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残影

なんでもゆるせる方向け。暗いです。

「俺は、あのヒョロ野郎を探しに行くぞ」


 行方不明になったイスファンの腹心の一人、ナジルがイェンの家を訪れたのは……皆が寝静まった新月の晩だった。


 一月ほど前、ナジルとは全く似ていないナジルの美しい息子がハリファの配下に私刑を受けて痣だらけの体で戻ってきた。息子はあざだらけになりながらも、それでも父親譲りの賢さで彼らに反抗はせずひたすら耐えた。

 愛息への仕打ちに、今までおとなしくしていたナジルも、とうとう腹を決めたらしい。


「イスファンが行方くらまして、半年以上過ぎた。ハリファはイスファンが死んだと確信したに違ぇねえ。復讐の心配がなくなったところで……、火種を一つ一つ消すつもりだろう」

「そうか」

「俺は消される、サヘルも消される。もちろん、お前もだ」


 賢いナジルはうまく立ち回っていただろうに、それでも、ダメなのか、と暗澹たる気持ちになったが、遅かれ早かれ、イスファン麾下が排除されるのはわかり切っていた事だった。

 ……イェンも逃亡する気ではいるのだが……。

 気にかかることが無いわけではない。


「俺の家はこの一月、ずいぶんと見張りが手薄だ。まるで逃げるならさっさとしろ、とでもいうように」

「賢い俺様と違ってお前一人逃げたところでたいしたこたぁないと、みくびられているんじゃないのか?まあ、その方が逃げるにはありがたいけどな」


 ナジルは三日のうちに俺は去る、イスファンの生存に賭けて探しに行く、と言いきった。

 わざわざそれを告げたのには「ナジルの逃走に手を貸した」と、イェンがあらぬ疑いをかけられるのを予測したからだろう。逃げるなら同じ機会に逃げろ、と。……人の悪いこの男にしては珍しく忠告に来てくれたのだ。


