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旅路 5

テーセウスの薬は覿面てきめんに効いた。


船幽霊のようだったヴィンセントは、次の日の午後には、甲板に出て少しふらつきながらも、話が出来るようにさえ回復していた。

結局、ヴィンセントとハナの体調をテーセウスが案じ、竜族二人はしばらく私たちの船に滞在することにしたらしい。


「ありがとう、ございました」


蒼い顔で礼を口にするヴィンセントに、テーセウスは、あまり服用しすぎないようにと言い含めた。強い薬だから、常用は勧めないとか。


「もう、平気?」


シンが心配そうにヴィンセントに尋ねる。元はといえばシンの我が儘で連れて来られたんだもんね。


「だいぶ。……大きい船だから船酔いは大丈夫と思ったのがまずかったな。でも……ふわふわ、する」


確かに、いつもは怜悧な、といった印象のヴィンセントの表情がどこかぼんやりとしている。

薬の副作用だよ、とテーセウスは軽く笑い、包みをヴィンセントに渡した。


「いくつか、渡しておこう。眠くなるから、使用する時は気をつけるように、な」

「申し訳ありません」


二人の様子を見ながら、シンがすまなそうに、呟いた。


「ごめん、ヴィンス。俺、無理矢理連れてきて。今度船旅のために家出するときは、フランを連れ出すから」


やめれ。

それは人選をさらに誤ってるよ、シン様!


私と同じ事を思ったらしいヴィンセントが頭を抱えた。


「あまり、周りを困らせるな」

「はあい」


テーセウスがシンの頭を小突く。


「でも、今回は家出してきて良かったな。テーセウスに会えたし」

「……家出は、ほどほどに」

「でも、テーセウスだって、俺に会えて嬉しかったよね?」


シンは期待をこめて、テーセウスは困ったように、半竜族二人は顔を見合わせ、ほんわかと笑った――と比べて




「って!」

「脇が甘い、そら!」

短い声と共に、イザークの足が払われ、無様に転ぶ。

こちらの竜族様は、ほんわかという雰囲気は、全くない。


船尾では、イザークがイェンに稽古をつけて貰っていた。


武術馬鹿だもんね、イザーク。武術のことなどさっぱり分からない私だけど、イェンが強いのはなんとなく分かる。

イザークの動きだって、とても速いのだ。


(おお、態勢崩して、手首を支点にして、回し蹴り!惜し…くはないなあ。あっさり避けられた)


けれど、イェンはイザークの攻撃を、無駄一つ無い動きで止め、赤子の手を捻るように容易く流してしまう。

さっきからのイザークの攻撃、一度もかすってないんじゃないのかな。


「お嬢様」

「なに?スタニス」


そこだ、いけ!と心の中でイザークを応援していると、渋面のスタニスが私をたしなめる。


「淑女が殿方同士の争いを、熱心に眺めるのはいかがなものかと」

「だって、面白いもの。いいな、イザークは運動神経よくて」

「ご令嬢には必要ありませんでしょうに」


どうだろう。

令嬢のやる運動……ダンスだって運動神経が必要じゃない?

