滞留 1
滞留する 1
西国とカルディナの国境はカナンという。
古くから両王国が変わるがわるに統治し、支配を争う大陸の交通の要――。現在は両国の間に表立った争いはないが、いつ戦闘状態に陥っても不思議ではない。有史以来、この地は常に係争地であり、現在はその難しい土地を首長イスファンが新国王より総督に命じられ国境を守っている。
イスファンは前国王の娘婿。
気性の荒いタイスの王族の中にあっては理性派だと評判だ。歴史を重んじ対話を好み、異教徒であっても税さえ納めれば権利を保証する……、寛大な男だ、と。
「そういう風に噂を流したのはおまえか、ナジル」
「期待をもって迎えてもらった方がやりやすいだろーが」
西国人にしては背の低い小男が鼻を鳴らした。その横を歩くのは金色の髪をした美丈夫だった。肌は西国人と同じ褐色。太陽の光を集めたような金の髪をゆるく背中で結んでいる。瞳は青と金の、左右色違い。彼が竜族の血をひく証だ。
すれ違う人々が彼を盗み見するのを慣れているのか青年は一顧だに、しない。
「カナンに来て…まだ一月しか経っていないが異教徒どもが多いな。嫌になるぜ」
「それは悪かったな」
西国とカルディナの宗教は違うが、人々の寛容さでは西国が勝つだろう。
カルディナでは異教徒は縛り首だが西国においては税さえ払い、西国の神を侮辱さえしなければ信教の自由は比較的守られている。
西国とカルディナの間の子として生まれた青年……、イェンはなんとなく正式な改宗はしていない。妻は出世のためにさっさと改宗してしまえと目を釣り上げるが……どうも踏ん切りがつかずにのらりくらりと決めていない。
実のところ、どちらの神も奉じる気にならなかった。
生まれてから今まで、神には大して恩恵を受けた覚えがない。
「お前もさっさと改宗しろ。イスファン様の側近が異教徒じゃかっこがつかねえ。……しっかし、三年もここにいなきゃならねえとはなあ」
身分低い生まれとはいえ生粋の西国人であるナジルには、こうもカルディナ色が強い土地は、うんざりすることが多いようだった。
「俺は懐かしいけどな。どっちつかずで居心地がいい」
カルディナ人でも西国人でも無いイェンにとっては楽に呼吸ができる街だ。イェンは周囲に人が増えたのをみて布を取り出して髪を隠した。今更だが多少は目立たなくなるだろう。
それから、少し離れたところを歩いていた少年と、小さな男の子を呼び止めた。
「アスラン!あまり遠くに行くな」
ぴょこん、と振り向いたまだ小さな男の子の手を、目の前を歩く少年がギュッと握った。
品のいい少年はナジルの(全く父親には似ていない)息子だ。
そして、小さなアスランはイェンが溺愛している息子だった。
「だってお父様!海がみたいんだもん」
「焦るな、すぐにつくし、石畳の上を走ると転ぶだろう」
転ばないよう!と我が儘を言うのでイェンは笑って息子を抱き上げた。
きゃっきゃと喜ぶ息子の柔らかな身体を抱き上げてほおに口付ける。お髭が痛いよと言われたので明日は剃ろうと大真面目に決意しているとナジルが呆れたようにこちらをみた。
「親バカ」
「仕方がないだろう、アスランは世界で一番かわいい」
「馬鹿親」
ナジルがケッと毒づき、イェンは構うものかと息子の他愛もない話に相槌をうった。今年で六つになる息子は母親譲りの美しい白い肌に青い瞳と金色の髪をした、親の贔屓目を多分に引いても、素晴らしく美しい子供だった。
笑っても泣いても可愛く柔らかい。
そのうえ、言ったことはすぐ覚えるし、この年で、まるで大人が読むような本を読んだりする。
アスランの記憶力の良さを面白がった主人イスファンが丸い天球儀を息子に贈り、アスランが、聞いたこともないすべての国の名前を自分で調べて、覚えてそれをイスファンの前で披露した時には、本当に自分の息子だろうかと顎が外れそうになった。
目にいれても痛くない自慢の息子なのだ。多少馬鹿になるのは目こぼししてほしい。
「お父様のお友達はどんなひとなの!?」
「おもしろい人たちだよ」
アスランはきらきらとした目でイェンを見上げた。
