旅路 4
とりあえず、中に入りましょうか、とドミニクが言い、彼はハナの所にいた厩務員を呼んで、客人二人のドラゴンの世話を指示した。
シンは長身痩躯の、黒づくめの男性にぎゅっと抱きついたまま、離れようとはしない。
「シン」
「離さない」
「……皆、困っているだろう」
「離さない」
「……」
まるで蝉のような懐きよう。も、もしかしてお父上とかですか。と、思ったけれど似ていないし。
ドミニクはシンの頭をくしゃくしゃと撫でると「先生も、そんなすぐにいなくなったりしないさ」と笑った。
ようやく納得したのか、シンが男性から離れて裾を握る。あー、でも、裾は離さないんだ。
男性はドミニクを眺めると、ああ、と思い当たったように目を細める。
「ひょっとして、キルヒナー男爵のご嫡男か」
「ご無沙汰しています、先生」
「俺はイザークです!お久しぶりです」
聞かれてないのに、イザークも割り込む。
テーセウス、と呼ばれたその人は表情を和らげると、二人とも大きくなったな、と感慨深く呟いた。
「夏とは言え、川の夜風は冷たいですからね?さ、船室へどうぞ」
皆が入ろうとするので、私もテクテクとついていく。
ーーと後ろから肩をつかまれた。
「何しているんです、お嬢様」
く、よくぞ気づいたな、スタニス!
スルーしてよ、ここは!
私は顎に手を添えると、スタニスを上目遣いで見つめてみた。
「だって、ドミニク様が船室に入りましょうって」
「どう考えても私たちは部外者でしょうに。お邪魔ですよ。ご無礼ですよ。ささ、帰りますよ。明日も早いからさっさと寝ましょうねー」
うわぁん、全然おねだりが効かない!
「旅の間は、社会勉強しなさいって、ミス・アゼルも言っていたじゃない!刺激を受けなさいって!」
「お嬢様がなさるのは、人間世界の勉強だけで結構です!人外の方々の研究はしなくてよろしい!刺激が強すぎます」
やだ!明日になったらもう、竜族のお二人は船にいないかもしれないじゃないの!話してみたいぃ!
「わ、た、し、も、い、き、た、い!」
「だ、め、で、す!」
小声で攻防を繰り広げていると、それに気づいた白髪の男がこちらへ歩みよってきた。
途端に、猫に睨まれた鼠のように、スタニスの動きがぴたり、と止まる。
竜族の男はそんなスタニスを軽く嗤い、しゃがみ込んで私と視線を合わせた。年の頃は人で言うなら三十前後か。黒に近いと思われた肌は、明るい所で見れば深い茶だ。
滑らかなチョコレートのような肌と、白い髪。
彼の双眸は、シンの瞳と少し違い、オレンジがかった華やかな金色だった。
「こんばんは、お嬢さん」
「こ、こんばんは」
近くで見ると迫力だな、と思って、私は思わずスタニスの影に隠れた。
「私、レミリア・カロル・ヴァザと申しますの。貴方のお名前を伺ってもよろしいですか?」
スタニスが、額を押さえ「名乗らなくていいんですよ、お嬢様……」と呻いた。いいじゃない、減るものじゃなし!侍従の嘆きは無視する。だって、お知り合いになってみたいんだもん。
竜族の男はヴァザのお姫様かと笑って、何故か連れの男性を見た。
「面白いな。女王の甥と、ヴァザの姫が同じ船にいやがる。これも時代という奴か」
あの?と私が首を傾げると、彼は失礼、と笑った。
「初めまして、レミリア。俺はイェン。ついでに、そこの黒い陰気な男はテーセウス。お嬢様、やはり、一晩、船にお邪魔しても?」
私はドミニクを見た。彼は困ったように笑っている。
「あの、私は、船の責任者では無いので」
答えられませんと正直に言うと、イェンは目を細めた。
肉食獣みたいで、ちょっと怖い。黒豹みたいな人だ。
「そうなのか?――じゃあ、お嬢さん。俺たちが同じ船にいたら、不快かな?」
ぶんぶんと首を振る。
「ありがとう、お嬢さん。さあ、キルヒナーの息子。お姫様の許可も出たし、船室で俺たちに酒と食事を恵んでくれないか?ついでに一晩泊めてくれ」
恵んでくれないかという割に、ずいぶんと尊大な態度だ。
ドミニクはどうぞ、とため息をつく。
「最初と比べて要求が増えていませんか?――高くつきますからね」
「言ったろう、礼はする」
イェンはドミニクに微笑むと、私をみて軽々と抱えあげた。
え、ちょっと!そんな赤ん坊みたいに!
