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144.砂塵舞う 7

書籍発売から本日で1周年。いつもありがとうございます。

 数日後、タイスとカルディナすべての調印は粛々と行われた。


 ひとつ、国境は今までどおりとすること。

 ひとつ、ファティマの領土であるオアシス都市とカナンの関税を撤廃する事。お互いの大使を駐在させる事。

 ひとつ、先の大戦の休戦条約の補償金についてはカルディナ側の()()()()を認めて差額を支払うこと。

 ひとつ、カナンからオアシス都市にかけて頻発する盗賊団の殲滅は西国タイス側が一切の責任を持って行うこと。それも、年内、速やかに。



 補償金は実質、タイスへの盗賊団解散費用だ。その他諸々、細やかな取り決めは他にも書面で取り交わされた。


「これは要望に過ぎませんが」


 ファティマはニコリ、と笑った。


「我らも隣国の状況が落ち着かないのは心もとない。カナン伯爵の跡目争いが起きぬように、後継者のお披露目が早まると嬉しいですね。伯爵は体調が優れぬとか?どういったご心痛かは存じませんが、心配だな」

「それは国内の事情ですのでご心配なきよう」


 ユンカー宰相がつれなく言うと、ファティマはタイス人らしく大きく手を広げて嘆いてみせた。


「カナン伯は我々に理解ある方だが、領主が変われば方針も変わる、それではこの会談の意味が消失する。我らの間には、永の和平を。貴方達と意を同じくする方に立って貰わねば困りますね。……例えば貴方のご子息のように、西国に縁のある方でもいいのだが」


 調印式に列席していた私は思わず表情を変えそうになり、すんでの所で耐えて、服の下にだけ汗をかいた。

 ユンカー宰相と父上は涼しい顔でその言葉を聞き流す。

 ファティマはヴァザ家とヴィンセントのつながりを……知っているだろうなあ。


 私は背後に控えているキプティヤに視線は向けずに注意を払った。キプティヤは基本的に私を見張っている、という事はないけれど知り得た情報はファティマに渡すだろうし、彼女へ誰かが情報をもたらしていない、とも限らない。


 例えば、イェンとか。


「末永く和平を保ちたいのは我等も同じですよ。殿下。また遠くない日にお会い出来ますよう」

「ええ、公爵閣下。今度は私の領地にも是非お越しいただきたい。公女殿下もぜひ……歓迎いたしますよ」

「ええ、いつか」


 私が微笑むと、ファティマは魅力的な錆色の瞳を細めた。


「いいえ、近日中のほうがいい。私がいつまでもオアシス都市にいるとは限らないから――」





 調印式を終えて、また和やかな会食が開かれる。

 交わされる会話は当たり障りのない穏やかなものばかりだ。全てが終わった後に私は父上に尋ねた。隣にはユンカー宰相が無言で座す。

 彼も疲れているだろうけれど、それを表には微塵も出さない人だ。


「父上。ファティマ殿下がいつまでもオアシス都市にいない、というのはどういう意味でしょうか?」


 父上は軽く肩を竦めた。


「西国の王都に居を移すだろう、と……己が王になるとの宣言だろうな。だから懇意にしろと遠回しに言って来た。大した自信家だ」

「我らに宣言するとは迂闊とも言えますが」

「有事には手を貸せとでも言ってきそうだな……」

「お貸しになるおつもりで?」

「私が?まさか。全ては陛下の思し召し次第」

「……好戦的な兄君よりも御し易い、と。そう言われていましたが、彼はどうも一筋縄ではいかなさそうだ」


 ユンカー宰相が皮肉な口調で言い、私はファティマの去った方向を見つめた。


 西国とカルディナは争っている場合ではない、と言ったファティマが即位し、その決意がずっと続くのであれば、カルディナにとっては喜ばしい事だ。けれど、人の心は変わってしまうからどうなるかわからないな。

 私は、会話が途切れたのに気づいて父上に尋ねた。


「お父様、ジグムントの見舞いに行ってもよろしいですか?」

「寝ているかもしれないよ?」

「顔をみるだけ」


 わかった、と父上が手を振り会話が終わりになりそうだったので、私はユンカー宰相に。


「宰相閣下」

「なんでしょう、公女様」

「……伯爵の事はあまり気に病まないでね。私やヘンリクが気にしているから。ヘンリクもヴィンセントに言っていたわ。無理をして、ジグムントに歩み寄る事はないって。血の繋がりがあるから仲良くなれるものでもないって」


