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滞留 3

 西国の国境カナンはにわかに騒がしさを増した。


 カナンは隣国カルディナとの係争地。


 いよいよ西国王の最期が近いとなった時に、イスファンはカルディナ軍に攻勢を仕掛けた。

 不意を突いて奇襲をかけ、国境につめていた兵力の三割を文字通り「削いだ」あと、不承不承を装いながら、金銭をふんだくって休戦に持ち込んだ。

 削がれた勢力そのものよりも、カルディナ軍では衛生上の問題と栄養失調から病で倒れる兵が続出していたらしい。

 水路に何か毒を混ぜたのではないかともっぱらの噂だったが、真偽は定かではない。

 しかしながら、たとえ毒を混ぜられていたとしても気付かないカルディナ側が愚かなのだ。


 祖国を逃れて二十年近く、内乱もあったカルディナは、イェンがいた頃よりも弱体化しているように思える。……もちろん、王宮の奥で息を潜めて暮らしていた廃公子には軍の内情など知るわけもないが。


 調印式に出るよう命じられては断る権利などない。現れたのはイェンが知るはずもない貴族で、彼らを遠目に見ながら、もはやカルディナは遠い異国だと妙な感慨を抱き……、次いで現れたカルディナの使者に目を止めた。



「カルディナの神官で、王族らしいぜ。ヴァザの王族を初めてみたが噂に違わぬ美形だ」

「へえ」


 イェンが生返事をすると同僚はそれには気づかずに続ける。


「異能があるらしい。なんでも未来を見るとか」

「……なるほどな」


 マラヤ・神の子(ベイジア)・ヴァザ。

 かつて、姉と呼んだこともあるヴァザ一族の女性だ。


 不思議な夢見をするから、と神官職にあった。

 神官として、その地位を不動にしているとはちらりと聞いていたが、カナン近くまで王族が来るとは。

 ……不意に訪れた懐かしさから遠目に観察していると、マラヤのそばにいた小柄な少女と目が合う。

 サファイアの瞳に、緋色の髪が鮮やかなその少女に凝視された気がしてイェンは視線を逸らした。

 神殿関係者ならば、イェンの素性に気づいたかもしれない。


「あれは?」

「あれもカルディナの神官だとよ。名前は……リディアとか言ったかな」


 イェンが再度二人を見ると神に仕える女性二人はカルディナ貴族たちと何やら話しつつ、イスファンがひらいた酒宴へと姿を消した。


 素性が明かされたところで、イェンはとうに王族としての権利を全て放棄しているしそもそもが傍系だ。

 元々、なんの権利もない。

 イスファンだとてイェンの素性はだいたい知っているだろうが、半竜族という珍しさ以上を求めてはいないだろう。


 マラヤとも、二度と人生が交わることもないだろうとイェンはわずかばかり抱いた寂寥(さびしさ)をすぐに忘れた。


 もう、遠い異国での苦い思い出だ。

 すべて。






 二度と関わることもないだろう、と確信していたイェンのもとにカルディナ語の手紙が届いたのは、イスファンが王都に極秘で行っている最中だった。


 西国王が崩御しその後継を決めるための集まりにイスファンは召喚されている。

 傍系とはいえ、イスファンも王族。就任したばかりではあるが新王が誰になるか次第では……、総督の任を解かれて王都の重職を任されるのではないか、という噂まである。


 カルディナ語の手紙がイェン宛に届いて、アセムは蒼ざめた。

 持ち込んだ商人に金をやって口止めすると、侍女達を下がらせ、イェンに手紙の内容をただす。


 イェンは溜息をついて、マラヤ・ベイジアからの機嫌伺いの手紙を広げた。


 署名はない。

 しかし彼女独自の紋章を模した花の絵と姉より、という末尾のサインで、彼女だということはわかる。

 内容は特にない。他愛のない、懐かしい、いつか会いたいと言うことを告げただけの手紙だ……。

 もしも西国が暮らしづらければ……、気が向いたら国境の街にいるリディアという神官を頼れと……。


 マラヤはひょっとしたら、王都に出入りする竜族からイェンの行方をうっすらと知っていたのかもしれない。

 手紙の文面からは驚きは感じられなかった。


 ぐしゃりとつぶした紙を拾ったアセムは手紙にさっと目を通し、肩を震わせて、鋭く夫を見上げた。


「なんで、こんな手紙が?まさか返事をしたんじゃないでしょうね?」

「するわけがない。休戦したとはいえ、敵国の……王族だ」

「ええ、そうね。あなたの実家だわ」

「アセム」


 静止すると、アセムは苛立たしげに手紙をしまった。


「燃やすわ。こんなもの、他の人間に見られたら……」

「わかっている」

「どうして知己がいる場所に顔を出したの。迂闊よ、あなたは!」

「命じられたから仕方ないだろう。……それに、マラヤは、俺を利用するような人ではない。家族のようなものだ。スイや……シェンのような」


 顔を出したのは間違いだった、とイェンは苦く思いながらぼやく。