「お嬢さんもおいで。野郎ばっかりだと華がなくていけない」
迫力ある美形に至近距離で微笑みかけられ、私は声もなく頷いた。
いかん、貴族の娘らしく無礼な!とか怒るべきところなんだろうけど、迫力に呑まれた。
粗野な美形ってすごい新鮮……。
美形といえど、不健康そうな父上ばっかり見ているからなぁ。
私を抱き上げたイェンの身体は見事に鍛えられていて、無駄な肉などなく、鋼のよう。鋭い視線とあいまって、いかにも戦士と言った風情だった。
無礼なー!とか、無駄に貴族ぶって怒らなくてよかったかもしれない。生意気な人間の小娘が!とか、腰に差している剣でバッサリ斬られたら嫌だしさ。
「ああ、そこの眼鏡も来ても良いぞ」
「…………ありがとう、ございます」
イェンが、にやりと笑ってスタニスを見る。牙ののぞきそうな口元には、意外にも、綺麗に揃った白い歯が並ぶ。
スタニスはため息を一つ落とし、私の後に従った。
黒髪の男性は、やはり、シンのお知り合いらしかった。
「俺の母さんと、同じ故郷の人なんだ」
と、シンは簡単に説明してくれた。
テーブルにはキルヒナー兄弟が自ら給仕してくれた(他の人を部屋に入れたくなかったのかな)食事が並ぶ。
パンと、ワインと干し肉、それから果物。食が限られる船旅では、歓待と言っていい。
「北の森の、ですか?」
「うん、魔女」
男なのに魔女とはいかに、って感じだけど、北の森に住む魔術師団の人たちは男女の区別無く魔女と呼ばれる。
多分に侮蔑を含んだ俗称であって、自称ではないんじゃなかろうかと思っていたけど、彼らもその呼称を好んで使うらしい。
ひねた人が多いのかしら。
でも、本物の魔法使いなんて、はじめてみる、とキラキラした目でテーセウスを見ていると、私の視線に気づいたのか、彼は柔らかく笑った。
こうして見ると、彼もかなりお美しいお顔だちの、陰のある美形だ。イケメンばかりだね、竜族って。
「魔女と言っても、私は魔法は使えないが」
「魔女なのにですか?」
私が疑問を口にすると、テーセウスは私にも分かるよう、易しく説明してくれた。
「魔法を使える人間は、私の里でも本当に一握りだ。私は――君たちの国で言うところの薬草医かな」
なるほど、それでキルヒナー兄弟はテーセウス「先生」って呼ぶのか。北の森の魔女は、そのほとんどが医術や特異な技術を持った人たちの事らしい。知らなかった。
テーセウス様は薬草に限らず、外科まで試みる医者で、身体を悪くしたタニア様の治療をされていたのだとか。
「タニアは、子供の頃から知っている、妹のようなものでね……シンも、こんなにちっちゃい頃から知っているんだ」
だからシンも懐いているのね、と納得しつつ、何かひっかかって、私は頭の中で計算した。
タニア様は女王陛下の「姉君」のはず。だったらタニア様を「妹」のようと言うこの人も四十は超えてるはずなんだけど、目の前にいる優しげな人は、とてもそうは見えない。半竜族だから、人間とは年の重ね方が違うのかなぁ。
だとしたら、竜族のイェンさんは一体おいくつなんでしょう?
き、聞いてみたい。興味本位で、とっても聞いてみたい。
「魔女って、魔法を使わない皆さんは、いつも何をしているんですか?」
とりあえず、当たり障りない質問を、と私が尋ねると、テーセウス先生は面倒くさがらずに律儀に答えてくれた。
「薬草を求めて東国へ行ったり、西国で新しい治療法を教えて貰ったり…、まあ、気ままな生活かな」
「先生の調合した薬はよく効くので、うちの商会で材料を栽培したりしてね。懇意にさせて頂いているんですよ」
ドミニクが商人の顔をして、説明してくれた。
先代陛下と違い、ベアトリス女王は北の森の魔女達と北部民の交易を禁じていない。だから北部民と魔女達は、お互いに足りないものを補い合ったりしているらしい。
それに、西国との交易や人的交流も復活させている。こうした面だけをみても、先代陛下より、さらにはヴァザ家より、よほどベアトリス陛下の御世は解放的だ。
「先生はどうしてこちらに?」
テーセウスが笑った。
「イェンが、西国でおもしろい外科治療がはじまったと教えてくれてね。イェンの案内で半年ほどあちらにいた。まさか、帰りに君たちと会うとは思わなかった」
「ご縁ですねえ」
「そうだな。じっくり会うのは四年ぶりか?皆、大きくなって」
シンは口を尖らせた。
「四年ぶりか?じゃないよ。全然手紙もくれなかった。テーセウスの嘘つき」
「……絵はがきは、送っただろう」
テーセウスは困ったように眉を下げた。
「絵はがきは、手紙っていわない」
「私は手紙は苦手なんだ」
シンは拗ねていらっしゃる模様。と言うより、めちゃくちゃ甘えモードだ。
「じゃあ、テーセウスが俺に会いに来てくれれば良かったのに」
「私は王都には行かない」
