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146.帰還 2

「そういえば、ジグムント。私ヴィンセントからくまを貰ったのよ」


 ジグムントが毎年、ヴィンセントと弟のために買い求めていたテディベアだ。

 老伯爵は一瞬、眉間にしわを寄せて恥じ入るようにうつむいた。


「……私のおしゃべりな侍従が、余計なことを……、全くあいつは!イーサめ……」


 彼は気むずかしい顔で側仕えのイーサ青年を罵ったが、恥ずかしさを隠すためなんだなと私にもわかる。私は微笑んで同意した。


「ヴァザ家の侍従が一言多いのはどこも一緒ね」

「全くです」

「私にだけじゃなくてユリウスの分も貰ったのよ。後は……出来れば、救貧院の子供達にわけてあげたいって、そう言ってた」


 私がよく訪問する救貧院に持って行きたいと言ってくれたので、私は是非にとお願いした。帰国したらヴィンセントを誘って訪問してみよう。

 もちろん、ヴィンセントのくまだけでは足りないだろうから、人数分足さないといけないだろうけどね。


「今日はゆっくり休んでね、ジグムント。帰国前には挨拶に来るから」

「ええ、公女殿下」


 私が部屋に戻ろうと退室すると、扉のすぐ横に一人の背の高い青年が控えていた。


「お部屋までお見送りを」

「ありがとう」


 アレクサンデル神官は、いつものようにポーカーフェイスだったけれどさすがに目の下にわずかな隈があった。あまり眠れていないんじゃないだろうか。


「伯爵のお具合はいかがでしたか?」

「今は落ち着いていると思う。その、大丈夫だと思うよ……ジグムントは私が思っているよりも、一人ではないみたい……」


 気難しい伯爵には、家族はいないけれど周囲にはちゃんと心配してくれる人がいる。だから、大丈夫。きっと。


 長い渡り廊下を私達は歩く。

 ジグムントの居室から私の寝泊まりしていた居室へ続く細長い回廊からは鮮やかな夕陽が見え、橙の、目を焼くような陽が街の白壁を照らしてそれが街中に反射して柔らかな印象に染めている。

 私は足を止めてしばらく無言で太陽に包まれた街を眺めていた。


 綺麗な街だ。

 ここで様々な悲しいことや恐ろしい歴史が繰り返されたのが嘘みたいに、優しくて、綺麗で。そんな街並みの中で、人々は忙しそうに立ち動いている。

『争う時代は終わったのですよ』と言った西国の王子の真意がどこにあるにしろ、この平和を失いたくは無いと思う。


 アレクサンデルもどこか遠い視線をしていた。

 彼の血縁であるリディアの事を思っているのかもしれなかった。彼は許せない、と激情をあらわに彼女を罵っていたけれど、ずっと近くにいた人だから憎しみだけではない複雑な思いもあるかもしれない。

 私は慎重に、口を開いた。


「アレクサンデル神官」

「はい」

「昨夜……以前、貴方が言っていたことを思い出しました」

「私が言っていたこと、ですか?」


 私は後ろを振り返ってアレクサンデルを見上げた。なぜだかたじろいだように神官は一歩後ろに下がる。


「……銀色の首輪のこと。神官につけられる、枷のこと。神官長やヴァザの一族は、夕べ父がしたようにして、貴方たちを縛っていたのね」


 父上は、リディアに「ヴァザの長の名において」動きを封じると言った。リディアは全くそれに抵抗できなかった。古の誓約で、ヴァザの家長は神官を操れるのだと、私は後で知ったけれど……。