 大人二人は同時に意外そうな表情を浮かべた。

 多分二人の中ではヘンリクとヴィンセントは仲の悪い子供のままなんだろう。


「ヴィンセントもそうか、って言ってたけど……」


 私はユンカー宰相の青い瞳をみつめた。


「仲良くして欲しいのが本音だけれど、人の気持ちは無理やり捻じ曲げられるものじゃないから……」


 家族の事は時間が解決するわ!とヴィンセントの母上は言っていた。

 けれどもそれは、愛し合っていた家族だからだ。ヘンリクの両親のように関係がねじ曲がってしまえば、家族の問題を時間だけが解決できるとは思えなかった。

 ヴィンセントへの友人としてのお節介、はどこまで許されるんだろうなと思いながら私は二人に別れをつげて、部屋を出るべくきびすを返す。


 背中に父上の吐息のような声が聞こえた。

 私は聞こえないふりで扉の外へ足を踏み出す。


「……甥は、己の血の繋がりが疎ましいのだろう」

「ヘンリク殿の……父君の、ジュダル伯爵のことですか?あまりに心配な噂しか耳にしませんが、失礼ながらヨアンナ様は今どこにいらっしゃるのです。屋敷には戻られていないと」


 私は思わず足を止めた。


「オルガの所だ」

「シュタインブルク侯爵夫人と?」

「ふさぎ込みがちだったのでね、気晴らしに……と。伯爵夫妻も……仲のいい時期もあった、昔はね」


 私はそっと、足音を忍ばせてその場を後にした。


 ヘンリクはいつからか屋敷に戻らなくなった、泣かなくなった、ワガママを私やスタニスにしか言わなくなった。

 それは従兄が、大人になったって事なのか、色んなことを諦めたからなのかな。両親のこととか。


 家族全てが仲良くなれるわけではない。理解し合う事が必要なわけではない。歩み寄らない方が穏やかに愛せることもある。

 けれど、距離的な別離ではなく、精神的な「思い切り」は、やっぱり、少なくはない傷を、思い切った方に生むと思う……。


 ジグムントの部屋に行くと、老伯爵は処方された薬が効いて、よく寝ている所だった。邪魔をしてはいけないな、と私は顔だけみて、自室に戻ることにした。


「あの、公女様……、殿下」

「なにかしら?」


 ジグムントにいつも付き添っている若者がおずおずとわたしに話しかけてきた。ヴィンセントの母君、カヤ様の乳母の息子さん。

 彼は、私の瞳を見つめると、意を決したように言った。


「ご無礼とは存じますが……どうしても、公女殿下にみていただきたいものがあるんです」

「みせたい、もの?」





 ◆◆◆◆◆

「みせたいもの、って?」


 翌日。

 私はイザークに頼んで、こっそりとヴィンセントを呼び出してもらった。

 この滞在期間、ジグムントの私邸(プライベート)エリアへの出入りは基本的に私と父上しか許可されていなかった。


「ええ。どうしても見てほしいものがあって」

「……屋敷の奥はこんな風になっていたんだな」


 カナン伯爵の屋敷は全体的に西国風だけれど、このあたりは比較的カルディナの色が濃い。ジグムントの時代になってから増床されたものだからだろう。

 ヴィンセントは領主の屋敷には何度も足を踏み入れていたけれど、今いる場所は珍しいはずだ。それとも……。


「懐かしかったり、する?」

「まさか」


 ヴィンセントは皮肉な表情を作ろうとして、失敗して……笑った。


「来たことがあるかもね、でもそうだとしても赤ん坊の頃だよ。記憶にはない」

「そう……」


 彼の母君のカヤ様は「ジグムントがこっそりとヴィンセントをあやしていた」と言っていたけれど、そんな優しい光景がここにはあっただろうか。


 私は昨日、ジグムントのお付きの青年に案内された部屋までヴィンセントを先導した。イーサという名前の彼は、私にある願いと共にその部屋をみせてくれた。


 陽当たりのいい、可愛らしい内装の部屋だった。


「カヤ様の部屋だったんですって」

「……母の」


 扉の前で説明する私に、ヴィンセントは驚かなかった。

 勘のいい彼の事だから、私がどこに案内したいのか気付いていたかもしれない。


 カヤ様はジグムントと一緒に住んでいたわけではなく、別邸にお母様と一緒に暮らしていたそうだから、この部屋は屋敷を訪れた時に利用する部屋だったそうだ。


「ごめんね、ヴィンセント」

「え?」

「お節介だって怒られても仕方ないと思うんだけど、どうしても知っておいてほしい事があって」

「……いいよ、聞くよ」


 ほろ苦くヴィンセントが笑ったので私はうん、と頷いた。

 私が扉を開けると、女性らしい内装と行き届いた清掃にヴィンセントは目を細め、それから息を呑む。


 部屋のいたるところに、大小さまざまな大きさのぬいぐるみが……、熊のぬいぐるみがあった。全部で、16体。


『伯爵が、一年に一体ずつお求めになるんです』


 とイーサさんは苦笑しつつ言った。


『ヴィンセント様が……屋敷ではアスラン様とお呼びしていたんですが、三つの頃に、お屋敷に来た時に、ちょうどお誕生日だったそうです』


 ジグムントはこっそりと小さなヴィンセントにぬいぐるみを渡したそうだ。


『アスラン様はたいそうお喜びで。……次の年も伯爵はまたぬいぐるみを、お買いになって……ですが、直前に、カヤ様と喧嘩をされた伯爵は結局、お渡しになれずに……毎年増えていくんですよ』