穏やかに、だがきっぱりと拒否され、シンは、ますますむすくれた。イェンは二人を楽しそうに見比べ、それから私を見る。
「で?なんだって、ヴァザ家の姫君がベアトリスの甥っ子と、腰巾着の船にいる?」
私はぎょっと身を竦める。腰巾着!態度だけじゃなくて発言も尊大な人ですね、イェンさん。そりゃあ、キルヒナー男爵家は先代陛下からの忠実な現王家の家臣だけどさー、その船に乗りながら、もっと言い方ってものがあるだろうに。しかも陛下を呼び捨てですか。
「イェン」
さすがに、テーセウスが短くたしなめ、シンは鼻の上に皺を寄せてイェンを睨む。
「その言い方、嫌い。やっぱり俺、あんた嫌い」
「そうかい?俺は結構おまえが好きだぜ」
そういってシンの頭を、がしがしとかき乱す。あああ、シンがますます不機嫌に……ドミニクがまあまあと仲裁に入り、イザークが、細かい経緯を省いて、手早く旅の目的を説明した。
曰く、私がキルヒナー兄弟からドラゴンの卵を買うのだ、と。ドラゴンの売買って竜族的にはいかがなものだろう。
不快に思ったりしないのかな。
「お嬢さんが、ドラゴンを飼うって?」
呆れたようなイェンと、驚いた表情のテーセウスに見つめられ、私は縮こまりたくなった。
お二人におかれましては、売買そのものより、「私が」ドラゴンの持ち主になることに驚かれた模様……。
専門職の方から見ても、脈がなさそうかしら、わたくし……。
いや、無謀だと思いますよ、自分でも。けど、そこにいる、イザーク・知人・キルヒナーがね、無理矢理売りつけて来たんですよ。(鬼のように値切りましたけど……)
「イザーク様が、すぐ乗れるようになるよ、って……」
私がしどろもどろになりつつ、イザークのせいにすると、イザークが通常の半値で買いたたかれたけどね、と笑ってばらした。ええ?っと若干引いた目で、シンが私を見る。
……あああ、ばらしやがった……。
私は心の中で白目を剥いた。
よりによって、シンに言わないでよ。せっかくの、私の心優しい令嬢イメージが。うう。イザークなんか、絶対に友人に格上げしてやるまい。あんたなんか、一生知人のままだからね……?!
イェンは、ふぅんと口の端をつりあげ、いいんじゃないか、と私の方を見た。
「竜族混じりが側に居れば、ドラゴンを操るのも容易いだろ」
側にって言っても、シンとはそんなに近くに住んでいるわけじゃないんだけどなあ。新旧王家は近くに住んでいると思われているんだろうか。
私が首を捻ると、テーセウスが優しく笑いかけてくれた。
「ハナは気性の優しい子だから。きっとその子供も優しいだろう。大丈夫、すぐに乗れるようになる」
うわあ、優しい笑顔。
つられて私も笑う。テーセウスさんは、やっぱりどこかシンに似ているなあ・・・顔かたちじゃなくてさ。
普段とっつきにくそうなのに、ふとした拍子に滲み出る優しい雰囲気とか、思わず笑顔に引き込まれてしまう感じとか。
「その、ハナなんですが、テーセウス先生」
「うん?」
「羽根がまだ完全には、治っていなくて。もしよかったら、診察していただけませんか?」
ドミニクの依頼にテーセウスは、分かった、と立ち上がった。
「診るなら早い方がいいな」
「お礼はーー」
「いい。押しかけて、無理を言っているのは私達だ。一宿一飯の恩は返そう」
「助かります」
薬草医の先生かあ、ドラゴンもみれるなんて、凄いなぁ。
私は憧れの目でテーセウスの知的な横顔を見上げた。いいなあ、薬草医。
外科なんて私にはとても無理だけれど、せっかく屋敷にも庭園があるんだもの。薬草なら、私にも育てることが出来ないだろうか。
私も、何か役に立つ、って事をしてみたい。
そこまで考えて、私はちょっと考え込んだ。
――ゲームの「レミリア」も薬草を好んで育てていた。
(それって、「誰から」の影響だったんだろう?)
父上は薔薇にしか興味がないし、そのほかの親族で特に薬草に詳しい人なんて「いない」のに。
少しだけ、不安が過ぎる。
私は記憶を取り戻して、「レミリア」とは違う生き方をしているつもりなんだけど、もし、あの「シナリオの彼女」が薬草を育てるきっかけが、テーセウスとの出会いだったら……。レミリアの少女時代にも、こんな旅があったとしたら?
(……まさかね)
私は苦笑した。
彼女は、ドラゴンに全く興味がなかったもの。考え過ぎだ。
私が固まっていると、テーセウスが優しくどうかしたかい?と聞いてくれた。私はなんでも、と首を振り、「あ!」と声を上げた。
いきなり叫んだ私に、視線が集まる。
「ハナともう一人、治療してあげて欲しい人がいるんですけど……」
テーセウスとイェンをのぞく全員が顔を見合わせ、一呼吸遅れて、一斉に、「あ」と言って、病人のいる船室の方を見た。
わ、私だけじゃないよね!?皆、忘れてたよね!?
生きているかな、ヴィンセント……。