「お前だけなら護衛がわりに連れて行こうかと思ったが、どうせ家族と別れられねえんだろ、御坊ちゃまはよ……」

「悪い」

「知ってた!……逃亡先は聞かねえでおくわ。万が一俺が捕まったらお前の行方をペラペラ喋るからな。だから俺の具体的な行く先も聞くなよ」


 ナジルらしい言い様にイェンは呆れ、二人はふ、と破顔した。


「……イェン、死ぬなよな」

「ああ、あんたも。ナジル。あんたは嫌だろうが、あんたと友人になれてよかった。この……クソみたいな職場で唯一良かったことだよ」

「似合わねえ言葉遣いはよせよ、気色悪ぃな」


 本当に嫌そうなので、イェンはくつくつと肩を揺らして笑う。

 ……皮肉屋で根性が悪い男だが、他人の感情の機微に疎いイェンの言動に舌打ちしつつ、ああだこうだと解説をして、至らなさを気づかってくれていた。

 全く、なんの義理もないのに。

 イェンが血縁でも、竜族関係者でもなく親しくなれたのはエチカとナジルくらいなものだ。

 軽く抱きあって背中を叩く。


「いつか」

「ああ、いずれ」


 そうして二人は静かに別れた。





「……なんのお話だったの?」


 寝室に戻ると、アセムが娘の頭を撫でながら半身をおこしていた。

 起きていた事に驚き、相手がナジルだと気づいていた事に何故かヒヤリとしながら……別れの挨拶だった、と。

 ナジルは三日のうちにここを去るんだ、と告げようかと思い……辞めた。

 言わぬ、と約束したのだ。


「気が滅入る話だ。今日もサヘル様の寝所に毒蛇がいたらしい。こちらも気を付けろ、と」

「毒蛇……」

「アセム、心配するな。ここには来ない。俺を殺すならもっと派手にするさ」


 沈鬱な表情を浮かべた妻を抱き寄せると、イェンの肩に顔を埋めた女は吐息のようにささやいた。


「毒蛇は、すぐそばにいるかもしれないわ」

「いないさ」

「息を潜めて、噛みつく機会を窺っているかもしれないわ?」

「……アセム?どうした?」


 青褪めたアセムを気遣うと、彼女は何でもない、と苦笑してイェンに背を向けて娘を抱きしめた。

 ……奇妙な疎外感を味わいながらイェンは無理もない、と目を閉じた。

 この状況では不安でも仕方がない。

 明日目が覚めたらすぐに逃亡の支度をしようと決意する。




 一月前にイェンはアセムと相談して、カルディナの北山にいるキリ達に手紙を書いた。


 飛龍を使う馴染みの行商人に大金をつかませて、手紙を北山へ届けさせ、つい先日行商人は返答を携えて戻ってきた。

 手紙にはシェンの筆跡で、カナンの国境を越えたカルディナの小さな街に、使いの者を待機させていると書いてあった。その町までは、カナンの港から船が出る。

 船で一日揺られて街へ入り……、そこから飛龍で北山まで来るといい……と。


 マラヤ様、という方を頼らなくていいの?かとアセムが尋ね、イェンは、マラヤよりもキリ達を頼りたい、と言った。


 カルディナがどういう状況なのかをイェンは知らない。

 だから一度北山に行ってから考えたかった。

 キリとスイ、それからシェン。どんな状況でも3人はイェンを見捨てないだろう。

 アセムと同様に。


 だから安心していい、そう言うとアセムはますます沈鬱な表情で俯く。


 アセムは西国に残りたがっていた。


 カルディナは子供の頃に離れた国だからいい思い出もあまりないのだろう。それに北山の麓の魔女の里などは彼女にとっては異教徒が住む未開の地だ。

 イェンはそのたびに大丈夫だ、と半ば言い聞かせるように妻を説得した。

 北山で一度落ち着いてから、カルディナのどこかに居を移す。ーーーー息子

アスラン

のためにもそれがいいのだ、と。

 その話をするたびに、アセムは目を伏せて娘を抱きしめた。

 時折、「あなたは娘より息子の方が愛しいのではないか」と悲しげに言う。

 そんなことは無いと反論しても、苦しげに首を振るばかり。

 娘は美しい子だが、カルディナ人には見えない。

 ーーーーだから苦労するだろう、とアセムは危惧するのだ。


「アスランは、金の髪で空色の瞳で……白い肌で。ヴァザのようだもの……娘とは違って」


 アセムの指摘は辛辣だったが、そうではない、と目を逸らして否定する。

 妻は、最後にはイェンの意見に渋々折れて、()()()()()()()()()()()()()()()、とポツリと宣言した。




 ナジルが別れを告げにきた翌日に、イェン達はそっとカナンの屋敷を捨て夜陰に紛れて親子四人で港を目指した。

 新しいカナンの総督であるハリファはイェンが己に背くことくらいは重々承知だろうし、イェンを嫌っているだろうが見張りの目はやはりどこにもなかった。

 たかだか一部下の行方など、どうでも良いのかもしれないが。

 緊張とは別の奇妙な焦燥感を抱きながら、賑わいのない寂れた港へ急ぐ。カナンの港は夜でも商人や水夫達で賑わっているのが常だが、数十年前に閉鎖された港の区画にたどり着いて、イェンは足を忍ばせた。


 大人の身長の倍ほどもある防波堤から見下ろした海面に、人が数人乗ればいっぱいになるであろう小舟がある。

 定められたとおりにランタンを点滅させると、船に乗っていた大小二人の人物が立ち上がる。

 フードをとったのは見知った顔の行商人で、イェンは、ほっと息をつく。

 残り一人は……意外なことに女のようだった。ーーーー赤い髪が夜の月の光で僅かに煌く。

 まるで、刃物のように。

 海面は防波堤からは随分と低い。

 一度海に出てしまえば防波堤には戻れない。


 投げられた縄梯子をつたっておりて、ゆらゆらと揺れる頼りない小舟に立ち上がり、イェンは三日月を背にした妻を見上げた。

 遠くの港から聞こえる酔っぱらいの叫び声や岩に打ち付けて跳ね返る海水の音の合間に、心臓の音が大きく聞こえる。イェンは縄梯子を押さえながら妻と子供達に向かって手を伸ばした。