 あの時アレクサンデルが一瞬、嫌悪の表情を浮かべたのを私は見た。


 ……甘いのかもしれないけれど、人に隷属を強要する旧制度はやはり間違っていると思う。


「貴方にまた怒られそうですけど、私はやはり、あのように人を操る力は……恐ろしいと思いました」

「……左様でございますね……」

「スタニスが、誰かを傷つける姿を見たくない。そういう身勝手な感情もあるのだけれど」


 アレクサンデルは苦笑した。


「公爵閣下は、ユンカー殿があのように答えるのを見越していた気がいたしますよ」

「そうかしら?」

「貴女が、サウレ殿に刃としての姿を望まないことは公爵には自明でしょう。そして、貴女が嘆く姿を『彼』(ユンカー)も見たくなかっただろうから」


 後半はなにか独り言のようだった。アレクサンデルは私を見た。


「サウレ殿は昔、私と同じように首に枷を持っていました。しかし、今は自由の身だ……、公爵閣下が枷を外されたのではないかと思っています」

「父上が?」

「ヴァザの嫡流がそう望めば、(くびわ)は外れたそうですよ。やり方はわかりませんが……」

「ヴァザが真実、望めば……か。外れたら、いいのにね」


 私はアレクサンデルの首輪が外れるように望むのだけれど……。私はつい指を伸ばして枷に触れた。一瞬、驚いたみたいにアレクサンデルが身をこわばらせたけれど、当たり前のように何も起こらない。私は血筋から言うと嫡流とは言いがたいからかな。


 私はしばらくそのまま固まって、じっと私を見下ろすサファイアの瞳に気づいて慌てて指を離す。しまった!つい!


「ご、ごめんなさい、不躾に触れてしまって!!」

「…………いいえ、公女殿下。しかし、恐ろしくはないのですか。私の首輪が外れれば、私は野放しになるのですよ?異能を持った人間が、野放しに」


 そういえば、アレクサンデルは空気を切り裂くような異能も持っているのだった!私はリディアに対するアレクサンデルの攻撃を思い出したけれども、首を振った。


「恐れたりはしません。例えば騎士は皆帯剣しているけれど、私達は恐れたりはしないでしょう?彼らの剣は人を守るものだと知っているから。……どんな能力を持っていても結局は使う人次第だもの。アレクサンデル神官が無闇に異能を使って見境無く人を傷つける方で無い事くらいは……知っていると思います、多分……」


 声が小さくなるのは許してほしい。アレクサンデルともいい加減長いつきあいだけど、胸襟を開いて……とまではいかない関係なのだ。お互いに苦手意識があるのは承知している。

 多分ですか、とアレクサンデルは苦笑した。

 どうしてだろう、何故かアレクサンデルの纏う空気は優しい。


「公女殿下は人がよくていらっしゃる」

「そうかな、そうかもしれないわ……」


 アレクサンデルはもう一度苦笑し、それから私を促した。


「ええ。テーセウス医師が仰るように、貴女の立場にしては、善良に過ぎるように思います」

「……それは、いい事なのかしら?」

「ご無礼を申しました。レミリア様。だが、それが貴女の武器かもしれないと思います……。さあ、お部屋まで送りましょう。レミリア様もお疲れのはずだ。帰国の旅路は行きよりも長く感じるでしょう。どうか、今日はゆるりとお休みになられますように」


 彼は冷静な神官の仮面を取り戻すと慇懃に一礼した。





 ◆◆◆

 沢山の人に見送られながら私達は西国を後にした。

 スタニスは夕べは部屋に戻らなかったみたいで、ヘンリクが「あの竜族の男と一晩一緒にいたみたいだぞ」と告げ口して去って行った。

 ヘンリクは妙なところで目敏いからなー。観察してたのかなー。


 何を夜明けまで二人きりで話したの?と聞きたくてうずうずしたけれど、スタニスにはスタニスのつきあいがある、のだろう。……ので、根掘り葉掘り聞きたいのを我慢した。イェンと二人きりで一晩、ちょっと羨ましいのは許してほしい!何を話していたのか聞きたいけれど、私は大人だからね!我慢するよ!

 気になるけどね……。


「なんですか、お嬢様、じっと見て……」

「……なんでもない……なんでもないけど……昨日、スタニスがどこで何をしていたのか。気になって……聞かないけど……イェン……」

「…………さ、左様でございますかー……その名前は私は記憶から消したいですねー」


 スタニスが渋面でそーっと離れていく。

 うう、気になる!