 毎年買っているの?と私が呆然とすると、イーサさんは泣き笑いの表情になった。


『ほかに、喜んだ姿を見た記憶がない、とおっしゃって。笑いもせずにぬいぐるみをみつめているんですよ、旦那様!おかしいったら』


 言いながらイーサさんは目じりを拭った。意味のない事に思えますでしょう?とイーサさんは私に聞いてから、口が過ぎましたと頭を下げる。

 ジグムントと彼は遠慮ない仲なのだろう、多分。


『伯爵は……、偏屈な方です。いつも正しい事をされている、とは言えないかもしれません……。けれど、ずっと貴方達の事を悼んで後悔していたのだと、その事だけアスラン様に……』


 私は、イーサの言葉を引き継いだ。


「ヴィンセントにどうか、伝えてほしいって」

「……」


 ヴィンセントは困ったように、眉根を寄せて部屋を見渡した。


「ごめんね、ヴィンセント。こんなこと言われても困るでしょう?……でも、少しだけ、ジグムントの味方をさせて……」


 許してあげられなくてもいいけれど。


「ジグムントがずっと、貴方を愛していた事だけ知っていてほしいなって……思う……」


 ヴィンセントは無言のまま、カヤ様の使っていたベッドに近づいた。

 枕の横に横たえられたぬいぐるみを一体、手に取る。

 それから、小さくふきだした。発作のように笑いながら肩を震わせる。


「……ば、っか、だなあ……」

「ほんとうにね」

「僕はもう、十九なのに。いい年した男が、熊なんて貰っても、喜ぶわけ……、ない、のに。どんな顔して選んでいたんだろう……」


 それは、仕方ない。ジグムントの中ではヴィンセントは小さな男の子のまま成長しないのだから。けれど私は否定せずに、ただ頷いた。


「おかしいよね」

「……ほんっとに……」


 小さな熊を抱きしめて、ヴィンセントはなおも、笑った。熊に顔をうずめて、呟く。


「いまも、居るよ?」

「え?」

「同じ、顔をしたぬいぐるみが僕の部屋に、いるんだ」


 ヴィンセントは唇を引き結んだ。


「父が僕を迎えに来たとき、僕はそいつを腕に抱いてた。父も母も弟もいなくて、怖くて、暗くて、寂しくて……でも、そいつだけが、側に居て。僕は覚えていたから。知らない誰かが僕に言ったのを、ずっと。『それは御守りがわりにお前にやるから、ずっと側に置いておきなさい』って。だから、震えながらそいつを抱いてた」


 翠色の瞳が揺れるのを私は礼儀正しく、見ないふりをした。


「そいつと、暗い部屋でずっと待っていた……そうしたら、父上が僕を迎えに来てくれて」


 ユンカー宰相は言ったそうだ。

 私と一緒に来るか、と。

 ヴィンセントは、この子も一緒に行くならいいよと答えたそうだ。


 そのぬいぐるみは、今もヴィンセントの部屋に居て。

 ずっと、側にいたのか……。


「ば、っかだなあ……」


 ヴィンセントの声が笑いながら震えるので、私はうん、と同意した。慰めていいのかわからずに、ただ、側に居る。ヴィンセントはベッドにくまを戻すと、慈しむみたいにその頭を撫でた。

 私の、どうしていいのか所在に迷う手が、ヴィンセントに握りしめられる。

 驚いて顔をあげると、そっぽを向かれた。そのまま、お願いされる。


「……レミリア」

「ええと、はい」

「ごめん、少しだけ、こうしていてくれないか……ごめん」


 私は苦笑して、いいよ、と答えた。

 少しの間、だけね。私は彼の幽かに震える指を、握り返す。



 空気を入れ替えるために開け放たれた窓からは西国の乾いた風が吹いていく。ヴィンセントの涙が渇くまで、私はかつて、彼の母がここでみたであろう、青い空を眺めることにした。



本章はあと2話。


この章が終わったら少しお休みいただいて、プロット組みなおして、完結に向けてつっ走ります!

その間、別のお話を中編二つやらせてください。

少しでもうまくなって、完結まで頑張りたいと思います(^^)


新連載 その1「追放された最強聖女は、街でスローライフを送りたい!」ラブコメです。

新連載 その2「風詠みの姫と蒼穹の王」不穏な和洋折衷群像劇ファンタジーです。好き勝手書く。

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