私はダンスの腕は人並み。もうちょっと軽やかに踊れたらいいんだけど。ダンスの稽古で複雑なステップを踏み損ねて転んで、母上からがっかりされたな、この前。


母上は、ダンスの名手だ。普段から姿勢がいいから、動き動きがぴたりとハマる。

両親が人前で一緒に踊ることは滅多にないけれど、背の高い二人が踊れば、目立つし華やかだし、自然に場の視線は集まる。

あまり仲の良い両親ではないんだけど、踊る二人は綺麗で、それだけはちょっと自慢に思っているんだ。


口うるさい侍従の横顔を見ながら、私は、あ、と思い出した。


「そういえば、スタニスって昔、軍にいたんでしょう。強いの?」

「なんですか、いきなり」

「イザークが言っていたの。スタニスは有名だ、って」


私の言葉を、すこぶる嫌そうな顔でヴァザ家の侍従は肯定する。


「確かに、先代様のご遺言で、軍に籍は置いておりましたね。ついでに器用貧乏が(あだ)になりまして、うっかり色々目立ちましたが。あまり私には向かない職場でしたね」

「そうなの?」

「平和主義ですから、争いごとはちょっと」

えー、本当?疑わしいなあ。

人をはめたりするの、結構喜々としてやるじゃん、スタニス。


視界の端で、休憩中のイザークとイェンが談笑している。

竜族が、こちらを見た。


「お嬢さん」

「――!はい!?」


呼ばれてびくつくと、イェンは私に向かって、おいでおいでをした。

なんだか、このちょっぴり怖い人に、私はとても小さい子にするように扱われるんだけど。


(私のこと幾つと思っているんだろ、この人)


背が低いから、実年齢より下に見られているかもしれない。

スタニスが止めたそうな顔をしているのが分かったけど、好奇心に負けて、私はイェンに近づいた。


「はい、なんでしょう」

小走りで近寄って背の高い人を見上げる。

「お嬢さんの侍従を、イザークの相手に借りて良いか?」

「はい?」


声をあげたのは、私ではなくスタニスだった。

スタニスが私に目で何かを、訴えかけている。私はスタニスとイェンを交互に見た。

スタニスの薄茶の瞳と、イェンの黄金の瞳に見つめられ、………私はあっさりとスタニスを売った。


「はいっ!どうぞイェン様」

「……お嬢様……」


いいじゃない、スタニス貸しても減らないし。

イェンはスタニスに「軍にいたんなら、おまえが坊やの相手をしてやれ。俺は飽きた」とスタニスに指示する。私達の会話、聞こえていたのか、耳いいなあ。


イザークは相手が出来たと喜び、対照的にスタニスは苦い顔だ。

しかし、竜族を恐れたのか、男爵家の次男坊の誘いを断るのも悪いと思ったのか、反論はしなかった。


「お嬢様、は俺が見ておいてやるよ。さあ、行こう」


手を伸ばされ、茶目っ気たっぷりにウインクされる。

うう、少し怖いけど、カッコいい。

不良な大人の魅力に釣られ、私はふらふらと手を伸ばした。

イェンは「あちらで、お話ししよう、姫君」と笑い、私に芝居がかった様子でひざまずくと、騎士の礼をとった。

こういう動作も厭味なほど、様になる人だ。




テーセウスにお茶をいれさせたイェンは実に機嫌よく私と「お話」をしてくれた。

西国のこと、彼の連れている白いドラゴン(あの白いドラゴンが、砂竜らしい!)のこと、よく出入りするという北の森の魔女達の暮らし、それから東の国のことも。私が意を決して聞いた、何歳なのか、については秘密、と教えてくれなかったけど。


「爺さんだってばれて、お嬢さんに嫌われたくないからな」


嫌ったりしないよう。こんなにかっこいいのに。


イェンは近寄りづらく、子供なんか嫌いそうな人に見えるけど、機嫌がよいのか、随分と愛想良く私に付き合ってくれた。

王都は何が流行っているか、とか。ベアトリス陛下の舞踏会はどうだ、とか、父上の薔薇の品種とか。そういう事も私から聞きだし、テーセウスは私の側で、それを苦笑する風だった。