 見送りに来てくれたテーセウスによると気まぐれな竜族、イェンは私達より一足先に北へ行ったらしい。カルディナのお友達のお屋敷経由で北の竜族の里に一度帰省するとか。

 カルディナのお友達が誰かなのか、は気になるけど、イェンとはまたすぐに会えそうな気がするな。なんとなく、だけどさ。


 そして、国教会のタイスの職員達に護衛されてリディアも先にカルディナに戻ったと知らされた。リディアについては後日、正式な裁判になるだろう、と父上は言っていた。

 そうなると良い。ジグムントにもヴィンセントにも裁判はとてもつらいだろうけれど。


 もう一つ気が重いと言えば、……と、私は帰国に向かう隊の中に場違いな華やかな数人を見つけて溜息を押し殺した。

 父上の要望で、麗しのカタジーナ伯母上も一緒に戻る事になっている。リディアがあんな事になったのに、カタジーナは「まあ、恐ろしいわ」の一言だけ感想を漏らし、彼女を擁護しようとはもはやしなかった。

 冷たいというか、貴族らしいというか。ろくでもないことを考えていなければいいが、と父上は溜息をついていた。

 さすがの伯母も私達の目がある所では何も出来ないから大人しく帰ると思うけど……。


 見送りの最後に私の所へ現れたのは、長身の西国美女、キプティヤだった。彼女は西国の王子、ファティマの元へ戻るだろうと思いきや、しばらくテーセウスと一緒にいて北山に行くつもりだ、と打ち明けてくれた。


「……!そうなの?」

「北の同胞達に会ってみたいので、テーセウス殿に同行させていただきます。殿下にはお許しを頂きましたよ。しばらく羽を伸ばして、ついでに見聞を広めて来い、と言われました」


 にこりと笑ったキプティヤはいずれまた御縁があればお会いしましょう、と颯爽と去っていった。


「西国の王子が、北山と縁を繋げたいと思っての指示でなければいいですけどね」


 ぼそり、とスタニスが言い、隣のユンカーが苦い顔をした。北山の竜族は西国の人々を(西国の竜族を虐殺したという)過去の軋轢から嫌っているそうだけど、今後、その関係が変わらないとは限らないのだ。西と北から挟まれれば厄介なことになる……。


 色々と問題は山積みなんだね、と思いつつ私はキプティヤの背中にそっと手を振った。彼女の立場がどうあれ、私にはあの長身の美女がひどく魅力的に映った。


 また機会があれば彼女とも語り合ってみたいな。





 ……私達は西国を旅立ち、幾つかの街に立ち寄り、土地土地の貴族から歓待を受けながら戻った。一気に戻ってしまいたかったけれど、これも外交、らしい。帰路はいっきに戻るのではなく、また半月かける羽目になった。私達の護衛はアレクサンデルが務めてくれている。なにを話すわけではないけれど、彼の視線も僅かに険しさが和らいだ気がするのは楽観的すぎるだろうか。


 帰路の、四つ目の立ち寄り先で私達は思わぬ理由で立ち往生を余儀なくされた。大雨が5日も続き先へ進めなくなったのだ。

 大雨で北部の堤防が心配だと憂いているとスタニスが大丈夫ですよ、と笑ってくれる。


「ドミニクの調査を受けて、メルジェ付近の堤防の修繕は終わっているはずです。しかし、この時期に珍しいほどの大雨だ……早くやめばいいが」

「本当にね!」


 厩舎にいるソラの様子をみにいくと、やんちゃな私の相棒はつまんないよ!といいたげにキュイキュイと鳴いた。そうだよね、空が飛べないのはつまらないよねぇ。


 早く帰りたいなあと私は思った。

 何より弟に会いたい。

 泣き虫な弟は、一人で随分寂しがっているだろう。ユゼフ伯父上や侍従のトマシュがいてくれるから心配をしているわけじゃないけれど、私が会いたい。



 鳴り止まない雨音を聞きながら郷愁を胸に眠りについたあくる日の朝は、嘘みたいな快晴だった。


「ようやく!王都に戻れる!」


 朝早く庭に出ると、イザークが背伸びをして喜んでいた。ヘンリクとヴィンセントも彼と一緒に居て、雨で少しばかり苛立っているドラゴン達の世話をやいている。私は少年達が甲斐甲斐しくドラゴンの世話をする姿を頬杖をついて眺めながら、イザークに尋ねた。


「王都に戻ったら皆は卒業式の準備で忙しくなるの?」

「もちろん!……その前に試験があるけどね。一位取りたいですからね、頑張ろっと」


 イザークが胸元から参考書を取り出し、背後で彼より頭半分背の高いヘンリクとヴィンセントが腕組みをしつつ小さく舌打ちをした。

 卒業試験に関しては、ヘンリクとヴィンセントは共闘する事にしたらしい。目標は打倒イザークなのだとか!