今日は、イェンがカナンに赴任したとどこからか聞きつけた、旧い友人がカナンを訪れる日だった。少しばかり特殊な立ち位置の友人なので、イスファンが久々に会いたいと言い……、気のおけない友人の再会とはいえ、わざわざ、イスファンの腹心たるナジルまでつかいに駆り出された次第だ。
「船が港についたぞ!」
「おら、さっさと荷を降ろせ!」
港にカルディナ風の船が到着した。荷物と人が行き交う中に、黒づくめの背の高い男を見つけて、イェンは一瞬懐かしさに息を止めた。視線に気づいた人物は……、最後にあった頃と、いいや、初めてあったころと全く変わらぬ若々しい顔をあげ、まるで昨日会ったかのように片手を上げた。
「なんだ、迎えに来なくても大丈夫だったのに」
「俺の屋敷の場所を知らないだろう!」
アスランを下ろし、ナジルに預けてからイェンは足早に船に近寄った。
黒髪に黄金の双眸をもつ竜族の青年は降りるなり両手を広げて、がしっとイェンを抱きしめてけらけらと笑った。
「髭はあんまり似合わないな!イェン」
「剃り損ねたんだよ!―――会いたかった、スイ!」
スイは俺もだよ、と笑って……、ナジルの両足の後ろにもじもじと隠れたアスランに気づくとふにゃりと笑った。
「かっわいいなあ、おまえがアスランか?」
「こんにちは、スイ先生」
「先生?」
スイが小首を傾げると、アスランはこくん、とうなづいた。
「だって、お母様が、えらいお医者様だから先生って呼びなさいって」
「ははー、なるほど。ま、なんでもいいよ呼び名なんて。よろしくな!あ、あんたがナジルさん?俺がスイだよ。よろしくね。イスファンは元気?」
「……は、はあ」
ナジルが目を白黒させている。たぶん、思い描いていた「竜族」の高潔なイメージとスイがあまりに違っていたのだろう。
スイはアスランを抱き上げると「よろしくな」と挨拶をした。アスランはちょっとまだ人見知りをしている。
「親父に全然似てないなー、繊細じゃん」
ぶっきらぼうな女の声にイェンは振り返った。
――その声に、聞き覚えがある。いいや、違う、思い出した。
たった今。
日除けのフードを外したまだ若い女は猫みたいな吊り気味な目でイェンをみた。
口の端があがって、ニッ、と笑う。
女では珍しく短い髪に、両の耳には変わった紋章の耳飾りをしていた。
大人になった。
しかし、生意気な、といえば怒るだろうからイェンは、内心の評価を苦笑しながら書き換えた。
意思の強そうな、黒い瞳は、変わらない。
「キリ」
「へっへ、久しぶり。何かいうことない?あたしに」
「何をだよ」
「そりゃ決まってんだろ、綺麗になったとか、グッとくるとか、誰かわからなか……うわっ」
キリは最後まで言えなかった。
ぎゅっとイェンが身をかがめて抱きしめてきたからだ。
キリの身長はあまり伸びなかったのだと気づいて、イェンの胸に、わけのわからない寂しさがどっと胸に去来して、そのまま、腕に力を込める。
それから、声を……絞り出した。
「ばか、変わらないよおまえは。昔のままだ」
「…………なんか、語尾が震えてますけど、イェン様?」
「そんなわけがあるものか、風邪気味なんだよ」
「この温暖な土地で風邪かよ!……ま。あたしは優しいから、そういうことにしといてやるよ」
キリは背伸びして爪先立ちになりながら、イェンの首に抱きつく。
「会いたかった、本当に」
船の荷を受け取りに来た商人たちが、総督の腹心である青年と異国の風変わりな少女の抱擁を不審げに見つめている。ナジルが溜息をついて彼らに「散れ散れ」と手を振り、家でやれ家で!と文句を言う。
イェンはそうだな、と苦笑して、スイの腕からアスランを連れ出して、キリの前に立たせた。
「ご挨拶を、アスラン」
「はじめまして、キリ先生!ぼくはアスランです」
「はー、お行儀がいいな。でも先生じゃないよ、医者としては駆け出しだし、あたしは魔女だよ。北の森の魔女のキリだ」
魔女は小さな男の子と視線をあわせて、ニッと、微笑んだ。
続きは明日。
長らく停滞しててすいません。