「お嬢さんはドラゴンが好きか」

「はい、だって可愛いもの」

「近くに竜族の血を引く奴がいるから、興味があるのかな?」


イェンに探るような視線を向けられる。

私はチラリと、少し離れたところでヴィンセントと川面に光る魚を探しているシンを見た。


「シン様とは親しいわけではないんですけど、でも凄いなぁ、って」


私が、鳥を操ったシンの話をすると、イェンは苦笑した。


「俺にもあいつみたいな力はない。坊やのあれは反則だ」

「そうなんですか?」

そういえば、フランチェスカも同様のことを言っていた。

「動物が何を感じてるか位はわかるが、操るのは。……そもそも、俺が純血じゃないからかもしれんが」


ええ!?私は驚いて、イェンを見た。


「そんなに綺麗な目をしていらっしゃるのに?」


まごうことなき黄金は、竜族の証なのかと思っていた。私がびっくりしていると、イェンは、目を細めた。


「褒めてくれて、ありがとよ」


よしよしと頭を撫でられるのがくすぐったくて、私はちょっと身をよじる。


「俺の爺さんは人間なんだ」

へえ、クォーターなんだ。

「純血だったら、こんなに堂々と外で遊べないだろ。一族の者じゃないからな、長は、俺が何をしても文句は言えない」


私は、『竜族たるもの人間と交わるべからず』という(ような格言があるかは知らないけど)掟を思い出した。

むむむ、やっぱり厳しいの?竜族の掟って。


「竜族だからといって力が強いわけでもないし、半竜族のほうが、異能をもつ場合もある。……俺の知っている竜族混じりは、半竜族ですらなかったが人間とは思えないほど剣の腕がたった」

俺ほどじゃないが、と笑う。

「その人も片目が金色なんですか?」

「いいや?見た目は単なる目つきが悪い貧相なガキだった」

私達が話し込んでいると、シンがこちらに駆け寄ってきた。私とイェンをみて、私を手招く。


「レミリア、こっち来いよ。珍しい魚が跳ねてる」

「え?でも」

「……いいよ、いっておいで。また後でな、お嬢さん」


イェンがまた頭を撫でてくれたので、私は心地好い感触を楽しんでから、シンに従った。


「珍しい魚って、どこですか?」

「ほら、あそこ…って見えなくなっちゃったかな」

「そうなんですか、残念」

「魚……?そんなの居たか?」

不思議そうに川面を見つめて、ヴィンセントが呟く。

シンは笑って、俺、目がいいんだと言った。

私を船縁に誘ったのに、シンは何を思ったのか、テーセウスの側へと戻ってしまう。

ヴィンセントと残されて、私はちょっと戸惑った。


「あの、ユンカー様。もう、体調は大丈夫なんですか?」

「ああ、多分」

大丈夫とは言ってるけど、ヴィンセントの目は眠る前の子供のように、とろん、としてる。

「ヴィンセント様は、お二人をご存知なんですか?」


私が話し込んでいる竜族三人を見ると、ヴィンセントは否定する。

ヴィンセントの養父、ユンカー卿も北部出身のはずだけど、面識はないみたい。


「北部にはあまり行ったことがない。竜族にも魔女にも会うのは初めてかな……」


ぼんやりしているからか、今日は、ヴィンセントからあまり敵意を感じない。

私と会うときはいつも、その薬を飲んでてくれないかな。


「はやく、メルジェに到着して、陸路になるといいですわね」

「貴女は、メルジェに行かれた事は?ヴァザ家の領地でしょう?」

「叔母のカタジーナの領地なので、あまりよく知らないの。訪れるのは、今回が初めてです」


父上が、彼を溺愛するカタジーナ叔母上を嫌っているので、赴く事がないのだ。


「……メルジェに着いたら、俺とシンは失礼したほうがいいのでしょうね。カタジーナ様に歓迎していただけるとは思えない」


私に、というより独白だったが、私は頷いた。


「叔母は、すこし難しい方なので」


だよねぇ。カタジーナ叔母上の現王家嫌いは有名だもの。

陛下の甥と腹心の息子なんて、どんな嫌がらせされるか。よくあれだけ堂々と陛下を嫌っておいて、叔母上はお手打ちにならないものだ。陛下は、取るに足らない遠吠えだとお感じなだけかもしれないけれど。