「おいで、アスラン」


 賢いアスランはうん、と小さくうなずき……足をかけようとしたのをアセムが強張った顔で防いだ。


「………?アセム?」

「おかあさま?」


 アセムは怪訝そうなアスランを抱きしめて、首を振った。

 ランタンを掲げながら抑えた声で、だが明朗な声で言い切る。


「いけない、行かないわ。……カルディナになんて戻らない。竜族の里にも、異教徒達の里も私の場所じゃない」

「アセム……?」

「ハリファ様が約束してくださった。貴方さえいなければ私の命も子供達も救ってくださるって!竜族混じりのアスランはきっといい騎士になる、アイシャは国一番の綺麗な子になるに違いない。カルディナで苦労させるよりもここにいた方がいい……」

「……正気か」


 低い呻きにアセムは怒ったような表情のまま、夫見下ろした。


「……私がほしいものを全部手に入れるなんて、到底無理だったんだわ、初めから!そして……貴方はずっと思ってたんでしょう?ここは自分の場所じゃない、って。だから簡単に築き上げたものを捨てて故郷に帰ろうとなんてできるのよ」


 吐き捨てるような声音を聴きながら、イェンはようやく……理解した。

 どうして、ここのところハリファの視線から棘が消えたのか。

 屋敷の周囲に見張りがいなかったのか。どうして、この港まですんなり移動ができていたのか。


 ……全て、予定通りだったからか!


 ハリファは全ての筋書きをアセムに遂行させて、思い悩むイェンを嗤いながら見ていたのかもしれなかった。


 アセムは縄梯子にランタンをぶつけた。

 ガシャん、とガラスが砕ける音が波間にきれいに響いて、油と炎が縄梯子をつたって転げ落ち、縄梯子が面白いように燃えていく。


 イェンは無言で……アセムを見上げた。

 急激に乾いていく喉から、言葉を絞り出す。

 ………転がり落ちる言葉は……、ひどく無惨で未練がましく、ろくなものではなかったが。


「……俺は、最後までお前と一緒に歩みたいと思っていた。アセム」

「無理よ、王子様。貴方はひととき私の隣で寛いでみただけ。ーーーーそれに、貴方の終わりなんていつ来るの?ねえ、気づいていたかしら。私の方が年下なのに、もう……ずっと貴方の方が若く見えるわ」


 アセムは泣き笑いながら炎の向こうで笑った。


「私が老いさらばえて、死んで……アスラン達も死んで。それでも貴方は生きるんでしょうね。カルディナで?竜族の里で?お友達の側でなら、きっと、息がしやすいに違いないわ。そうしてーーーー私以外の誰かを愛して、私のことを思い出にして時々眺めて楽しむんでしょう?……そんなものに成り下がるなんて、まっぴらごめんよ!いつか誰かのものになるなら、私の愛しい夫のまま、死んでよ。お願い」


 突然の愁嘆場に行商人は気まずげに視線を逸らし、もう一人の人物はころころと声を立てて笑った。

 どこかで聞いた声に、イェンの背筋に冷たい汗が流れる。


 ガタン、と船が揺れた。

 バランスを崩して無様に船の上で膝をついて……イェンは絶望のまま、アセムを見上げた。


 怒りより何より、虚しい。

 そして……すぐ近くにいながらもアセムの絶望に全く気づかなかった己の愚かさが……滑稽だった。


 いいや。


 本当に気付いていなかっただろうか?