 しかし、マラヤはあのカルディナでは唯一と言っていい親しい血族だった。この手紙も、ただ懐かしさ以上のものはないだろう……彼女は、俗世を離れた、敬虔な神職だ。


 煮え切らないイェンに、アセムは呆れて……吐き捨てた。


「甘いこと!過去の家族を信じて……私達を、真実あなたの家族を危険に晒すような愚かな行動はしないで頂戴!どうなるか分からない時期に!」



 怒りのまま部屋を出て行った妻を溜息をついて見送り、イェンは息子の部屋に足を向けた。

 すやすやと眠る息子のほおを撫でて、考え込む。

 アセムの怒りはもっともだが……、と思う。イスファンの懇意だった国王が死んだ。西国の情勢はその気候と同じだ。移ろいやすく、苛烈で、あまりにもたやすく、そこに生きる人々の命を奪う。


 だが、いいや、だからこそ。

 浅ましくも……、考えてしまう。


 もしも……万が一、イスファンの望まぬ者が王になり、主人ごと、この地を追われることになるのなら。

 カルディナに逃げる事を選択肢に加えてはいけないのだろうか。

 暗い顔で息子を眺めていると、あどけない息子は……むずがって目をこらした。


「お父様、どうしたの?」

「起こしたか?ごめんな、アスラン」

「ううん、ねえ、お父様もここで一緒にねよう、ね?」


 イェンはアスランを笑って抱き上げた。

 柔らかな体を手の中にすっぽり包んで、背中をトントン、と叩く。

 アスランは……、この美しい息子は雪のように白い肌と青い瞳を持っている。

 イェンは無理でも、何かあればカルディナに逃げてカルディナ人として暮らす事だって……、いざとなればマラヤに頼み込んで……。

 手紙をアセムは焼いてしまっただろうか?


 マラヤの言っていた神官の名前はなにと言う名前の…………、確か、リディアと。


「…………」


 息子のふにゃふにゃという寝息でイェンは我にかえる。

 アセムが苛立つのも無理はない。この期に及んで自分は何を考えているのか。覚悟が定まっていないのだ。

 溜息をついて、イェンは息子の部屋を出た。






 イスファンが留守の間カナンはその妻であるサヘルが治めていた。


 通常、西国で女性は公的な地位には就けないが、直系王族には公職就任が許されている。

 イスファンが極秘にカナンを離れて王都へ砂竜で赴くことになっても、留守居としてのサヘルは実にまともに業務をこなす。

 出立前、イスファンから「サヘルを頼んだぞ」となぜか名指しで言われ、困惑しながらも承知しました、と答えたイェンだが、今のところ出番はない。


 薬に耽溺していない状態のサヘルは意外にも明朗な人物なのだ。

 ナジル達文官を適度にこき使いながら、穏やかに時は過ぎていた。


 亡くなった兄を特に悼む様子も見せず、イスファンを気にすることもなく、サヘルは淡々と業務をこなす。


 サヘルのサロンには妻のアセムもよく顔を出すので、イェンとしては気が気ではないが……、過去に殺されかけた妻は平然とサヘルに傅いている。

 イェンは将軍直属の騎士だから王宮へはあまり詰めていない。

 警備に当たることが多いのであまり内情には詳しくないが、ナジルやアセムからきく限りでは、彼女はイスファンと同等に業務をこなしているらしい。


 サヘルは実がに上機嫌に業務をこなしておて、恐ろしいくらいだと思っていると、妻のアセムがこともなげに言った。


「イスファン様がいないから、サヘル様は楽しく過ごしておいでなのよ。お目付役がいなくて、好きなだけ好きな香に囲まれて、ご気分が良さそう。……イスファン様がいらっしゃれば薬は全て捨てさせるもの」

「……薬はやめたのでは?」


 アセムは肩を竦めた。


「一度でも薬に頼った高貴な方々が、アレをやめられるわけがないわ。いい夢を見てぐっすり眠れるのですって……!仕える主人が上機嫌なのは、いいことじゃない?カルディナの商人が送ってくる香は純度が高くて、心地が良いと喜んでおられたわよ」

「カルディナだって?」

「ええ、そう」


 休戦したカナンとカルディナの間では、わずかだが交易が復活している。

 イスファンの目を盗んで、サヘルの侍女が香を……麻薬をじきじきに仕入れているのだと聞いて、イェンは舌打ちをした。


「なぜ、止めない!」


 薬物に汚染された総督など、いつ正気を失うか分からない。危うすぎる、と声を荒げたイェンをアセムは冷たく見た。


「……今はイスファン様がいないのよ?サヘル様の不行状を咎めて恨みを買いたくないわ。貴方も余計な事はしないでちょうだい。貴方はサヘル様に嫌われているもの。目をつけられて困るわ。私がせっかく心を砕いてサヘル様のお相手をして、貴方の分まで印象をよくしようとしているのに……邪魔をしないで。あなたが私以上にサヘル様の機嫌をとってくれるならいいけれど、貴方には……できないものね?心にない世辞は、たとえ息子のためだっていえないのよ」



