白夜を行く 3
「だいぶ髪がのびただろ!」
くるりと少女が一回転するのに、スカートと艶やかな黒髪が一拍遅れてついてくる。
イェンはほんとだなあと気の無い拍手をした。
そういう自分の髪の毛は数日前から短い。
この一年伸ばしっぱなしにしていた髪は売り払ってしまった。
「王子様が身を売るなんて、世も末だな」
となぜかオアシスにふらりと訪れるようになったスイはため息をついていたのだが、イェンはいいじゃないかと軽くなった頭をかいた。
別に売れるのなら髪ぐらい何度でも売る。
売り込んだ先の性別のよくわからない店主から、髪よりあんたの方が金になるよと妙に艶っぽく微笑みかけられたので、ありがとうよ、と片目を瞑ってついでに愛想を売っておいた。
親切に一割上乗せしてくれたので、珍しくこのツラが役に立ったなと妙な感動をした次第である。
キリはぴょん、と跳ねてからイェンの首筋に触れた。
「もう少し伸びたら売りに行って、金に替えよう」
「やめとけ。俺の世にも麗しい蜜色の髪ならともかく、キリの黒髪なんざ珍しくもないだろ」
ぐしゃぐしゃと黒髪をかき乱すと、少女はイェンを見上げて「イーッ」と生意気に舌を出す。
この一年でキリは少し背が伸びて、髪も背中で切りそろえられるほどになりずいぶん少女らしくなった。
「お前が髪を売ったらエチカが悲しむだろ?」
「そうなの?」
「たぶんな」
イェンは礼拝堂の方角に視線をやる、とたんにキリが神妙に黙った。
単純な娘に笑って彼女とスイを促す。夕暮れ時でもうすぐ夕食なので二人を呼びにきたのだった。居候の身でオアシスにただ居座るのも気が引けて何かと手伝ううちに家事炊事のうち食事の支度はすっかりイェンの役割になってしまった。
世も末というなら、仮にも王族に連なっていたはずの自分がせっせと他人の賄いを毎日つくるのもおかしいというか、経緯だろうなあと思わなくもない。
食卓を囲んで鶏肉を煮込んだスープと黒パンを三人分用意してスイとキリと食卓を囲む。
さて食べるかとスプーンを持ったところでバンと扉が開いた。
「俺の分は!?」
「遅いんだよ……飯に呼んだら一度で来い、来ないなら俺たちが食う」
現れた神官服のエチカに、チとイェンは舌打ちした。
エチカがそんなあんまりだろと渋面になり、スイが笑ってこっちだよと椅子をひいた。
「だいたい、俺の家じゃん、ここ……」
「うるさい、黙って食えよ」
「イェンだって、朝ごはん食べないじゃん…」
「朝は寝ていたいんだよ、さっさと座れおっさん!」
ぼやくエチカに冷たく言うと彼はあーあといいながら着席する。キリがいたずらっぽく笑った、
「呼んで来ないエチカが悪い」
「悪かったってキリ」
「口ばっかりで反省したって意味ないんだからな!」
イェンは苦笑してエチカの前にスープをよそう。
礼拝堂に篭ると時間を忘れるのはエチカの悪い癖だ。キリがエチカの身体を心配して口すっぱく言うのだが最近はヘソを曲げて勝手に食べることにしたらしい。キリはエチカがなんの支障もなく口元に夕食を運びこむのを見届けると、安心したように自分も食事をはじめた。
エチカの治療から瞬く間に一年が過ぎた。スイは俺の腕が良かったんだろうと自画自賛していたが、半月もすると起き上がり日常生活に支障をきたさなくなった。
スイはいつまた同じことになるかはわからんよと一見冷たいことを言いつつも、時折ふらりと様子を伺いにくる。
イェンはたまに近くの集落に出向いて力仕事を手伝って、……狩をして。
エチカとキリと過ごす日常は、奇妙なほどに平穏だった。
「キリと街に出るから、何か必要なものがあるなら考えておけよ」
「わかった」
たまに、キリとイェンは連れ立って別のオアシスにある街に出る。
キリはともかく、片目を隠した怪しげな風体の男をオアシスの住民たちも遠巻きにしていたのだが、この数ヶ月というもの住民たちも随分と警戒をといた。
というのも、両方の瞳が金色で明らかに竜族のスイが二人と一緒に街を回って(しかもうるさい)、イェンの眼帯をうっとしいからと、とりあげ(絶対にわざとだ)、俺の息子呼ばわりをイェンにするもので、(スイに女を口説く甲斐性があるとはおもえない)