 アセムはあんなにも……嫌がっていたのに、敢えて見ないフリを……したのではなかったか。


 アセムは勝手だ。

 そして、彼女と同じくらい……イェンも独りよがりだったろう……。


「貴方は、自分を殺せないわ。だから、一つのところで生きてはいけない」


 轟々と炎が燃える。

 船が、遠ざかろうとする。


「ずっと彷徨い続けるの」


 アセムの言葉はまるで神官が得た信託のように厳かな響きを帯びて、夜の海に落ちるーーーー。


「おかあさま」


 重い沈黙の時間を切り裂いて。

 耳に、飛び込んだのは涼やかな声だった。

 妹を抱きしめながら泣く母親を見上げて、少年はあどけない声で彼女を呼んだ。


「ごめんね、おかあさま。僕、おかあさまが大好きだよ。だけど……いつも、おかあさまがいうとおりに、僕はします。ねえ、半分こにしよう?」

「アスラン……?」

「おとうさま一人じゃ可哀想だもの」


 少年は笑って、助走をつけると炎飛び越えて小舟に……父の胸に飛び込んだ。


「だめだ!アスラン、跳ぶな!残れっ!!」

「アスラン!アスラン!やめて」


 両親の言葉を無視して身軽な少年は軽々とイェンの腕の中に収まった。

 傷ついた表情で固まったアセムは、ヘナヘナと防波堤の上でへたりこみ、イェンは息子を抱きしめて歯を食いしばる。


 すまない。と。


 妻か、息子か、娘へか。

 呟いたの境に、小舟はあり得ないほどの速さで港を離れていく。

 なんだこりゃ、と訝しんだ行商人は次の瞬間、カエルが潰れたような声をあげながら……、大きな波音と共に海面へ飛び込む。

 イェンは振り返りもせずに、防波堤の上の人影が小さくなるのを見つめていた。



 沖へ……船は向かい、イェン親子ともう一人は無言で夜の海を揺蕩った。

 ……イェンは己の腕の中で密かに沈黙している息子の綺麗な髪の毛をかきあげて、額に口付ける。

 アスランはぎゅっと唇を噛んで胸に頭を擦り付けた。

 どうして選択を誤ったのか、どうしようもない馬鹿な子だと泣き喚いて詰りたい気持ちと、この体温をたまらなく愛しいと思う気持ちに引き裂かれながら、イェンは俯いた。


 背後の人物が、堪えきれない様子でケタケタと笑うので息子を背にして、対峙する。

 フード脱いだ赤い髪の女は紅を引いた赤い唇を爪で弄りながらイェンとその息子を値踏みした。


「さっきの男は……本当に嫌いでしたわ。どこに貴方たちを連れていくのかしつこく聞くんですもの。せいせいするったら!そもそも、私は西国人は嫌いなのです。汚い、焦げたような肌!言葉の響きだって虫が鳴くようで情緒がない」

「……いつから国教会の神官はそのような恥知らずな言動をするようになったんだ」


 イェンが剣に手をかけると、カルディナの神官、リディアは緋色の髪を海風に好きに舞わせて目を細めた。


「これは失礼、王子様」

「そのようなものになった事は一度もない、残念ながらな」

「そうでしたわね、廃公子様」


 イェンの母は王の娘だったが、西国の竜族の女との間に生まれた私生児だった。

 そしてイェン自身も嫡出子ではない。

 カルディナの美しい王宮で、嘲りを込めて廃公子と渾名されていた。


「……面白い茶番を見せてくださって、ありがとうございました!我が王にいい土産話ができましたわ」

「我が、王……」

「ええ、いと高き我がヴァザの王は……従兄の貴方を()()()()()()仰せです。ヴァザの血を受け継ぐのに相応しいのか、それとも……粛清すべきなのか。選別してやろうと思っておいでなのですよ」


 イェンはいつか聞いた噂話を思い出した。

 当代のヴァザ王は気が触れている……、そして玉座を狙われる疑心暗鬼に陥って、同族を次々に粛清しているのだと。

 リディアは上機嫌で続けた。


「ねえ、貴方の奥様は人の字をまねるのがとてもお上手なのね?ーーーーあなたのお友達からのお手紙、まるで本物みたいだったでしょう!?文面は……私が考えましたのよ。ハリファ総督もよくできたと笑っていらしたわ!あんな手紙ひとつでのこのこついて来るなんて、本当に愚か!」


 イェンは唇をかみしめて神官を睨んだ。

 リディアは鼠を追い詰めた猫のように楽しげにゆらゆらと揺れる。


「竜族の高貴な血を引くのに、異能もない。ヴァザの血を引いているのに、まるで西国人のよう!……貴方なんて全くヴァザに相応しくない!……それを決めるのは我が王だけれども……きっと我が君は私と同じように思われるわ」


