、私の子供かどうーーー」
ガンッと凄まじい音がして、私と伯母上、それからトマシュは思わず身を竦めた。
低く地の底を這うような声で「あ゛?」とスタニスの唸り声がしたのは、聞き間違えじゃない……と思う。
ジュダル伯爵は言葉を失い、流石に大失言だったと気づいたのか、口をパクパクとさせている。
たった一瞬で、周囲を氷点下にさえ変えそうな空気を纏ったスタニスは、拳だけで真っ二つに折られたサイドテーブルから、手をあげた。
パラパラと木片が落ちていく。
「……酒に飲まれたとしても、言うべきでない言葉があるだろう」
蒼白になったジュダル伯爵を立たせてスタニスが丁寧に送り出そうとしたその時、扉の方から、くつくつと、笑い声が聞こえてきた。
私たちは別の気まずさで固まる……。
「騒がしいと思ったら、父上。ずいぶんと面白い説を唱えていらっしゃる」
嫌な予感に私が振り向くと、案の定そこにはヘンリクがいた。
ヘンリクの背後には、ヴィンセントがいる。
「ヘンリク」
酔いが醒めたらしく、ジュダル伯爵はひどく白い顔で、恐る恐る息子の名前を呼んだ。ヘンリクはにこやかに笑いながら父親に近づくと、顔を寄せた。
「……僕が貴方の息子じゃない、ですって?」
それはありえないだろう、と私は思ったし、この場にいる皆がそう感じたはずだ。
この父子は髪と目の色以外はとてもよく似ている。
初対面の人にさえ、血縁関係がわかるだろう。
もちろん、スタニスとヘンリクは少しも似たところがない。
「残念ながら、僕は貴方の鏡みたいにそっくりですよ。顔も、中身も!」
笑いの発作がおさまらない、といいたげにヘンリクは身をよじって、伯爵の言葉を繰り返した。
「ねえ、父上。続けてください。ずっと言いたくて我慢していたんでしょう?酒の力を借りなければスタニスに聞けなかったんだ『ヘンリクは私の子供かどうかわからない!スタニス・サウレ!お前の子供なんじゃないだろうな!?』」
「へ、ヘンリク、それは私の戯言だ。そんなこと少しも」
私の従兄は笑いをおさめて、一歩、後ろに下がった。
自分の父親をつま先から頭までゆっくり眺めて、言った。
「残念でしたね、父上。スタニスは僕の母には少しも興味がないんですよ。貴方と違って!『スタニス・サウレ!お前の子供なんじゃないだろうな?』……そんなこと、僕が一番思っている。そうだったら、どんなにいいか、どれだけよかったか!」
吐き捨てたヘンリクの頬に涙が伝う。
ヘンリクは失礼、と吐き捨てて再び踵を返した。
スタニスはトマシュにあとは任せた、と言うとヘンリクの後を追う。
私は逡巡したけれど、オルガ伯母上に「行きなさい」とうながされて、スタニスとヘンリクの後をヴィンセントと一緒に追うことにした。