『訳あって竜族の里から家出してきた、スイの息子』
だと誤解されてしまっている。
スイは妙に人懐こい。しかも近辺のオアシスでは貴重な医術の心得がある人物だ。
その『息子』と誤解されたこともあって、どうにもイェンの意図しないところで周囲の視線が好意的になってしまった。
別に息子じゃない、あのお人好しそうなスイと自分のどこが似ているんだ、と否定はしたかったのだが、『おまえの親父さんに』世話になったからとたまに貰える食材の魅力にどうしても抗えずに、イェンは誤解をそのままにしている。
キリ、イェン、スイの三人でオアシスで用事を済ませスイが北山に帰ると、飛龍に騎乗するのを見送る。
キリはまた来てね、とスイの首にかじりついて別れを惜しむ。
「また来てくれる?」
「いつでも、キリが呼べば!」
キリがスイに懐いたのを微笑ましいような気持ちで見つつ、イェンはじゃあなとスイにそっけなく別れを告げた。スイはほんの少し眉根を寄せて言いにくそうに口を開いた。
「なあ、イェン。おまえ一度、北山に戻る気はないか?」
「竜族の里へ?なぜ?俺が戻っても誰も喜ばないと思うが……」
「……長が先年、ひどい怪我をされてな」
なんでも、飛龍からおちて、今は自分で歩くのもやっと、という具合なのだとか。
長の地位を長男に譲り隠居生活を送っている彼は、ふと、放逐した息子を思い出したのだらしい。あまりに悪いことをした、と。
「それはまた、勝手な」
イェンは憤るより、呆れた。
驚くべきことに彼の状態を聞いても、同情も湧かないしせせら笑う気にもならない。
もはやあまりにも遠い人だ。
「別に許す必要もないし、どうでもいいと、俺も思うんだが」
「だが?」
「……貯め込んだ財産の一部をおまえにせめて贈りたいらしい」
それなら黙って送ってくれよと思ったが、どうやら死が近い父としては、不遇な目に遭わせた息子と和解して気持ちよく死にたいらしい。……ますます呆れた。しかし、と隣で不思議そうにこちらを見上げてくるキリに視線をやって溜息をついた。金ならあるほうがいい。
自分には必要なくとも、キリやエチカに渡せば自分が使うよりいくらかマシな使い道を考えるだろう。
「考えておくよ、スイ」
「ん、じゃあまたな」
スイは空へと舞い上がって行った。
じゃあ帰るか、とキリに手を差し出すと少女は躊躇いなく握り返してくる。
「イェンと親父さんは仲が悪いの?だから家出したのかよ」
「どうかな」
無邪気に聞かれてイェンは苦笑した。
「あまり話したことがないんだ。でも、お互いに好きではなかったかな。……家出したのは、それが原因だったのかもな」
父と不仲で家出。
ひどく苦悩したように思うことでも言葉にすればあまりにも陳腐だ。
「ふーん、良かったな、仲が悪くて」
「……おまえなあ」
あまりな言い草に呆れるとキリは猫のように大きな黒い瞳を悪戯っぽく輝かせた。
「だってそうじゃん!そのおかげでイェンはあたしとエチカの所に来たんだろ?すごくすごく良かったじゃん。な?」
肯定の言葉以外不要だと言わんばかりの問いかけだ。
「そりゃそうだ」
「だろ?知ってた!」
キリがあまりに自信たっぷりに言うのでイェンは思わず声を立てて笑ってしまう。
キリはへへ、と品なく笑いながら、小さな手でイェンを引っ張って歩く。
「あたしはエチカが一番大好きだけど、イェンが来てくれてよかったな。だって、ひとりぼっちの時間が減ったし。賑やかで寂しくないや」
「そうか」
「イェンも?あたしといたら、寂しいって少なくなる?」
「さあな。うるさくて退屈しないのは確かだな。……さ、帰るぞ」
キリは大人しく頷いてイェンの手を離し、軽い足取りで前へ行く。
「あたし、はやく大人になりたいな」
「なってどうするんだよ、大人も案外……つまらんぞ」
「はやく大人になって、エチカと結婚して、子供産むんだ。そしたら、エチカが病気でいなくなっても、寂しくないだろ?」