 リディアの指が奇妙な形の円を描く。

 とたんに殴られたような痛みが後頭部に走り、イェンは呻きながらその場に崩れ落ちた。アスランが静かに泣きながらおとうさま、と呟く声が聞こえた。


「大丈夫ですよ、廃公子!私は貴方をヴァザの王宮まで無事に、送り届けて差し上げます。それが我が王の望みなのだからーーーーその後のことは、私が考えることではないけれど!」


 紅い髪の神官は吐き捨てるように言い放った。


「ヴァザの血を引くくせに、貴方は少しもヴァザらしくない!ーーーーそんな紛いもの、存在すること自体が許せないのよ」




 女の呪詛が。

 ーーーー青年イェンが西国で聞いた、最後の言葉になった。





















 ◆◆◆◆◆

 カルディナは神の国だと自称する。

 昔、竜であった青年が地上に降臨して子をなし、神の国を統べる一族を作ったのだと神話はかたる。

 金色の髪をもち、空に焦がれた証の瞳を抱き、優れた容姿をしたかしこき人々。


 まるで、神のような。

 全てに愛された一族。

 ヴァザの血脈ーーーーー。その血を絶やさぬように、彼らは近親婚を繰り返し、やがて綻びはじめた…………。



 王宮の最下層にある、下水道を歩きながら、兵士は溜息をはきだした。

 吐き出す息さえーーーー腐臭がしそうだ。松明を頼りに地下牢へ向かい、ポツリと呟く。


「王は狂っている」

「そんなこと、皆、しっているわ。無駄口をたたかずに早く行って」


 三十近い年増の侍女が暗い瞳をしながら、言い放った。行きたくねえ、と思いながら兵士はあるく。

 地下牢にはどうせまた遺体があって、兵士の役目は彼らの埋葬なのだ。



 当代のヴァザ王、アウグストは王になるはずの生まれではなかった。しかし流行病で兄が死ぬと転がり込んできた王冠に狂喜した。

 女と美少年を好み、音楽を愛し、詩歌を称えて酒に塗れた。遊興にしか興味のない若い王を貴族たちは喜び彼が望むままの物を与えて増長させたが……次第に、その狂気にのまれた。

 王は狂気の人だったが愚鈍ではなかった。

 子飼いの貴族に軍の要職を与え、甘やかす一報で、諫言する忠臣を火あぶりにした。

 永きの忠誠を誓っていた北方の辺境伯を城壁から吊るし、辺境伯自慢の、黒髪に紫の目をした美しい娘を側近達の目の前で犯して、殺した。

 彼を討とうと画策した一族の男は毒殺され……、王宮に勤める下働きの者達は息を潜めて日々を過ごしていた。

 城で繰り広げられる茶番に、心を動かされてはならない。


 喜劇でも、悲劇でも。

 家具に等しい彼らが感情を持つことは、死につながることだから……。



 狂王の気まぐれで玩具のように壊された人々は地下牢に捨てられる。

 その遺体を回収して葬るのが兵士の役目だったー。

 いつもは一人なのだが、今日はなぜかこの侍女が行けと命じられたのだ、とついてきたのだった。古株の侍女で、名前は何というか知らないが小娘の頃から王宮にいたらしく重臣たちにも重宝されている。


 今日の遺体は二つだと聞いたから、一人でない方がいい。

 兵士はそう考えて、侍女の同行に、ひそかに安堵した。気の滅入る仕事も罪悪感も分け合いたかった。


「今日の生贄がどんな殺され方をしたか、聞いたか?」

「詳しくは知らないわ。私は王宮の奥にはあまり足を運ばないから。お願い、教えて」


 侍女は興味のなさそうな平坦な声で、しかしながら兵士に説明を乞うた。

 兵士は侍女の暗い瞳には注意を払わずに、湿った足元を気にしながら歩き……天候の話をするかのような軽さで話し始めた。

 彼が軽薄なのではない。……もはやありふれた日常すぎて、麻痺しているのだ。


「今日の遺体は小さな子供とその父親でよ。なんでも西国に逃れた王族の縁者だったらしい。西国に逃れたんだったらわざわざ殺さなくてもいいのによ、見つけ出して連行して……殺したって。俺が見たわけじゃないけど、子供は傷だらけで目も当てられなかったみたいだぜ……王の間をとおったときにちらっとみたけど…神様みたいに綺麗な顔をしてたのに……可哀そうだよな」