 アセムが、昔のように挑戦的な視線で見上げてくる。

 …………彼女の指摘は、正しい。

 イェンが、ぐ、と言葉を飲み込むとアセムは酷薄な視線で夫を見た。


「では、王子様。私は用事がありますの。通してくださる?」


 アセムは夫を笑うと、イェンを置いてまた王宮へと足を向けた。

 先日の手紙の一件から、アセムの態度は硬化している。……何か、を疑われているのだと感じることが多い。


 イェンは陰鬱な気分を振り払ってナジルや将軍にサヘルの悪癖を共有すると、彼らは、やはりか、と言わんばかりにため息で答え、放っておけ、と告げられた。

 そうは言われても、イスファンから直々に指名された以上は様子を伺わないわけにはいかない。

 イェンが顔を出し、侍女に命じて甘い匂いのする香を捨てさせると、サヘルは酩酊と素面の狭間で、ケタケタと笑った。


「……中途半端に私の素行に口を出してくるんだね、相変わらず。おまえの妻は私に心地よく夢を見せてくれるのに……!夫が止め、妻は各種取り揃えて私に献上してくれる……。全く足並みの揃わない夫婦だこと!」

「私に止める権利はありません、奥方様。ただ、少しだけ量を控えていただけると……」


 イェンが渋面進言すると、サヘルは笑ってイェンを引き寄せた。白い柔らかな胸を押し付けられる。


「おまえが私に夢を見させてくれるなら、香を全部捨ててもいいけど?」

「……お戯れを!私は命が惜しいので、イスファン様を裏切るようなことは致しません」


 サヘルは笑ってイェンの頬を撫でた。


「嘘。イスファンなんて、どうでもいいでしょう?単に……自分を売りたくないだけ。私がこんなに苦しくて、助けて欲しいというのに、助けようという気さえない。上辺だけの同情なら、いらない」


 サヘルの暗い瞳を見ながら……イェンは申し訳ありませんでした、と頭を下げた。サヘルは笑って、嘯く。


「ねえ、イェン。おまえは……なぜ、アセムが最近おまえに冷たいか、知ってる?」

「……なんのことです?」


 アセムは、イェンが手紙を受け取ったから怒っているのだ。もしかしてサヘルは、カルディナ王族からイェンが手紙を受け取った事を知っているのか、とヒヤリとしたが、違った。


 サヘルが口にしたのは全く予想もしないことだった。


「美しい、アセム。天使の声で歌うアセム。美しい夫と可愛い子供を手に入れた幸福なアセム……。彼女は、イェンよりも年下なんでしょう?でもね……」


 サヘルは不意をついてイェンに口付けた。

 ばっ、と身体をはなすと、くつくつと彼女は笑う。


「姉と弟みたいだって」

「……え?」


 まじまじと見つめたその口元には……僅かに、シワがある。

 無理もない、彼女の頭上も、年月が通り過ぎていくのだから。


「…………ねえ、イェン。おまえはいつから」


 女は赤い唇でニィと笑った。




 歳を取るのを、やめたの?




 女の笑い声を背中で聴きながら、イェンは彼女から後退り、逃げるように執務室から飛び出した。








 ◆◆◆◆◆


 新国王の選定が終わったと報されたのは、1ヶ月後のことだった。

 王都と頻繁に連絡を取っていたアセムは、ナジルや将軍たち、そしておもだったイスファンの麾下を集めて「総督が戻ってくる」とにこやかに告げた。


 みな、一様に安堵し……。

 だが、数日後、歓声は瞬く間に阿鼻叫喚に変わった。

 カナンは、新しい国王の軍に包囲され、降伏せねば殲滅すると告げられ、城内のイスファン派の者たちはことごとく捕らえられ、王宮の広間に転がされた。


 ……イスファンは新国王擁立に失敗したのだと誰かがいい。

 その首が晒されたのだと、噂が駆け、いいや、殿はどこかで再起を図っておられる……と言うものもあった。


 転がされた男たちを微笑んで眺めながら、サヘルはまるで花嫁が纏うような美しい白の長衣に身を包み、新国王が任じたと言うカナン総督と並びたった。


 ナジル将軍が、その男をみて、呻く。

 イェンも絶望的な思いで…………這いつくばったまま、その男を見上げた。



 ハリファ。



 かつて、イェンが仕え、イスファンがその地位を追った男だった。

続きは1/15です

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