 三人も私も、帰国したらまた別の道へいくんだろうな。寂しいような、楽しみのような、なんだか不思議な気分だった。


「卒業式のパーティーにはレミリアも来るだろ?」

「ええ!イザーク」


 軍学校の卒業式の後は、上流貴族達が一堂に会した夜会が開かれるのが常だ。もちろん私も行く。イザークは気取って私の手を取ると頭を下げた。


「その際は私とぜひダンスを、お嬢様」

「もちろん!」


 ヴィンセントとヘンリクがイザークの両側をガシッと掴んで引きずって行く。


「ちょ、何するんだよ」

「なにがダンスだ!たるんでいるぞ、キルヒナー。戻るまで僕たちは勉強漬けだ。打倒お前のために、お前も僕たちの試験勉強に付き合え、いいな」

「やだよ!なんでだよ!敵に塩は送らないって!」

「敵の敵は友。つまり一周回って僕たちは皆友人だよ、ザック。頭に花を咲かせてないで、さあ、勉強しよう!」

「ヴィンスがわけわかんないことを言ってるぅう」


 三人が仲良く姿を消すのを私は笑って見送った。なんか仲良いなあ!三人とも!シンもここに居たらもっとよかったのにな。シンはスタニスと父上にこってり絞られて、ドミニクが常に監視している。少しばかりシンには窮屈な帰路だろう。


 皆に出会って、また何度目かの春にもうすぐ手が届く。……今までのように会えなくなっても、私はきっと皆と過ごした事は忘れないだろう。

 懐かしく、懐かしく、繰り返し思い出す。きっと。




 さあ、出発しようと私達が慌ただしく支度をしていると、滞在して居た貴族の屋敷に早馬がやってきた。

 使者はユンカー宰相を探しあてると、そっと彼に耳打ちする。表情の変化に乏しい宰相が遠目でもあからさまに顔色を変えたのが見えて……私は俄かに不安になった。


 落ち着かない気分で父上と難しい顔で話し込む宰相に近寄る。二人は私に気がつくと会話を中断した。


「いかがなさいましたか、父上?」


 父上は言い淀んで……確認するように宰相を見た。宰相は青い顔で頷く。腹部を抑えているのは、持病の胃痛が悪化したからか。しかし、ユンカーは私に向かって小さく頷いた。


「王都に戻ればすぐにわかる事ですから……、どうぞ公女殿下にもお話を」


 そうだな、と父上は溜息をついた。その瞳の色が僅かに濃いのを見て私は不安に駆られて無意識に両手を組んだ。カリシュ公爵レシェクの瞳は水色。しかし、感情が昂ぶる時にはその青さが増す……。


 父上は、ゆっくりと言った。


「悪い知らせが二つある」

「二つ、ですか?」

「一昨日、陛下がお倒れになられた。意識がまだ戻らず、フランチェスカ殿下とシュタインブルク侯爵が政務を担っている」


 私は、息を細く吸い込んだ。

 ……陛下が!?

 そして、どこか人を食ったかのような冷たい貌をしたシュタインブルク侯爵、シモン・バートリを思い浮かべた。彼が、フランチェスカと政務を?

 しかし、それは仕方ない側面もある。最も高位の貴族たる父上も、宰相も王都を離れているのだから。……しかし、他の高官は何をしているのだろう!?

 脳内が整理できない私の耳に、父上の苦々しい声が流し込まれる。


「……そして昨夜、リディア神官が脱走したそうだ」

「リディアが!?そんな、脱走だなんて!どこへ逃げたと言うのです?まさか、国教会が匿っているのですか?」


 私の問いに父上は首を振った。


「いいや、すでにリディアは見つかっている」


 追い討ちをかけるように、ユンカー宰相は苦い声で私に告げる。


「今朝、私の代理を務めていた副宰相を殺害しその後、毒を煽って……自死したと。そう、知らせが来ております」


 どうしてだか、高笑いが聞こえた気がして私は思わず背後を振り返った。中庭にはティーテーブルが設営されていて、一人の貴婦人が優雅に座っていた。……カタジーナ伯母は帰り支度を全て整えて、優雅に茶を飲んでいた。帽子の影になっているせいで彼女の表情は私からは伺えない。


 ただ、伯母の不自然に赤い唇だけが視界の先で、弧を描いて歪んだ……。



三章はあと1話です。

小話を更新してます。ヴィンセント→レミリア。

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