「馬鹿。エチカが聞いたら泣くぞ。おまえのことを娘みたいに思ってるのに」
「でも、娘じゃないもん」
キリの台詞に、イェンは思わず足を止めてしまった。
「エチカが死んだらまたあたしはひとりになるだろ?スイもいつどうなるか分かんないって言ってたし、エチカもあんまり俺は長く生きないぞって言ってた。……だったら、それはきっと『そう』なんだ。でも、遠くない『いつか』にあたしと一緒にエチカの子供がいたら寂しいのが半分くらいなるな」
「……そうか」
キリは、なんでもないことのようにさらりと告げて行こうぜ、とイェンを誘った。
『俺は長くは生きないぞ』
驚いたことにイェンより幼いキリの方がその事実を現実的な目で見ていると言うことか。
前を行く背中に黒髪が揺れる。
とりとめのない会話。
日常の繰り返し。
束の間の、平穏。
……きっと長く続かないことを、キリはちゃんと理解している。イェンよりもずっと。
小さな影を踏みながら、そっと視線を落とした。
◆◆◆
オアシスに戻ると珍しいことに客人があった。
馬を降りたイェンとエチカは思わず顔を見合わせた。
随分と姿のいい砂龍が二頭繋がれているのを見たキリは、わあ!と歓声をあげて遠巻きにする。
砂漠にいるのは大体砂龍だが、飛竜にしろ砂龍にしろ高価だから、今のイェンには縁のないシロモノだ。
北山にいる頃には身近にいたが、と懐かしく思いながら近づくと、二頭はイェンに気付いてヒクヒクと鼻をひくつかせてゆっくりと上体を起こす。
「綺麗なドラゴンだな。お前たち誰と来たんだ?」
イェンが褒めると、砂龍は『キュイ』と見た目に似つかわしくないやけに可愛らしい声をあげた。
ドラゴン達はキリを全く無視してイェンに顔を寄せてくる。撫でてと言うことか?と瞳の間あたりをガシガシとかいてやると、喜んで尾をぶんぶんと振った。
「私達だよ。……砂龍が懐くとは珍しいと思ったら、おまえは竜族混じりか」
イェンが声のする方に振り向くと、高価な衣服に身を包んだ男女がいた。
背の高い褐色の肌の男がイェンの瞳に目ざとく気づいて感心したように言った。どこか眠そうな表情をした男は無遠慮に近づくと何のためらいもなくイェンの顎を掴んで上向かせた。
「片方の瞳だけ金色という事は、半竜族か?なかなかに見事な色合いだな。なぜ、エチカのところにいる?名は?」
「……」
この無礼者をぶん殴っても問題ないだろうかと右手に力を込めたところで、男の背後にいた女が楽しそうに笑う。西国人にしてはずいぶん白い肌の、黒髪の女だった。
「野生の獣にすぐに触れるのはやめておけ、イスファン。噛まれる」
「ん?……ああ、そうか。すまんな、珍しくてつい」
「……いえ」
ぱっと指を離されたので、イェンは一歩下がって彼らと距離を取る。
キリは彼らを知っているのか、イェンの腰にしがみついて隠れた。
女がにこりと慈悲を持って二人に微笑みかける。
「すまないな、青年。私の連れは綺麗なものが好きなのだ。すぐ手にとって愛でたがる」
「……それは、どうも」
エチカの客人ならば、居候の自分が殴っては悪いだろう。
曖昧にうなづくにとどめてイェンが言葉少なに応じていると
「イェン、キリ。おかえり……お二人とも、まだいらしたのですか」
話し声に気づいたのかエチカが礼拝堂から慌てたように出てくる。
「そう迷惑がるな、エチカ。懐かしくて顔を出しただけだ」
「……面白い者をそばに置いているじゃないか?隠しているとは、水臭いな」
女がチラリとイェンを見る。キリが女の視線から隠すように、イェンの前に出た。女は面白そうにキリを眺めて男に耳打ちし、男は実に面倒臭そうにうなづいた。どういう関係なのか。
なんともつかみづらい二人だった。
男女はエチカに手を振ると「ではな」と短く別れを告げて砂龍にまたがる。
「あれは?」
二人が飛んで行った方向を目で追いながらイェンが問うと、エチカは困惑を声に乗せて、答えた。
「西国王の……王が溺愛する末の娘と、その夫だ」
続きはまた来週