「カタジーナ様と公爵はお親しくはないのですか」

ヴィンセントの問いに、どう答えようか迷ったけれど、私は正直に答えた。


「叔母相手に、笑顔の父を見たことがありません……」

「そうですか」


そもそも、父上は姉君達がお嫌いだ。

亡くなった祖父、マテウシュ様と生き写しの父上に、叔母上達は面影を求めるのだけれど、それが煩わしくてならないらしい。

曰く


「見ず知らずの死人と重ねられてもね」

らしい。にべもなし。


聞くところによると、マテウシュお祖父様は、賢く、優しく、儚気な方だったらしいけど。

うちの父上はなー、人当たりすこぶる悪く、儚いというより単に不健康なイメージだもんな。

実際は風邪ひとつひかないんだけど。スタニス曰く「旦那様は病気からも敬遠されてるんじゃないですかね」とのこと。有りうる。


「父とカタジーナ叔母は年が離れていますし、父と懇意なのはヨアンナ叔母だけかもしれません」


父上のすぐ上の姉、ヨアンナ様は本当に、あの気難しい姉弟の血族か?と出生を疑うほど気立てよく爽やかな人だ。

息子のヘンリクがトップ・オブ・ザ・馬鹿なのでプラスマイナスゼロだけどね。父上はヨアンナ叔母上だけは、普通の姉弟のように接する。


「ヨアンナ様……ああ、ヘンリクの母上か」

ヴィンセントの声に険が滲む。

「ええ、ヘンリクの……」


言いながら、ちょっと言葉に詰まった。つい先日、従兄弟のヘンリクがヴィンセントの肌色を揶揄して、異国人とのたまったことを思い出したのだ。私も、それを咎めずに聞き流しているから、ヴィンセントの中では同罪だろう。


珍しくヴィンセントと和やかに話せていたけれど、雰囲気が一気に固くなった。あーあ。


「先日は……」


私が謝罪の言葉を口にしようとするのを、ヴィンセントが遮った。


「異国人?いい、慣れてる」

それに、と目を細め、

「何ら、恥じる事はないから」

「そう、ですね」


……慣れてる、か。

だからといって、気にしない、って事ではないんだろうな。謝るのもなんだか卑怯な気がして、私はちょっと黙った。


「……ヘンリクがユンカー様を挑発するのは、ユンカー様を異国人だと思っているからでも、ユンカー卿のご子息だからでもないと思いますわ」


ヴィンセントが無言でこちらを見る。


「何一つ、ユンカー様に勝てるものがないから。甘えて、八つ当たりなんです」


ヴィンセントが二つ上といえど、二人は反目する派閥の同世代だから、どうしても比べられる。しかも旧王家の血が濃いヘンリクと、明らかに貴族出身ではないヴィンセントは外野にとっては、比較対象として面白い素材なのだろう。


ヘンリクだって、出来は悪くないのだ。


けれど、努力したところでユンカーや或いはイザークに敵わないだろうと悟ると、さっさと諦めてしまう。

同じフィールドに立たなければ負けることも、ないものね。


ヨアンナ叔母上は、何故かそれを咎めずに、悲しそうに笑って、困ったわ、というだけだ。


「そんなのは言い訳だ」

私の擁護に、ヴィンセントは冷たい。


「負けたくなければ、努力すればいいだけだ、馬鹿らしい」

手厳しいなぁ。

私はそうですわね、と言ってまた川面を眺めた。

海みたい。

ぽつりと呟くと、ヴィンセントは見たことないでしょうに、と、冷静に返す。

そうだね、レミリアは、ないね。


「……これから先、海をみたりすることが、あるでしょうか」

「……貴女が望めばいけるでしょう、どこへでも」


どうかなぁ、と私は笑った。

キルヒナー兄弟へ言い放った、父上の台詞を思い出す。


「『私もあまり、遠出を歓迎される立場ではない』ので」


ヴィンセントは、私の隣で息を止めた。

父上も、私も、それからヘンリクも、どこへ行くか誰と行くか、多分、陛下の臣下が常に監視しているはず。

そして多分、ユンカー卿が一番気にしているだろう。

本人達にその気がなくても、旧王家の面子は火種に『しやすい』だろうから。私はまだ、女だし、マシなほうかな。

だからこんな旅路も楽しめている。


「……別に、海もそう川と変わりませんよ。ただ、広いだけの。塩辛い湖です」

ヴィンセントにしてはうまくない言いようだけど、私は、そうですね、と笑っておいた。

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