「父親は?」

「え?」

「……父親の方は、どうだったの?」


 侍女の思いつめた表情にやや戸惑いながらも、兵士は続けた。

 古びた石段を、ゆっくりと降っていく。松明めがけて羽虫が飛び込んで……、じゅ、と燃えて地面におちる。気づかぬままに死骸を踏みにじり、兵士はさらに、下へ……下へと降っていった。


「毒を飲まされたらしいぜ。あの狂った御方がいったのさ……、『目の前で毒を煽ってみせろ、見事に飲み干せば息子だけは助けてやる』ってさ……。父親は……そりゃ、そうだよな。誰だって自分が可愛いさ。息子より、自分が。しかもあの男の条件なんか信じられるわけもない。躊躇ったせいで息子を目の前で殺されて……、っと」


 兵士は立ち止まった。

 ひっそりと静まり返った地下牢に到着したからだった。

 侍女は自分が持っていた松明に兵士のそれから火を分けてもらうと「あなたはかえっていいわ。私が一人でやるから」と冷たく言った。兵士が不審がると簪を抜いてつかませる。

 古い意匠だがずいぶんと手の込んだ逸品だった。簪をやるから口を出すな、ということらしい。

 兵士は束の間考えたが……侍女が口の堅い人間だという事と、ついでに彼女の名前を思い出して、了承した。

 どうせ遺体を清めて、下っ端神官たちに受け渡すだけだ。侍女だけで出来ないという事もあるまい。

 兵士は無表情の侍女に、いいぜと手を振って踵を返した。


 ……陰気な顔の女のくせに、名前だけはずいぶんと可愛らしかったな。と皮肉な事を、思う。


「じゃあな、ミリィ。あとは頼んだぜ」

「ええ」



 錆びた鉄扉を開いて、小柄な侍女は地下牢に身を忍ばせた。

 可哀そうにまるで襤褸のように折れ曲がった小さな体を見下ろした。


 父親は、血を吐くように叫んでいたと言う。

 金切り声をあげてなぶられる息子を見ながら、叫んで……。




 ……やめてくれ。俺が死ぬから!頼むから!

 どうか俺を殺してくれ誰か!罪のないあの子ではなく、私を!!

 ああ……神よ、カルディナの大神よ、どうか罪深い私を殺してください。自分の命を一瞬惜しんだ私を断罪してください。決して本心ではないのです、誰か!毒をくれ!俺に。

 今なら……。

 すべて、飲み干すから、どうか。



 願いは、息子が無惨に息絶えた後に慈悲深き王によって叶えられた。



 ミリィはもちこんだ道具を床に置いて、まるでごみのように古びた布に包まれた小さな身体を見下ろした。


 そっと横たえて準備してきた新しい服にくるんでやる。

 身体の惨い傷から目をそらして服を着せ、涙で汚れた顔を綺麗に拭く。

 苦しんだはずなのに、あどけない顔は美しくまだ柔らかく……しれずに涙がぽとりと落ちて、あわてて坊やの頬をぬぐってやる。


「申し訳ありません、王子様……私みたいな下賤の者の涙なんかで汚してしまって。ごめんなさい。でも、本当に、イェンジェイ様にそっくりなんですね……私はもちろん、王子様の御年だったころのイェンジェイ様なんか知らないから……きっと、こんな風にびっくりするくらい綺麗な王子様だったんだろうな、って想像するだけですけど……おかわいらしくて、それになんて賢そう!きっとご自慢の坊ちゃんだったんでしょうね……」


 まるで貴族の子弟のようにきれいに死に化粧をしてやると、ミリィはふらふらと、息絶えた子供の父親の側に近寄る。

 毒のせいでよごれた口周りをふいてやれば。

 そこにいたのはミリィがこの二十年の間いつか会えるだろうかと慕いつづけてきた、イェンジェイ・ルエヴィト・ヴァザに違いなかった。金色だった美しい髪は毒のせいなのか雪のように白くなり、色違いだったはずの瞳は両目とも鈍い金に変わっている。


「殿下は嘘をおつきになりましたね、私が淑女になったら、いつか会いに来てくれると仰ったのに。私……いつかお会いできるんじゃないかって……ずっと王宮でお待ちしてたんですよ」


 ミリィは、地下牢で子供のように泣きじゃくった。

 声をあげて狼のように遠吠えをしたけれど見咎めるものなど、誰もいない。

 殿下ではないよ、とイェンジェイが起き上がり微笑んで訂正してくれないかと願ったけれど、佳人はものいわぬ躯になりはてて、動く様子もない。

 ……泣いて、泣いて、ひとしきり泣いて。ミリィはイェンジェイの身体も清めて上着を綺麗にしてやり、彼の愛用の剣を抱かせてやる。

 並んで眠っているかのような美しい親子を眺めながら、ミリィは神官の訪れを待った。


「……私は殿下に命をお救い頂いたのに。何もお返しできずにごめんなさい……どうか、ヴァザが滅びますように。あの狂王を殺してくれる方が現れますように。神様がどこかにいらっしゃるなら……、どうか」


 目を閉じて祈りを捧げ続けた善良な侍女は、遺体の指が、ぴくりと動いたのに……気付くことがなかった。



 明け方に、神官たちはやってきた。

 必要以上に綺麗に死に化粧をほどこされた親子を目にした二人組は顔を見合わせたが、遺体を運び始める。

 侍女から少なくはない金品を握らされ丁寧に埋葬するよう指示されて、大人しく従う。

 共同墓地に向かいながら、神官たちはぼやいた。


「毎日毎日、誰かの死体運びかよ、嫌になるぜ」

「しっかし、今日の死体はなにもんなんだ?あの年増侍女もやけに言い含めるし、……マラヤ・ベイジア様が半狂乱で死体の見聞をすると仰ってたみたいだぞ」

「……ひょっとして王族の一員か?」


 さあな、と神官はかぶりを振った。


「そうだとしても、知らない方がいい。……死にたくなければ何も聞こえないふりをしろ、いいことも、わるいことも、俺たちには関係ない」

「そりゃそうだ」


 墓地に到着すると、神官の一人が小さな遺体の胸元をあさり始めた。


「おい、何してる?」

「さっき、陽の光でちらっと光ったのが見えたんだよ。……お!ほらみろ。なんだこの石、虹色に光って……綺麗じゃないか!駄賃がわりに貰っておこうぜ」

「呆れたな」

「いいだろ?死人が持っていたって、なんの足しにもなりゃしねえ。売り飛ばしてせいぜい酒代にするさ」


 神官が子供からとりあげたのは心臓石という竜族の持つ輝石だったのだが、彼らは知る由もなかった。

 さっさと遺体を埋めて帰ろう、と振り返り……。二人は首をかしげた。

 眠るように並んでいた親子が二人が輝石に目を奪われている間に、忽然と姿を消している。


「死体がねえ」

「……どこ、に行きやがった?」


 慌てふためく二人の背後で、音もなく、白刃が煌めいた。

 どさり、と重い音がして……神官たちが地面に転がって絶命する。

 墓穴に二人を蹴り飛ばしながら、男は輝石を拾い上げた。剣を素早い動作で振り、血をはじく。


「……汚い手で、触れるな。これにも……息子にも」


 男は息子の遺体をそっと抱えると、天を仰ぐ。

 男の双眸は黄金。


 皮肉にも、見上げた空はどこまでも晴れて。

 彼が失った色を……称えていた。











続きは2/15に。

誤字脱字は明日修正します。

あと一話か(二話になったらすいません)

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― 新着の感想 ―
[一言] イェン、つらすぎる せめて娘が生きてたら。 でも復讐するなら カタジーナだけにして レミリア一家は見逃して〜。 無理でもお願いします。 そしてなんとかフランチェスカと幸せになってほしい。 …
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